ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

第22回「DXを肴にして語る会」

2008年06月29日 | アマチュア無線
東北6県持ち回りの「DXを肴にして語る会」今年は福島の当番で28・29日いわき市の新舞子ハイツで開催された。少年時代は“King of Hobby”とまで賞賛された高級な道楽も今や後継者も極減の一途をたどり、若者不在の老人だけの物になってしまった。そんな訳で始った頃には120~30人もあった参加者も近年は60人前後になり、今回も島根・静岡・神奈川・千葉・東京方面から16人のゲストも加わり62人で盛大に楽しむ事が出来た。でも、正直のところ年々何となく興味が薄れて行く感じを抱きながらも皆勤者の一人としては体の動く限り意地でも参加を続けたいと思う。
今回初の試みで宴会までの談笑の場に「ゼロ次会ミーテングルーム」を設けたがPR不足で成果はイマイチ、大宴会後の「二次会パイルアップミーテング」は浜ならではの“鰹の生け盛り”と“うに飯おにぎり”の相乗効果で大盛況となったが、その後の「徹夜ミーテングルーム」は老体には荷が重く早々に退散した。
   
                    
二日目恒例の講演会はJA1DOTさんの「VY0ぺディションについて」でスタートした。氏は海外勤務の経験もある様で、デイトンハムコンベンションの常連でもあり、また休暇を活用して海外からのDXペデションも数多く実行している。今回は最近行ったZone2からローバンド(7MHz)のグレーゾーンを利用した運用について大変興味深く解説された。この時の1stJAがJA7AOさんだった事に、7MHzとは云えZone2地域との伝播は非常に困難で、さすがAOさん“ローバンドの神様”の成せる技と改めて敬服した。「Zone2から出る」と59誌等でも事前に紹介され大変話題になったが、80mの挑戦を開始した直後だったので40mは念頭に無く、40mシングルバンドWAZには今思えば取り返しの出来ない大失敗だった。
            
JA4DNDさんは「ANTシステムとDX0JPの160m運用報告」の二つのテーマで講演された。超リッチマンの自宅から独立した山頂シャック(無線小屋)の持ち主は、今や各エリア毎に少なくても10局位ずつ存在していると推察されるが、自分には到底実現不可能な夢物語だった。

5Band DXCC申請準備

2008年06月27日 | アマチュア無線
夏風邪と馬鹿にしていたら以外に重症で、2~3日で回復するはずなのに歳か体力の衰えなのだろう一週間も付き合ってしまった。80mバンドのQSLカードも何とか回収出来たので、三途の川の通行手形“5BandDXCCの紋所”も入手も可能になったので、体調不良中の暇つぶしに今週は家に閉じこもって毎日気の向くまま申請の準備をしていた。
            
予備を含めて550でエントリー418枚のQSLカードはかなりの容積と重量になった。
これをARRL(米国)まで送るとなれば包装・費用と神経も使いなかなか大変なのだが、幸いJARL(日本アマチュア無線連盟)でもフイルドチェック(審査)代行が可能になったので、これを利用する事にした。しかしこれには幾つかの条件があって、第一関門「申請する年から10年以内のQSO(交信)」が最大のネックになった。そして他人に大幅に遅れてワークバンドと呼ばれる30・17・12mバンドに挑戦して、ここ10年程はアンテナを大幅に縮小して20・15mバンドは飛ばないと云う理由もあって、ホンの冷やかし程度しかやっていなかったので、集めて見るとワークバンドは以外に少なくて100枚ギリギリのバンドもあった。
            
昔はARRLから申請書用紙を直接入手して、紙の整理簿から手書きで転記と大変な作業量になったが、近年は“DXCC印刷”のPCソフトも登場したので当然これを使った。データーの入力も全て終了したので、来週中には全てを整いて申請する。

青葉郡山教室1回目

2008年06月22日 | 手打ち蕎麦打ち
            
今月からイトーヨーカドー郡山店4Fにあるヨークカルチャーセンター郡山でも月二回そば打ち講座を始めたので、当番によりY・S両先生の助手(講師)として初めて参加した。福島手打ちそば研究会では会則に添った奉仕活動の一端として、また自らの技術向上と更に先生に対するお礼奉公も含めて、郡山教室の方は3名の当番体制でお手伝いをする事になった。
ここは窓口が大変広く明るくて、興味が無くてもつい中まで引き込まれそうな雰囲気が十分で驚いた。プログラムを見ても幼児・児童コースが大変多くて駐車場の心配も無いし、主婦は子供を出汁にその間のんびりと買い物?なんて双方の邪心を推察してしまった。
            
