心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

いちごちゃん

2018年05月16日 | 母のこと
母の庭にプランターで植えていたイチゴ。
それを昨年の秋に地植え。今年、叔母が来てくれて庭を整理してくれた。このイチゴも菊とごちゃ混ぜ状態の春先の様子を見て、母の監督下のもと、叔母が綺麗に地植えを整理してくれた。
結果、広々とイチゴが気持ち良さそうにしている。菊の花たちも間隔を置いて隣のスペースに植え替えていた。
すでに白い花がいくつか咲いている。このイチゴは結構美味しいので、実がつくのが楽しみだ。
気をつけないといけないのはカラスとか野鳥。見つかるとわたしたちの口に入る前に食い散らかされてしまう。

少し空いた場所には植えたことのないものが出てきていた。
三人で首をかしげていたが、結論は「ご近所さんが鉢植えしていた野いちごが飛んできたのではないか」ということに落ち着いた。



これはこれで小さな可愛らしい黄色の花。

母の玄関。風除室に大きな椅子を置いた。背もたれがついているラタンの椅子。そこに母はお昼過ぎの時間、叔母がお昼寝している時間にそっと座る。叔母の睡眠を邪魔したくないためだ。
そしてひとりでは歩いていけない向かいの庭を眺めている。離れていても白い花と黄色い花は見えるらしい。それが毎日色を増やしていく様子が嬉しいと言う。
さらに玄関前の庭に昔から植えていたカリンの木。それは昨年三つだけ実を付けた。それが母には最高に嬉しかったらしい。そして今年はなんと、赤い小さな花がたくさんついている。数えたら30個は軽くあるよ、とこれまた顔を崩して報告しえくれた。叔母とふたりで花がついている場所を探す、それがこのところの日課になっているらしい。

叔母が来てくれて、母にとっては心強いものがある。毎日庭のどれをどうするか、その話し合いに気持ちも弾むというわけだ。読書好きな叔母が「本を読む暇がないんだよ」と笑って言った。読書は好きだけど草取りが一番好きなんだそうだ。わたしには無理だなと思った。
明るい叔母がいてくれて、母も笑ってばかりいるみたい。笑う門には福来たる、本当にそうだねってわたしもふたりから笑顔をもらい笑顔がこぼれる。

この叔母がいてくれて本当に良かった・・・
イチゴが出来たら今年は一番に叔母に食べてもらおう♪


shape of my heart - Dominic Miller

2018年05月15日 | ほんのすこし
shape of my heart - Dominic Miller


ドミニク・ミラー 
もう彼のアルバムに入っているこの曲が大好きで、運転しながら何度聞いたことか。

ここで聞けるなんて、嬉しくて嬉しくて。
今朝の遅起きなんて、もうすっ飛んでしまったわ。

ここに貼り付けておいたら、すぐ聞けるからアップしておくことにした。

彼のギターの音が好き。


Vicente Amigo - Tres Notas Para Decir Te Quiero (Video)

2018年05月15日 | ほんのすこし
Vicente Amigo - Tres Notas Para Decir Te Quiero (Video)


先日、息子と出かけたいつものお店で彼を聞いた。



ヴィンセント・アミーゴ

ギタリスト。魅惑的な横顔のジャケットがどこか違う世界を思わせる。
ユーチューブで探してみたら、冒頭の演奏が聴けた。良かった、あって。

昨日はなんだかすごく精神的に疲れてしまって。色々なことを考えたら、頭がパンパンに。
そのせいか夜中に目が覚めてしまい、起き出して録画を見てしまった。だから今朝は遅起き。そういうときに限って天気がいい。普通に朝早く起きて美味しい空気を吸って・・・そんな一日が始まるほうがずっといいに決まってるよね。
ちょっと失敗したなと思ったけど、遅起きしちゃったんだから。
気分を上げようと彼を探した。

