マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

九月松竹大歌舞伎

2011-09-14 08:41:10 | 舞台

ー九月松竹大歌舞伎ー

平成23年9月2日~26日

大阪新歌舞伎座

 

〈昼の部〉

御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)

男女道成寺(めおとどうじょうじ)

人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)

 

〈夜の部〉

双蝶々曲輪日記 引窓(ふたつちょうちょうくるわにっき ひきまど)

お祭り

一本刀土俵入(いっぽんがたなどひょういり)

 

【感想】

1月から突発性難聴で療養されていた中村勘三郎さんが元気に舞台に復帰されたと言うニュースを聞き、この公演を楽しみにしていました。

やはり病み上がりと言うことなのか、出番は少ないように思いましたが、その分、二人の息子さんたち、勘太郎さんと七之助さんが立派に努めておられました。

 

大阪上本町駅前の新歌舞伎座に行ったのも初めてでした。

もう1周年なんですね。

幟がたくさんあがって、芝居ムードを高めていました。

 

【御摂勧進帳】

歌舞伎十八番の勧進帳とは全然違う演出の勧進帳でした。

弁慶(中村橋之助)が、すごくハデな衣装、顔の隈取りもけばけばしく登場し、その怪力や豪快さをマンガチックに表現します。

スカットする面白さでした。

 

【男女道成寺】

「京鹿子娘道成寺」を花子(中村七之助)、桜子(中村勘太郎)の二人の白拍子が左右対称に踊り、そののち、桜子は狂言師だと正体がばれ、二人がいろんな踊りを披露してくれます。とてもあでやかな舞踊でした。

 

【人情噺文七元結】

これは、シネマ歌舞伎で見たことがありました。

落語からお芝居にしたものだそうです。

 

左官の長兵衛(中村勘三郎)は博打にはまり、その年の大晦日も越せないほどの貧乏所帯。

見るに見かねた娘のお久(中村志のぶ)は、吉原の遊郭角海老に行き、身を売ろうとしていました。

お久を迎えに来た長兵衛は、女将の情けで、50両を借りて借金を返し、次の年の大晦日に娘を迎えにくる約束をしました。

ところが帰り道、身投げしようとしている若い手代の文七(中村勘太郎)に出会い、そのお金を困っている文七にやってしまう。さて、長兵衛と娘お久の運命はー。

 

何度見ても泣かされてしまいます。お久のけなげさ。

何度見ても大笑いです。長兵衛の妻のお兼(中村扇雀)と長兵衛のやりとり。

こんな人情噺に涙もろくなったわ。

歳かしら?

 

【双蝶々曲輪日記 引窓】

中秋の名月の頃の、人情噺です。

 

元は曲輪で働いていたお早(中村七之助)は南方十次兵衛(中村扇雀)に嫁ぎ、十次兵衛の母のお幸(中村歌女之丞)と暮らしていた。

そこへ、お幸が幼いときに養子に出した実子の濡髪長五郎(中村橋之助)が、人を殺めて逃げて母を訪ねてきます。

そうとは知らない十次兵衛、念願であった侍になり、お尋ね者の人相書きを持って意気揚々と帰ってきました。

しかし、その人相書きはお幸の実子、濡髪の顔。

お早とお幸はなんとか濡髪を逃がそうとするのですが…。

 

【お祭り】

中央のセリから中村勘三郎さんに押さえつけられた橋之助さんが登場。

客席から大きな拍手です。

勘三郎さんが客席に向かって、挨拶をすると「待ってました!」の声がかかりました。

「待っていたとはありがてえ」と言って、また客席は歓声で包まれました。

粋でいなせな鳶頭に扮した勘三郎さん。

江戸情緒たっぷりな踊りを披露して、元気なことをアピールしてくれました。

本当に復帰してくださって、よかった!!

 

【一本刀土俵入】

これも、あらすじくらいは知っていました。

 

水戸街道の取手の宿にある茶屋旅籠「安孫子屋」の表をふらふと通る駒形茂兵衛(中村勘太郎)。

ふとしたことから、そこで働く酌婦のお蔦(中村七之助)から恩を受け、もう一度江戸に戻って相撲の修行をすると誓いました。

10年後、茂兵衛は博徒となって、お蔦を訪ねて戻って来ました。

取手の宿には安孫子屋はなく、お蔦の消息も知れません。

いかさま博打をした辰三郎(中村松也)と間違えられ、それがお蔦の主人と知った茂兵衛は、追っ手から、お蔦一家を逃がすのでした。

 

最初は、純真無垢でお腹をすかせてふらふらしていた茂兵衛が、後半は渡世人としてしゃきっと現れるところが見せ場です。

 

お蔦が、お酒を飲みながら茂兵衛を励まし、ありったけのものを与えるところは、涙なしでは見られません。

また、ラストのお蔦は、自分の善行も忘れてしまっているところがリアルだと思いました。

それでも、恩を返そうと、茂兵衛が悪者をやっつけて、「これが茂兵衛の横綱の土俵入りです」という決めゼリフもかっこ良く決まっていました。