心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

勘違いがお好きなようで

2024年01月07日 | ほんのすこし

あぁ勘違い、これまで数えたら両手両足合わせてもかなり足りないみたい。数えたことないけど。

いちいち勘違いを思い出していたら、前に進めなくなるからね♫

でも、わたしはほんとに勘違いの天才かも。

娘のところで家事手伝いをしていたときのこと。娘が入院する前から行ってどこに何があるか、こども達の帰宅時間やら朝のスケジュールやら家の中の物の置き場所やらを説明受け、不安は少々ありつつも、、まあなんとかやりこなせるでしょ、と。

そして娘が入院し、いよいよ孫たちと旦那さんとの生活。これまで一人暮らしだったわたしには大勢(といっても四人)で暮らすことには慣れていない。でもかつては私だってそんな人数のときもあったし、下手すりゃ10数人分の夕食を作って配っていた時期もあった。少ししたら慣れるでしょ。

一番は孫たちが快適に通学できるようにすることだし、習い事にも上の子は自転車で行けるから、下の子と留守番し、帰ってからの食事やら風呂やら、だんだん慣れていった。そろそろ退院かなと思って、洗面所を綺麗にしていた。隅々のゴミを取り、不要な物を処分していると、洗濯機の脇にあるものを発見。

おぉ、これは体重計ではないか。自宅にいるときは恐ろしくてしばらく体重計に乗っていなかった。でも、なんとなく体重が減ったかな? と思ったのは穿いているジーパンが少し緩く感じていたからだ。ちょっぴり期待して、測ってみた。

ん? 一瞬、目が点になった。

この体重計壊れてる?

というのが最初に浮かんだ。もう一度測る。やっぱり同じだ。えっ、あり得ないんだけど。10日間で10キロも減るか? そりゃ、朝ご飯抜いてるし、お昼も夜も量は少なくしているし、下手すりゃ自宅にいるときよりもかなり少ない。でもそれにしても10キロ?

だから緩く感じたのか・・・

でも、これって喜ばしいことじゃないのかも。その日は眠れなかった。娘が退院して今度はわたしが正体不明の病気にかかっていたらどうしよ・・・そんな考えが次々に浮かんできた。結局、朝まで悶々とした。午前中に娘の旦那さんが娘を迎えに行くというので、準備をしている。その彼に

「実はね、昨日、体重量ったら10キロも痩せてたのよ」と深刻そうな顔で言った。すると

「お母さん、体重計どこに置いたんですか」と彼が言う。ん?

「バスマットの上だけど」

「やっぱり・・・あの体重計、床に直に置かないと正確に測れないんですよ」

「えーーー! そうだったの! わたし知らないからもう10キロも痩せちゃって、なんかの病気なんじゃないかって心配して眠れなかったわよ」

もう二人で大笑い。心配して損しちゃった♫

ってことは、全然体重減ってなかったってことね。娘を迎えに行った時にちゃんとこのことを報告したんだって。もう、余計なこと教えなくていいのにぃ~。娘にも笑われてしまったわたし。ジーパンはたんに伸びる素材だっただけ(笑)

あっ、一か月の滞在で2キロ痩せたのは成果あり。毎日散歩や買い物で歩いたのが良かったね。運転しないっていうのは痩せるね。でも、年末年始ゴロゴロ食べたので、2キロなんてすぐ戻る。これからはこまめに体重測って運動しようっと。

※※※

画像は娘のところで。遠くに少しだけ富士山が見える。空が広くて暖かくて、良かった。

※※※

 


やる気スイッチ

2024年01月05日 | ほんのすこし

去年は何をしても中途半端で、自信もなくなり、もう自分にはやれることは何もないなあ、なんて後ろ向きになっていた。その一つに料理がある。母がいた頃は母のためにどうしたら美味しく食べてもらえるか? という命題があったから、料理も色々やってみた。失敗もたくさんあったけど、「美味しい」という言葉をもらえるだけで、次への意欲が出ていた。

