日本100名城紀行 大野城跡
5月22日九州マイクロウエーブ・ミーテイング大分大会が別府市で開催された。この機会を利用して日本100名城九州「11城を」を紀行してきた。
熊本城・岡城は既に行っていたが、大分府内城は3回行っているがスタンプが押せてなく今回九州最後の紀行として行った。
5月20日07時30分自宅を出発、愛媛県佐田岬にある三崎港発の09時30分のフエリーで大分市佐賀関に渡り一路福岡県大野城に向った。
大野城の築城箇所は大宰府北方、太宰府の真北標高約410メートルを最高峰とする四王寺山一帯に比定されている。四王寺山には、尾根をつたって延々8200メートル以上に及ぶ土塁が山腹をめぐり、土塁が谷にかかるところでは、石垣が築かれ、北方に1ヵ所、西南に1ヵ所、南部に2ヵ所城門を開いている。
城内の高く平たいところには数棟ずつ7ヵ所ほどに、都合70棟ほど礎石群が残っている。なかには望楼あるいは屯所的なものもみられるが、大多数は梁間三間、桁行五間という規格に統一され、礎石を用いた総柱の建物である。これらは高床式の倉庫であり、武具の他、炭化した米粒などが検出されている事から穀物なども貯蔵していたことが分かる。
大宰府北方という立地から、大宰府防衛を目的とした城であると考えられている。
山頂の西に張り出した尾根を火ノ尾崎といい、烽火台跡、鼓峰は今で言う軍団駐屯地跡とされ、毘沙門天の遺構がある。付近では経筒などの遺物も出土している。
なお、大野城市の名称はこの大野城に由来する。
以上は、大野市で頂いた資料より
大野城は、日本100名城第86番目の指定で、私は49番目の紀行である。
この後、福岡城に行く。
画像は、大野城の資料を頂いた大野市総合体育館
5月22日九州マイクロウエーブ・ミーテイング大分大会が別府市で開催された。この機会を利用して日本100名城九州「11城を」を紀行してきた。
熊本城・岡城は既に行っていたが、大分府内城は3回行っているがスタンプが押せてなく今回九州最後の紀行として行った。
5月20日07時30分自宅を出発、愛媛県佐田岬にある三崎港発の09時30分のフエリーで大分市佐賀関に渡り一路福岡県大野城に向った。
大野城の築城箇所は大宰府北方、太宰府の真北標高約410メートルを最高峰とする四王寺山一帯に比定されている。四王寺山には、尾根をつたって延々8200メートル以上に及ぶ土塁が山腹をめぐり、土塁が谷にかかるところでは、石垣が築かれ、北方に1ヵ所、西南に1ヵ所、南部に2ヵ所城門を開いている。
城内の高く平たいところには数棟ずつ7ヵ所ほどに、都合70棟ほど礎石群が残っている。なかには望楼あるいは屯所的なものもみられるが、大多数は梁間三間、桁行五間という規格に統一され、礎石を用いた総柱の建物である。これらは高床式の倉庫であり、武具の他、炭化した米粒などが検出されている事から穀物なども貯蔵していたことが分かる。
大宰府北方という立地から、大宰府防衛を目的とした城であると考えられている。
山頂の西に張り出した尾根を火ノ尾崎といい、烽火台跡、鼓峰は今で言う軍団駐屯地跡とされ、毘沙門天の遺構がある。付近では経筒などの遺物も出土している。
なお、大野城市の名称はこの大野城に由来する。
以上は、大野市で頂いた資料より
大野城は、日本100名城第86番目の指定で、私は49番目の紀行である。
この後、福岡城に行く。
画像は、大野城の資料を頂いた大野市総合体育館
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