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1925年3月22日東京芝浦の仮送信所からラジオの仮放送が開始された事を記念して制定された放送記念日の今日、福島近郷在住のOBで組織する旧友会懇談会の後、午後6時から会場をアオウゼの福島市アクティブシニアセンター調理実習室を借用して、自分の打った「手打ちそばを食らう会」を行った。
ここは調理後の試食のみでアルコール類は禁止されている事から、純粋にそば好きだけの16人が参加したので20人分の2Kgを打った。
腹を空かしている時間でもあり、予め午前中に自宅で1Kgを打ち、現場では“挽きたて・打ちたて・茹でたて”の二条件は叶う残りの粉(石臼挽き)“二八”を精魂込めて迅速に仕上げ様と画策した。
通常のパターンを逸脱してしまった事からか、これまでに経験した事が無かった老いに因るスタミナ切れが不覚にも現れて“四つ出し”の工程頃から一瞬の立眩みが発症してしまった。30秒も休むと回復するので何度休んだか記憶に無いが“茹で”の最後まで何とか勤めて目的は達成した。しかし、会員の方々には大変な心配をかけてしまい、全員から「とても美味いそばだった」と正直な感想を述べて頂いたが、浅はかな自分の提案が裏目に出てしまい誠に申し訳なかった。
リタイアー直後に本屋で立読みした残間江里子のエッセーの一部に「近頃のマスコミ業界のリタイアー組はこぞって馬鹿の一つ覚えのそば打ちに走る。何が面白いのかもっと他にやるべき事があるのではないか」に抵抗してのそば打ちだった。
カルチャースクール修了年限二年も習得不足と自覚して三年通い、その後卒業生で構成する福島手打ちそば研究会へ入会、更に先生のお引立てもあり講師の一員として、不定期で依頼されるそば打ち教室や昨年3月末まではカルチャースクールのお手伝いもして来た。
リタイアー後の道楽の一部になって4月で11年目を迎えるが、今日の失態は不覚にも自信過剰の“老い”の現れだった。今後は十分に自覚しながら、放射能汚染で失った素人百姓を補完する事からも続けて行きたいとは思うが・・・・。