
1.碑 文 : 御大典記念
2.所 在 地: 東温市北方 揚(あがり)神社 参道口
3.揮 毫 者: 陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者: 記載無し
5.建立年月日: 昭和 3年11月
6.碑石大きさ: 高さ:1m75㎝ 横幅: 67㎝ 厚み: 54㎝
7.参考資料:昭和3年11月10日昭和天皇即位の大礼を記念して建立した。
揚神社社殿改築落成式に招待された好古大将(北豫中学校長)は、松山から車で行った。途中神社手前橋の近くで車が落輪し、青年団が車を上げるも、好古大将は、いいよここから歩くからと言われ神社式典に参列しそして神社で「御大典記念」を揮毫したと伝えられている。
この石碑の所在情報を頂いたのは、秋山生誕地に来館された方からのお教えを頂き取材した。
現地に行って境内を隈なく探すも石碑は発見出来なく、宮司にTELで照会するも知らないとの事。
神社が違ったかと思い帰り、日を改めて再度確認の為訪ねた。近所の住人に伺うと境内でなく参道入口に在るとの由、行ってみるとあった。何故宮司が知らないのか疑った。幾ら境内にないとはいえ認識不足も甚だしいと思いながら撮影した。宮司は兼務であるため詳しいましてや石碑の事など眼中になかったのか??。

画像の様に神社参道の入口に建立されている。

揮毫した好古の署名を大きく撮ってみた。

揚神社社殿で、この改築落成式に参列し「御大典記念」を揮毫したと伝えられている。
揚神社の石碑以外の事ですが、今年年賀状を、新潟市江南区沢海にある、一般財団法人北方文化博物館、第8代伊藤文吉館長さんから頂いた。
その賀状に次のような事が書かれていた。
福沢諭吉が使わなかった“社会”という言葉・・福沢諭吉先生の書物には「社会」という言葉が一つもない。社会は英語でソサエティである。何と先生はソサエティを仲間と表現していた。ソサエティはラテン語のソシウス(仲間)を語源とする。福沢先生はすでにラテン語を十分に理解しておられたことになる。
今の日本ではこのソサエティは社会と考えているが仲間という意識が薄い。社会とは「損・得」を共有する者同士だけで、構成するものでなく相手を思いやる仲間意識が良き社会に他ならない。誰もが好むサッカーも本来の名称は仲間同士のフットボールの意味のアソシエーション・フットボールが語源である。
・・と書かれてあった。
秋山好古も尊敬する人物は「福沢諭吉」である。平成25年10月に北方文化博物館を訪れて時に伊藤文吉館長さんから聞いた言葉が「今日本に秋山好古さんの様に人物が必要ですね。」と言われた言葉を思い出した。
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