EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市城東地区歴史散策 14 子規記念博物館

2010年07月25日 | 往年の名車 メグロ
松山市城東地区歴史散策 14 子規記念博物館

子規記念博物館は、名称は、松山市立子規記念博物館で、短詩系文学の博物館としては日本一の施設である。

昭和50年5月松山市は、市民の文化施設設置の要望にこたえるため「仮称 松山市文化会館」の建設調査を市長部局が行い、途中教育委員会が受け継ぎ7月に文化教育課が設置され準備室が置かれた。11月には助役を本部長としたプロジェクトが編成され基調案が出来上がった。

その概要は、近代文学に偉大な業績を残した正岡子規をテーマとする博物館機能を主体とする施設が適切であろう、その敷地は交通の利便、自然環境、歴史的背景等の要因から道後公園が最適とされたが、当該地は公園計画区域であるため愛媛県の許可が必要、県との折衝がはじめられ事業計画の処置がとられた。

昭和53年3月県の建設に関する基本的な了承を得て同年4月6日市民各界代表者25名からなる建設準備協議会が結成され11月24日基本設計が了承された。
正式名称は「松山市立子規記念博物館」と決定し、昭和56年4月2日に開館した。

子規記念博物館敷地には、昭和53年まで道後地区の社会教育の施設であった道後公会堂(昭和12年建設)があり一時期は、陸軍病院善通寺分院として専用され、戦後は進駐軍に接収された。昭和21年5月進駐軍の指令により日本赤十字松山病院の病舎となった。

また子規記念博物館玄関あたりに昭和25年進駐軍司令官から進駐軍の将校が専用する浴場を作るよう要望があり「しらさぎ湯」の名称で温泉施設が出来た。進駐軍はもっと分かりやすい名称にせよとし、「DOGO HOT SPRING」の赤いネオンが灯った。
進駐軍が撤退後は家族風呂として営業したが昭和43年休業した。しらさぎ湯の傍に道後新温泉があり湯はここら引き湯をした。(新温泉は昭和40年休業する。)

将校たちは道後で受けた印象をお土産に母国に帰った。串だんごに日本茶をすすりながら「ボッチャン ダンゴ」の言葉を覚えたり、「ドウゴ、ムスメサン、トテモヤサシイ」等片言交じりの日本語に愛嬌をふりまいたりし、若い兵士達の逸話はいろいろあるが、誰もが口にして礼讃したのは、戦場での疲れを癒して、心身をもっとも快適にしてくれた道後いで湯のなめらかな肌触りにあったと思う。
そんな歴史のある土地に松山市立子規記念博物館はある。

画像は、子規記念博物正面で、子規顕彰全国俳句大会は、昭和41年(1966年)の子規生誕100年を記念して始められました。子規のふるさと松山で子規の命日(9月19日・糸瓜忌)に有志によって脈々と行われていた追悼句会を継ぎ、命日に近い、毎年9月23日(秋分の日)に開催している。

昭和56年に松山市立子規記念博物館が建設され、第16回大会から会場を博物館に移し開催され現在に至っている。7月12倒壊した愚陀仏庵も館内に模写して再建されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする