マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

シネマ歌舞伎 大江戸りびんぐでっど

2010-12-07 11:39:56 | 映画ー劇場鑑賞

ーシネマ歌舞伎 大江戸りびんぐでっどー

2010年 日本

脚本・演出=宮藤官九郎 キャスト=市川染五郎[7代目](半助)中村七之助(お葉)中村勘太郎[2代目](大工の辰)坂東彌十郎(根岸肥前守)市村萬次郎(遣手お菊)片岡市蔵[6代目](丁兵衛)片岡亀蔵(与兵衛)井之上隆志(佐平次)市川猿弥[2代目](紙屑屋久六)中村獅童(和尚実は死神)中村橋之助[3代目](石坂段右衛門)中村扇雀[3代目](女郎お染)中村福助[9代目](女郎喜瀬川)坂東三津五郎[10代目](四十郎)中村勘三郎[18代目](新吉)

 

【解説】

『少年メリケンサック』などで知られる人気脚本家にして映画監督でもある宮藤官九郎が手掛け、製作発表と同時に話題をさらった歌舞伎を「シネマ歌舞伎」として上映。江戸時代を舞台に、人間の代わりに働くぞんびと彼らに仕事を奪われた人間たちの戦いが展開する。音楽に向井秀徳、衣裳に伊賀大介、道具幕デザインにしりあがり寿と、異色の才能が集結。高いエンターテインメント性を持ちつつ、社会問題も盛り込まれた内容が楽しめる。

 

【あらすじ】

江戸時代の大江戸。くさや汁を浴びた死人がぞんびとして生き返る事態が発生し、人間にかみついては増え続けるぞんびに江戸の町は大騒ぎ。そんな中、くさやの名産地・新島出身の半助(市川染五郎)は、くさや汁を体に塗ることで彼らを従わせることに成功し、ぞんびを働かせる人材派遣会社はけんや半助を起業する。(シネマトゥデイ)

 

【感想】

宮藤官九郎の作品、いつも思うけど、つかみはオッケー!!

でも後がしぼんでしまうんだなあ。

この作品も、すごーく面白かったんだけど、後半が残念でした。

 

比べてはいけないけど、「夏祭浪速鑑」の「長屋裏の場」みたいなのが入れば良かったのになあ。

あの「長屋裏の場」の殺人シーンはまさにホラーだから、しかもこの作品はホラーをテーマにしているんだから、あれ以上のシーンを作らないと、観客は満足しないと思う。

 

幕開きのシーンは、すごく面白かった。

くさやに化けた半助(市川染五郎)と、亭主を亡くして女手一つでくさやを売っているお葉(中村七之助)のやりとりに、いるかのくさや(片岡亀蔵)がからんでいくところ、げらげら笑いました。

 

りびんぐでっどのダンスも面白い。

扇雀さん、染五郎さん、勘三郎さんまでが踊ってくれます。

坂東三津五郎[10代目](四十郎)さんは面白過ぎる!!

すごい、脇役陣で、若手を盛り上げてやろうという気持ちはびんびん伝わります。

 

面白過ぎる坂東三津五郎と中村福助(女郎喜瀬川)

 

☆ネタバレ

それだけに、謎解きになるお寺のシーンが弱いと思いました。

もっと時間をかけてもいいんじゃないかなあ。

 

「ゾンビ(存鼻)」を「派遣」にしたことで、社会風刺にはなったけど、スケールが小さくなった感じもするなあ。

ゾンビが恐くなくなっちゃったしね。

 

ラストも、半助とお葉の純な気持ちの表現が、永代橋の陥落シーンなんだけど、盛り上がりが足りないように思いました。

 

とにかく、残念な気持ち。

役者さんはすごいし、歌も踊りも面白いしんだもの。

クドカンさん、もうひと頑張りしてください!!