それがなくなり、自分が食べるだけの料理。だんだん興味がなくなっていった。ただ口に入れば良いや、そんな気持ちが先行し、料理を楽しむことから遠ざかっていた去年の大半。

それが11月末から12月末まで娘のところに行き、家族の世話をするということになった。孫に提供する料理は久しぶりすぎて、どんな物を作ったらいいのか悩んだ。娘が退院し、在宅ワークをしながらテキパキと料理をする姿を見て、この子は料理が好きなんだなとそばにいて思った。冷蔵庫の在庫を見て夜の料理を考え、事前に仕込みをしている。足りない食材は代用品を探す。家にあるもので補って作ろうとする。

わたしがいるうちは料理もしてもらうつもりなのだろうと思っていたが、娘によれば、わたしがいなくなってからその状況に戸惑うよりもいるうちに「いなくなったとき」に慣れておいたほうがいいらしい。それでも無理なことは大事をとってわたしがやる。洗濯や掃除はわたしが担当する。朝ご飯はたまにわたしが。退院後の生活はそんな感じで過ぎていった。

それにしても退院して二日後から在宅ワーク! 子供たちの習い事の送り迎えも夕方から夜にかけてやっている。

なんという頑張りだろう。それでも普段よりずっと楽しているらしい。旦那が飲食業なので、日曜以外は夜はワンオペ(この使い方合ってる?)。食後、お風呂、寝かしつけ、夜の時間はあっという間だ。習い事があるときは眠りまでの時間は怒濤のごとく。これをずっと続けてきたんだな。週末とか大会があると、さらに忙しさは最高潮に達する。

そばで見てきて、若いということは凄い! と。そして自分もあのくらいの若さのときは24時間が足りなかったことを思い出した。忙しくても乗り越えられる力があったのだ。若さという細胞は無限の強さを秘めていたのかもしれない。今はそれを望むことは不可能だけど。

娘のところで料理をして、孫に美味しい!と言われることが嬉しかった。美味しそうじゃない顔のときはどこが? と反省した。料理の奥深さを感じた。

戻ってきて、なんだか料理に興味が湧いてきた。誰かのために料理するだけでなくてもいいんじゃないの?自分の好きを探してみてもいいんじゃないの? 失敗したって食べるのは自分だし(笑)

一人分を作るのは案外難しい。だから残ったときのことを考えるようにする。今年はこれでいこう。

一人分を楽しむ料理を作る。

余ったときの対処法を考える。

食材を無駄にしない。

気になった料理はとりあえず作ってみる。

メモしておく。

ということで、冒頭は31日に食べたサーモンとまぐろ、それぞれサクで買ったので、すぐ半分は冷凍に。半分はお刺身で食べた。昨日、半解凍し、オリーブオイルで全面軽く焼いた。帆立も解凍し、上下に切り込みを入れ、上下を焼いた。どれも中まで火を入れない。

サクはスライスし、帆立はそのままで皿に盛る。フライパンにみじん切りのネギとバター、白ワイン、ホワイトビネガー、薄口醤油を入れ火を通す。お皿のお刺身に熱いうちにかける。

なんといっても帆立が美味しかった。ナイフとフォークでちょっと気取ってみた(笑)

ひとりでもなんだか美味しいと思えた。よし、今年は料理を楽しもう♫

 


日の出を探して

2024年01月03日 | ほんのすこし

元旦、ベッドの中で「日の出時刻」を調べてみた。七時、おっ、これならまだ間に合うかも。

慌てて起きだし、土手に向かった。新年の朝、土手には人気がない。散歩する人はいないのか? 皆、昨夜の宵っ張りで寝ているのかな、そんなことを思いながら土手を下り、東の方向に向かった。七時まで数分。残念ながら雲が・・・

それでも名残惜しくて歩き続ける。

最初、そっちが日の出の方角だと思って向かって歩いたのだが、どうも光が見えてこない。無理かなと思って土手を上がり、住宅街に入った。遮るものだらけなのでこれは歩いてもだめだな。もう一度土手に戻り、川沿いを歩く。ふと空の左側が明るくなっているのに気づく。どうやらわたしが思っていた方向とはずれた場所が日の出の方角だったらしい。慌てて雲の合間からのぞく日の光を写した。

