ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

お弁当

2005-02-28 | 考えたこと
‘アボカド’の事を 
‘アボガド’だとずっと思ってた。
幼い頃の息子なんて、
「ガボガボ」と言っていた。
種を取り除いた窪みに
コンデンスミルクをたっぷり入れて
おやつにするのが一番好き。

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2004年 4月。
息子が高校生になって、
お弁当作りがはじまった。

それまでだって娘が高校生だったのだから、
お弁当作りは 本当はあったのだが。



自分が高校生の時に お弁当なんて作らなかったのに、
「女の子なんだから、自分で作れば?」
という気分も少しあった。

男女区別(?)もはなはだしい。

それでも娘が高校に進学した時は
お弁当箱や クロスや カップや ふりかけなど
いろいろ集めて 気合を入れたのだった。

実際は ほとんど冷凍食品で ‘レンジでチン’だ。
プラス、なにか野菜を。
彩りも少しはキレイに、可愛く。
毎日同じものが続かないように。

で、続かなかった。お弁当が。



ひとつには 娘があまりにだらしなくて
お弁当箱を 自分の部屋に置いたままにしていたこと。

しかたがないので 別なお弁当箱に詰めて持たせると
それも返ってこない。

ミスタードーナッツのお弁当箱などがあったので
次々使って、
最悪、5個ぐらい 娘の部屋にあったはず。

これは 自分で洗ってもらわないと。



それから後は お弁当箱が帰ってこなければ
作らない事にした。

するとやっぱり返ってこないから、
前の晩に 準備をしなくなる。

それからはもう たとえお弁当箱があっても
朝の眠くてぼーっとした体と頭で
家を出る時間のカウントダウンをしながら
お弁当を作る事は できなかった。

私立女子高で 学食も充実していたから、
「あんた、自分のお小遣いで 食べなさい」
ということで、作るのを止めてしまった。

・・・・・・彼女はその後 
泣き泣き 小遣いの値上げを直訴してきたが。



息子のお弁当がまた始まる、ということで
凄く気が重かったが。

Living as a breast canser survivor の中に
毎朝 3人分のお弁当を作っている、
という方がいらして、
「一人分くらい、たいしたことないじゃないか!」
という気分になった。

今 お弁当作りが続いているのには、
その方のおかげがある。



それと、息子が お弁当を歓迎してくれているから。
学食より、おいしいらしい。

よく、学食が不味いと 不平をもらしていた。
私の作るお弁当の方が、数段 マシらしい。

息子の好きな菓子パンも学食で売っているが、
パンでは いくら食べても 腹持ちが悪いらしい。

毎日ろくな物を詰めてないので、
「どっちがいい?」
と聞くと、決まって
「できたら、弁当の方が ありがたい。」
と言ってくれる。

昔 息子に恋していた母は 
いそいそと ご飯の上に梅干を乗せてフリカケをかけ、
冷凍食品を‘チン’する。



しばらくして 気づいた。
息子が男の子だから、気楽に作っていた事に。

娘のときは、
‘私立女子高と’いうことで、
不必要に身構えていた所があった。
(県立共学校の出身です、ハイ。)

女の子のお弁当は キレイで可愛くて
栄養のバランスも取れていなくちゃ恥ずかしい、と。

きっと‘私立女子高’のお嬢様方は
自分でキレイなお弁当を作るだろう。

お母様がお作りになるお弁当は、
それは素晴らしいものだろう。

ご学友の皆さんとご一緒に食べる娘が
恥ずかしくないように。

そんな緊張に 肩に力が入っていたのだ。

あの子の友達に お上品な子がいるはずはないのに。

もちろん、お上品なお嬢様方や お母様方も
たくさんいらしたのだが、
娘の友達は <娘の友達らしい>子が 集まっていた。
でもそれは 後でわかったこと。



今では肩の力も抜けて、
小食の子どもの頃とは
別人のような食べ方になった息子のために
今日も ‘レンジでチン’。

見た目のキレイさもバランスも、無視。

しっかりお腹にたまるように、
ご飯をぎゅっと詰める。
そうしないと、怒られる。