新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」来松
新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」が昨日松山市の秋山兄弟生誕地にお越しになられた。
現在、神田氏は新潟県江南区沢海、日枝神社境内にある、秋山好古揮毫「忠魂碑」記念碑建立の経緯について詳細なる調査をされると共に、秋山好古の教育者としての研究もされている。
昨日は、秋山兄弟生誕地で秋山邸所属の足立研究委員が好古生い立ちの説明をいたした。その後、好古が校長を勤めた北豫中学校(現 愛媛県立松山北高等学校)を訪れ資料館を特別に見学され、改めて好古の教育者として取り組んできた足跡の素晴らしさに感銘していた。
本日は(10月29日)正岡子規、秋山眞之が学んだ松山中学(現 愛媛県立松山東高等学校)を訪れ、伊予松山藩時代に創建された明教館の講堂が現存保存されている(秋山好古が学んだ藩校)を見学する。
画像は、秋山好古騎馬像前で新潟市郷土歴史研究家、神田氏と秋山兄弟生誕地の研究委員各位
新潟市の郷土歴史研究家「神田 勝郎氏」が昨日松山市の秋山兄弟生誕地にお越しになられた。
現在、神田氏は新潟県江南区沢海、日枝神社境内にある、秋山好古揮毫「忠魂碑」記念碑建立の経緯について詳細なる調査をされると共に、秋山好古の教育者としての研究もされている。
昨日は、秋山兄弟生誕地で秋山邸所属の足立研究委員が好古生い立ちの説明をいたした。その後、好古が校長を勤めた北豫中学校(現 愛媛県立松山北高等学校)を訪れ資料館を特別に見学され、改めて好古の教育者として取り組んできた足跡の素晴らしさに感銘していた。
本日は(10月29日)正岡子規、秋山眞之が学んだ松山中学(現 愛媛県立松山東高等学校)を訪れ、伊予松山藩時代に創建された明教館の講堂が現存保存されている(秋山好古が学んだ藩校)を見学する。
画像は、秋山好古騎馬像前で新潟市郷土歴史研究家、神田氏と秋山兄弟生誕地の研究委員各位
その際大変勉強になり有難うございました。
近々にお会いして歴史のお話をお聞きしたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
墜落当時消防団に所属しており、遠く新発田在の田舎でも、高射砲の火の球が方々から、B-29目掛けて上がりそのうち2機に命中し、暗闇に火が吹いて飛行し、万歳、万歳と励ましあっことを、記憶しております。
頂いた資料の中に4P新潟日報記事に「B-29二機撃墜す」とあり、11P空襲の体験談、清水長蔵氏談で、あの日高射砲に撃たれた飛行機は二機だったという説もあるが、あとの一機はどうなっかはわからない。
終戦後、アメリカ軍が「ほかにもどこかに落ちた飛行機はなかったか」と何回も調査に来た。
とあり、その様なことからして、火を噴いた飛行機は二機でしたから、70年前の話で申し訳ありませんが、記憶の隅に入れて置いて頂ければ幸いです。
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