そして、次に見つけたのは・・・

母の好きな紫陽花を

2018年05月13日 | 母のこと
母は紫陽花が好き。だからわたしも叔母も紫陽花をプレゼントすることが多い。叔母はずっと何年も紫陽花を送ってくれたそうだ。その送ってくれた鉢植えの紫陽花を庭に植え替えて、ずいぶん大きく育ててきた。
わたしが母の好みを知ったのは、ほんの14年ぐらい前のこと。それまでは母が紫陽花好きだなんて知る由もなかった。
というのも、実家にわたしが頻繁に顔を出すようになったのは、このアパートに住む14年ほど前から。それまでは事情があって疎遠になっていた。一人暮らし、それも療養の身となってからの話だ。

その頃は父もまだ健在(とも言えないが)で、二人共わたしの病後をいたく心配したようだ。そんな心配をかけてしまった娘がこのわたしだ。子どもというのは親の気持ちを慮るのはかなり遅い気がする。若い頃は子育てや仕事に夢中で、親が自分のことをどんなに心配しているか、なんて考えたこともなかった。そして親は何かあったら手助けしてもらう存在だとばかりに、幼い我が子たちの面倒を任せたり。1ヶ月ぐらい頼んだこともあったなあ。
なぜ頼んだのかはまだまだここでは語れない。が、その当時のことを振り返り、母がときどきあの頃の孫の様子を語る時がある。それは大変だったけど、楽しかったんだよ、という口調だ。

楽しかった、と言われると、なんだか重しが軽くなっていく。自分が都合の良い時だけ親を頼みにしてきたという気持ちがあるからだ。

そんな昔話はさておいて、母が紫陽花を好きだということを知ったわたしは、何度か変わった紫陽花をプレゼントしてきた。今回も買うつもりで入ったわけじゃないけど、ホームセンターの入り口付近に特別コーナーとして紫陽花の鉢が並んでいたのが目に入った。見事なピンクでまん丸のや、群青色のや、薄い紫のや、様々な紫陽花がここぞとばかりに並んでいた。
わたしはそれらを眺めながら、どれが母のお気に召す紫陽花だろうかと思案した。

母は派手なことを嫌う。かといって平凡なものも嫌だろう。
ということで、ど派手ピンクまん丸は退けた。群青のもいい色だなと思ったけど、はかなげな色の方が好きそうだ。
決定したのが冒頭の紫陽花。品種改良なので地植えは無理かもしれませんと言われたけど。仕方がないね。

持ち帰って早速「早いけど母の日のプレゼントだよ」と玄関に置いた。
ちょうど母と叔母が玄関先で庭仕事について話しているところだった。
「綺麗な色だね~」
母の顔がぱあっと輝いた。

数日前のそのときの母の顔を今思い出している。
今日は母の日。
これから先ずっとこうして母の笑顔が消えないでいてほしい・・・


アイスクリームがいいかなあ

2018年05月12日 | ほんのすこし
母の車庫を整理していたら、使わずにしまい込んでいた器を発見。
noritakeのガラス食器。色も形もいいなあ。
とりあえず二個だけ持ってきた。しばらく好きな絵の前に飾っている。そろそろ活躍しそうな季節が近づいてきた。
これにはバニラアイスが似合いそうだ。定番ならそれにウェハースだね。それともマーブルチョコを沢山入れたらどうかな。楽しそう・・・ そうだ!
買い物にいったついでにマーブルチョコを探してみよう。

そうしよう。

器ひとつでうきうきしてしまう、単純なわたしではある。
ここ数日のどんよりした空と寒さ。どこかで気分を変えなくちゃ♪


じゅうたんだね

2018年05月10日 | ほんのすこし
近くの線路沿い。
毎年、芝桜が咲いている。これはきっとこの町内の方たちがお世話しているのだろう。
それにしても、芝桜が沢山咲いていると、まるでじゅうたんみたいに見える。ふかふかだろうなと思ってしまうのはわたしだけ?



