ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

とうもろこし初収穫

2008年07月30日 | 素人百姓
   
                   
サカタのタネが開発した“ウッディーコーン”今年で5年目の作付けになり、もう新品種ではなくなったが何故か市場にはまだ流通していない様だ。サカタのタネのカタログで見て、白や紫の斑点が子供の頃食べた“餅とうもろこし”にも似て懐かしさのあまり興味本位で作ったら、これまでに味わった事のない甘さと風味にモッチリとした食感は自分だけでなく、口にしたほぼ全員が「美味い!」と支持してくれた。今年も時期を三回にずらして、今太陽の出る前に一回目の収穫をした。
            
左「アイコ」右「スーパーフルーツ」露地栽培で素人が栽培出来るミニトマト、種類も他の野菜に類をみない程雑多で何種類あるのか、そしてその正体もさっぱり解らず毎年困ってしまう。今年も7~8種類も陳列されていたので迷ってしまったのでスーパーフルーツと表示した物、これなら名前からして間違いないと信じて選び、またアイコはトマトの苗の前で立ち話をしていた専業らしい老農夫に「これは昨年からスーパーに出始めた新品種だ、ウント旨いガラツグッテミナ」と薦められた物で、二本ずつ植えて毎日少しずつ採れる様になってきた。今までのミニトマトは酸っぱいと云うイメージだったが、スーパーフルーツは大粒で甘く酸味が少ないやや硬めの果肉で、アイコも酸味はほとんど無く甘くてしっかりした噛みごたえのある果肉だ。何れも大粒のトマトには無かった新しい食感で、トマト嫌いな子供もこれなら大丈夫ではないだろうか。

秋田の粉

2008年07月26日 | 手打ち蕎麦打ち
            
気温30度前後と思われここ数日間と比べ過ごし易い感じもするが、少し動くとどっと汗が吹き出てしまう。こんな気候のせいか今回の出席者は9人と最近にない少数の静かなそば打ちになった。
            
秋田の無線友達Eさんが皆瀬村小安のそば屋で譲ってもらったと送ってくれた。皆瀬村も昔仕事や遊びで何度か訪ねた懐かしいところで、何となく奥会津の南郷や只見にも似て、そば栽培にも適した風土なのだろう。白い粉で握り反してみると砂の様にサラッと崩れ、どうやら限りなく“更科”に近い粉だった。この粉、自分の技量では“10割”はとても無理と判断“二八”にしても熱湯?水?と迷ってしまったのでSさんにお聞きした。
水で始めた。加水時そばの香りが最大に発生するがほぼゼロ、練りでは粉の粒子からするとザラッポさもなく、むしろスベスベと滑らかでモッチリ感もあり、打って楽しいそばになるかに思えた。しかし、本延しに入ると生地割れが内部にも出始めて薄く延ばす事を断念して太目のそばに仕上げた。
            
茹で時間60秒。矢張り“更科”に近いそばになり会員皆んなで試食した。秋田美人を連想させる生地の白さに満足しながらも、モッチリと硬く太さも災いして喉越しには難があり、田舎そば並みに皆んな噛んでしまった。地域に根付いたそれぞれの味手打ちそば、探求するほど奥が深くてはまってしまう。Eさんのお陰でしばらくぶりに“福井今立産”以外のそばを堪能する事が出来た。

三五八

2008年07月24日 | 福島のうまいもの
            
喜多方市のリオンドール近くにある「中の越後屋醤油店」明治15年頃創業と店主は語る。現在も昔ながらの手法で蔵の中で熟成させた味噌・醤油を販売していて、2006年6月22日にも紹介したが、醤油が専門なのに、味噌が絶品でしかも“三五八”は隠れた名品だと自分は信じている。
   
