ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

BS7H(2)

2007年04月30日 | アマチュア無線
朝から聴こえていたがまだ14だけで当然ビックパイルアップ。今回はNewバンドだけと決めたし、外は素晴らしい快晴で農作業には最高で、明日から二日間は雨の予報なので11時頃まで胡瓜と茄子を移植する畝を作って来た。帰ると18.145にも出て既にエリア指定になっていた。これなら楽勝?なんて考えてしまったのが罰当たりの始まりで、ヤッパリ馬力順の指定席。途中で買出しに出掛けてしまったので何度目のエリア指定か定かでないが、すっかり疲れ果てた07:50zにヤットとの事でピックアップされた。風呂に入る前何となく気になってSW ON。14.187余にも強いのでついに手を出してしまった。5分もしないで10:49zにコールバック、欲の無い時はこんな物?と感心していると3.504クラスターに載る。599+20dB何と云う強さだ!しかもOPのテクニックも抜群でこんな事初めて、相手のスピードに合せても1Callでないとタイミングが合わない。JAが大部分でやっぱりここも馬力順。たまにBY、DU、YB等も混じるが、ごくまれにPY、Wのコールバックもあって、間もなくSAからNA指定になってしまった。それにしてもあんなチッポケな岩場にどんなANTが?本職以上の“自称鳶職”のJF1ISTさんも参加していないのに、まさか船上から?何て考えながら風呂に入って、ラジオを聴きながら仮眠。やり尽くしたカスに期待してアラームで起床した。3.504弱くなったが589、さすがにパイルアップの山は小さくなっていた。コールバックのあった局に容易に合せる事が出来たので、ここからは絶対に動かいと決め付けてひたすらCall、15:29z5回目位に応答があった。タダ状況から判断して本物と願うだけなのだが・・・・それにしてもこの偽者のテクニックは、昔VK9M(Mellish Reef)二度目の時のJA1K*Oが最高と思っていたが、これ以上の技量の持ち主で馬鹿者ながら感心してしまった。

祭り

2007年04月29日 | その他
今日は町内にある地蔵様(子安延命地蔵菩薩)のお祭り、氏子になって二年目を迎えた。7時から準備開始。昨年一度経験しているから最大の労力と丸で働き蟻同然も、この歳になっても最年少の新参者とあっては当然の事。周辺を眺めても新たな氏子なんて全く期待出来ないし、上も減る一方で何時まで続くかこの祭り、何れは自然消滅なんて余計な心配までしてしまった。神官による御払いの儀式の後は、一人歩きもままならぬ老人達の宴会の場。それにしても昨年は15~6人位は居たと思ったが、今年は10人弱で何とも淋しい宴だった。自分は準備班?14時撤収時には朝の半数の8人で、しかも「アンタは若いしヤッパリ一番力がある」とオダテラレながらの作業・・・・・典型的な老人世帯の過疎の町なのだ。

BS7H

2007年04月27日 | アマチュア無線
             
スカボロリーフ史上4回目のDXぺデション、中国人主体の国際チームが29日朝現場着予定との情報が入った。ここは南シナ海にありる小さな岩が海面からわずかに出た岩礁の中国領だが、フィリピンから300Kmに位置していることからか、両国の漁師が漁をめぐりイザコザが絶えないとかでフィリピン海軍の監視下にあり、また気象条件によっては岩に登る事も出来ないので、中止も十分考えられる難易度超一級のエンティティー。94年の一回目は多分こんな状況からか、船上からの運用と判断されてDXCCは無効となった。何しろ要求度の高いところなので、今回は80・30・17・12・10m以外は遠慮する考えだ。
   
           第2回目 1995年
          15.Apr.95→14CW
                    
                           第3回目 1997年
                          02.May.97→7SSB 
                          30.Apr.97→14CW
                          01.May.97→14SSB
                          01.May.97→21SSB

練じゅうねん

2007年04月26日 | 福島のうまいもの
“じゅうねん”は胡麻に似た香りの良いシソ科の植物で“荏胡麻”が正式な学名。
桧枝岐の“はっとう”田島町の針生や下郷町の“しんごろう”でも知られ、また近年ではこれを飼料にしたJA福島ブランドの“エゴマ豚”などがあり、30年ほど前に“はっとう”を食べてあまりの美味しさにそれ以来じゅうねん料理は大好物になってしまった。
荏胡麻の詳細は
http://www1.ocn.ne.jp/~amiyacon/yasai/yasai_egoma.htm

