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山頭火検定試験合格証受取り・終焉の地・一草庵で

2015年01月12日 | 伊予松山歴史散策
松山を愛して、松山を終焉の地とした放浪漂泊の自由律俳人・種田山頭火は、昭和15年10月11日、「一草庵」にて、好きなお酒を飲んでコロリ往生した。
昨年(10月11日)、山頭火没後75年を記念して、「一草庵」で法要と愛媛大学・松山大学の落研倶楽部の寄席と漫才が開催され、東隣の護国神社、みゆき会館で第5回「山頭火検定」が実施され検定試験を受けた。(検定料金¥1000円)
何とか山頭火検定試験に合格した。合格証の授与が11月に一草庵で行われたが、私は体調を患い授与式には参加できず、昨日(1月11日)合格証書と記念品を頂いて来た。
この日、一草庵には種田山頭火の俳句に共感された方が、福岡県遠賀郡芦屋町から来られ、当番でガイドをされておられたNPO法人まつやま山頭火倶楽部理事の太田和博さんが詳しい山頭火の説明をされそのお話を聞かせて頂きました。
なお、芦屋町は、山頭火の代表句の一つ「鉄鉢の中へも霰」を作った町です。
理事の太田和博さんと芦屋町から来られ山頭火の愛好者との熱い語らいを私は傍で聞かせて頂いた。
その話の中で、山頭火はこの家の何処で亡くなられたのかとの質問もありました。詳細な事柄は現地に行かないと分かりませんよね。・・真剣に聞かれていた。
参考に、
当時の一草庵の間取りは画像で見て下さい。6畳の間で句会が開かれており、山頭火は句会に参加せず3畳の間で心臓麻痺で亡くなった。句会に参加した人たちは、山頭火が無くなったのは知らず、唯疲れて寝ていたものと思い、翌早朝に高橋一洵さんが訪れると亡くなっていた。・・その他に沢山の質問が有りましたが今日はこれ位にしておきます。
山頭火の代表句:
分け入っても分け入っても青い山
       ※ 鉄鉢の中へも霰
         ここまでを来し水を飲んで去る
       ※ 春風の鉢の子一つ
         うしろすがたのしぐれてゆくか
       ※ 濁れる水のなかれつつ澄む・・山頭火が逝去する一か月前に詠んだ
         焼かれて死ぬる蟲のにおひのかんばしく・・山頭火の絶筆
※印は、「一草庵」に句碑として建立されていますので一度ご覧に行かれて下さい。

一草庵の所在地は、松山市御幸一丁目435番地1(愛媛県護国神社西隣)
山頭火の没後も何人かの人が居住しましたが、しだいに老朽化が進みました。山頭火の足跡を残したいという人々は、昭和27年10月、当時の愛媛県知事・久松定武を会長とする財団法人「俳人山頭火顕彰会」を組織し、浄財を募って庵を再建しました。
 昭和55年、一草庵は松山市に寄贈されその管理するところとなり、平成19年松山市の「坂の上の雲・フィールドミュージアム」構想により一草庵周辺の整備が進められ、隣接する用地を取得して休憩所等の施設も整えられました。庵の庭はいつも自由に観覧できます。
また、庵の内部は、平成21年4月より毎週土曜、日曜、祝日に一般公開され、「一草庵案内人」の説明を聞いたり、ゆったりとくつろいだりすることが出来ます。松山市の委嘱を受けた「NPO法人まつやま山頭火倶楽部」が中心となり、市民ボランティアの一草庵案内人や地元の「一草庵管理協力会」とともに山頭火顕彰活動が進められております。


松山市御幸一丁目435番地1にある、松山を終焉の地とした放浪漂泊の自由律俳人・種田山頭火が過ごし亡くなった一草庵。平成19年松山市の「坂の上の雲・フィールドミュージアム」構想により一草庵周辺の整備が進められ、隣接する用地を取得して休憩所等の施設も整えられました。庵の庭はいつも自由に観覧できます。


休憩所から見た一草庵、入口に、山頭火終焉の地の石碑が建立されている。裏面には、昭和15年10月11日と刻印がある。


南東方向から見た一草庵。


正面から見た一草庵。


一草庵の玄関には、師・井泉水の揮毫による扁額「一草庵」が掲げられている。
そして新年を迎える注連縄が飾られていた。松山地方は、注連縄は1月15日まで飾ります。


福岡県遠賀郡芦屋町から来られた山頭火の愛好者の皆さんに説明をされる、NPO法人まつやま山頭火倶楽部理事の太田和博さん。皆さん真剣にお話を聞いておられた。
観光に来られた方々に、ボランティアの一草庵案内人達が持ち寄った、お茶と御茶うけでお接待する様子を見て「松山の方は、ユルイですね。」と言われた。・・山頭火の事も、松山の人は、ほっておけなく親身になってお世話をしたのでしょう!!


山頭火は、3畳の間で心臓麻痺で亡くなった。


福岡県遠賀郡芦屋町で詠んだ句「鉄鉢の中へも霰」その句碑が皆さんを迎え入れる。
芦屋町から来られた方は、我が事の様にご覧になっていた。


山頭火が逝去する一ヵ月前に詠んだ句で、山頭火没後50周年記念として建立した。
句は、「濁れる水のなかれつつ澄む」。
一草庵の前を流れる大川を観じた句で、自ら人生を観じた句でもある。濁れた水のように心を曇らせながらもなお、逞しく自己をむち打ち続け、そこから自己の魂を取り戻そうと努めた山頭火の境涯が重なる。・・と説明されている。


第5回山頭火検定のあった問題集の一部です。
「昨年の検定日(平成26年10月11日(土) 13:00~14:00)
試験会場  みゆき会館 (松山市御幸1丁目476 護国神社西隣)
検定料   一般 ¥1000  高校生以下  ¥500でした。」






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