EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

私の散歩道「川附川の花たち」菜の花が咲き始めていました

2015年01月16日 | 伊予松山歴史散策
今冬期は、暖冬と予報が報じられたが、年末から厳しい寒さである。
東日本では、この時期としては、例年になく降雪が多く、雪下ろしが大変で、事故が多く起きている。・・お気を付け下さい。
松山は、降雪は無いですが、それなりに寒く身に堪えています。
昨日は、降雨でありましたが、今日は、天候は回復し日差しがあったので私の散歩道である川附川の堤防をカメラ持参で出掛けてみました。日頃健康維持の為、歩きを日課にしている顔馴染みと雑談して来ました。
堤防には菜の花が咲き始めていました。
開花は、例年より早く、菜の花の周辺にある水仙や、名前も知らない草花が開花していました。 菜の花は、地元住民らでつくるボランティア団体が愛媛県の許可を得て6年ほど前から川の景観や環境保全のために植えたものが、その後は自然に落ちた種が発芽して開花しています。
通常の種まきで育てた苗より開花が1カ月ほど早いと言われます。
未だ季節は冬ですが、自然の植物たちは春の装いでありました。


川附川は大きな川ではないですが、付近の住民の良き散歩道であります。


此れからの画像は、堤防に咲いていた「川附川の花たち」です。
今日は春間近と言った感じがしました。・・しかし松山も此れから2
月が厳寒本番であります。・・予報通り温暖であれば嬉しいのですが?。
















私の散歩道川附川が小野川に合流する地点に「伊丹十三記念館」があります。
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第53回愛媛マラソン開催PRポスター

2015年01月15日 | 伊予松山歴史散策

愛媛マラソンは、市民マラソンになってから6回目となる。
6年前までは、見る・応援するから、参加する・楽しむに変わった。
今年、第53回を迎える愛媛マラソンは、2月8日(日)午前10時に県庁前をスタートしゴールは城山公園(松山城三之丸)16時終了、制限時間6時間で開催される。毎年参加者が多く、参加応募しても抽選に漏れて参加できない程の人気の愛媛マラソンとなっている。
昨年11月に愛媛マラソン主催者の一つである、南海放送から第53回愛媛マラソンの開催PRポスターに写真を使用させて欲しいとの連絡があり了解しましたと返事をし、ポスターが出来たら記念にしたいので一枚下さいとお願いしておりましたら、12月に出来ましたと連絡があり頂いた。
写真は毎年、南海放送が開催している写真コンテストで昨年コンテストに応募し入選した作品の中ら南海放送が選んだ数枚の作品を一枚のポスターとして制作したものであった。
今年も撮影に行く予定でコンテストに応募し入選出来る作品をレンズを覗きシャッターを切ります。


昨年開催された第52回愛媛マラソン写真コンテストに応募し入選した数枚の写真を集合した第53回愛媛マラソン開催仕様のポスターです。
私の写真もこの中に入れて頂き記念になりました。

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松山城三之丸(城山公園)梅花状況&散策

2015年01月13日 | 伊予松山歴史散策
今日(1月13日)所要で松山市役所を訪れ帰りに、松山城三之丸外堀の土塁に観賞用に植栽してある梅の花の開花状況を見に行った。
先日(6日)、松山地方気象台は、松山の梅の花の開花を宣言した。
全国で一番早い開花とTVで流れた。
松山城三之丸外堀の梅花は、未だ蕾で後5~6日後位に開花する様子であった。
松山城三之丸は、現在城山公園として開放されていて、市民は色んな楽しみ方をしている。今日行ってみると、読書をしている人、ギターを弾いている人、子供と遊んでいる人、ベンチに寝そべっている人、人それぞれの一時を過ごしていた。
今日の松山は、最低気温は0度でしたが、日中は快晴、最高気温は、11,7度で風が無かったので過ごしやすい一日であった。
天候が良かったので、だるま夕日の写真を撮りに重信川河口に行く準備をしていたが西の空に雲が現れたので中止にした。


