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秋山兄弟生誕地 開館10周年

2015年01月23日 | 伊予松山歴史散策
1月19日、秋山兄弟生誕地開館10周年を迎えた。
秋山兄弟生誕地生家・兄弟の銅像は、全国の秋山兄弟生家復興にご理解のある皆様約1万人を超える方々から醵金を頂き此れを基金として平成15年12月9日から整備開始し、平成17年1月18日完成・翌19日から一般公開した。
1月19日が開館10年を迎えた。
平成17年1月18日復興整備事業が完成し、この日、NHK朝のニュース「おはよう日本」で完成した生家をライブで放映し、事業の完成が全国に紹介された。
なお、生家の概要は下記の通りであります。

1、 所在地  松山市歩行町二丁目3番地6
公益財団法人 常盤同郷会「管理運営母体」
2、 敷地面積 829,74平方メートル(250,99坪)
3、 生家   
木造瓦葺平屋建 95,65平方メートル(28,93坪)
4、 武道場
        木造瓦葺平屋建 183,13平方メートル(55,39坪)
秋山の祖は、1635年(寛永12年)第3代将軍徳川家光の時、伊勢国桑名藩主松平定行を伊予松山藩主として15万石で転封の命を下した。(松平定行は、徳川家康の異父同母の弟の子供)この時、今治藩士であった秋山は、伊予松山藩士となり、現在の生誕地に居住したのは、藩政末期の天保年間(約178年前)といわれている。

好古が北豫中学校長時代に住んでいたのは、誕生当時の家に(4部屋と土間・台所の質素な家)若干手を加えただけのものだといわれています。当時の設計図は無く、秋山家の子孫の方から伝聞、特に好古が住んでいた当時しばしば訪問していた親戚の石井悦子さん(群馬県在住)や好古四女・米田治子さん(故人)から聞き取り調査及び当時の写真を参考にして建設した。建物の位置は、銅像建設の為当時より北側に寄せて再建している。

内部の調度品の内「甲冑」は、石井悦子さんが入り口の部屋に「鎧があって恐かった」との証言に基づき設置した。
生家復興建築については、現行建築基準法に基づき厳しい制約のなか、出来る限り忠実に元に近い形と(秋山家親族の証言を参考に)して復興した。
開館10周年、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲の再放送いい時期に放映して頂いておちます。NHKに感謝です。

画像は、平成17年1月19日秋山兄弟生誕地一般公開した10年前の画像です。光陰矢の如し、10年の月日瞬く間に過ぎ去った。


平成17年1月18日完成した秋山兄弟生誕地。・・周囲の建物は省いております。


生誕生家内部、座敷と北の間。


生誕生家裏庭、この地は昭和20年7月26日、深夜から攻撃された松山大空襲にて旧松山市街は焼失、生誕地生家も全焼失、画像の石碑とその奥に見える井戸のみが残り大切に保存管理している。井戸は江戸時代からの現存である。この井戸の水を飲み育った。
石碑の題額「秋山両将遺邸之碑」の揮毫は、騎兵隊の後輩である、陸軍大将南次郎が揮毫した。註:井戸は江戸時代からのもので現存です。


生家の東側から好古騎馬像を見る。


好古騎馬像、好古は生前、家族や関係者に、銅像・石碑・仰々しい墓など造るな、家は借家で結構であると言い、東京では借家生活であった。昭和11年松山の関係者は、この時代になれば好古さんも許しが出るだろうと、同年1月道後公園(中世の城跡・湯築城)に銅像を建造した。しかし残念に昭和18年、先の大戦金属供出により無くなった。


昭和11年1月11日、松山の関係者が建造した当時の秋山大将騎馬像(道後公園に建造)。現在生誕地に再建立された騎馬像は、県立松山北高等学校(旧北豫中学校)校長室のあるレプリカを元に、忠実に復元された騎馬像である。製作は、富山県高岡市の某会社製作。


秋山眞之の胸像も復元設置、尊敬する兄、好古と目線を合わせて背地位している。製作は好古騎馬像と同じ製作所。全国の秋山兄弟生家復興にご理解のある皆様約1万人を超える方々から醵金を頂きました皆様の名簿は、眞之の胸像の中に大切に保管保存いたしております。


本物の秋山眞之の胸像で、眞之像は先の大戦金属供出を免れ、現在は海上自衛隊幹部学校に大切に保管されている。画像は、平成17年5月12日、海自の許可を得て撮影した。秋山邸の眞之の胸像はこの胸像の複製である。


平成27年1月18日開催された、秋山好古生誕156年祭で、武道場で式典を終えて記念の餅つき風景。・・開館以来毎年1月に開催している。


平成26年3月16日開催された、秋山眞之生誕146年祭で、武道場での式典風景。式典後、毎年お茶会が開かれる。今年は、147年祭3月に開催されますので是非お越し下さい。


画像は、平成17年7月31日、来館者2万人達成感謝日として、何れの方が該当者になるのか?関係者一同お越しをお持ちしておりました。同年7月31日午前10時59分名古屋市からお越しになったご家族が該当に決定し記念写真を撮らせて頂いた。


開館以来2万人目の名古屋からの来館者、記念のテープをカットして入館していただいた。秋山好古は、軍人になる前は、教師とし名古屋師範学校附属小学校の教員であったので名古屋から来られた方が2万人目の該当者になるとは縁は不思議なものである。!関係者は驚いた。


平成17年7月31日は、予想としては午前中に来館2万人達成記念日を迎えるのは間違いなしで、松山の報道関係者にも案内をしていた。・・果たして2万人目の方はどちらから来られる方か関係者と、報道機関待ち詫びた。・・結果は名古屋市の方で記念の感謝状と花束を贈呈、該当者になられた方は、まさかこんな記念の日に来館出来て感激ですと、秋山兄弟は大好きです・・一生の思い出になりますと語られたのは、10年前の事であります。・・月日の経過は凄く早いです。
コメント
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