                   
こらっせふくしま(福島県物産館)がJR福島駅西口へ移転後は常時ここで買えるようになり便利になった。
自家栽培の胡瓜と下部には茄子を冷蔵庫に保管しながら漬ける。“三五八”の由来は塩三、蒸し米五、麹八配合の漬物床で、会津地方では昔から何処の家庭でも自家製で食べていたらしい。
会津坂下町出身の作曲家故猪俣公章氏がTV対談番組で“おふくろの味”として紹介していたのを視聴して初めて知った。その後福島に戻ってから、喜多方の仕事先で評判の味噌があると聞き買いに寄ったら“三五八”も旨いと薦められ、それ以来好物になってしまった。現在県物産館には他の醸造店の品も三種類あり、何れも試してみたがこれを抜き出る物は無かった。米糠床より上品な味で、表現に苦しむがとにかく美味!である。

なす&トマトのピザ風焼き

2008年07月23日 | 男の料理
            
珍種“埼玉青茄子”これもまた移植時の低温障害で生育が大幅に遅れてしまったもののようやく収穫期を迎えた。米茄子と同じサイズに育ち同様の食べ方しか知らないが、皮・果肉も大変軟らかくて原型を残す調理法は結構難しいが、口に入れるとトロリと自然に溶ける食感と風味は美味としか表現出来ない。しかし旧態依然の調理方法では孫には拒否され、栄養バランスからも何とか食べさせたいと思い、チーズが大好きなので最盛期のズッキーニを加えてピザ風に仕上げてみた。
            
青茄子、ズッキーニ共に2cm位の輪切りにして、オリーブオイルで両面を焼き、耐熱容器に並べて塩・胡椒してミートソースをかけ、更にその上からピザ用チーズを散らしてオーブンで焼いた。チーズを多めに散らしたので焼き上がりは中身が見えず、孫達はチーズとミートソースの味に騙されて完食、大人もズッキーニの歯ごたえが加わり副菜、またビールのツマミにもベストだった。
            
「未熟の物をオリーブオイルで揚げて岩塩をふりかけて食べる」産地の本場ヨーロッパではこんな食べ方もあると本で見て早速実践してみた。実際には開花した直前の物を使うと書いてあり、それでやったが大きくて天ぷら鍋では不可能で中華鍋にした。オリーブオイルでなくサラダオイルで揚げてみたが、果肉はしっかりした歯ごたえで花の部分はパリパリとして日本の天ぷらでは味わえない食感だった。花は一日で萎れてしまうので食べられるのは生産者の特権かも知れない。

5B- DXCC申請

2008年07月22日 | アマチュア無線
長い間念願だった5B-DXCC、カードDATAとRecord sheetのタイピングミスの訂正など再チェックも終了したのでゆうパック書留で発送した。専用パックの一番小さい物で若干隙間が出来たが重量2Kg、ゆうパック料金は重量に関係なく荷物の容積のみだそうだ。「書留便でなくても30万円まで保証されるので普通便でも大丈夫ですよ」と町内郵便局顔見知りの局員も親切に薦めてくれたが、金で買える物で無いので迷わず書留便にした。これを申請先の(ARRL米国アマチュア無線連盟)まで書留航空便で送付すると返送料金と合わせて¥7~8,000は覚悟しなければならないが、近年JARL(日本アマチュア無線連盟)でもフィールドチェックと云ってQSLカードの委託審査が可能になったので、JARLへ支払う手数料約¥5,000は安いとは思いないが、太平洋を往復する安心料と考えれば保険代として納得かも知れない。ARRLへ支払う申請手数料・認定書(盾)・返送料はクレジットカード支払いとした。最近値上げを発表したので¥15,000位は覚悟しなければならないが、待望の“冥土への通行手形”しかも極楽行きでも保障されれば万々歳だ。

青葉教室7回目

2008年07月19日 | 手打ち蕎麦打ち
朝から福島馬鹿盆地特有の暑さとそれに今日から三連休もあってか受講にも欠席者が多く、通常の芋洗い状態からお互いに解放されて理想的な鍛錬の場ではなかったかと思う。珍しくこの教室には30歳そこそこの男性が二人居て、あまりの上達さに脱帽してしまった“プラモデルオタク”と自ら名乗った青年は以前紹介したが、今日は別の青年を初めてお手伝いした。“二八”を打ったので、まだ日が浅い事は確かだがもうかなりの腕前で、若さ故の成せる技と感心しながら、自分の技量では幾ら助手とは云え他人に教える資格があるのかと恥ずかしくなってしまった。そして青年から「先生は何歳ですか?」と突然の質問、一瞬戸惑ってしまったが正直に「精神年齢は万年30歳だけど、68歳になったばかり」と答えた。何故歳を聞いたのか聞き返しはしなかったが、よほど爺に見えてしまったのだろうか?

