ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

MY 乳がん―手術の後(3)

2004-08-07 | 乳がん
治療計画予定表を見ると、
いろいろ思い出す。
思い出さないこともある。
手術前日には、手術側の 腋毛を 剃ってください、
といわれ、佐藤看護士に 脇を 点検された。
夕食後に 下剤を のまされた―――のは、記憶にない。
便秘症の私に、下剤は 効いたのか? 


それから、
手術室に入る時に 足につける、
ネームタグの付いたゴムひも。
これの ハトメは、止めちゃ いけなかったんだそうだが、
パチンと 止めちゃって。
看護士に 
「これ、一度止めちゃうと、はずせないんですよ。」
と、や~な顔されて。
それを娘が 一生懸命爪ではずして、
看護士に 喜んでもらったり。
この看護士が 一番 言葉がきついんだけど、
娘は 一番 なついていた。
このネームタグは、なんだか 死体になるような気がして、
ぞっとしないね。
新生児には 見えないしね。
 

手術室に 入る時には、
身につける 衣類 すべてに 病棟番号や 名前を
小学生のように 書いておくのだが、
私は 20年くらい ずっと 
足首に 保温用の サポーターを 付けているので、
これがないと 足首が 冷えて 痛いから、と ごねて、
サポーターにも 名前を書いて 足首につけて 
手術室に 向かった。
手術の前に はずすけど、
終わったら すぐに また 付けてくれると
佐藤看護士が 約束してくれた。


麻酔から 覚めた時には、
深呼吸をするんですよ、と
リハビリ室で 深呼吸の 練習まで させられたのに、
「あ、深呼吸を するのを 忘れた、大丈夫かな。」
ずっと後になって 思い出した。 


2002年12月12日(木)。
昨日から始まった、鼻水、せき、喉のエヘン虫。
加湿器を 借りられたので、ほっとする。

朝7時。売店まで散歩。
9時にも散歩。手術の 同級生と会って、
キャラメルを 買って帰る。

私たち同級生 四人は、バラバラの 病棟・病室。
乳腺外科の 手術、すなわち、乳がんの 四人で 一部屋、
ということも
あったそうだけど。

この日、病棟の婦長が 病室にやって来て、
おしゃべりをして行った。
結構長く 居た。

昼前、病院の前の ポストに 郵便を 出しに行く。

午後1時。屋上へ出てみると、同級生や、
今日 新しく知り合った 方や、
知らない人も、 何人も 来ていて、
2時の検温まで、陽だまりでおしゃべり。

2時過ぎ、娘が カップラーメンとともに やって来る。
娘と二人で 外を 散歩。
実の付いた 小枝を拾ってくる。
5時前に 亭主。
5時過ぎに 息子。
息子とも 屋内を グルグル散歩。

8時の検温で、37.6℃。
ヤバイ。
歩きすぎて、疲れたか?

早く寝ようと 9時半ごろ 床に就く。
左腕の 内側に ビリビリと 痺れが走る。
縦横に走る。
「あなたの癌は、14年くらい前にできたものが、
十何年かかって、ここまで大きくなった・・・」
という、入院前の 診察の時の 主治医の言葉を 思い出す。

十数年前の わたし。
辛いことが 多かった。
悲しいことも 多かった。
本当に 辛い 日々だった、確かに。
涙が あふれてきて、
暗がりの中で 泣いた。

でも、あの頃の 私は、頑張っていた。
精一杯 やっていた。
子供を 犠牲にしていた部分も あったかもしれない。
もっと 遊んであげたかったし、
遊んであげれば 良かったかもしれない。

子供達よ、不満は あるだろうけれど、
あれで ママは 精一杯だったんだよ。。。

今は あの頃とは 比べられないほど
シアワセな日々です。
寂しい日々でもあるけれど。


癌だと わかってから 初めて この日 泣いたかなあ。