ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

横浜は自然災害に強い町になったか

2016年03月12日 | Weblog
2011.3.11当時、津波被害を受けた人々の中に危険を感じなかった人が大勢いました。
10mの津波が来ると聞いても被害を想像することができなかった人がいました。
ちょっと高く見える所へ避難すれば助かると思って避難して結局津波に呑まれた人がたくさん出ました。

2004年、インドネシア、タイ、スリランカなどが受けた恐るべき津波被害についてほとんどの日本人が津波の脅威を映像で見たと思います。
ところが自分の町に津波が来ると聞いても津波の脅威を想像することができなかったようです。
インドネシアなどの津波被害はひとごとでした。

2011.3.11後、横浜市は何か対策を講じたでしょうか。
土建的対策はむずかしかったので、海岸部、川の沿岸部などの低地について被害を予測し、避難方法を考えたと思います。
しかし、真剣に毎年避難訓練をやってきたでしょうか。
自分はどこに逃げるか考えた人はどれくらいいるでしょうか。
本当に津波が来たとき、避難方法を知らない人、被害を想像できない人が大勢出るのではないでしょうか。

地震対策は、構造物の耐震性改善などやってきましたが、未改善の古い構造物、新しい構造物でも工事の手抜きで耐震性がない構造物、構造物ごと崩れる恐れがある丘陵の斜面など無数に混在しています。
大地震では、市や人々は何をやってきたのかと絶句するような被害が出そうです。

理想を言っても現実は何もできないと言って市も人々もつくれるものをつくっています。
これは町づくりではなく、成り行きまかせの町の形成です。
市も人々も、世の中、なるようになると悟っているかのようです。
被害を運命と受け入れているかのようです。

家と家の壁の間隔が1m、庭なし狭小住宅が林立する町、横浜の丘陵は崩れやすいのに斜面の下、斜面、斜面の上を狭小住宅が覆い尽くしている町、小型でも乗用車で入ると、バックして出なければ出られない行き止まりの結構長い道、どうしてこのような町づくりが今も認められるのか、横浜市は不可解な市です。


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