空気はかなり冷え込んでいて、雪が降らなかった分、寒さが堪える。案外、雪が降っている方が気温が暖かく感じるものだ。去年は12月から大雪だったが、今年はそれに比べると少ない。まあ、これからだね。雪との闘いは。

そんなことを思いながら家路に着く。

※※※

元旦、いつものように時間が過ぎた。

なのに、突然、テレビやスマホが切り替わる。能登での大きな地震が告げられた。アナウンサーが繰り返す、「今すぐ逃げて!」その切迫した声にテレビの向こうで逃げているだろう人々を思う。

十分後くらいに我が家も揺れた。つり下げている照明がブラブラ揺れている。能登の人の大変な状況を想像するが、わからない。元旦のしかもこれから寒さが厳しくなる、暗くなる、そんな時間に起きた地震。

どうか被害が大きくありませんように・・・

※※※

なんてことだ。

日航機と海保機が衝突! 乗組員5人が亡くなってしまう。日航機の乗客は大丈夫だとか。海保機は能登の救援に向かうところだったか。

元旦から大きな災害が続いた。

今年はいったいどうなるのだろう・・・

何が起ころうと、パニックにならず対処していければと思うが、きっと慌てふためくだろうなあ。

※※※

昨年の大きな反省。

方向音痴を再確認したことについては後日書きたい。ほんとに自分のおバカさに情けなく思った出来事だ。

大変な出来事で始まった2024年、どうかどうかこれ以上大変なことがありませんように。

 

 


十五夜は綺麗だったね~

2023年10月06日 | ほんのすこし

今年の十五夜は綺麗だったなあ。まん丸で。

十五夜を見た二日後に、お月さんを描いてみた。

 

でも、あんまり気に入らなかった。すぐ飾るのをやめた。

頭の中には十五夜の夜が浮かんでいるのになあ。

暑かった夏、九月も思いがけず猛暑で、何もしたくなかった。この頃は朝晩涼しすぎて、今日なんか家の中の気温が20度もしくは19度ぐらい。一瞬、ストーブが頭に浮かんだが、いやいやまだまだ我慢できるでしょ? と打ち消した。

我慢しないでいたほうが体にはいいのか? それとも甘やかしては逆に体に良くないのか?

ストーブをつけるか否か、もっかの悩みどころでもある。まあ、頭が冷えすぎるのがわたしには一番良くないので、毛糸の帽子を探しておこう。寒くなったら、まずは家の中で帽子だな~

さて、お月さんの絵を描いたあと、俄然、絵を描きたいモードになった。もっぱらハガキにぺらぺらと描いている。筆の変化をあれこれ試し描き。色の変化も試し描き。なんの形にもなっていないけど、見てると面白い。しばらく遊べそうだ♫

 


こういうやり方もあるのかぁ~

2023年10月04日 | ほんのすこし

今日はウクレレレッスン日。

毎日練習すればいいのに、慌てて当日行く前に練習したりして(笑)。だからちっとも進まないんだろうなあ。

で、会場に着いて調弦していると、メンバーのひとりが「これ、なんだと思う?」とおもむろに着ていた服の前を指さした。皆がそっちを見て首をかしげると 「これね、ハンカチなのよ。いらなくなったハンカチをあてがってみたら、あら、これいけるんじゃないの? って作ってみたのよ」と答えた。

まるで最初からそこにあったかのようにハンカチとは思えない感じにしっくり合っていた。後ろにはオリジナルのステッカーを作ってこれまたあてがったという。

アイロンでくっつく両面テープみたいなものを使っているらしい。900円で買った無地のTシャツ、このままだとつまんないから何か出来ないかなと思ったという。これにはウクレレの先生も反応し、自分達のバンドのTシャツにも応用できないかなと話した。

ハンカチはもうタオルハンカチに取って代わったから、タンスの引き出しに使わないハンカチが溜まっている。あれを何かに活用できないものかと日頃から思っていたので、これは新しい発見だった。

