ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

8月のBand/Mode New Entity

2013年08月31日 | アマチュア無線
          
DX QSOの他国内2文字局とのQSOもHam Lifeのテーマとしてから18年になる。開局以来1368(QSO)/1328(QSL)で、近年は新たな局との出逢いもほとんど無くなってしまったが、一昨日午後7.130MHzでJA2PMを見つけて久々に貴重なNewを得た。自分よりも大先輩で廃局していたが、つい最近30数年ぶりに復活したそうだ。
国内2文字局は自然消滅するばかりで、こんな時はDXでNewを得た時以上に興奮してしまうから面白い。
以下今月のBand/Mode New Entity
 ☆CU2AP(Azores)-17mRTTY
 ☆E44PM(Plestine)-12mCW
 ☆XZ1Z(Myanmar)-17mSSB

E44PM 12m Band New

2013年08月26日 | アマチュア無線
          
福島の馬鹿盆地も明け方の肌に触れる空気は冷たく、お空のCondxもようやく秋の気配が感じられ、High Bandの12/10mでも極微弱なDXの信号も偶に聴かれる様になって来た。とは言っても地域差とANTのハンデキャップもあって、DXSCAPEにUPされた局のほぼ半数は聴こえないから、High Bandに定着するのはまだ先になりそうだ。
そんな状況下で24日21:34z E44PM(Palestine)と24.906MHzでQSO出来たが、JA'sの大半が御用済?それとも聴こえなかったのか一発でCall Backあった。しかし周期の早いQSBを伴った339の信号の谷間に「***PL599」と、最近J*1PLLも耳にするので一瞬躊躇った。4~5秒後に再び「JA7P****」を聴き、自分に間違いないと『QSL QSL UR 559 de JA7PL BK』と送信した。「***」?何とも不確実なQSOでOn Line Log Searchが頼りになってしまったが、今朝遅いLog UPを確認して、正直あまりすっきりしない12mのBand Newを得た。
E4はこれで80mを残すだけになった。今回40m以下のQRVは無いので次回の“お楽しみ”も閻魔様のご招待が無ければ参戦出来るのだが、果たして?

避難先宇治市へ

2013年08月25日 | 原発事故
          
          
          
孫達は本宅で二週間ほどの生活を終えて11:38発やまびこ212号で再び宇治市の避難先へ戻った。
愛実は大津市での交流会に続き福島でも多くの旧友達と親交を深め、籍の抜けてしまった第一小学校のお楽しみ会の準備にも歓迎されて参加した。“卒業は第一小学校で”の決心は更に強まったそうだ。そんな事からか福島では友達皆無になってしまった3人とは対象的に、愛実の新幹線のステップを踏む直前の表情は何とも寂しげで、思わず涙をこぼしてしまった。
娘夫婦は“何時戻るか”を充分に話合った様だが、第一原発の事故処理は問題山積で悪化するばかり、避難先仲間内での過剰な知識を得てしまった娘には「住宅使用期限更に2年延長」の通達もあり、爺達が期待していた結論はでなかった様だ。
愛実は多感な時期を迎える大切な節目でもあり、爺達は何としても愛実の希望に添える様、ただひたすらに念願している。原発は罪作りで何とも憎い!

Youtube Japanで視聴

2013年08月24日 | 原発事故
          
          
          
8月4日から三泊四日で開催された京都へ避難している子供達とかつての福島の友達との交流会の様子が、関西テレビスーパーニュースアンカーの特集で「こどもたちの夏の夢 2013」が放映され、同時にyoutube JapanにもUPされたと、娘に避難先の友人から連絡があった。
早速視聴すると、リポートは女の子はいわきから、男の子は愛実と同級生の二組をメインに構成されていたが、大津市にある京都ノートルダム学院小学校山の家を主会場に、琵琶湖湖水浴や嵐山散策と保津川船下りなど、子供達にとっても充実した交流会の様子だった。湖水浴場でのスイカ割りのシーンには大翔も登場していた。
交流会の主催者は“京都ライフサポート一歩の会”で、原発事故後いち早く会津若松市に駐在員を派遣して、約5ヶ月間福島県内の自主避難者を郡山からチャーターバスで京都市と宇治市の公営住宅へ受け入れた。
リーダーは幕末の会津若松との縁や工務店主として以前鶴ケ城補修工事に関わった事もあったそうだが、歴史の不勉強でNHK大河ドラマ「八重の桜」で改めて知った京都との深い縁も、今は“京都一歩の会”の皆様にはただ感謝あるのみだ。