松山城三之丸外堀「南堀端」で奥の白い建物は、松山市役所で右の建物は、愛媛県警本部。


御覧の様に、松山城三之丸外堀「南堀端」土塁に植えてある紅梅、未だ蕾であったが、間もなく開花しそうである。


松山城三之丸にある、NHK松山放送局で、四国のキー局。全国の地方キー局の建物では一番規模の小さい建物。NHKは建物の改築建て増しをしたいのだが、国指定の史跡内にあるため、改築の許可が下りず我慢をしている。大きくしたいのであれば、史跡外に出て行きお好きな大きな建物にしなさい・・だと。屋上のANTも史跡内だから目立たない色にしなさいとの指示で、緑色で塗装してます。・・本来は、高層建造物は、赤白で塗装です。


NHK松山放送局正面には「坂の上の雲」再放送の大きな看板が上がっていた。


三之丸から見た松山城天守。雲一つない絶好の天候であったので映えていた。


三之丸広場「城山公園」で欠点は駐車場がない。地下駐車場を造ればいいのにと思うが?文化庁から許可が下りないのか?費用の問題か?である。


今日の三之丸広場「城山公園」でみた光景。ギターを弾く人。絵を描く人。


この人は、・・いい気持です。


西の空に雲が現れたので、瀬戸内海(伊予灘)に出来る達磨夕日の撮影は諦めた。


反対に東の空には雲は無かったのだが、自然現象は仕方ない。
画像は石鎚山で、久しぶりに姿を現した。思ったより積雪が少ない。
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山頭火検定試験合格証受取り・終焉の地・一草庵で

2015年01月12日 | 伊予松山歴史散策
松山を愛して、松山を終焉の地とした放浪漂泊の自由律俳人・種田山頭火は、昭和15年10月11日、「一草庵」にて、好きなお酒を飲んでコロリ往生した。
昨年(10月11日)、山頭火没後75年を記念して、「一草庵」で法要と愛媛大学・松山大学の落研倶楽部の寄席と漫才が開催され、東隣の護国神社、みゆき会館で第5回「山頭火検定」が実施され検定試験を受けた。(検定料金¥1000円)
何とか山頭火検定試験に合格した。合格証の授与が11月に一草庵で行われたが、私は体調を患い授与式には参加できず、昨日(1月11日)合格証書と記念品を頂いて来た。
この日、一草庵には種田山頭火の俳句に共感された方が、福岡県遠賀郡芦屋町から来られ、当番でガイドをされておられたNPO法人まつやま山頭火倶楽部理事の太田和博さんが詳しい山頭火の説明をされそのお話を聞かせて頂きました。
なお、芦屋町は、山頭火の代表句の一つ「鉄鉢の中へも霰」を作った町です。
理事の太田和博さんと芦屋町から来られ山頭火の愛好者との熱い語らいを私は傍で聞かせて頂いた。
その話の中で、山頭火はこの家の何処で亡くなられたのかとの質問もありました。詳細な事柄は現地に行かないと分かりませんよね。・・真剣に聞かれていた。
参考に、
当時の一草庵の間取りは画像で見て下さい。6畳の間で句会が開かれており、山頭火は句会に参加せず3畳の間で心臓麻痺で亡くなった。句会に参加した人たちは、山頭火が無くなったのは知らず、唯疲れて寝ていたものと思い、翌早朝に高橋一洵さんが訪れると亡くなっていた。・・その他に沢山の質問が有りましたが今日はこれ位にしておきます。
山頭火の代表句:
分け入っても分け入っても青い山
       ※ 鉄鉢の中へも霰
         ここまでを来し水を飲んで去る
       ※ 春風の鉢の子一つ
         うしろすがたのしぐれてゆくか
       ※ 濁れる水のなかれつつ澄む・・山頭火が逝去する一か月前に詠んだ
         焼かれて死ぬる蟲のにおひのかんばしく・・山頭火の絶筆
※印は、「一草庵」に句碑として建立されていますので一度ご覧に行かれて下さい。

