中学の同級会があり、故郷に行ってきました。
私の故郷は静岡県の西部にあります。
水田と丘陵が調和した美しい町でしたが、今はその面影はありません。
高度経済成長時代に水田も丘陵も工場、事務所、店、住宅で覆われました。
昔の水田地帯は大津波の予測で危険地帯に指定されており、地方自治体は要所々々に避難所を建設せざるをえない状態になっています。
ところが生産の海外移転で工業は衰退中であり、地方自治体はお金がなく、町の開発は中途半端、避難所の建設は何年かかるかわからないという状態です。
上の写真は駅から北方に伸びる中央通りですが、拡幅した歩道が途中で止まっていることがわかります。
両側の店や事務所は到底近代化しているとは言えません。
昼間というのに道を行く車も人もまばらです。
同級会を開いた料理屋は水田が店や事務所になった低地にありました。
無機質な建物群の中にあり、南面に狭い庭を設けただけの料理屋でした。
それでも集まってきた老人達は、昔のことが懐かしく、4時間ほどいろいろ積もるお話しで会は盛り上がりました。
その後、私は夜道を駅の近くのビジネスホテルに帰りましたが、道は暗く、こわいと思うほどでした。
新しくつくった道ですが街灯がありませんでした。
経済衰退中ですから、建設が止まるだけではすみません。
新しくつくった店や事務所が倒産するかもしれません。
次の日、父の家があった所を中心に午前中散歩しました。
丘陵の古い町でしたが、再開発は手付かずで、道は細いまま、あちこちに古い建物がそのまま残っていました。
川端の赤レンガ倉庫、ロウソクで明かりをとる仕組のコンクリート製の街灯などが残っており、歴史を感じました。
周りは畑や森林が多かったのですが、そこは開発がしやすいということで住宅や事務所ができており、今は無機質な町になっていました。
経済という荒波にもまれると、経済成長であれ、経済衰退であれ、町は美しさを失い、無機質になります。
しかし水準が低くても経済が安定すると、やがて人々は落ち着いてきて経済主義ではない価値観を持つようになり、草木で自分の住居や町を美しくするようになると思います。
草木はあまりお金が要らないのに美化に非常に有効だからだと思います。
落ち着くまでに私の故郷では悲喜こもごもの人生が展開するでしょう。
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