お泊り

2013年08月23日 | 原発事故
 
                   
 
                   
六年生の愛実は同級生達との遊びの方が、爺達を相手にしているより楽しいそうでまだ三回しか現れていない。一方里菜は二年生の一学期で転校して近所に同級生もいなかったので、今福島では遊ぶ相手も無く男組と一緒に爺の家が絶好の遊び場だ。
3人共狭い自分の家ではゲーム機中心だそうだが、爺の家では暴れて疲れた後はそれぞれ興味のあるオモチャ遊びで過ごす。
末っ子の“はやと”は今回も爺のオモチャに異常なほど興味を示して「ジイチャンこれやらして」と爺監視下でもっぱら7MHzを受信。デスプレー画面がゲーム機と同類と錯覚しているのか、ダイヤルを廻すと、デスプレーの変化とエアホーンから流れる会話や電信のリズムがたまらなく面白いそうだ。DNAを一番引継いだ孫かなーとも思うが、無線道楽は爺の時代で終焉、別な道を選択してもらいたいものだ。
昨夜はお泊りで、朝食後は「早くママに会いたい」と一年生のはやと。10時には送り届けたが、午後2時には全員で再び現れて夕食後に帰宅した。
福島滞在もあと2日で避難先宇治市へ戻る。原発は何とも憎い!

CU2AP RTTY Mode New

2013年08月22日 | アマチュア無線
          
20日の朝CU2AP(Azores)が18.105MHzRTTYでパイルアップを捌いていた。
Mode Newなので即参戦したかったが、3EL相当のハムペリでは時折文字化けもありJA指定でも無かったので、JA'sの常連が済むまでCondx UPに期待しながら待機した。30分もすると何となく出番を感じてCallすると確か5~6回目だったと思う、21:40zにCall Backがあった。
QRZ COMを覗くと彼は1980年にCT2DRでスタートしたそうで、開局は自分の方が遙かに先輩だが、一見ラジオ少年?なんて勝手に想像してしまったから、親しみを込めた添え書きを同封して今日Air MailでQSLを請求した。

8mmフイルムDVD化

2013年08月17日 | 撮影編集孫専科
          
miniDVのDVDコピーも完了と思っていたら、今度は子供達のフジカシングル8(8mmフイルム)からminiDVへコピーしていたテープが4巻出てきた。
これはシングル8がこの世から姿を消してから何年後だったか記憶にないが「何れ8mm映写機が壊れれば上映出来なくなる」と、スクーリンに写した映像をminiDVカメラで録画したものだった。
シングル8のフイルムはカセット式で当時としては画期的な物だったが、撮影時間は3分間で高価でもあり、撮影に際しては予め絵コンテを頭の中にしっかりと描き、無駄回しを避けながらノー編集にしていた。改めて観てみると、子供も親となった今では純粋に記録だけで良いと判断、再編集してDVDへコピーした。
WindowsXPの処理能力の遅いPCと気力も相まって、テープ4巻約4時間の作業に一週間程費やしてようやく終えた。