                   
                      滝根町謹製(甘口)
古くは南会津地方で栽培されてきたが、近年滝根町などでも栽培されるようになりこの“錬じゅうねん”も滝根町JA婦人部で商品化されて阿武隈鍾乳洞の売店で販売されていたが、10年ほど前から健康食品“エゴマ油”の超高級油もこの滝根町で開発され、今では福島西口にあるコラッセ福島にある福島県観光物産館でも“練じゅうねん”と共に販売されている。“エゴマ油”は地元生産者は天ぷらや野菜炒めなどごく自然に食べているが、香水ほどの値段で超高級品で平民の年金生活者には夢の食品?

             
             練じゅうねん(甘口)で加工した好物のじゅうねん餅
庶民が手の届く“練じゅうねん”原材料は荏胡麻・味噌・みりん・砂糖・醤油と記されている。同種の“じゅうねん味噌”が二本松、下郷、只見などの醸造所でも製造販売されて地元のお土産店や物産店でも入手出来るが、自分は元祖“練じゅうねん”一編党で辛口と甘口があり、加工のし易さから甘口を常用している。甘口と云ってもかなり塩辛いので、餅の場合は砂糖を同量以上(好みの量)と水を加えて火にかけ再加工しているが、他の和え物などの場合はそのままでも利用出来る。胡麻とは全く異なった素朴な味が魅力!

幌加内産

2007年04月25日 | 手打ち蕎麦打ち
    切りかけの二八、太目が好きだが太さはマバラで今もってど素人の域を脱しない
今月は研修旅行があったので4月は一回だけの研究会になり17時から吉井田学習センターの調理室で行われた。ここは調理台が他の学習センターより若干使い難い面もあるが、何よりも他には無い倉庫があり持ち歩いていた打ち板やまな板等の大物器具が保管出来るので、ここ数ヶ月来すっかりここに定着してしまった。
17時からの時は皆んな結構腹を空かしてしまうので、何時頃からか女性陣がおやつ担当になり“そばクレープ”を作り空腹を満たしてからスタートしていたが“お好み焼き”“たこ焼き”“ラーメン”に発展、今日は“焼きそば”と今正に旬の味“うこぎのおにぎり”の差し入れもあった。“うこぎご飯”は大好物で、我が家では炊き込みご飯だがこのおにぎりは“混ぜご飯”、炊き上がりと同期してうこぎを塩茹でして混ぜ合わせるそうで、炊き込みご飯とはまた異なる新鮮な美味しさだった。
今日のテーマの粉は北海道幌加内産。そばは一般に寒暖差があり霧が発生して湿度の低い地域の物が美味しいと言われているが、ここ幌加内は日中30度を越える夏の日も夜間は10度前後まで気温が下がり、朝もやの発生も多く一年を通して湿度も低くそば作りには最適の地域で160軒の農家で栽培、良質のそば生産量日本一とWebで紹介されている。ここから取り寄せた玄そばをSさんが製粉した粉である。これだけの産地だから玄そばの貯蔵も万全な筈、この時期からそばが一番不味くなる時期に入るので、まだ素人の身分からしてもこの粉の選択は的を得ていると思う。研究会の暗黙の約束で原則として“10割そば”を打つ事になっているが、最近、特に水曜日は17時からなので家に帰っても夕食が済んでいて翌日に食べるので、10割は何と言っても打ちたてにかぎるので自分は最近“二八”か“十一(そば粉10対小麦粉1)”で打っている。

花見

2007年04月22日 | アマチュア無線
   
     17~8cmの太さに生育した見事な若木
                      
                               素晴らしい仲間
紹介したいが私的なブログ、あえてこんなサイズで公式サイトは
http://dx-gang.hp.infoseek.co.jp/   
無線仲間(海外通信)恒例のお花見会、今年も再び安達町のJM7OLWさんの裏山で行った。昨年より一週間遅れが幸いして、OLWさんが植樹した満開のソメイヨシノに囲まれた35mHアンテナタワーの下で焼肉パーテー。昨夜の天気予報では雨模様も心配されていたが、曇天下での無線談義の5時間はアッと云う間に過ぎ去ってしまった。そんな合い間にHさんと席を外してタラの芽採り、ようやく芽が出始めたばかりで物にならず断念。孟宗竹林に入って筍狩りに変更したが、これも時期早々でHさんが何とか1本収穫、丸で松茸狩り並?だった。OLWさんのご配慮でこの後も“筍狩り”“栗拾い”と毎年裏山を開放してくれる。自分は何時も童心に返って命の洗濯、道楽(無線)の賜物に感謝感激!

