EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

仙波太郎の墓参り(秋山好古と陸大学校一期生同期)

2015年01月09日 | 伊予松山歴史散策
今日、仙波太郎の墓参りに行って来た。
仙波太郎は、坂の上の雲の主人公の一人である、秋山好古と陸軍大学校一期生の同期で、安政2年4月21日、温泉郡久米村大字福音寺の庄屋の長男として生まれた。我が家の本家曽祖父の友人である。本家には、仙波太郎から送られて来た手紙を屏風にして大切に保存している。
さて太郎は、同期同郷の秋山好古より4歳年長者である。維新前の太郎は、寺子屋で学び、その後南久米の日尾八幡神社の神官、三輪田米山の下で四書の素読や日本外史を学んだ。明治5年庄屋職が廃止となり家計が苦しく、質素倹約に努め、太郎は農業の傍ら行商により家計を助けた。いろんな書物を読破した中で、軍人になる事が立身にも家計の援助にもなると考えたのか、明治6年に創設された陸軍教導団の入学試験を松山で受験、病床の父を残し母に父を託し郷里を離れる決意をした。明治8年、父が他界、母を東京に迎え暮らすが、母を大切にしたと言われている。東京では、河東坤(こん)(河東碧梧桐の父)に世話になった。明治8年12月陸軍士官学校歩兵科第二期生として入学、その間明治9年の神風連、秋月、萩の乱、翌年西南戦争が勃発した。因みに秋山好古は、明治10年4月陸軍士官学校騎兵科第三期生として入学している。その後旧松山藩主、久松定謨(さだこと)がフランスのサンシール陸軍士官学校の入学への補導役として、初めに仙波太郎に声が掛かったがそれを断ったために秋山好古にその役が回って来た。その後陸軍大学校が創設され、第一期生として太郎も好古も入学し優秀な成績で卒業した。主席で卒業したのは、東条秀教(東条英機の父)で、仙波太郎は三番目の成績、秋山好古七番目で卒業とある。なお一期生は推薦入学で19名が入学、卒業できたのは10名であった。伊予松山から2名が推薦入学でき優秀な成績で卒業出来たことは当時としては郷里の誇りであった。・・それも親藩出身から選ばれたのだから!!その後大正4年2月15日に、秋山は、近衛師団長、仙波が第一師団長のそれぞれ同時に就任した。仙波は、大正8年退役、軍人出身者としては初の衆議院議員として務め昭和4年2月逝去した。好古が北豫中学校長在任中の時であった。


仙波太郎の墓で質素な墓である。


仙波太郎の墓。所在地は、松山市福音寺町の土亀山の墓地にある。


仙波太郎家の墓。右の墓石は先祖の墓。
秋山生誕地に仙波さんと言う女性の研究員がおり、その人が奉仕活動として仙波太郎のお墓掃除をしている。


仙波太郎陸軍中将の時、この後退役して、岐阜から衆議院議員となり青少年、婦人教育に貢献した。奥さんが岐阜市加納の人でありその関係でお孫さん達も岐阜に在住。年に一度墓参りに来松される。
一時期、陸軍の三太郎として活躍した。
宇都宮太郎(軍事参議官)桂太郎(内閣総理大臣)仙波太郎(陸軍中将。衆議院議員。)


仙波太郎、少佐、大佐時代。


真ん中の軍服姿が、旧松山藩主、久松定謨(さだこと)(第一連隊長)で、その右が仙波太郎(第一師団長)左が、秋山好古(近衛師団長)


伊予三山と土亀山の位置。土亀山の墓地に仙波太郎の墓がある。
明治25年冬の終わりに、正岡子規が詠んだ句がある「凩にはひつくばるや土亀山」。是非句碑を建立して欲しい。


松山市星岡一丁目1番8号「雲門寺」の山頂に、仙波太郎が建立した星の岡古戦場記念碑「星岡表忠之碑」である。建立は、明治17年(1884年)5月、仙波太郎陸軍中尉の時に建立。
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全国で一番早い梅花が松山市で開花した

2015年01月07日 | 伊予松山歴史散策
松山市北持田町にある、松山地方気象台の「梅の標本木」が開花したと昨日(6日)発表した。昨日午前中に気象観測技官が、気象台にある「梅の標本木」に5輪から6輪に開花を確認し、松山の梅の花の開花を宣言した。
開花日は、平年と同じだが、昨年よりも17日早く、全国で一番早い開花となった。気象台の技官は、一足早い春の訪れ、梅花の様子を楽しんでほしいと呼びかけ、これを聞いた市民は、気象台に入り開花を鑑賞していた。
なお、昨日の松山市の天候は、気温14,3度まで上がり、雨も降り3月中旬から4月の暖かさと降雨で適当な湿度もあり早い開花となったのではないかと?素人考えをした。梅の標本木の西側にはビルがあり、ビルの反射熱も加わり開花が早まったかもです?
画像は、今日(7日)松山地方気象台の許可を得て撮影した。
松山から春一番の便りです。


