日本100名城 今治城・鉄御門 1
今治城天守は、城創りの名人藤堂高虎が、慶長7年(1602年)、に築城開始され慶長9年(1604年)に完成した。
徳川家康の命により畿内津藩に転藩の時天守を解体、慶長15年(1610年)に亀山城に移されたと伝えられているので、約6年間ほどしか存在していなかったことになる。
現在の天守は昭和55年10月に市政施行60周年記念事業として再建された。専門家の指導で再建された天守は一部の文献では創建当時の天守でない天守が再建されているとあり、「模擬天守」であると評価されている。
画像は、今治城の鉄門御で、平成19年に今治築城400年祭りとして復元された。
鉄御門とそれを結ぶ4つの多聞櫓が合わせて木造での復元で、古写真と発掘調査を基に江戸時代の姿に復元である。総工費20億円で立派なものだ。
鉄御門も立派であるが、石垣が凄い、信長が安土城を築く時、石垣の造営を穴太衆に要請して出来た。この穴太衆の技術を継承現存する石工さんが滋賀県大津市坂本町にある。「粟田建設」である。
鉄御門の石垣は、粟田建設が積んでいる。穴太(あのう)積みなので素晴らしい。
藤堂高虎が築城時も石垣は穴太積(野面積)、必見である。
松山城の石垣は、殆どが打込みハギ、切込みハギのニ種類で野面積は無い。
今治城天守は、城創りの名人藤堂高虎が、慶長7年(1602年)、に築城開始され慶長9年(1604年)に完成した。
徳川家康の命により畿内津藩に転藩の時天守を解体、慶長15年(1610年)に亀山城に移されたと伝えられているので、約6年間ほどしか存在していなかったことになる。
現在の天守は昭和55年10月に市政施行60周年記念事業として再建された。専門家の指導で再建された天守は一部の文献では創建当時の天守でない天守が再建されているとあり、「模擬天守」であると評価されている。
画像は、今治城の鉄門御で、平成19年に今治築城400年祭りとして復元された。
鉄御門とそれを結ぶ4つの多聞櫓が合わせて木造での復元で、古写真と発掘調査を基に江戸時代の姿に復元である。総工費20億円で立派なものだ。
鉄御門も立派であるが、石垣が凄い、信長が安土城を築く時、石垣の造営を穴太衆に要請して出来た。この穴太衆の技術を継承現存する石工さんが滋賀県大津市坂本町にある。「粟田建設」である。
鉄御門の石垣は、粟田建設が積んでいる。穴太(あのう)積みなので素晴らしい。
藤堂高虎が築城時も石垣は穴太積(野面積)、必見である。
松山城の石垣は、殆どが打込みハギ、切込みハギのニ種類で野面積は無い。
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