 


ことの終わり

2010-12-07 11:35:47 | 映画ーDVD

ーことの終わりーTHE END OF THE AFFAIR

1999年 イギリス/アメリカ

ニール・ジョーダン監督 レイフ・ファインズ(モーリス)ジュリアン・ムーア(サラ)スティーヴン・レイ(ヘンリー)

 

【解説】

1946年、ロンドン。作家ベンドリックスは再会した旧友ヘンリーから妻サラが浮気しているらしいとの相談を受け、嫉妬を感じる。実はベンドリックスとサラはかつて愛人関係だったのだ。サラとの不倫の恋は44年の夏突然終わった。いつものような情事の後二人の居た建物が爆撃を受け、気絶していた彼が覚めるとサラは彼の前から去ってしまった。サラを忘れられない彼は探偵に調査を依頼し彼女の日記を手に入れる。そして爆撃の際の意外な真相を知ることになる。(allcinema ONLINE

 

【感想】

AFFAIR=情事

という言葉にのせられて、見たかった作品です。

つまり不倫の映画です。

「イングリッシュ・ペイシェント」みたいかなあ、と期待して。

 

作家モーリス・ヘンドリックス(レイフ・ファインズ)は、政府高官の友人ヘンリー(スティーヴン・レイ)のパーティで、彼の妻のサラ(ジュリアン・ムーア)は一目で恋に落ちる。

夫の目を盗んで、逢瀬を重ねる二人。

 

あるとき、逢い引きの部屋が爆撃にあう。

気を失っていたモーリスが気がついてサラの元に行くと、サラは不可解な言葉を残して立ち去り、そのあと二人が会うことはなかった。

 

2年後の雨の夜、ずぶぬれで歩いているヘンリーと出会う。

ヘンリーの家まで送って行き、そこで「サラが浮気をしているようだ」と悩みを打ち明けられる。

 

サラに未練のあるモーリスは、探偵を雇い、サラを調査する。

サラの相手は、神父?

 

☆ネタバレ

サラは、あの爆撃を受けた夜、愛するモーリスの死を確認します。

確実に死んでいたのです。

サラは祈ります。

「自分を捧げるから、モーリスを助けてと」

神との誓約を交わす訳です。

 

これは、キリスト教信者でなくても、理解できるんじゃないかと思いました。

大きな犠牲を払わないと、彼を助けることはできないのですから。

 

そこからのサラの人生は抜け殻のようだったでしょう。

再び出会った二人は、また愛し合いますが、サラは病気で死んでしまいます。

神との誓約を破った代償ということでしょうか。

 

でも、無神論者のモーリスには理解できません。

 

ただ、最後には奇跡が用意されていました。

 

哀れなのは、夫のヘンリーでしたが、スティーブン・レイの演技派素晴らしかったです。

本当にサラを愛していたのは、彼じゃないでしょうか?

 

レイフ・ファインズとジュリアン・ムーアはお似合いでした。

この二人なら、運命の出会いかも、と思わせました。

 

でも、すこしテンポがユルいなあ。


ドクトル・ジバゴ

2010-12-07 11:30:29 | 映画ーDVD

ードクトル・ジバゴーDOCTOR ZHIVAGO

1965年 アメリカ/イタリア

デヴィッド・リーン監督 オマー・シャリフ ジュリー・クリスティ トム・コートネイ アレック・ギネス ジェラルディン・チャップリン リタ・トゥシンハム ロッド・スタイガー

 

【解説】

ロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説を映画した長編大作。時はロシア革命前後の動乱期。純真な心を持つ詩人でもある医者ジバゴを主人公に、ラーラとトーニャという2人の女性への愛を通して波瀾に満ちた生涯を描いてゆく。人生の軌跡を、多彩な登場人物を交えながら時代のうねりと共に描く壮大な一大叙事詩。M・ジャールによる美しいラーラのテーマも忘れがたい。(allcinema ONLINE

 

【感想】

これは、私の中学生か高校生くらいの時の封切りです。

最寄り駅の大きな看板に、映画の宣伝の絵が描かれてありました。

「戦争と平和」「マイフェアレディ」など、通学の度に、見たいなあと思って眺めていましたが、そんなにしょっちゅう憧れの映画を見に行けませんでした。

 

そんな中にこの「ドクトル・ジバゴ」もありました。

1月くらい看板を眺めていたのかなあ。

でも、結局は見る機会がなく、今頃やっと見られた映画です。

 

このテーマ曲「ラーラのテーマ」はあまりにも有名ですね。

このころは、映画音楽が一人歩きして世に残る時代でした。

懐かしいなあ。

 

原作は旧ソ連時代の作家、ポリス・バステルーク。

ノーベル文学賞の受賞が決まっていたが、ソ連当局が反対して、バステルーク自身も辞退したそうです。

しかも、この作品はソ連国内で出版できず、イタリアで出版されたとか。

 