一草庵の所在地は、松山市御幸一丁目435番地1(愛媛県護国神社西隣)
山頭火の没後も何人かの人が居住しましたが、しだいに老朽化が進みました。山頭火の足跡を残したいという人々は、昭和27年10月、当時の愛媛県知事・久松定武を会長とする財団法人「俳人山頭火顕彰会」を組織し、浄財を募って庵を再建しました。
 昭和55年、一草庵は松山市に寄贈されその管理するところとなり、平成19年松山市の「坂の上の雲・フィールドミュージアム」構想により一草庵周辺の整備が進められ、隣接する用地を取得して休憩所等の施設も整えられました。庵の庭はいつも自由に観覧できます。
また、庵の内部は、平成21年4月より毎週土曜、日曜、祝日に一般公開され、「一草庵案内人」の説明を聞いたり、ゆったりとくつろいだりすることが出来ます。松山市の委嘱を受けた「NPO法人まつやま山頭火倶楽部」が中心となり、市民ボランティアの一草庵案内人や地元の「一草庵管理協力会」とともに山頭火顕彰活動が進められております。


松山市御幸一丁目435番地1にある、松山を終焉の地とした放浪漂泊の自由律俳人・種田山頭火が過ごし亡くなった一草庵。平成19年松山市の「坂の上の雲・フィールドミュージアム」構想により一草庵周辺の整備が進められ、隣接する用地を取得して休憩所等の施設も整えられました。庵の庭はいつも自由に観覧できます。


休憩所から見た一草庵、入口に、山頭火終焉の地の石碑が建立されている。裏面には、昭和15年10月11日と刻印がある。


南東方向から見た一草庵。


正面から見た一草庵。


一草庵の玄関には、師・井泉水の揮毫による扁額「一草庵」が掲げられている。
そして新年を迎える注連縄が飾られていた。松山地方は、注連縄は1月15日まで飾ります。


福岡県遠賀郡芦屋町から来られた山頭火の愛好者の皆さんに説明をされる、NPO法人まつやま山頭火倶楽部理事の太田和博さん。皆さん真剣にお話を聞いておられた。
観光に来られた方々に、ボランティアの一草庵案内人達が持ち寄った、お茶と御茶うけでお接待する様子を見て「松山の方は、ユルイですね。」と言われた。・・山頭火の事も、松山の人は、ほっておけなく親身になってお世話をしたのでしょう!!


山頭火は、3畳の間で心臓麻痺で亡くなった。


福岡県遠賀郡芦屋町で詠んだ句「鉄鉢の中へも霰」その句碑が皆さんを迎え入れる。
芦屋町から来られた方は、我が事の様にご覧になっていた。


山頭火が逝去する一ヵ月前に詠んだ句で、山頭火没後50周年記念として建立した。
句は、「濁れる水のなかれつつ澄む」。
一草庵の前を流れる大川を観じた句で、自ら人生を観じた句でもある。濁れた水のように心を曇らせながらもなお、逞しく自己をむち打ち続け、そこから自己の魂を取り戻そうと努めた山頭火の境涯が重なる。・・と説明されている。


第5回山頭火検定のあった問題集の一部です。
「昨年の検定日(平成26年10月11日(土) 13:00~14:00)
試験会場  みゆき会館 (松山市御幸1丁目476 護国神社西隣)
検定料   一般 ¥1000  高校生以下  ¥500でした。」






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NHK・スペシャルドラマ「坂の上の雲」再放送を希望叶う、NHKに感謝

