Kappa-Jiiya の 水泳日記

ジャパンマスターズ、世界マスターズ上位入賞を目指して。

感慨の深かった日

2008年11月15日 | スポーツ
20/11/13の練習
場所:秋田県立プール
時間:10:00-11:30

up:400.Kick:Bc100x5=500.Swim:Fr100.Bc:400x2=800.Fr100.Pull:Bc100x2=200.Down:200.Total=2300.

久しぶりの県立プールであった。
すいていることを期待して一番で出かけたが、
もうすでにコースには一人ずつ入っていた。

自分はバスで行くのだが、マイカーで来る人にはかなわない。
それでもキックを終る頃には、一人一コースをとることが出来た。
そして念願の400をやった。
しかも2本も出来たのでご機嫌である。

ストロークに頼らないように注意して、
足の大きな筋肉を使うようにしていると、
400でも500でも楽にこなせることが分かった。

これも、長水路のおかげだ。
秋田のプールは、水が重いのでいつも嫌な気分になるのだけれど、
今回はどうしたことか、水の重さが気にならない。
不思議なことである。

いつもは自宅から大町2丁目まで15分の自転車で行き、
そこからバスに乗ってプールに行く、
バス料金は320円になる。
今回は、ためしに自宅から市立体育館まで、25分から30分自転車で行き、
そこからバスに乗った。
するとバス料金は180円だった。
天気が良ければ、この方がいい。

帰りに市立体育館の裏手に公園があったので寄り道した。
公園は丘になっていて、そこを登ると体育館が見渡せる。
丘の後ろは墓地になっていて、紅葉が美しかった。

紅葉につられて墓地に入っていくと、普通の墓地とは雰囲気の違う、
ある整然とした一画に入り込んでいた。
見ると大きな石碑が目に入った。
「戊辰戦争 薩藩戦死者之墓」と記されている。
「ハテ ? 」

その辺にはおよそ百基の墓石が並び、それぞれには、
討死にした秋田仙北地方の地名、氏名、年齢、
死亡年月日のほかに「官軍」「秋藩」の文字が、
全てに等しく書かれていた。

なぜ薩摩の官軍がここに ?
さらに「秋藩」とは何か ?
改めて寺の正面にまわってみると寺の名前は「全良寺」とあった。

実家に帰って、秋田の歴史に関する本を読んでみた。

慶応4年は明治元年でもあり、戊辰戦争の年である。
東北の南部、会津、仙台、庄内各藩は奥州列藩同盟を作って幕府方についた。
秋田藩にもこれに加わるように圧力がかかったが、
秋田藩は審議を重ねた結果、官軍の指揮下に入ることに決した。
(もともと秋田藩は、その成り立ちからして徳川家は嫌いなのだ。)

そこで秋田藩は県南を仙台、庄内藩に攻撃され、
県北を南部藩に攻撃され、非常に苦戦したが、
そのうち苦戦の秋田藩に官軍が援護に入り、戦局を挽回した。

以下は自分の想像だが、
勝利した秋田藩は薩摩からはるばる遠征し、
援護してくれた官軍の兵士に感謝すると共に、戦死者を手厚く弔い、
身寄りのない者には、その墓地を造った。
「官軍」は言うまでもなく、薩摩長州藩士であり、「秋藩」とは秋田藩を応援する師団の名前であろう。

紅葉の盛りの静寂の中に整然と並ぶ墓碑を読むと、
兵士は老若様々で50代の者あり、17歳の者あり、
将官クラスから一兵卒まで、いろいろな軍人が参加していたことがわかった。
同時に秋田人のために命をささげた他国の人々がこんなに大勢居たことがわかり、
まことに感慨無量であった。








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