近着のQSL

2007年04月21日 | アマチュア無線
IBRS(国際郵便料金受取人払)で送付したものがしばらくぶりに届いた。
VU7もすっかり雑魚になってしまいマネージャーのW3HNKはOPが違っても同一Band/ModeのQSLは無駄と判断したのか、PAI/SPQの分は完全無視、省略されてしまった。他のQSLも雑魚だが80mではNewの貴重品。
 ☆3B9/G3TXF(Rodrigues)→30mCW
 ☆HA8RM(Hungary)→80mCW
 ☆KH6/AA4V(Hawaii)→80mCW
 ☆KH8Q(American Samoa)→80/30/17mCW
 ☆KP2ZZ(Virgin Is)→80mCW
 ☆SV5/DJ7RJ(Dodecanese)→80mCW
 ☆VR2PX(Hong Kong)→80mCW     
 ☆VU7LD(Lakshadweep)→17/15/12mCW,20/17mSSB

油揚げ

2007年04月20日 | 福島のうまいもの
“うまいもの”人それぞれ好みと味覚も異なり、他人が「これは美味い!」と言っても期待はずれだったなんて云う事も偶にはあって、本当に“うまいもの”に巡り合わせるのはなかなか大変な事だ。全く個人的な「美味い!」と感じた自分好みの“福島のうまいもの”ガイドブックより少しはマシ?自分好みの逸品を少しずつ紹介する。
             
                   料理教室御用達の油揚げ
昔ながらの手作りで大きさ・厚さもまばらだが、1/2にすると“いなり寿司”に最適で身がしっかり引き締まって開くのが大変だが、旨さが凝縮、素材が本物の証拠だ。少し遅れたが二番目の孫のささやかな入園祝いに料理教室の自宅実習を兼ねて“太巻き”と“いなり寿司”を作った。婆さんが「昔の味だ!」と絶句「美味い!これが本当の“おいなりさん”?」娘、孫まで喜んで完食した。添加物の付加も無いそうで、これより何倍もする金山町の物より格段に旨いし、因みに値段も格安の5枚で210円は本物だ。
             
               清水台4丁目の裏街にある小松屋豆腐店
郡山駅前からさくら通りを進み国道4号線交差点をそのまま通過、一番目の信号機を右折して約150m先の左側にある。店に入るとガランとした空間の隅に豆腐が入った小さな保冷庫、一瞬これが豆腐屋?と途惑ってしまったが、部屋のガラス戸が閉った奥にはコジンマリした道具が見えて、こんな様相からも昔ながらの豆腐屋であることが容易に想像できた。「料理教室で使って、昔の味がしてとても旨かった」と告げたら大変喜んでいたが、初めて訪ねた店だ。いろいろ聞いてみたい事もあったが、取りあえず遠慮が寛容少し通ってからの楽しみにした。