この方、グループでは一番高齢者だけど、もしかしたら一番美的センスに溢れているかもしれない。アクセサリーや小物など普段から素敵なものを着こなしている。レッスン前のひととき、このTシャツの話題に興味津々。一人の方が「インスタにあげれば皆見てくれるんじゃないの?」と言った。このアイデア、だれか他でもやっているかしら・・・

それにしてもおしゃれさんはお年を召してもおしゃれ度は変わりませんね~

そうそう4人の中で一番元気かも。自転車で遠くからレッスンに通っているんですよ。さすが! だから痩せているんだね~♫

 


疲れた~

2023年10月03日 | ほんのすこし

女心と秋の空、なんていうか最近は一日変な感じで雨だったり雷だったり、かというと上天気だったりがめまぐるしく、朝からずっと同じという日がないくらい。

でも、今日は夜中には雨が降ったけど、朝からいい天気。

よ~し、今日はやるぞ。

裏庭はいくらか草取りをちょこちょこやっていたけど、どうも向かいの空地にある庭と前庭の植木の手入れに手が届かなかった。窓を開けて見てはため息をついていたわたし。ようやく重い腰を上げることにした。9時過ぎ、準備をして、外の物置から道具を出した。高いところの枝を切るためのものも用意した。脚立に乗って作業するということがとても苦手なわたしは出来るだけハサミを長くして地面に立ちながらの作業をしたい。高所恐怖症。

ツツジやモミジ、放っておいたら、枝が伸び放題。マサキ?(名前忘れた)は上にも横にも伸びて大変。マサキに手こずっているとお隣さんが声をかけてくれた。屋根のペンキ塗りをしているから、それが終わったら後で高いところを脚立持ってきて切ってやるよ、と。

助かった~。下の方は手元にある剪定ばさみでできるけど、高い所を切るのはどうしようかと思っていたんだ。渡りに船とはこのことよ♫

下の方をチョキチョキしたら、今度はモミジやツツジをチョキチョキ。

前庭を止めて、今度は向かいの奥の庭に取りかかる。おぉ~、なんというジャングル(大げさね)少し前に取った雑草が乾燥している。雑草を袋に詰めておいたけど、入りきれない分をそのまま外に乾かしておいた。量がずいぶん減っている。少し前にやったというのに、またまた雑草が増えている。今日は雑草もだけど、芙蓉の茎を切る。上に伸びすぎてしまったからだ。まだ蕾をつけているのもあったので、残した。咲き終わったら切ろう。

ここにもあるツツジ二種。枝をよくよく見る。枯れていそうなものや、余分なものを考え考え切る。

わたしが「どこを切ればいいかわかんないよ~」と言うと、母が「お前が思い描く形になるように切ればいいんだよ。いらないなと思ったら、潔く切ればいい」と言う言葉を思い出しながら、うん、きっとこれを切ればいいんだな、と考えつつパチンパチン。あれ? 切りすぎたか?(笑)

今年は構ってあげることができなかった庭木や花たち。来年こそは丁寧に扱おう。ごめんね、こんなわたしで。そう思いながらパチンパチン。

あれ? なんか芽が出てる。なんだろ?

今、黙っていても沢山咲いてくれてるツルボの脇にサフランみたいなのが顔を出している。うん、きっとサフランだね。嬉しい。

次に裏庭に。なんだか小菊が伸びすぎ増えすぎてしまって。茎が曲がっているものも多く、手助けを。先の方に小さな蕾がちょこんと見える。おぉ、これから咲くのか? 長い長い時間をかけて咲くんだね~。母がいたときは短かった茎が今はひょろひょろと長くなっていて、どんどん増えてしまった。間引きするのも可哀想だけど、他に障っているのもある。考えなくちゃ。どうしたい? わたし。この庭を。

なんでもかんでもいいからってわけにはいかない。こういう庭にしたい♫という形を考えていかなくちゃね。

今年はちっとも出来なかったけど、来年は今年の反省をふまえて早めに庭いじりしよう!(出来るのか?)