昨日(1月6日)全国で最も早い開花した松山地方気象台の「梅の観測標本木」、一番と言うことは、気持ち良い事で、早速本日鑑賞に行って来た。ある国会議員が2番ではいけないのですかと言ったが、一番がいい、二番では話題にならない。


昨日(1月6日)午前9時過ぎ観測技官が5輪から6輪の開花を確認したそうですが、今日(7日)午前10時頃撮影に行ってみると沢山の花が咲いていた。


今日は、天候もよく時より雲が切れて青空が見えたので青空を背景に。
季節は未だ1月厳寒であるが、梅の花をカメラのレンズを透視て見ると気持ちの温もりを感じた。


此れは反対に薄い雲を背景に撮ってみた。


「梅の観測標本木」は画像の様に背景にビルがある。ビル反射熱も開花を早める要素があるのかも?


松山地方気象台の「梅の観測標本木」の表示板。


松山地方気象台の内部で、此処で、松山の気象状況を観測している。
但し風速の測定は、周囲にビルが建設されて本当の測定が出来なくなり、県立松山東高等学校内に測定機器を移して観測している。


松山地方気象台で、昭和60年代に建て替えの構想があったそうだが、地元民の運動で存続したそうだ。改装した時に中央にあった大時計が無くなった。


松山地方気象台の玄関、右に「松山地方気象台」の看板と、左には、「登録有形文化財」の表示板がある。


「登録有形文化財」の表示板で、登録番号は「第38-0070号」と刻印されている。38は全国都道府県番号、愛媛県は38で70号とは、
愛媛県で70番目に指定された登録有形文化財と言う事だろう。

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第91回 箱根駅伝TV観戦をして

2015年01月06日 | 伊予松山歴史散策
今年の東京箱根往復駅伝の予想は、大本命は、駒澤大学次いで東洋大学、次いで青山学院大学、明治大学と予想されていた。年末に有力監督5チームのトーク番組の中でも、各大学の監督は、本命駒沢大学、東洋大学で、青山学院大学監督は、目標4位と告げ、今年はワクワク大作戦で戦いたいと言っていた。
さて、私の箱根駅伝は、初めはラジオから始まった。まだ松山ではTV放送が無くラジオで楽しんでいた。そしてTV中継が始まったが、スタートからは見ることが出来ず、2区頃からの映像であった。
山口県のTV局はスタートから放映していたので、これを見るためにアンテナを設営したが、電波の受信状態が悪いので、増幅器を付けて見ていた。その内松山でもスタート時点から放映するようになり毎年楽しみにして東京箱根往復駅伝TV観戦している。
東京箱根往復駅伝で優勝するには、10区間の選手が最良の体調で自分の走りをしないと勝てない。一人でもブレーキになれば優勝は叶わない。
今年の青山学院大学は10区間素晴らしい走りをした。私は、4区間を見てやはり本命の駒澤大学が有利と小田原中継を見ていた。
しかし、何と5区で青山学院の神野選手が大逆転、それも区間新記録樹立、細い身体で、途中で失速するのではと観戦していたが凄い選手が出現したものだ。来年楽しみにしてもう一度見てみたい。
駒沢大学の馬場選手は、体調を崩し見ていて可哀相であった。
何時もクローズアップされるのが5区の重みだ。MVPに輝いた青学大の神野は、2位に5分近い差をつけていた。エースたちが「花の2区」で高速の戦いを繰り広げても、1分の差がなかなかつかない。それだけに、5区の重要度を実感させられる。
 距離が約3キロ延びた平成18年から10年、5区で区間賞を取った大学の優勝は7度目。その間、2区を制した大学の優勝はない。
優勝した青学大の原監督、今年は優勝する予定ではなく来年の優勝の予行演習であったが、今年の選手の強さに驚いた。ワクワク大作戦大成功、来年は、ワクワク大作戦大成功パート2で戦うと語った。

5区の区間賞は、青学大・神野(3年)で、1時間16分15秒。
今大会から、コースが約20メートル長くなったが、平成24年に東洋大の柏原竜二が作った、これまでの区間記録、1時間16分39秒を上回った。
神野は「思ったより体が動いて、うまく走れた。ここまで自分ができるとは思わなかった。(トップで)テープを切る想像をしていたが、夢じゃないかと思うぐらい、うれしい」と話した。・・私も1時間16分39秒を更新する選手は出ないと思っていたが、神野選手が新記録樹立それも20m長くなっての記録は凄い。