料理教室24回目

2007年04月19日 | 男の料理
今日は大失態。試食前に調理した料理を撮ろうと電源を入れたら「メモリーカードがありません」と警告が出てしまった。PCに取り込んだ後常に励行していた“取り込んだら直ぐ戻す”をついうっかり失念してしまったのだ。それにしても今日は失敗の連続で、朝犬の散歩に出た時は雨も殆んど止み、これなら通常通り駅まで自転車でとノンビリ構えていたら急に降出して、時計を見ると歩きではもう間に合わない、傘をさして半分以上は走ってしまった。普通に歩いて27分を8分短縮して何とか間に合ったが、日頃の運動不足が祟ってすっかり疲労こんぱい。
と云う訳で本日の証拠物件は無く、季節柄“赤飯”と旬の筍を使って“筍と豚肉の煮物”“姫皮の吸物”“姫皮の和えもの”4品習った。誰かが「赤飯は電気釜でも作れるネ?」と言ったら、それは「小豆ご飯だ!」と先生が・・・・・蒸し器(家庭の蒸し器での工夫も伝授)で本格的な赤飯の作り方を重点的に習った。
現物の料理の画像が無いので、郡山のタウン誌、毎週金曜日発行の“Newボイス朝日”に先生が毎回レギュラーで『食』について諸々執筆されているので、苦肉の策でその紙面の一部を流用した。
今回発行のこの4月20日号に偶然と云うか【先日NHKーTVで50年前の「今日の料理」の特集が放送され、放送の中の一部に、故小野正吉氏(ホテルオークラ取締役総料理長)がコンソメを引くところがあった。そばにいた若いアナウンサーが「これなら家庭でも直ぐ作れますね」と言った途端「そんなに簡単に出来るものではないですよ、それなりの経験と腕がないと・・・・」と。この番組を見ていた人はどう感じとっただろう。小野氏ばかりでなく50年前の料理番組に出演されている方は、それぞれ料理つくりに対しての哲学をお持ちの上、丁寧にわかりやすく教えておられる。・・・・・・・】と続くが、更に【料理番組には私も50年前から手伝いをし(師匠について行き)、その後は出演もしている。初期は生放送だったのでそれなりに大変だったし・・・・・】と続き、今(コンニチ)の料理番組の一部内容には疑問を持たれる事もある。・・・・等と述べられている。
以前、先生が「私の師匠は田村魚菜だ」と話された事があったので、若しかして自分は“昔既に先生とお逢いしていたのかも知れない?”とずっと思い続けていたが、しかしこの教室は習う所、名前・前歴も一切関係ない場所なのでここを去る時には確認しようと考えていたが、思いも依らず今日このタウン誌で大筋が確認出来てしまった様な気がする。と云うのも、当時自分は入局2年目でTVのVE(ビデオエンジニアー)として先輩に付きマンツーマンで徒弟制度の基で修行中。週一回の料理番組も担当して、副調整室の仕事が主で他のスタッフに比べると出演者との触合いは少ないものの、スタジオに入ってからの打ち合わせには必ず同席するので、出演者の先生に限らず助手の方達とも自然に顔見知りになり、先輩から「魚菜はうるさいからから気をつけろ」と厳しく忠告されていたので特に印象深かった。何よりも人との偶然の出会いが、そして先生とも昔から深い縁があったのではなかったかと、ただ驚くばかりなのだ。

ヘットフォーン

2007年04月15日 | アマチュア無線
                      MDR-Z150
昔から99%ヘットフォーンで運用しているから各種いろいろ使ってきた。通信機専用のヘットフォーンも3種類ほど使ってみたが、ある時普通のヘットフォーンを使っていた時と比べて何となく疲労感が多い事に気がついた。音屋でないから解明は出来ないがただ漠然と、通信機用は明瞭度のみが重要視されて高域の3KHz付近にピークを作りしかも狭帯域特性で製作されているから、確かに普通の物とは一味も二味も異なり快適に感じるのだが、しかしこれが自分の耳には適合しても脳神経にはストレスを感じさせるのではないかと思った。
そんな訳でそれ以降はスタジオ用標準ヘットフォーンSONY MDR-Z800も薦められたが、これは筐体が巨大で長時間の装着には適さず、屋外ビデオ取材の補助用(音声専門以外の人間が音声収録を担当する時の選択肢として導入)のMDR-Z400を使ってきた。これは小型軽量で装着感も快適で、ヘットフォーンではこれ以外の使用は考えられなくなっていたが、長期間の使用でヘットパットが劣化破損、更新する事にした。SONYのHPで検索したが、名器と言われていても20年も前の製品なので現在はモデルチェンジされ、MDR-Zシーリーズは存在してもZ400に該当する製品は無かった。幸いZ300とZ150の筐体は酷似していたが、視覚もユーザーの精神的な重要なポイントなので、Z300は残念ながら銀色の筐体で装着感はZ400に似ても失格、やむなく特性と装着感は劣るものの筐体色が同じ黒のZ150で我慢することにした。
安物のヘットフォーンなのに市内の量販店には何処にも無く、先日郡山の料理教室の帰りにヨドバシカメラに立ち寄ったら置いてあったので買ってきた。Z400はJapan製だったがこれはChina、Z800の継承機MDR-CD900STは?プロ愛用製品なので是非日本製品であって欲しいと思う。