EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

NHK・スペシャルドラマ「坂の上の雲」再放送を希望叶う、NHKに感謝

2015年01月10日 | 伊予松山歴史散策
平成21年11月29日・12月6日・13日・20日・27日から第1部が放映され、第2部は、翌年11月29日・12月6日・13日・20日・27日、第3部は、平成23年12月4日から全4回で終了しました。
この放映を待ちかねていた全国の秋山好古・秋山眞之と正岡子規の愛好者の方々がた松山を訪れ、秋山兄弟生誕地にも来て頂きました。質素な生家で立派な方が育ったのは、ご両親の小さい時からの素晴らしい躾(家庭教育)が行き届いていてその両親の教えを大人になっても忠実に守られ、特に父親からは、私利私欲を捨てて、世の為、人の為、故郷の為に尽くせる人になるようにとの教えがあったからだと思いますと・・来館者の方々は言われる。秋山家は、伊予松山藩徒歩目付けの家系で、正岡家と違って家禄は低く裕福な家庭ではなかった。その環境下で育ったのが良かったのかも知れない。好古は、福沢諭吉の学問のすすめを読み、これからの近代国家構築には青少年の教育が肝要、その為には教育者が必要と気付き大阪高等師範学校に入学し卒業後は、名古屋高等師範学校附属小学校の教師として赴任した。附属小学校に伊予松山藩出身の和久正辰教務官と名古屋鎮台に山本武官がおりこの二人の強い勧めで明治10年4月、陸軍士官学校に入学し軍人となった。しかし軍服という甲冑を着ていたが中身は教育者、陸軍大将予備役となった時、郷里伊予松山から北豫中学校校長として要請があった。好古も人生最後にもう一度教壇に立って人生を全うしたいと思っていた矢先に出来事であったのでは?大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退し、大元帥から特旨として官位従二位を拝命し大正13年4月から昭和5年3月まで、東京に奥さんと子供さんを置いて単身で松山に帰り故郷の青少年の教育に身を捧げた。父の教えの通り歩んだ72歳の人生であった。弟眞之の事は此処で書くと長くなるので次回といたします。

さて前文が長くなりましたが、一昨年から秋山兄弟生誕地にお越しになられる方々からもう一度スペシャルドラマ「坂の上の雲」を見てみたいとのお声を聞き、それではと秋山兄弟生誕地運営委員会が発企し、昨年1月から「坂の上の雲再放送」をNHKさんにお願する署名活動を開始しました。
そして念願は1年間で第1部から第3部を放映して欲しいとのご意見があり、全国から来館された皆様のお声と、坂の上の雲愛好者の皆様からの署名活動を起こし、そして好古・眞之との縁の地である、新潟市、習志野市、平塚市、竹田市の関係者の協力を得て、3万人の署名と賛同して頂いた中村愛媛県知事さん、野志松山市長さん、秋山兄弟関係者がNHKさんに再放送の請願をお願いしました。この熱意をNHKさんは、全国の多くの再放送請願に応えて頂き再放送を決定して頂きました。再放送開始は、BS3で、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、平成27年3月29日、全26回・各45分で半年間に渡り放映され現在放映中です。・・是非ご覧ください。


全国から頂いた坂の上の雲再放送署名簿持参し、NHK松山放送局経由で、日本放送協会に、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の請願書を提出した関係者、右から、竹田自民党県連幹事長・野志松山市長・中村愛媛県知事・NHK松山放送局副局長・平松公益財団常盤同郷理事長・宇都宮同常務理事。


NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定を報道した地元紙。


NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスター。


松山市一番の商店街「銀天街商店」の各商店入口に掲示して皆さんにNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定の啓発するポスター。


秋山兄弟生誕地に署名活動のお礼とNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスターの掲示。


登場人物の紹介ポスター。


此れからの画像は、昨年1月12日、開催された、秋山好古生誕155年祭の様子です。
今年は、1月18日(日曜日)好古生誕156年祭を開催いたしますので是非お越しください。生誕地は午前中開放いたしております。


昨年1月12日、開催された好古生誕155年を多くの人々が生家に来て祝ってくれる様子を騎馬から、「おおきに・・だんだん・うれしいぞなもし」と言っている。・・と思う。


昨年1月12日、開催された秋山好古生誕155年祭、カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街、三橋正文理事長からの寄贈。
今年は、1月18日(日曜日)好古生誕156年祭を開催いたしますので是非お越しください。生誕地は午前中開放いたしております。
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