ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

ゆく年くる年

2015年12月31日 | その他
   
   
ラジオ時代から今も続くTV長寿番組「ゆく年くる年」は、記憶では確か16回も中継現場の技術スタッフとして関って来たが、リタイア後は一視聴者として欠かさず視聴を続け15回目を迎えた。
演出されたものと百も承知しながら、闇夜に深々と降る雪の中から聴こえて来る除夜の鐘は心に響き、日本人であった事に喜びを感じて自らの1年を振り返り新たな年を迎えていた。
この僅かな時間だけは何の邪念も無く素直になれる一時なのだが、今回は地球温暖化でこの番組で求める重要な要素“雪”も無く、また原発事故後連続で問題山積の福島が放映されると憲法違反の安保法案可決も浮かび心は暗くなるばかりで、この番組へ持ち続けていた期待感は薄れてしまった。

今月のBand/Mode New Enty

2015年12月31日 | アマチュア無線
             
今月もシャックに入っていた時間に変りは無かったが、DXもJAに右倣いしたかのように記念局ばかりで興味も沸かず、Condexも悪いしQSOはタッタの3局、Band NewはV44KAI(St Kitts & Nevis)の30mCWだけだった。
11月JARL経由で追加申請していたDXCC Challenge、44が認められて2274Entityになった。難しい所ばかり残しているので年間に増える数は先細りだし、目標の2500達成は?

年越しそば

2015年12月31日 | 手打ち蕎麦打ち
             
年越しそば、元気な頃は遠方へは30日の朝打って宅急便で送り、近場には31日朝の4時から打って昼前に届けを済ませ、昼食に“二八”と“ゆず切り”を食べるのが習慣になっていた。
無理をすれば打てるまで回復した様にも思えるが、しかしまだ主治医の許可は得られず、また発症直後に未練が残ると道具も全て処分してしまったので、今年も師匠の打った“二八”を再び注文した。
自分以外は「温かいそば」と云うので“鴨南蛮”にしたが、鴨肉が入手出来なかったので合鴨で代替した。調理に問題があったとは思えないのだが、紛い物の鴨では師匠の本物のそばも珍しさだけのご馳走になってしまった。
美味いそばを味わうには何と言っても“ざるそば”に限りる。しかも薬味抜きで、薬味を使うのは不味いそばの時が持論だ。

Arrived QSL

2015年12月30日 | アマチュア無線
             
一足早いお年玉V44KAI(St Kitts and Nevis)30mCW Band NewのQSLが届いた。
今月の2日にQSO出来たが聴いてから3日もかかり、信号がようやくノイズから浮き上がった僅かな瞬間にQSO出来た。
その後40mCWでも数日間出ていたが30mよりもノイズがあり信号の存在だけ、何れのBandも簡単にQSOしていた局はBeem ANTなど受信環境もそれなりに良いのだろう。
ノイズは年々増えるしCondxは落ちる一方の正に氷河期に突入した感じの今日この頃。