定員15名受講時間は2時間、部屋のスペースから打ち台が4台しかセット出来ないので回転を早くしないととても時間内には収まらない。先生は各台をサポート、マンツーマン指導とは云え社会保険センターの様に全てに目が届く事は無理で、ごく短時間だがその間受講生は戸惑い作業を中断してしまう事もあった。皆んな初心者二回目なので当然だが、他の教室では6~7人に先生が1人らしく、受講生の習熟度は?余計な詮索をしてしまった。ここでは女性の受講生が圧倒的に多く男は4名、社会保険センターとは全く逆転だった。

料理教室52回目

2008年06月19日 | 男の料理
            
駅に着くと自分が乗る電車が地震の影響でスピードダウンして運行している区間があり35分遅れと場内アナウンスしていた。この時間だと10分ほど遅刻してしまうので息子から支給された携帯電話で先生に連絡、頑なに拒否していたこの電話も意外なところで助かった。
教室に到着すると今日作る料理手順の説明が終るところだった。他の曜日の人が臨時加入して9人になり、二班に別れて5人の班で実習に入った。
            
“ほっき飯”相馬原釜で何度か食べて旨いと思い自分でも作って見たいと思った事もあったが、肝心の貝のさばき方が分らなかったので実現しなかった。習って見ると意外と簡単で、これからは自宅でも調理は可能だろう。他に豚バラ薄切りを使って“肉巻き茄子”と鶏肉・椎茸・筍・長ネギ・ニラ・生姜を全てみじん切りにして卵と炒める中華を習った。

玉ねぎ収穫

2008年06月18日 | 素人百姓
越冬の防寒対策に籾殻を施すのが常識になっているが、近年は専業農家の友人宅へ貰いに行くのも何かと大変で、何にもしないので苗の20~30%は地面の境目付近が凍結したり霜で根が浮き上がり大幅な減収になっていた。皮肉にも今年は温暖化の異常気象が幸いしてほぼ100%順調に生育大豊作になった。しかしナスは移植時の低温が災いして未だに回復不可能で、枝豆と共に春野菜は大凶作になりそうな気配。

食パン

2008年06月15日 | 福島のうまいもの
無線道楽の東北6県持ち回りで毎年開催している「DXを肴にして語る会」開催の最終打合会が勿来市民会館で実施された。磐越自動車道開通前までは仕事で常時利用していた抜け道、二本松→谷田川間の農面道路を前回に続き走行した。
            
途中の三春町のJR磐越線舞木駅近くに“杜のくまさん”と言うパン屋があり、ここの食パンがとにかく絶品なのである。しばらくぶりに立寄った。昔は雑木林の中にポツンと建った小さなパン屋で通る度に皆んなで何時つぶれるか話題にしたが、何時の間にか学校まで建ち、今は団地越に郡山市街地が一望出来る大きなパン屋になり、駐車場は何時も満杯大繁盛している様子だ。
            
パイ生地を思わせる表面はパリッと中はふんわりバター味のスイートミルクパン(食パン)577円になってしまったが、厚切りを軽く焼き何もつけないで食べた方が旨い不思議なパンだ。他のパンは特にお薦めする程でもないと思うが、このパンだけは午前中の早い時間に無くなってしまうので、買いに行く時は朝電話予約が必要だ。一時期、京都祇園ボローニアの食パンのパクりではないかと疑い、親父さんには大変申し訳ないと思いながらいろいろ聞いた事があった。しかし、全くの創作で試行錯誤の結果やっと世に出せたそうで、自分はボローニアよりはるかに美味いと思う。

そば打ち奉仕

2008年06月14日 | 手打ち蕎麦打ち
福島手打ちそば研究会今年度初のそば打ち奉仕がJR伊達駅構内のまちなかプラザで開催された。この催しは今回が三年目で春と秋に実施され、主催者は旧伊達町認定農業者会と伊達町商工会協賛サクランボ祭りに併せてまちなかプラザ日頃の利用者へ感謝を込めたチャリテーの一環として、JR利用者など一般人まで無料で手打ちそばが振舞われる。
   
                    
昨夕右目の出血、若しはやり目だったらそば打ちなどとんでもない事なので、駅で荷卸した後掛かりつけの眼科に直行した。二番目の患者になれて診察待の時大きい揺れの地震が発生した。医院のスタッフ数人は日頃訓練されているのか見事な対応で、即玄関の自動扉を手動に切替て解放した。揺れも大きく時間も長いので外へ避難するか留まるかと自分も一瞬パニック状態になってしまった。
目は幸い前回と同じ毛細血管からの出血でそば打ちに復帰、今回も裏方の“茹で”に専従した。
            
依頼により200食準備したそばもサクランボ狩り参加者60人の昼食分を残して、今回も昼前には完食した。主催者側が設けた募金箱、浄財は赤い羽根だけでなく毎回ごと各募金団体へ寄付するそうだ。
            