2015年01月10日 | 伊予松山歴史散策
平成21年11月29日・12月6日・13日・20日・27日から第1部が放映され、第2部は、翌年11月29日・12月6日・13日・20日・27日、第3部は、平成23年12月4日から全4回で終了しました。
この放映を待ちかねていた全国の秋山好古・秋山眞之と正岡子規の愛好者の方々がた松山を訪れ、秋山兄弟生誕地にも来て頂きました。質素な生家で立派な方が育ったのは、ご両親の小さい時からの素晴らしい躾(家庭教育)が行き届いていてその両親の教えを大人になっても忠実に守られ、特に父親からは、私利私欲を捨てて、世の為、人の為、故郷の為に尽くせる人になるようにとの教えがあったからだと思いますと・・来館者の方々は言われる。秋山家は、伊予松山藩徒歩目付けの家系で、正岡家と違って家禄は低く裕福な家庭ではなかった。その環境下で育ったのが良かったのかも知れない。好古は、福沢諭吉の学問のすすめを読み、これからの近代国家構築には青少年の教育が肝要、その為には教育者が必要と気付き大阪高等師範学校に入学し卒業後は、名古屋高等師範学校附属小学校の教師として赴任した。附属小学校に伊予松山藩出身の和久正辰教務官と名古屋鎮台に山本武官がおりこの二人の強い勧めで明治10年4月、陸軍士官学校に入学し軍人となった。しかし軍服という甲冑を着ていたが中身は教育者、陸軍大将予備役となった時、郷里伊予松山から北豫中学校校長として要請があった。好古も人生最後にもう一度教壇に立って人生を全うしたいと思っていた矢先に出来事であったのでは?大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退し、大元帥から特旨として官位従二位を拝命し大正13年4月から昭和5年3月まで、東京に奥さんと子供さんを置いて単身で松山に帰り故郷の青少年の教育に身を捧げた。父の教えの通り歩んだ72歳の人生であった。弟眞之の事は此処で書くと長くなるので次回といたします。

さて前文が長くなりましたが、一昨年から秋山兄弟生誕地にお越しになられる方々からもう一度スペシャルドラマ「坂の上の雲」を見てみたいとのお声を聞き、それではと秋山兄弟生誕地運営委員会が発企し、昨年1月から「坂の上の雲再放送」をNHKさんにお願する署名活動を開始しました。
そして念願は1年間で第1部から第3部を放映して欲しいとのご意見があり、全国から来館された皆様のお声と、坂の上の雲愛好者の皆様からの署名活動を起こし、そして好古・眞之との縁の地である、新潟市、習志野市、平塚市、竹田市の関係者の協力を得て、3万人の署名と賛同して頂いた中村愛媛県知事さん、野志松山市長さん、秋山兄弟関係者がNHKさんに再放送の請願をお願いしました。この熱意をNHKさんは、全国の多くの再放送請願に応えて頂き再放送を決定して頂きました。再放送開始は、BS3で、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、平成27年3月29日、全26回・各45分で半年間に渡り放映され現在放映中です。・・是非ご覧ください。


全国から頂いた坂の上の雲再放送署名簿持参し、NHK松山放送局経由で、日本放送協会に、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の請願書を提出した関係者、右から、竹田自民党県連幹事長・野志松山市長・中村愛媛県知事・NHK松山放送局副局長・平松公益財団常盤同郷理事長・宇都宮同常務理事。


NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定を報道した地元紙。


NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスター。


松山市一番の商店街「銀天街商店」の各商店入口に掲示して皆さんにNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定の啓発するポスター。


秋山兄弟生誕地に署名活動のお礼とNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスターの掲示。


登場人物の紹介ポスター。


此れからの画像は、昨年1月12日、開催された、秋山好古生誕155年祭の様子です。
今年は、1月18日(日曜日)好古生誕156年祭を開催いたしますので是非お越しください。生誕地は午前中開放いたしております。


昨年1月12日、開催された好古生誕155年を多くの人々が生家に来て祝ってくれる様子を騎馬から、「おおきに・・だんだん・うれしいぞなもし」と言っている。・・と思う。


昨年1月12日、開催された秋山好古生誕155年祭、カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街、三橋正文理事長からの寄贈。
今年は、1月18日(日曜日)好古生誕156年祭を開催いたしますので是非お越しください。生誕地は午前中開放いたしております。
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