仲間の本

2015年12月28日 | その他
             
退職後、現役時代職場で縁のあった仲間が執筆した専門書を除き、気軽に読める本が見つかった時には買い求めて、読んだ後は本棚の占有面積が増えて行くのも楽しみの一つになっている。
最近「スポーツアナウンサー実況の真髄(山本浩著)」が岩波新書から発行されたと知り、早速本屋へ駆込んだが見つからず、三軒目で聞くと一週間程かかると云うので断り、翌日配達のネット通販Amazonで購入した。
検索中に何気なくアナウンサーの本と入力したら、たった4日間の付き合いだったが強烈な印象が残って忘れもしなかった「僕がナニワのアナウンサー(寺谷一紀著)」が出てきたので同時に注文した。
山本氏は初任地が福島で、特に局外の仕事(ラジオやTV中継)の時には技術屋の方が圧倒的に多くしかも年配者の我々は彼に限らず暗黙の了解の下で社会人としての教育係りも勤めたが、新人の中でも彼は既にその必要も無く、何故か名前ではなく“トラさん”と愛されて、先は大物?と誰もが予測していた。
寺谷氏とは平成天皇即位の礼パレードTV中継の時、全コース中継に23台の中継車と要員も全国から集められて実施したが、福島からは中継車と共に参加して東宮御所青山通りの前後150m程の区間を東北技術混成チームのTD(技術現場のチーフ)として関り、彼はPD(放送現場のチーフ)で、当時局歴2~3年の東京報道部勤務で、新採の赴任先は地方局と決まっていたから初めからの東京勤務は余程のエリートだったのだろう。
そんな彼と初対面の時は一声で自分が苦手な関西人しかも大阪人と分り困惑してしまったが、我々宿泊先の夕食時の居酒屋まで訪ねて来て親睦を図るなど、全てに於いて今までに無かったチームワーク作りを重視していた彼に感服、本番では全員がミスも無く歴史の一こまに関る事が出来た。
その後彼は大阪に転勤してNHKスペシャルドキュメンタリー番組などを制作していたが、取材先での体験から地域に密着したアナウンサーの必要性を感じて自らアナウンサーに転向した。その後東京アナウンス室転勤三度目の命令に抵抗して退職、以後フリーとなり自らのプロダクションを設立して大学講師や関西の民放で活躍中の様子だ。
本はNHK時代の同僚の失敗談や裏話で始まる体験談が赤裸々に綴られて、失敗談の一部は自分も類似なものに遭遇したりしていて、あまりの面白さに一気に読んでしまった。
仲間の本はこれで23冊になった。

研究会

2015年12月26日 | 手打ち蕎麦打ち
             
今年最後の研究会が開かれ各自が自宅で年越しそばを打つ粉の配布もあり多くの参加者があった。
Tさんがそば打ちを始めて1年になり、そろそろ青葉教室のカリキュラムに沿った打ち方を習得したらと勧めていたところ、本人も希望したので、今日から“更科”の挑戦を開始した。
先ずはこれまでとは丸で異なる熱湯での“水回し”の方法を熱湯を注がないで実習後に即実践に入り“練り”や“延し”での注意点も厳しくその場で伝えて進行した。
これまでの“二八”とは異なりほぼ発生する周辺のひび割れも最小限に押さえられ、一番心配していた生地全体の鮫肌(ひび割れ)の発生も無く、初回にしては上出来だったと安堵した。
また今回はWさんが“ゆず切り”を打つと事前に連絡があったので“更科”に混入する高知産のゆずを加工して持参した。
今日参加の会員の半数以上は初めて知るそばと想像も出来たので強要はしなかったが、Wさんの実技観察と試食を勧めた。
後で強要だったかなとも反省したが、福島産の隠れた名産品信夫山のゆず(現在は放射能汚染で出荷停止)を使った“ゆず切り”の普及も自分のそば打ちのテーマにしていたので、関心を示してくれる人が現れればとささやかな期待感もあっての行動だった。

はやと誕生会

2015年12月25日 | 撮影編集孫専科
   
   
25日がはやと9才の誕生日で今年もまた爺の家でクリスマス会と併せて誕生会を行った。
孫達の誕生会は爺の家で行うのが恒例になっていたが、原発事故放射能汚染で宇治市の避難先から帰還後は何故かはやとの時だけになってしまった。
考えてみると婆さんのご馳走作りが何時の間にか負担と本人が感じてしまい、今回も白飯を炊き「すし太郎」と云う混ぜご飯の素で混ぜ寿しと野菜サラダを作っただけで、他の食材は全て既製品で済ませてしまった。
そんな買出しの間に愛実と里菜は100円ショップで買って来た画用紙と折り紙で2時間程かけて飾り物を作り、帰った時には飾り付けも済んでいて、ほぼ20分過ぎには誕生会がスタートした。
しばらくして改めてサンタさんのプレゼントを聞いてみると、愛実は爺の理解困難な女性歌手のコンサートのDVDと里菜は二冊の参考書、大翔とはやとはゲームソフトだったそうだ。
6年生の里菜はサンタの正体昨年はまだ半信半疑の様子だったが、今年は正体を知りたいと枕もとに時計を置き時々眼を覚ましては監視していたそうだが、4時過ぎには熟睡してしまい、眼を覚ました7時には枕もとに置いてあったそうだ。
親の何れがサンタ役だったのか里菜以上に寝不足だったのでは、そして里菜は何とも初心な、でもとっくに気が付いていたのかな。爺の質問には何とも微妙な微笑みだけだった。

