マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

沈黙 -サイレンス-

2017-02-14 09:21:16 | ハイキング

ー沈黙 -サイレンス-ーSILENCE

2016年 アメリカ,イタリア,メキシコ 162分

 

監督=マーティン・スコセッシ 原作=遠藤周作 キャスト=アンドリュー・ガーフィールド (ロドリゴ) アダム・ドライヴァー (ガルペ) 浅野忠信 (通辞) キアラン・ハインズ 窪塚洋介(キチジロー) 塚本晋也(モキチ) イッセー尾形(井上筑後守) リーアム・ニーソン(フェレイラ)

 

【解説】

遠藤周作の小説「沈黙」を、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマ。17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出す。『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどのアンドリュー・ガーフィールドをはじめ窪塚洋介や浅野忠信ら日米のキャストが共演。信仰を禁じられ、苦悩する人々の姿に胸が痛む。

 

【あらすじ】

江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。(シネマトゥデイ)

 

【感想】

カソリック信者のマーティン・スコセッシ監督が描く、遠藤周作の「沈黙」。

小説は高校生の頃読んだ記憶がありますが、暗いという印象です。

今回も、残酷シーンが多いらしいので、緊張して見に行きました。

 

日本人にとって、とても難解な宗教がテーマ。

切支丹についての歴史も、教科書レベルで知っている程度。

篠田正浩監督の同名の作品は見ていません。

さて、さて。

 

時代は、キリスト教が禁教になった頃、島原の乱が沈静化した後、江戸幕府はいわゆる鎖国の時代に入った。

 宣教師のフェレイラ

そんな時代の端境期、ヨーロッパのイエズス会に「日本に布教に行った宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教した」と伝える手紙が届いた。

フェレイラの弟子の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、フェレイラの棄教が信じられない。

師匠の本意を知るため、弾圧されて死ぬ覚悟でマニラから日本に渡ろうとしていた。

そこで日本人のキチジロー(窪塚洋介)に会う。

キチジローはキリシタンだったが、踏み絵を踏み、転んだ人間だった。

  キチジロー

キチジローの手引きで長崎の片田舎の村に潜入する。

そこには隠れキリシタンと呼ばれる人たちがいた。

 

しかし、宣教師には懸賞金がかけられ、密告を奨励されていた。

 

村人たちは見せしめに連行され、踏み絵を強要される。

キチジローは踏んで逃げてしまう。

モキチや村長は踏み絵を踏めず、ひどい拷問の末処刑されて遺体は焼かれた。

 

ロドリゴとガルペは村に迷惑がかかると二手に分かれて行動することを決める。

ロドリゴは逃げるが、キチジローの密告により捕まり、井上筑後守(イッセー尾形)と通辞(浅野忠信)の前に引き立てられる。

 

その間に、ガルペは信者を助けるために自分も命を落とす。

 

どんなに信者の悲劇を見せても棄教しないロドリゴに、井上は寺で暮らしているフェレイラを会わせる。

なぜフェレイラが転んだのか、その謎がフェレイラ自身の口から語られた。

 

井上が考案したという拷問は本当に残酷で、ここで書くのは控えておきます。

その拷問があって、フェレイラもロドリゴもキリスト教を捨て、日本人として生きていくことを選びます。

 

妻を娶り、禁制品の査定をして、一市民として江戸で生涯を終えたそうです。

しかし、その手にはモキチから託された手作りの十字架がありました。

  ロドリゴとモキチ

難しいです。

この映画の中でも、言葉の問題もあり、日本人にキリスト教の真髄がわかるのかというシーンもありました。

ゼウスを、大日と訳した時代があったようで、仏教と混同している部分もあるんじゃないかと。

島原の乱も百姓一揆のような性格もあり、幕府の圧政への反抗という要素もあったかと思われました。

 

また、キリスト教を禁教にし、鎖国をしたことが、ヨーロッパ列強からの植民地化を免れたということもあるんじゃないかなあと思いました。

 

また、幕府が課したのは踏み絵という行為だけのようなので、信仰を心にしまえばそれでいいという、これも日本的な行為だなあとも思いました。

カソリックなので物を拝むことは許されていたけど、プロテスタントなら偶像は拝んではいけないのですから、踏み絵ではわからないでしょうね。

 

日本人の宗教観は、たぶん世界でも不思議なものだと思います。

生まれた時は神社にお参りして、結婚式はキリスト教会で、死んだら仏教式。

でも、最近私は「日本人ほど信仰心の厚い民族はないんじゃないか」と思い始めています。

どんな宗教にも形を変えれる宗教。

これも、日本人が生き残る知恵なんじゃないかと思っています。

 

一本の映画で、いろんなことを考えました。

作者の遠藤周作さんも、監督のマーティン・スコセッシも、映画のテーマとは全然違うことを考えている私に、呆れているかもしれません。

 

ハリウッドのそうそうたる役者たちに混じって、日本の役者さんも素晴らしかったです。

特にイッセー尾形さん、アカデミー賞のノミネートには外れましたが、存在感があり、宣教師とのやりとりも見応えがありました。

強力な個性ですが、ただの悪役ではなかったところが良かったです。

 

日本人が見ても納得できる作品だと思いました。

ぜひ、ご覧ください。



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-02-22 05:28:35
観ましたよー。
イッセー尾形が抜群の演技を見せていましたね。
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Unknown (ちっぷ)
2017-02-22 05:33:09
ちっぷでした。  
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ちっぷさんへ (マダムよう)
2017-02-22 09:29:54
ちっぷさんもそう思われましたか!
私も感銘しました。
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追伸 (ちっぷ)
2017-02-27 13:22:40
コメントを入れてくれたら幸いです。
(あまり入れる機会はないでしょうけど)
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ちっぷさんへ (マダムよう)
2017-02-28 09:15:49
本当に失礼ばかりで申し訳ありません。
映画見るのも精一杯だし、記事をアップするのも滞っています。
ブログは読ませていただいたいるので、余裕ができたらコメントさせていただきます。
いつもありがとうございます。
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