そば打ちのあとかたずけを早退して16時から職場の旧友会の総会と懇親会に出席した。忘年会は出席出来なかったので1年ぶりに逢った。皆んな結構老け込んだナーと感じながら同じ釜の飯を食った仲間との実に楽しい一時だった。

料理教室51回目

2008年06月12日 | 男の料理
   
                    
「肉シュウマイ」と「豚肉と野菜の田舎煮」を習った。田舎煮は旬の新じゃが芋をメーンに、素材の全てを初めから一緒に煮込んでしまうごく一般の家庭料理だが、ただ一点異なるのはこの教室の技、豚バラ肉ブロックは油抜きの下処理、茹でてから使う。これは余分な油分を除くと共に旨味を増す方法だそうで、鶏もも肉なども同様に処理してから使う事が多く、鶏肉は一般にヘルシーだと云われているが、とんでもない誤解で油分が驚くほど多い。処理方法は、水から約15分茹でる→取り出す→約15分水につける。お湯から肉を入れる場合もあり、これは肉をどの様な状態で味わうかで選択するそうで、今回は水から、ゴーヤチャンプル等はお湯からだそうだ。何れの方法も生肉で調理した物より格段に旨味が増すから、手間をかける時間は十分納得出来る。そして使ったお湯は濾す事により油も除去、旨味分が残るのでお汁に変身する。
今日は三番目に入室、先生は材料の不足分調達で不在だった。先着の二人は雑談に夢中でまだ準備をしていなかったのでとりあえず事前準備を済ませた。テーブルに置かれた今日のレシピを見たまでは抜かり無かったが、ついうっかりして当然想定された湯沸かしを失念してしまった。先生は現れるなり「ベテランがこんな調子だから・・・・」と強い指摘、またシューマイの調味量調合の指示を受けた時、つい家でやっている癖が出て再び指摘され何ともマズイ一日となってしまった。
夕方から瀬戸工房で土曜日の“そば打ち奉仕”の準備でささやかなお手伝いをした。

再びラジオ深夜便

2008年06月12日 | その他
目覚ましセットの失念で途中からだったが、宮川アナウンサーの「のど自慢旅日記」今回は秋田県男鹿半島の話題を中心に80%位聴取出来た。毎度の事ながら実に綿密なしかも広範囲なジャンルでの取材に基ずいたナレーションには何時も感嘆してしまう。自分も秋田時代には仕事や遊びでも何処よりも多く訪れていた所だったので、今回は尚更情景が目に浮び、その光景は子供の頃毎晩聴いた茂庭や飯坂温泉を舞台にした『三太物語』のラジオドラマの再来の様でもあった。北浦漁港、はたはた、なまはげ、石焼料理、寒風山、大潟村、八郎湖(残存湖)等々、特に干拓についてはまだ入植以前のようやく稲作の試験栽培が始った頃だったので、またなまはげについても普段は何処のメデアも子供を脅かしに来る、暴れる位しか紹介していないが、地域の伝統に守られて来た信仰に基ずく神聖な儀式であると詳細に伝えていた。
次回は7月24日長野県諏訪湖周辺との予告だったが、ここも新人時代に、そして秋田から再び東京へ戻ってからも何度も訪れていたので懐かしい所だ。冬季国体が開催された時、諏訪から伊那へ抜ける峠にTV中継伝送の中継点(美ヶ原放送所送り)を担当して近くの茶屋に一週間ほど宿泊した。その途中の諏訪湖湖岸の集落での寒天作り、初めて見た光景と茶屋での生活体験は今も強烈な印象として残っているし、四季折々の諏訪も懐かしい、次回は更に楽しみだ。

アジのピザ風味

2008年06月11日 | 男の料理
相変わらず週平均2~3回の夕食当番を継続。娘は子育てに追われてまともに夕食は取れているのか心配で、当番の時はほぼ毎回孫達の分まで配達している。大人の味付けではダメな場合もあり、そんな時は面倒で最近はすっかり手抜きして罪滅ぼしと云う訳でも無かったが、幸いピザが好きなので、爺手作りのおやつの定番を少し変えておかずとして挑戦してみた。
            
栄養価を上げる単純な思い付きで生地は魚に変えて“いわし”では味に少し癖があるので“アジ”を使った。幼児も食べるのでゼイゴ、中骨も完全に抜き取り、フライパンでオリーブオイル+バターで軽く両面を焼き、玉ねぎ・マシュルーム・コーンをバターで炒めて魚に乗せて、これ以降は通常のピザとして電子レンジで焼いただけ。
            
魚には既に火が通っているので、チーズが溶けて表面に少し焼き目が着けば出来上がり。孫達も何時ものピザと変らず完食した様子で、大人も主菜としても十分満足出来た。