愚陀仏庵が土砂崩れで倒壊全壊
12日午前8時ごろ、松山市一番町三丁目の県指定有形文化財の萬翠荘の敷地内にある愚陀仏庵が土砂崩れで全壊しているのを、見回りに来た萬翠荘の職員が発見した。
愚陀仏庵は夏目漱石の下宿で、正岡子規が病気のため松山に戻った際、弟子に俳句を手ほどきした場所とされる。1945年に戦災で焼失し、82年に現在地に移転、復元された。
萬翠荘の八木健館長は「現場を見た時はショックで声が出なかった。県民の宝がなくなってしまったのは悲しい。ただ、観光客が巻き添えにならなくてよかった」と話した。
松山地方気象台は同日午前7時10分、中予に大雨洪水警報が出していた。松山市では同日の午前7時までの1時間に46・5ミリの雨を観測した。また、12日朝の雨の被害は県災害対策本部の午前10時現在のまとめによると、松前町で床下浸水が発生しているほか、東温市の国道494号が全面通行止め。JR予讃線の伊予市駅から伊予大洲駅間の海周り線が運転を見合わせている。
註:上記は愛媛新聞ニュース引用
画像は、夏目漱石の下宿で、正岡子規が松山に帰った時52日間居候し、ともに過ごした庵である。
なお、愚陀仏とは夏目漱石の別号である。
愚陀仏庵は、松山市二番町三丁目7番地に現存したが昭和20年7月26日松山空襲で焼失した。
昭和57年に松山市一番町三丁目にある萬翠荘の裏に復元したもので此れが今回倒壊した。
12日午前8時ごろ、松山市一番町三丁目の県指定有形文化財の萬翠荘の敷地内にある愚陀仏庵が土砂崩れで全壊しているのを、見回りに来た萬翠荘の職員が発見した。
愚陀仏庵は夏目漱石の下宿で、正岡子規が病気のため松山に戻った際、弟子に俳句を手ほどきした場所とされる。1945年に戦災で焼失し、82年に現在地に移転、復元された。
萬翠荘の八木健館長は「現場を見た時はショックで声が出なかった。県民の宝がなくなってしまったのは悲しい。ただ、観光客が巻き添えにならなくてよかった」と話した。
松山地方気象台は同日午前7時10分、中予に大雨洪水警報が出していた。松山市では同日の午前7時までの1時間に46・5ミリの雨を観測した。また、12日朝の雨の被害は県災害対策本部の午前10時現在のまとめによると、松前町で床下浸水が発生しているほか、東温市の国道494号が全面通行止め。JR予讃線の伊予市駅から伊予大洲駅間の海周り線が運転を見合わせている。
註:上記は愛媛新聞ニュース引用
画像は、夏目漱石の下宿で、正岡子規が松山に帰った時52日間居候し、ともに過ごした庵である。
なお、愚陀仏とは夏目漱石の別号である。
愚陀仏庵は、松山市二番町三丁目7番地に現存したが昭和20年7月26日松山空襲で焼失した。
昭和57年に松山市一番町三丁目にある萬翠荘の裏に復元したもので此れが今回倒壊した。