そんなこんなで家の中に入ったときは汗びっしょり。時計を見たら12時になるところ。時計見た途端、疲れが~

しばらくソファでごろ寝してたとさ。どんとはれ。

※ 画像はハガキにアクリル絵の具で ※

 


物々交換

2023年10月01日 | ほんのすこし

昨日、友人宅にお裾分け? プレゼント? を届けに行った。彼女とはドラマや漫画の話で盛り上がる。二か月に一度ほど我が家に来て(我が家のことを私設ライブラリィだと思ってるらしい)ドラマ談義に話が弾む。

その彼女のところに暑い季節にさっぱりとしたボディシャンプーが余分にあるから後であげるね、と話していたが、最近もう涼しくなりすぎてきたので、慌てて届けに行った。ついでにノンアルの「龍馬」とつまみになるナッツ、そして葉書に描いたアクリル絵を入れたお手紙。玄関のドアにかけていくつもりだったので、手紙にしたんだけど、ピンポン押してくれない? とラインが入った。

ピンポン♫

元気な彼女が出迎えてくれた。

「いつも貰ってばかりだから、これちょっとだけど生協で美味しかったのよ」と黒豆ゼリー、そして安いのに沢山買えたからとにんにく、それから梨。ニンニクは買わなくちゃって思っていたところだったので助かったなあ。

物々交換だね、って二人で笑い合った。そして玄関先でまたまたドラマの話に花が咲いた。次の訪問先があったので、早々と車に乗ったが、もしかしたら約束がなかったら、もっと長居したかもしれない。それほど彼女の話は面白いのだ。

彼女にあげたハガキ。

なんのこっちゃ? と思うかもしれないなあと考えつつも彼女にはこれがいいんじゃないかとチョイス。手紙に詳しく書いたからわかってくれると。

次の訪問先から戻るときにラインが入った。

早速、玄関に飾っているらしい。しかも額に入れて♫

まあ、なんてこと! 嬉しい限り。フットワークの軽い彼女らしいなと思った。絵を喜んでもらえると素直に嬉しくなる。

冒頭の写真は彼女から頂いた梨と別の友人(ミシンの師匠)から頂いた万願寺唐辛子(育ってぶら下がっていたものをもぎ取ってくれた)、柿、モッツアレラチーズ、ミニトマトをサラダにしたもの。

みずみずしくて美味しかった! お代わりしちゃった♫

ときどきでも顔を見て話ができる、会いたい人がいるって幸せなことだなあ。

 

 


ひとりぶん

2023年09月28日 | ほんのすこし

ひとりぶん、なのである。

ひとりぶんを淹れるためだけに買ってしまったのである。← この表現が誤解されたかも。わたしの場合はひとりを楽しむためにってことで♫

説明書では二人分淹れることができるらしい。この画像、回転させたはずなのに・・・時間が解決してくれるだろう。

常滑焼。手にしっくりくる持ち手。

暑い夏には温かい珈琲を飲もうなんてちっとも思えずにいたけど、ちょっと涼しくなってきたら、温かい珈琲が飲みたくなってきた。ずっとインスタントですごしてきたのだけど、ふと豆(粉)の珈琲を飲むというイメージが頭に浮かんだ。浮かんだせいなのかどうか、そのとき生協のカタログに目がいった。

ほぉ~、こういう急須型のものがあるのか。なになに、フィルターが必要ないって? スボラなわたしにはうってつけじゃないか。ってんで早速注文したってえわけ(なんでべらんめぇ調?)。

一杯分の粉、測るものがない。大さじスプーンでまず一杯淹れてみた。うわ、薄いのなんのって・・・全然美味しさが伝わらず。

新しく淹れる気にもならず、次の日、再挑戦。今度は大さじスプーンで二杯。お湯はカップに入れて量を決めた。二分待つって書いてたな。タイマーをセット。

カップにお湯を入れたので、温まっていて、それはそれで結果オーライだね。テーブルにカップと急須を置いて待つこと二分。おもむろにカップに淹れた。

おっ、いけるかも。なんか美味しいかも(笑)久しぶりの珈琲、部屋にいい匂いが漂った気がした。

残念なのは、フィルターが必要ないことはいいのだけど、洗うときに中の珈琲カスを処分するのが大変。緑茶と違って珈琲カスは難しい。失敗するとキッチンの洗い場にカスが散らばってしまう。これは・・・どうしたものか。