☆ネタバレ

孤児となったユーリ(オマー・シャリフ)を、トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)の両親が育ててくれました。

ユーリは養父母の期待に応えて医者になりますが、詩人で詩集も出版していました。

兄妹のように育ったトーニャでしたが、二人は当然のように結婚して一人息子が生まれました。

 

一方、ラーラ(ジュリー・クリスティ)にはパーシャ(トム・コートネイ)という恋人がいました。

パーシャは革命を夢見る一本気な青年でした。

 

ラーラの母は仕立屋を経営していて、コマロフスキー(ロッド・スタイガー )という愛人がいました。

コマロフスキーは悪徳弁護士で、かつてユーリの父親の遺産をかすめ取った人物でした。

ラーラは革命には興味がなく、大学への進学を夢見ていました。

 

そんな純粋なラーラの気持ちを見透かして、百戦錬磨のコマロフスキーはラーラに近づき、とうとう力づくでラーラを奪います。

それを知った母は自殺未遂を計り、その救命に駆けつけたのがユーリでした。

 

傷心のラーラは、クリスマスパーティーの乗り込み、コマロフスキーをパーシャから預かった銃で撃ちました。

コマロフスキーは腕に怪我をしただけでしたが、パーティ会場は騒然となりました。

そこにパーシャが乗り込んできて、ラーラを連れ出しました。

ユーリは、コマロフスキーの手当をしながら、その情景を見ていました。

 

やがて、革命が起き、社会はひっくり返りました。

ユーリは医者として戦場へ駆り出され、そこで夫を捜しながら看護婦として働くラーラと出会います。

お互いに配偶者のある身なので、気持ちを抑えて別れました。

 

モスクワへ戻ったユーリは自分の屋敷が、人々に共有されていることに驚きます。

さらに、燃料も食料もなく、最終的には兄で革命軍の警察官になっていたエフグラフ(アレックス・ギネス)の助言で、田舎の別荘へ行くことになりました。

 

ぎゅうぎゅう詰めの貨車で、幼い息子と妻と妻の父も一緒に何日も揺られていくシーンは、「革命は嫌だ」と心底思うような悲惨な有様でした。

このへんは、アメリカ映画だなあと思いました。

 

途中で、ラーラの夫で今は残忍な革命軍のこの地方での独裁者となっているストレルニコフから尋問を受けました。

冷酷な彼も、ラーラのことを少しは思い出したのでしょう、ユーリに情けをかけて解放してくれました。

 

無事に目的地ベリキノ村に着きますが、こちらはバルチザンが屋敷を立ち入り禁止にしていて、家族は門番小屋で生活を始めました。

 

隣村にラーラがいると聞いたユーリは、会いたい気持ちを押さえることができず、ラーラに会いに行きました。

ラーラも同じ気持ちで、二人は罪悪感の中で結ばれました。

でも、ユーリはトーニャを裏切ることに疲れ、ラーラと別れますが、その帰り道にバルチザンに拉致され、働かされます。

 

ようやく解放されたときには、家族はモスクワに写され、さらに国外追放になるところでした。

行き場をなくしたユーリはラーラの家で希望のない暮らしをしていました。

そこに現れたコマロフスキー。

彼は、革命軍にうまく取り入って、安泰に暮らしていましたが、ストレルニコフが失脚し、自殺したことを知り、ラーラを逃がそうとやってきたのでした。

ユーリはさんざん悪態をついてコマロフスキーを追い返します。

 

でも、結局は、ユーリの子供を宿して、パーシャの間の娘のこともあり、ラーラはコマロフスキーの申し出を受けて、ウラジオストクまで逃げ延びるのでした。

 

こうして振り返ってみると、コマロフスキーという人物がキーマンだと言う感じがします。

 

ラーラとコマロフスキー

 

大悪人なんだけど、最後はラーラとその子供たちを助ける役割です。

ラーラの運命を変えたのは、自分が巻いた種だと考えていたのでしょうか?

これも、ラーラへの愛情の表れと考えることもできそうです。

 

ロシア革命という運命に翻弄された人たちの悲劇。

ユーリの妻トーニャのけなげさも、主人公たち以上に胸を打ちました。

 

トーニャ

 

主人公より、脇役の人たちの方が魅力的な作品でした。