EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市城東地区歴史散策 5 宝厳寺と一遍上人

2010年07月20日 | 往年の名車 メグロ
松山市城東地区歴史散策 5 宝厳寺と一遍上人

宝厳寺は、道後湯月町(もと松ヶ枝町遊郭の奥)にある古刹で、寺伝には天智天皇の4年(665年)国司乎智宿弥守興が天皇の詔によりて建立、のち伏見天皇正応5年(1292年)再建され天台宗を時宗に改めた。
時宗の開祖一遍上人誕生の地として名高い。

一遍上人は、伊予の豪族河野氏の出で河野七郎通広の第2子として宝厳寺で生まれ、幼名を松寿丸といった。10歳で母を失いすぐ仏門に入り、隋縁と称し、大宰府の聖達上人の下で修行し智眞と改名、のち紀州熊野権現に参籠してこれより一遍と名乗り南無阿弥陀仏を唱名しながら全国を遊行し踊念仏を行い51歳、兵庫県で生涯を閉じた。世に遊行上人と尊称された。

宝厳寺には一遍上人の木像があり室町期の作で重要文化財指定、寺境も県指定の史跡である。
明治28年子規は漱石と、松ヶ枝町遊郭を歩き宝厳寺に散策に来た時次の句を残している。

古塚や恋のさめたる柳散る
色里や十歩はなれて秋の風

なお、時宗の総本山は神奈川県藤沢市の遊行寺で寺紋は伊予の守護河野氏の出であるため河野家と同じ紋「角切折敷に三文字」である。


画像は、時宗の開祖、一遍上人誕生の地「宝厳寺、山門」

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松山市城東地区歴史散策 4 伊佐爾波八幡神社

2010年07月20日 | 往年の名車 メグロ
松山市城東地区歴史散策 4 伊佐爾波八幡神社

伊佐爾波八幡神社は、道後湯之町にあり自然石の高い石段を登るとある。
355年仲哀天皇、神功皇后、が道後ご来浴の行在所跡ではないかといわれている。祭神は仲哀天皇、慶神天皇、神功皇后、三柱姫大神である。

今の八幡神社を造営したのは、第3代伊予松山藩主松平定長で、時の将軍徳川家綱に江戸城で流鏑馬を命じられたが日頃弓道に優れて「絶対に射損じはあるまい」と評判のため「石清水八幡と同じ建物を建立するから金的を射させ給え」と伊佐爾波八幡神社に祈願し成功した御礼に寛文7年(1667年)に建立した。
大分の宇佐と日本に三ヶ所しかない八幡造りの社殿で国指定の重要文化財である。(昭和42年6月15日指定)

建築は江戸初期であるが桃山時代の豪華な遺風を継承しており、古く整った八幡造りである。外陣、内陣とも切妻造り桧波葺流れ造りの社殿二棟が、正面に向拝のある外陣と内陣部が屋根の軒先中央で密着している。

昭和45年11月、4ヵ年の歳月と8000万円の費用をかけて解体修理が行われその威容を再現している。
社殿には数多くの彫刻が多彩を極め、定長公の競射の際現れたといわれる金の鳩にちなんだ数多くの鳩、絵馬、奉納額など多くあり、中でも40数枚の和算の額は貴重な資料である。

また、寛文5年(1665年)8月第3代伊予松山藩主松平定長が武運長久と門族の繁栄を祈願して奉納した「太刀 銘 国行」がある。
太刀 銘 国行は昭和3年4月4日重要文化財に指定されている。

画像は、日本三大八幡造りの一つ伊佐爾波八幡神社(いさには)本殿である
日本三大八幡造りは、石清水八幡、宇佐八幡、伊佐爾波八幡である。

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