ってことで、お茶パックに粉を入れたらどうかしらん。そのお茶パックを急須に入れれば、処分するときに汚くならないはず。でも、味的にどうなの? 急須に備わっているフィルターが珈琲の良さを抽出するらしいのに、お茶パックにいれてしまったら、美味しさ半減なんじゃない? 後片付けの利便さを取るか、美味しさを取るか・・・考えてもわかるでしょ。丁寧に後片付けするしかないよね~

やっぱりわたしってどこか抜けてるわ。

 


器用な人はなんでもできるなあ

2023年09月27日 | ほんのすこし

月曜日、きりたんぽ作りが上手な友人のところにお邪魔した。以前からミシンの使い方を習いたいと思っていて、その方に一度ミシンを持って行って、みてもらった。その後、一か月に一度はミシンの講習をしましょう! なんて話していたのに、七月が過ぎ、暑い暑い夏の間、全然ミシンを持って行く気力がなかった。

最近、少し涼しさが出てきたので、連絡を取り出かけてみた。

「今、こんなことをしてるのよ」と言ってみせてくれたのが冒頭の写真。

「あなたにどれかあげようと思って、どれがいい? お風呂上がりに穿くとすごく気持ちがいいのよ~」

早速、二種類の底から無地を選び、上につける生地を選んだ。今度会うときまでにでかしておくからね、と言われた。写真を写すの忘れて残念だけど、部屋の真ん中にこのスリッパを作る道具が置かれていた。といっても手作りで自分で工夫した感じのもの。たとえていえば、木馬? のような感じにして、またがって使うようにしている。古いTシャツなどを裂いて編み込むための手作りの道具が木馬の前に置かれている。あ~ やっぱり写すんだった。説明が難しいなあ。今度写せたらここに入れることにしよう。

前は草履を作っていたけど今はスリッパやサンダルの形にしているらしい。草履よりも使い易いという話だった。

こんな感じで友人はとても器用な方。これは本を見て作っているらしいが、例えば、ブラウスとか、気に入ったものがあると、丁寧に分解して型紙を取り、好きな生地で作っているという。

これは袖以外に裏地をつけていた。

このチュニック、彼女の友人が着ていたのを見せてもらい、自分で考えて作ったらしい。形がよく分からなくて残念だけど、とても可愛いデザインになっている。まるで既製品みたいに見える。

この他にもYシャツ型のブラウスとか、本当に買ってきたものと間違えるくらい。

本を見て作ることもあるけど、自分であれこれいじって作ることができるという。ミシンも新しくロックミシンを買ったのよ、と楽しそうに話していた。

彼女のきりたんぽは絶品。炭火でじっくり焼くので香ばしいことこの上ない。きりたんぽ然り、洋服作り然り、やるとなったらとことん突き詰める感じの彼女には毎回驚かされている。さて、わたしは・・・ミシンは合わないかも(笑)

雪が降る前に遊びに行けたらいいなあと思っているけど、どうなることやら。

 

 

 


偶然の出会い

2023年09月24日 | ほんのすこし

昨日、久しぶりに知り合いが勤めているお店に顔を出した。前からお願いしていたバッグが入荷したので、見ませんか? との連絡があったのだ。そのバッグの話題は次の機会に。

今日は、その昨日のお店訪問で偶然出会った方のことを。

そこに行くといつも冷たい飲み物か温かい飲み物を勧めてくれる。最近少し涼しくなっていたので、言わなくても温かい珈琲を出してくれた。他の人が淹れてくれた珈琲は美味しいものだ。

