ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

今朝の80m Band

2016年12月28日 | アマチュア無線
              
80m Bandのローカルノイズは年々増すばかりで20:30zも過ぎるとS=4~6が深夜まで7~9になってしまうが、こんな状況でも一つでも増やしたいと諦めながらも気が向けばノイズを聴き続けている。
今朝はかなりCondxが良く雑魚だがHA8JVとS59Aが時々ノイズに埋もれてしまう事もあったが平均RST=589で聴こえていたのでQSOした。これ以外にも他局は数多くとQSOしていたが、ここでは全てノイズに埋もれて多くは信号の存在すら確認出来なかった。
Band NewのEI4KF,JY9FCも追跡していたが、ノイズが少なくて滅多に無いチャンスが到来した時には馬力不足で撃沈、今シーズンのGetは無理なのかな。

Arrived QSL

2016年12月01日 | アマチュア無線
              
9月にQSOしたD66D(Comoros)20/17mCW,15mRTTYのQSLが届いた。
今朝の30mパイルアップでは多くのJA'sがQSOしていたが、自分のNTD-3040では信号のカケラすら確認出来ず彼等はみんなビームアンテナ組なのだろう。
最近はこんな事が常習化してしまいLow Bandもビームアンテナ無しには楽しめなくなってしまった様だ。


今月のBand/Mode New Entity

2016年11月30日 | アマチュア無線
              
今月のBand Newは5H1WW(Tanzania)80mCWただ1局だけだった。
Low Band中心のこの時期は一番取残している80mを中心に運用しているが、NewのEI4KF(Ireland)は何時も常時S=4~6あるノイズに埋もれて、またJY9FC(Jordan)はJA'sに振向いてくれた時には馬力不足でこの2局は何時Get出来るのか、何れにしても最大の敵はローカルノイズだ。
今回ARRLから送られて来たCredits Listingと自分の整理簿を照合したところ何とYU(Serbia)の20/15/10mが空白だった。
原因を改めて考えると1991年YU(Yugoslavia)からYU(Serbia),9A(Croatia),E7(Bosnia),Z3(Macedonia)に分割独立して、以前YUはUSSRと共に雑魚中の雑魚、そんな思い込みから当時整理簿を修正しなかった最大のボケだった。
そんな訳でYUの空白をGetする事が近々の課題だが、ここ数年間を振返ってみると80/40mで聴いただけで他のBandでは一切耳にしていない今やYUは自分だけの大珍局となってしまった。
DXCCレースはこんな事もあるから生涯完結する事は無く楽しめるから実に面白い遊びだ。

Arrived QSL

2016年11月28日 | アマチュア無線
              
JARLから分厚い封筒が届き何だろうと思って開封したら11月転送のQSLカードだった。
98枚もあり13枚を除き、2014年ARRL(アメリカアマチュア無線連盟)100周年の記念局がこの1年間の間に各州を1週間ずつ2巡回移動運用したもので、確か全州とQSOすればアワードがもらえると思ったが、アワードに興味は無く聴こえて来れば何となく惰性でQSOしていたものだ。
閑にまかせて何州とQSOしていたか確認してみるとW0-ミネソタ、ネブラスカ、W2-ニューヨーク、KH2-グアム、KG4-グアンタナモベイーの5州が未交信で全QSO数は288だった。

5H1WW 80m Band New Get

2016年11月23日 | アマチュア無線
              
原発事故後耕作放棄地のいたる所には大小のソーラー発電、北北東5Kmと南南西9km先には大企業のメガソーラーの運用も開始されて、関連性は定かで無いが年々増加するノイズは今や平均S=4~6もありLow Band DX QSOは困難になってしまった。
こんな状況でも先日来80m Band NewのJY9FCがノイズから浮出す事も時々あってパイルアップに参加していたが、何時もEuやUSAとの混戦でJAでも弱者の自分にチャンスは無かった。
しかし今朝、5時40分も過ぎた頃3.507KHz UP2前後でパイルアップを見つけ初めはノイズに埋もれて判らなかったが、時間と共に信号もUPして5H1WW(Tanzania)と判った。そして珍局が出て来ると必ずビートをかけて来る常習犯(JY9FCでも散々邪魔されている)も現れてしまった。
そんな中で不完全なQSOで終る局もいたが、ビートの切れ目からは時間と共に5H1WWの信号は強くなってきたので常習犯との根競べを始めた。かなり長い時間断続のビートを耳していたが、突然消えたので空かさず呼ぶと自分でもアッ!と驚く二回目の6時07分にCall Backがあった。
日の出予報は6時27分。グレーライン最高の伝播にも巡り合せて、しかもほぼ2分後には再びビートがかかって、恐らく常習犯小便タイムの空白での収獲だった。