濃いピンクも混ざっている。





白や薄い紫も。





いいなあ・・・



久しぶりに町中に歩いて行った。たまに歩くとこんなじゅうたんに出会えるってことだね。
ちょっと得した気分なり♪

月曜だけどね のんびりしたいね

2018年05月07日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

朝から一杯
カップに湯気が立ち上り
時間がカップの中に溶け込んで

ふふふ
ちょっと休憩

体に染みこむ温かさに
ほんのりココロも緩んでいく

朝からのんびり
ココロだけでも のんびり ね

※※※

月曜だ
体が重いよ

なんてったって月曜だ
ココロがキュンキュンすることなぁ~い?

ベランダの窓から一直線に飛んだ
白い雲めがけて
雲の上で今日は
ガリガリ君でも食べたい気分だ

※※※


インパクト大でした

2018年05月07日 | ほんのすこし
ゴスペルレッスンで、いつもピアノ担当してくださっている先生は、可愛いものを身につけていることが多いのです。
先回のレッスンでは、こんなリュックを背負ってやってきました。メンバーが即、反応しました。こんなリュック見たことありません。
白いフクロウですよ♪

お目目がまん丸、全身真っ白。
しあわせを背中に貼り付けているって感じじゃありませんか♪

レッスン修了後、先生のところに行って、写す許可をいただきました。後ろからパチリ。
リュックにはキノコのキーホルダーがぶら下がっていて、これまたとっても可愛らしいのですが、写す場所が悪くて影に隠れていました。
先生はキノコが大好きで、キノコグッズを沢山持っています。でもこのフクロウはインパクト大です。

一体どこで見つけてくるんですか? とメンバーが訊いていました。
わたしも知りたい・・・
その答えを聞く時間がなかったのが残念です。

そういえば、わたしはリュックを背負うことがほとんどありません。唯一あるリュックもしまい込んだままです。リュックがあると両手が空くからいいのでしょうけど、なんとなく手に持ちたい派なのです。今は皮がずいぶんくたびれてきたバッグを使っていますが、使い勝手が良くてこれを使ったら他のバッグに手がいかなくなりました。



皮に無数の傷が・・・修復は無理でしょうね~。以前ネットオークションで手に入れたバッグの中で一番のお気に入りですが、年季が入ってへたってきました。まだまだ使います(笑)。

競馬番組を見ています

2018年05月06日 | 母のこと
競馬はやったことありません。← こういう表現でいいのかな。

競馬や競輪、競艇など会場に行ったこともありません。そういうことには興味が無かったのです。
ところが、最近、日曜日に入る競馬のテレビ番組を何度か見ています。きっかけは四月だったかに入った競馬番組をたまたま母のところで見たことでした。母が
「馬ってどうしてこんなに綺麗なんだろうね~」と言いながら画面に釘付けになっていました。そこでわたしもつい画面を見たのです。レースが始まる前の様子を見ていると、その立ち姿や歩く姿が一頭一頭違うことに気がつきます。それぞれの馬を見ながら、母があぁでもないこうでもないと品定め。
わたしも画面に映った一頭の馬を見てなかなかいいなと思ったのです。別にどこがどういいのかってわかりませんけど。

そして頭に浮かんだその馬のナンバーを見て
「このレースはこの馬が一等になる!」と予想したのです。母は母で別の馬を予想。

そしてレースが始まったら、なんとわたしが予想した馬が一等!
母もわたしもキャーキャー。
「お前買えば良かったのに」
「何言ってるの、今頃は売ってないよ」と笑いました。

そんなことがあって次の回、またしてもふたりで見ることになりました。この間は当ったという話で盛り上がり、そのまま番組を見ていました。母は入場する馬の様子を見ては、この馬は落ち着きが無いとか指摘しています。わたしは競馬の馬のことも全然わからないので直感を頼りに。またふたりで当てっこしました。