新そば

2013年08月10日 | 手打ち蕎麦打ち
          
第二土曜日、そう言えば今日は手打蕎麦研究会の日だった。もうそんな事もすっかり忘れかけていたが、突然「家の前に居るから出て来て」とWさんからの電話。出て見るとWさんが待ち構えていて、打って間もない“新そば”を届けてくれたのだ。
県内産で一番早く収穫される会津塩川町雄国山麗で栽培されている在来種。研究会は例年この粉で“新そば”を打つのが定番になっているが、殆んどは第四土曜日で、今年は昨日挽き上がったばかりで今日の例会に間に合ったそうだ。
「もう美味いそばが食べられなくなってしまったから」とWさんの言葉に感謝しながら先ずは生そばの香りを嗅いでみた。湿っとりとした心地良い青草と土を混合したほのかに酸味を含んだ臭気は正にそば畑の香り?正直そば打ち10年体験して初めて嗅いだ生そばの香りだった。そばの香りは“水回し”の時最高に放ちそば打ち人の特権だったが、打ち終った直後の生そばの香りはまた別物で新たな発見をした。
産地・そば粉・そば打ち人と全てが明らかな本格的なそばを解説をしながら、夕食として家族3人でWさんに感謝しながら、しばらくぶりに美味しい本物のそばを堪能した。

一時帰宅

2013年08月08日 | 原発事故
          
福島の馬鹿盆地は一日で記録を更新して34.7度。しかしこれはまだ序の口で後1ヶ月は忍耐の生活が続くから参ってしまう。
午後宇治市へ自主避難している孫達が4回目の一時帰宅をしたので、待ちきれずに駅のホームまで迎えに出た。みんな日焼けした顔で元気に現れたので、既に熟知はしていたが挨拶代わりに尋ねると「大津市にある山の家で福島の友達と昨日まで三泊四日のキャンプをして来た」との事だった。
この交流会は某ボランテア主催により、今年は大津市にある京都ノートルダム学院小学校山の家で開催された。避難している子供達と福島のかつての友達との再会の場としてセットされ、福島からは往復チャーターバスが準備されて父兄の付き添えは一切無しで、この間はボランテアが全て面倒を見る。どんな団体なのか詳しい事はまだ娘にも聞いていなかったが、孫達の週一回のボランテア家庭教師達(京大生)も全員が東南アジアからの留学生だそうだ。
何れにしても自主避難者達は“国や一般市民からは勝手な行動”と実質見放されているから、この様な関係者には感謝あるのみで、いくら感謝しても感謝しきれない。
          
夜は4ヵ月ぶりに一族で孫達の歓迎会。爺は長男大翔の好物“煮込みハンバーグ”を心を込めて大人7人前、子供4人前を2鍋で作った。何れの鍋も小さくて苦労したが、喜んで食べてくれたので、失敗もなかったし先ずは目的達成。
男組は“お泊り”の予定だったが「お家に帰る!」と突然急変して、急遽全員が自宅へ帰った。昨夜は21時過ぎ京都駅前解散だったそうで、幼学年にはキャンプの疲労も蓄積して、突然の心変りも無理からぬ事の様だった。爺の楽しみはまた日を改めて。

蒲焼丼

2013年08月07日 | 男の料理
          
梅雨明けと共に福島盆地の本性を遂に現わし、今日は今年最高の34.2度を記録した。
例年この時期は食欲も低下して何を食べても不味く、我が“男の料理”は美味の追求はせず、ただひたすら栄養の確保と調理時間の短縮だけで済ませてしまう。
今日は今が旬の格安の新鮮ないわしを使って「いわしの蒲焼丼」「ゴーヤと生姜入りかき揚」を30分で仕上げて「キュウリの三五八漬け」を添えた簡単な夕食にした。最近は歳もあって女房共々食事の量も2/3程度になりこれで充分になった。
いわしは量販店は避けて新鮮な青森産5尾250円を鮮魚店で購入。通常は楽しみなが自分で処理するが、サービスで如何様にも応じてくれるし時間短縮もあり依頼した。
調理はごく簡単、2枚開きの尾と背びれを切離し2枚にして粉をまぶしフライパンで皮目から焼く。焦げ目が付いたら返して更に焼き、醤油・酒・みりん・砂糖各1対水1.5の割合の煮汁で煮詰め、炊きたてのご飯に乗せ煮汁をかけて完成。
ゴーヤもこの時期の健康食で、昨年までは必ず黒砂糖を使ったオリジナルのゴーヤチャンプルだったが、今年は「かき揚」も始めた。初回はレシピ通りに豚細切れと紅生姜を入れたが、今回は試しに肉を抜き生姜の千切りで、矢張り紅生姜のほうが勝ったが、肉抜きもさっぱりして老人食には良いかも。