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伊予松山城・復元建造物散策 2

2014年03月06日 | 伊予松山歴史散策
昭和20年7月26日、午後11時08分、米軍機B26型飛行編隊62機は、松山城を中心に古町から投下を始め、松山城を中心に時計回りに旋回し、攻撃は約2時間、投下した爆弾(焼夷弾他)は896トン(米軍の資料)で、その内松山城本丸に最初に投下された焼夷弾は、これから紹介する井戸の前であった。焼失した建築物を松山市は、年次計画的に昭和10年5月13日、国宝指定に必要な資料を文部省に提出した控えの資料に基づき同33年から復元に着手した。復元工事は99%木造で行い、馬具櫓のみ鉄筋コンクリート造りである。では、引き続き復元城郭建造物散策その2は、本丸にある井戸から辿りましょう。
松山城本丸は、標高132mに位置し、二つに分かれていた勝山を一つに整地し本丸を普請した。その時谷にあった泉を利用石垣を積み上げて井戸とした深さ44,2m、直径2m、当時の技術では掘ることの出来ない深さである。


本丸の上屋附きの井戸で、巽櫓の西北にあり後ろの建物は、山頂売店である。戦前までは釣瓶が備え付けられていて清水な冷水を汲み上げ飲むことが許されていた。


画像は、手前が、馬具櫓・後方に、本壇の天守・小天守・南隅櫓を望む。


馬具櫓:松山城本丸復興事業は、戦後昭和33年から年次計画で行われ、一番早く復元工事に着手したのが馬具櫓であった。この地は地盤が悪く文化庁の指示により、地下にケーソンを打ち込み地盤を確保して本丸唯一の鉄筋コンクリート造で復元されました。2層櫓、一部単層の建物、本丸城郭復興は、99%木造での復元の中この建物だけが鉄筋コンクリート造である。現在は、本丸防災を含む管理事務所としての機能を果たしている。


角度を変えて撮った馬具櫓で、右は天守、左が小天守。戦後、馬具櫓左の広場にミユジックサイレンが設置されていて、午前6時・正午・午後6時に音楽を流し時報を城下の市民に伝えていたが昭和30年代に取り外した。


馬具櫓(鉄筋コンクリート造)の復元断面図。


紫竹門前から撮った乾門東続櫓東折曲塀、その奥が乾門東続櫓・乾櫓(重文)。


乾門東続櫓東折曲塀の内側で復元された続塀では一番長い塀で長さ48m、西は東続櫓から屏風折れの石垣に沿って東に延び紫竹門西塀に接続、狭間・石落としを備えてある。
本丸搦手に於ける入口を守る重要な構えで東折曲塀から横矢掛りを得て堅固な防衛線の一つをなしている。昭和57年11月10日、木造で復元された。


乾門東続櫓:本丸搦手を守る重要な櫓で乾櫓と相互支援して搦手を守る重要な防衛施設である。昭和57年10月、木造で復元しました。


画像は、乾櫓前から撮った乾門で本丸の搦手、本丸の裏鬼門の方角に建つもので、門の形式は櫓門、貴重な遺構であったが空襲で焼失、昭和57年11月木造で復元した。左の建物は、乾門東続櫓。


乾門:昭和57年11月木造で復元した。上の櫓は、東は石垣の上の乾門東続櫓に接続し、西は乾櫓との間に続塀がある。


乾門寄手側:乾門を中心に乾門東続櫓・屏風折れの石垣に沿って乾門東続櫓東折曲塀、二ノ丸を制圧した敵が本丸を攻めて来る敵兵を横矢掛かりで防御、特に石垣に出っ張り、上反りの激しい出隅の鋭角状の櫓からは寄り手を攻撃する防御線、ここを突破されると本丸が危ない重要なところ。奥に見える櫓は、本壇の南隅櫓その奥は小天守である。昭和57年11月木造で復元された。


乾門寄手側で、筒井門に次ぐ大きな門、左の建物は、乾門西塀。


乾門西塀、寄手側で、右は乾門に接続し、西は乾櫓に接続している。


乾門西塀、内側で、右は乾門に接続し、西は乾櫓に接続している。昭和57年11月木造で復元された。狭間8ケ所、石落とし一ケ所設けてある。


艮門・同東続櫓:艮門(うしとら)・同東続櫓、この位置は本丸の表鬼門に位置し、陰陽道による不吉な方角、艮(東北)である。この方角を防御を担当すると共に、虎口として敵の意表をつく駆引きを秘めた櫓&門で両側を高さ5mの石垣に託し進入路は鍵手に折曲りその奥に艮門があり、また敵が乾門方面に迫ったとき、ここより出撃し寄手の側背を攻撃する戦法を考慮した造りである。昭和59年3月木造で復元された。前回紹介しました太鼓門西塀を平成2年木造で復元され、本丸の建物は、渡り塀を除いて殆ど往時の姿に復した。なおこの場所はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のトップ画面はここで撮影された。


寄手側から見た艮櫓で、左下に艮門がある。


寄手側から見た艮門、形式は脇戸附き櫓形式。


内側の艮門。


艮門内側前からみた画像で、柵を取りはらい、石垣の上に、本木さん(秋山眞之)が座り後ろに、阿部寛さん(秋山好古)と香川照之(正岡子規)が立って撮った場所です。


NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のトップ画面はここで撮影された。
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