なんと! 今度もまたわたしが言った馬が一等に!
これには母もわたしもびっくり。

今日は、叔母が母のところに泊まっているので三人で見ました。母が叔母に「○子は二回とも当てたんだよ!」と教えていました。叔母が競馬のことをあれこれ訊いてきます。
でもね、わたし競馬のこと全然知らないんだけど。ただたまたま見ていた時に一等を当てただけなんだけど・・・それなのに競馬のことを知っているかのごとく当然答えが返ってくるものと叔母も母も色々質問してくるのよ。
番組中、色々聞かれても返答に窮するわたし。
そのせいか集中できずに(笑)、今日は散々でしたわ。

母が競馬番組を見るようになったのは、亡くなった父と二人で見てから。世の中にこんなに美しい生き物がいるのかと驚いて見ていたそうです。たてがみが風にたなびく様子や細い足が駆ける様子、よく手入れされた胴体が照り輝く様子、そのどれもが美しいものとして目に染みこむのだと言います。父と目を細めてふたりで仲良く見ていたであろう番組。解説の方の顔を見ながら「この人はずっとやっているんだよ」と父との思い出を振り返るように語っていました。
思い出の番組が競馬番組というのもまた母らしいのかなと思ったり。

馬券を買おうとは思わないけど、こうしてどの馬がいいかななんて楽しみながら母たちと見ている時間もまたわたしにとっては至福のときなのかもしれないな、きっと。父の代わりにはなれないかもしれないけどね。


変な天気

2018年05月06日 | ほんのすこし
連休最後の日は、変な天気です。
朝、新聞を読んでいたら、一瞬グラグラっときました。いつもより強く感じたので、すぐにテレビをつけました。こういう時はNHKが早いと思ってね。
やはり速報が流れました。
秋田県北内陸部、震源地は北秋田市、となっていました。北秋田市はこれまでも何度か震源地になっているのですが、今朝のはちょっとグラッと感じてびっくりしました。その後は何も無かったので良かったのですが。

空も晴れていてお洗濯日和だとばかり洗濯を回し干していると、あんなに天気もよく心地よかったのに、風が強いじゃありませんか。
でも洗濯はしっかり干さないと。ひさしぶりにシューズもごしごし洗い干しました。
風で飛ばされないかしらと心配になるほど風がただいま強まっておりまする。あの晴れた空はどこへ行ったのでしょうか。

地震があったり、強風があったり、晴れたり。
今日はそんな変な天気の日なのかもしれません。

ところで、昨日は子どもの日でした。といっても我が家はもう関係ないので、ニュースやインスタグラムで他の方がお祝いしているのを見て、初めて思い出したくらいです。それくらい祝日感が何もなくなっているなと感じました。きっと孫でも一緒にいたらそういうイベントには反応するのでしょうね。
まあ、まだ子供達が小さい頃ですけどね。大きくなってしまえば、子どもの日を祝うなんてことありませんから。小さい頃の特権かな。。
で、昨日買い出しに町中を運転していて、ふと思ったのは。
昔は商店街や普通の住居でも祝日といえば、国旗を玄関先に出しているところがあったなあということでした。というのも、信号で止まっていたときにすぐ近くの店の風除室内で国旗が見えたからです。思わず二度見してしまいました。それほど他には見当たらなかったからです。

いつのまに消えていたのかしら・・・ 子供達がまだ一緒に住んでいた頃からかしら。というか、国旗が家にあるお店や家庭は少ないのでは・・・

こういう昔にはあって今はほとんど見かけなくなったことがあることに、ある日ふと何かの拍子に気がつく。そのときに自分が感づくまでにどのくらいの時が過ぎていたのか、ということが問題なのかも。国旗もそうだけど、それ以外でも全然見てこなかったうちに変化しているものがこの世には沢山あるのだろう。死ぬまでに気づけないものだってあるかもしれない。
変化に敏感でありたいけど、わたしはどちらかというと鈍感です。すごく鈍感だなと思います。他の方が書いているのを読んで初めてわかったりすることが多すぎるなあといつも思います。

なんか変な天気だからか、頭のなかも変な感じの日曜日かも。