Arrived QSL

2016年11月21日 | アマチュア無線
              
9月にQSOしてOQRSで請求していたS01WS(Western Sahara)15mSSBのQSLが届いた。
マネージャーEA2JGの迅速な対応には驚いたが、しかし過去にS01A(1987.10/23)20mSSB,S0RASD(1988.5/27)15mSSBでQSOした未請求分があり、当時確かEA2JGも関わっていたのでQSLの発行が可能か照会状を添えて9月25日Air Mailで送った分の返信は無かった。
今日まで宛先不明等で戻る事もなく途中で自然消滅も考えられず、EA2JGはOQRS以外は一切返信せずグリーンスタンプ(ドル)はネコババなのだろうか。

DXCC(Digital)

2016年11月11日 | アマチュア無線
              
今回のEndorsementsで初めてRTTYも同時に申請していたが、今日その賞状#4768が届いた。
昔は100Entityを越すと自分の意思に関わらず賞状が自動的に発行されてStandings Ranking入りも済んでいたが、何時の頃から自らの意思で申請しなければRanking入りは出来なくなっていた様だ。
これでRTTYは国内で281番目、県内ではJA7IC,BWT局に次ぐ3番目にランクされたが、この遊びに完結は無く、国の統廃合などにより新たな国(行政圏)が誕生すれば直ちに交信しなければ即降格。これを考えたアメリカアマチュア無線連盟の先人達は実に聡明で、今後どんなに通信技術が発展しても海外通信を楽しむ全世界の仲間を永遠に楽しませてくれるから面白くて止められない。

DXCC追加申請完了

2016年11月08日 | アマチュア無線
 
10月21日Air Mailで送付したDXCC追加申請書類一式は27日ARRLへ到着して31日に審査されて今日無事に戻った。以前は2~3ヵ月もかかったが、LoTWの普及で直接申請する数が激減したのか僅か二週間あまりの期間だった。
MIXED-359
PHONE-355
CW-352
RTTY-280
CHAL-2328
80M-190
40M-299
30M-282
20M-342
17M-310
15M-337
12M-276
10m-292
と認定されたが、昨年10月にJH1AJTさんが運用したE30FB(Eritrea)40mSSBは“No Documentation Rec”で拒否されてしまった。
AJTさんは主に後進国へ出向いてボランテア活動をされている様子で、そんな時は殆んど運用され我々には数多くの珍局を与えてくれる。しかし、この時のEritrea主管庁の運用許可証は何らかの理由で得られなかったのかは分らないが、否決された事はDXCCデスクにはまだ未提出なのだろうか。
現地人による運用は皆無なのでチャンスは何時訪れるか全く予想も付かないが、整理簿の交信完了の空白欄を眺めながらいろんな空想をしながら待つ事も楽しみなので、次の作戦を練りつつ待ちたいと思う。

10月のBand/Mode New Entity

2016年10月31日 | アマチュア無線
              
今月は多くのDXペデションがありターゲットはTL0A 80mとS9YY 12/10mのBand Newだったが、S9はもはや3ELに毛が生えた程度では全く聴こえずTL0の信号もSメーターで6~8のノイズに完全埋もれてNGだった。
サイクル24も氷河期に入り100Entity以上も残している80mがこれからの稼ぎ場所なのだが、年々増加するローカルノイズには阻まれ「早起きは三文の徳」は遠の昔話になってしまった。

芋煮会

2016年10月23日 | アマチュア無線
                
無線仲間恒例の芋煮会が安達町のOLWさん宅の裏山の鉄塔の下で行われたので参加した。
月例会(居酒屋での飲み会)の延長戦で春はOLWさんが植樹した数十本のソメイ吉野の花見をしながら焼肉パーテーが行われ、この芋煮会も体調不良で参加出来ない時もあたが、確か今回で11か12回目だと思う。
この会はリタイア直後にDHSさんに誘われて加入したが、無線に興味があれば「来る者拒まず、去る者拒まず」の出入りも自由な役員や会則も一切無い気楽な好者同士の集まりで、今回DMH.TCT.UBIさんとボケで失念してしまったK**さんとは初対面だった。
この時期芋煮会は他所でも多く行われていて、午前中だけで1人抜けて午後に2人参加の掛持ち組もあり総勢14人はDX(海外通信)に限らず国内・移動運用・V.UHF・D-STAR・衛星通信・デジタル化最新機器など、芋煮の鍋・焼肉・焼きそばを肴に日が陰るまで語り合った。
今回の芋煮の鍋は郷土料理のさといもがメーンも、AWVさんが会津三島町沼沢湖の山林から採って来た二種類の大量の舞茸と名は忘れてしまった珍種のきのこで、さといもは完全に脇役になり滅多に食べられない高級な天然のきのこ汁になった。
帰りには今年は不作だったと言う甘柿。食糧難の時代学校から帰ると直ちに友達の農家へ向かい、柿の木に登り青く未熟なと時から熟して自然落下するまで食べていた最高のおやつだった。
間違いなく同じ品種で「好きなだけ取って行って」とOLWさんの言葉に懐かしい甘柿を自らの手で5個もぎ取って帰宅した。