温かいうちにご馳走になった。さて、品定めといこうか。

店内の品物を見ていると、私より年上の方が入店された。なにやら小さな紙袋を手にしていて、

「これ、みんなで食べて」と友人に渡した。「お皿二枚用意してね」と言われた友人は「お茶持ってきますね」と言った。

友人は空のお皿を二枚テーブルに置くと、紙袋から「鹿の子」を出してそこに入れ、緑茶を置いた。ここのお店の緑茶は色がとても良くて、美味しい。

商品を見ていたわたしに友人が「〇〇さん、食べて。あなたの分もあるのよ」と言った。一瞬、戸惑ったが、お昼がまだだったので、少しお腹がすいていたから、ご馳走になることにした。その方のことを友人は「先生」と呼んだ。なんでも友人が勤めている社長の恩師だそうだ。だから、先生なのか、合点がいった。

その先生と一緒に鹿の子を食べ、緑茶を飲み(珈琲をすでに飲んだにもかかわらず、わたしにはお茶がとても美味しかった)先生の話をあれこれと伺う時間が過ぎていった。

あれはなんの話から繋がったのだろうか・・・

先生はお茶の先生でもあるようで、その関係で着物を100着ぐらいは所持しているとか。そんなにあると処分するのに困りますよね~、なんて話していたら、「でもね、私は絶対一枚の着物だけは手放さないつもりなんですよ」と。

「あら、どうしてですか?」

「それはね、その着物、宮尾登美子さんから頂いたものだから」

「え?! あの、宮尾登美子さんですか?」つい大きな声を上げてしまったわたし。なぜ、どういう関係で?

我が地元の女子校(今は合併で無くなった)で宮尾登美子さんが講演をすることになり、そのときにお世話したのが先生の夫だとか。そして宮尾さんが十和田湖を見たいというので、案内人した夫、でも当日はかなり寒くなり、宮尾さんの着物だけでは寒すぎる。ということで急遽、自宅に寄り、先生の持っているショールやら羽織やらをあれこれ出して使っていただいたという。その縁でそれから宮尾先生とのおつきあいが続いたらしい。宮尾さんから大島紬の素晴らしい作品をいただいたが、それだけは手元に置いておくわ~と話していた。

宮尾先生が講談社の編集長と共に訊ねてきて、その方とも宮尾先生が亡くなった後でもおつきあいが続いていると。

丁寧な人づきあいをされてきた方なんだなあと思った。

さらに話を聞いていると、不遇な子供時代(ヤングケアラー)であったことや、夫の介護、両親の介護など長年やってきたこと、今はひとり暮らしだそうだ。その内容を聞くと、なんと壮絶な・・・と思わずにいられなかった。

私は「ボランティアに行ってるんですけど、先日、あるお年寄りの方がお弁当下げに行ったら、『わたし、今が一番幸せだあ!』って二回も言ったんですよ。(先生の方を向いて)今は、しあわせですか?」と唐突に訊ねた。

先生はちょっと言いよどんだけど、「しあわせなのかも。だって、だんなが亡くなったときに、あぁ、これで解放されるんだって思ったからね」と少し笑っていった。「じゃあ、もっと長生きしなくちゃ」とわたしも友人も笑った。

先生の夫は深刻な病気だったが、再発することの恐怖からお酒に溺れるようになり、手がつけられない状態になった。それが長く続いたのだそうだ。きっと宮尾さんと知り合った頃は旦那さんも優しくて元気だったのだろうな。いつまでもそうだったならいいのに、人生は紆余曲折だな・・・

悲喜こもごも、ご自分の体も歩くのが大変なほどなのに、まだ運転はしっかりしているらしい。話し方といい、コール&レスポンスのスピーディさといい、わたしよりずっと若さがあるなと思えた。

まだまだお話を聞きたかったが、頃合いというものもある。他のお客様が入ってくる前に私は先においとました。

友人のいるお店には、わたしより年配の方が多く行く。こんな風に自然にお話に花が咲くのも偶然がくれた喜び。走馬燈のように過ぎていく人生のほんの少しの時間を新しい誰かと過ごせたことに感謝したくなる。

ありがとう、先生(最後までお名前聞かずにいた)、長生きしてくださいね。

※ 宮尾登美子 ※