P5/3Z9DXその後

2015年12月22日 | アマチュア無線
             
今日は全く聴かれなかったので矢張り二日間だけのテスト運用だったのだろう。
早くもClublogから引用したJA'sのQSO DATAがネット上に公開されたので興味深く拝見した。

http://www.geocities.jp/jh7wnv_main/DX_QSO_JA/DXCC_JA_DX_QSO_P5_3Z9DX.html

このデータからもJR6(沖縄)は問題無かったもののJA4→12局,JA5→3局,JA6→6局と少なく、これらのエリアは二日間とも生憎のスキップ状態で並みの設備の局にはチャンスが無かった事が分る。
また14MHzでは「All time new one only」のアナウンスにも関らずCallして本人から指摘されていた局も聴いていたが、それらの局はDXCCオーナーロール→9局,DXCCメンバー→1局,DXCCメンバー外→6局であった事も分り、その多くが名の知れ渡る有名人だから、近年JA'sのモラルの低下が指摘されている最中で何とも残念な事だった。

P5/3Z9DX QRV

2015年12月21日 | アマチュア無線
             
昨日の夕方DXSCAPEにP5/3Z9DX 21.222MHzがUPされHA,SP,U ZONEのパイルアップは聴こえるもののご本尊様はノイズのみ。多分スキップ状態と想像したが、CQ誌によれば3Z9DXは来年の1月か2月の運用を目指してクリスマス前に政府高官との打合せで平壌に滞在するとの事なので、CQ誌を読んだ悪ガキの悪戯かなと思った。
しかし何とも気になって夕食後にネットでP5/3Z9DXを検索すると本者だった。
高官監視下の口頭許可によるテスト運用だとすれば、書面による許可でなければDXCCには無効と心配する記事もあったが、ダメモトでもやらなければ話しにならないので、今日は通院日で朝一番に診察券を出して10:40に帰宅した。
21.222MHzを聴くと既に開始されていて53~59+10dBの周期の長いQSBの伴った信号が受信された。
UP5~10の指定でJA0,1,2はスキップして聴こえないが、指定以上に広がり並以上のパイルアップで二度のOutside JAの後、11:05 21.227でCall Backがあり一度も聴かなかったRPTに続けて「アリガトウ」の日本語も返って来た。
12:30過ぎには14.200にも現れたが、ATNO(All time new one only)と指定されたので呼べなかった。
P5/4L4FNのQSLは17.Feb.2002 23:26z 15mSSBの物でP5唯一の一枚、DXCC Challengeに他のBandも欲しいのだが・・・・

             
JA1ELYさんからVP2ELY 30mRTTY Mode NewのQSLが届いた。
15mSSBでも出来たが、Low Bandは短縮DPとHigh BandはDPに毛の生えた程度のANTでは信号の存在しか判らず、PJ7でも呼べず終いだった。
サイクル24も終焉してCondxだけが頼りの自分は氷河期を迎えてしまった様だ。

お泊り

2015年12月19日 | 撮影編集孫専科
   
末っ子のはやとは以前から「冬休みになったら泊りたい」と言っていたが、どうやら我慢出来なくなり里奈と二人で泊りにやって来た。
四年生の大翔とはやとは年子で、この春頃までは双子の様に何時も一緒に行動していたが、最近は好みや遊び方も変ってしまい、大翔も再三誘ってみたが、爺の家にはあまり興味が無くなってしまったらしく簡単に拒否されてしまった。
夕食後二人で神経衰弱カードゲームで過した後は爺と共に入浴。21~23時までTV金曜映画劇場“スターウオーズ”を観ていたが、爺は習慣を厳守して一足先に床入りしてNHKラジオニュースを聴きながら22時過ぎには熟睡。
   
夜更かしが祟り8時過ぎにようやく起床。はやとは9時半からこむこむ館の行事に参加、里菜は10時からFTVカルチャースクールへ行くと9時に爺の車で帰宅した。