画像はTV引用

第91回 東京箱根間往復大学駅伝スタート。


2区鶴見中継所・・駒沢一位で襷渡しこの時点で80%優勝だなと感じた。


二宮の坂、周囲に積雪がある。TV観戦して来た中で積雪初めて。


4区から5区の襷渡し、やはり駒沢大学強いなと往路優勝間違いないと感じたが、この後まさかの出来事。


4区から5区の襷渡し青学大と明治大、青学の神野選手の激走の始まり、誰も予想をしなかった素晴らしい走りのスタート。


5区山登り10km過ぎに駒沢大学を抜き去る。この時点で何処まで神野選手の走りが維持できるのか疑問を抱いていたが、そのままの勢いで往路優勝に大貢献。


翌日6区にスタート、二位以下を大きな差をつけて。


6区から10区まで素晴らしい走りで、新記録で総合優勝・・おめでとう青学大。


初優勝に喜ぶ青学大の選手達。


第91回 東京箱根間往復大学駅伝成績一覧。




第91回 東京箱根間往復大学駅伝、区間賞。


途中画像の様な綺麗な富士山が映し出された。


箱根芦ノ湖も素晴らしい天候であった。


5区山登り、初代山の神・・今井選手の画像も流れた。

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初 詣

2015年01月03日 | 伊予松山歴史散策
今日(1月3日)午後、我が家の守護神社である日尾八幡神社に詣でて来た。
松山は元旦から気温は低く寒い年明けとなった。
私の正月の過ごし方は、毎年駅伝を見て過ごすのが恒例となっている。元旦は、実業団駅伝、2日、3日は、関東大学箱根駅伝をTV観戦、今年の往路5区で青山学院大の素晴らしい走りがあった。その反面、駒沢大学の走者に体調異変があり可哀相であった。走者の力の差で負けるのは仕方ないが、体調に異変を起こし本来の走りが出来ない事は、本には元より関係者は見ていられないと思う。
さて、東京箱根間往復大学駅伝も終わり、昨年のお札を持って初詣に出掛けた。多くの氏子が家族ずれで初詣に来ていた。直ぐ東に菩提寺の浄土寺(四国88ヶ所第49番霊場)がありお参りをして来た。昨年、四国88ヶ所開祖1200年を迎え多くの方々が巡礼をされ松山にも多くの巡礼者が訪れた。松山城・道後温泉の観光客が過去最大であった。
今年も家族一同元気で過ごせますようにお祈りをして来た。


旧国道11号線沿いにある日尾八幡神社赤の大鳥居。
社号石 「県社日尾八幡大神」・注連石「鳥舞」「魚躍」は米山が揮毫したものである。


赤の大鳥居潜り神門を潜ると本殿に行く長い石段がある。


注連石、鳥居を潜り神門左に大きな「忠魂碑」がある。
久米地区から出兵され、日清・日露・太平洋戦争で戦死された御霊をお祀りしている。建立は、昭和35年10月である。忠魂碑、忠霊碑、招魂碑等々は戊辰戦争時官軍として忠義のために戦い戦死した兵士の霊魂を祀る石碑で江戸時代になかった。太平洋戦争で戦死された御霊を祀ることは、戦後許されるのは、昭和27年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約以降である。


さて、神門を潜り清水で手を清め、これから本殿に向かう石段158段を上る。


本殿前からの石段、かなり急勾配で参拝者は途中で休みながら上がってくる。


本殿では家族で初詣で参詣していた。祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神。


158段の石段を上がると日尾八幡神社の本殿がある。本殿でお参りをして、昨年の古いお札を返した。若者が詣でに来て、おみくじを引き良かったと言う言葉が聞こえた。大吉であったのか??


日尾八幡神社拝殿から見た浄土寺。(四国88ヶ所第49番霊場)
我が家の菩提寺なので、ここもお参りをして来た。


浄土寺の山門。


本殿と大師堂。丁度、岡山県倉敷市から巡礼に来ていた親子と雑談をして、最初の言葉は「今年の正月は寒いですね」・・でした。


四国88ヶ所第49番霊場浄土寺の大師堂で、その前に大きな石碑が建立してある。右に、四国88ヶ所開祖1100年記念碑、左に四国88ヶ所開祖1150年記念碑である。


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平成27年 元旦 新年のご挨拶

2015年01月01日 | 伊予松山歴史散策

新年あけましたおめでとうございます
昨年は私の拙いブログをご覧いただきありがとうございました
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げますと共に本年もよろしくお願い申し上げます。

平成27年元旦

画像は、道後温泉本館で、昨年本館改築120年記念を祝して本館をLED7色によるライトアップを12月5日から25日まで行いました。その一コマです。

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