水羊羹

2008年07月19日 | 福島のうまいもの
コラッセふくしまの福島県物産館で東山温泉松本家の水羊羹が、本日限り30本限定販売と数日前の新聞に掲載されていたので買いに行って来た。10時開店で10分後だったが残りは3本で危ないところだった。松本家は創業が江戸時代の文政2年羊羹一筋の老舗とか、会津や通の間では隠れた名店と評価されている。
   
                    
水羊羹も今や眼にするのは缶詰やプラスチック容器入りがごく当り前になってしまったが、ここ松本家の水羊羹は昔ながらの本来の姿そのままを維持している。水分量がやや多めでみずみずしく、少量の粒のままの小豆が上層部にさり気なく浮び、観るからに涼を誘い、口に含むとヒヤッ!と冷たくて優しい小豆の香りが口いっぱいに広がり、軟らかく崩れて自然に喉の中へ落ちて行く。甘さもごく控えめでサッパリした上品な味は絶品としか・・・・表現に困ってしまう。そしてこの水羊羹を眼にする度に、わずか40歳を目前に単身赴任先で会議中に逝ってしまった同僚Y君の「ホレ!みやげ」とテレ笑いを抑えながら差し出す姿が何故か悲しく思い出される。彼は当時放送所の保守担当で東山温泉から背炙山放送所までケーブルカーを利用していたので、いわば一帯が彼の縄張り。辛党だった彼は何度も差し入れをしていたので、この水羊羹だけは別物に違えなかった。山男の彼はその後間もなく番組制作に担務変更して一緒に仕事を始めて、彼の提案で尾瀬ヶ原から史上初のTV生中継放送を成功させた逸材の人物でもあった。

Arrived QSL

2008年07月18日 | アマチュア無線
5日の朝だった。富山の友人から突然の電話で何事かと思ったら、久々に新しい2文字局しかも超OM(Old Man=先輩)が7MHzに出ていると云う。コールサインはJA0AZ、信号は大変弱くてお互いに自己紹介を済ませて終わるのが精一杯だったが、早速OMの方から昔のカードも添えて届けてくれた。几帳面にカード発行Noまで記載されて流石に昔人と感心したが、自分が開局した当時はごく当り前でNo.8078は何とも奇遇?当時の標準的な送信管でOMも多分使用していただろうと、そして自分はスネカジリ故に使用出来なかった憧れのUY-807、しばし郷愁に耽ってしまった。
近年自然消滅(死亡)や廃局で空白になったコールサインの再割り当てが実施されているが、何故か2文字のコールサインだけは永久欠番になるらしい。2文字局に対する御上(役人)の我々に対する敬意か温情かは知るすべも無いが有難い事だ。自分の歳を考えても皆んな自分以上の人達なので今や国内2文字局は大珍局、DX(海外通信)の合い間にそんな国内局を探し求めてほぼ10年になる。開局当時から2文字局とは1359局と交信して1321枚のQSLカードを頂いていた。何れにしてもこの様な局と電波を通してお互いに昔話に耽る時は最高の至福の一時になる。

料理教室54回目

2008年07月17日 | 男の料理
            
昨年に続きカレー作りの基本を習った。前回はビーフカレーで今回はチキンカレー。ルー作りの工程に変わりはなく、スパイスの調合次第で自分好みのオリジナルが作れるので結構楽しくなってしまう。大量の玉葱を狐色に焦げ付かない様に炒める作業は一時間程を要し、何故か皆んな回避してしまうので自分が引き受けるハメになった。昨年「これを大量に作って一回分ずつ冷凍庫に保管して置くと大変重宝だ」と教わり、素人百姓で収穫したクズ玉葱で実践、今年も閑を見つけて再び作ろうと思う。前回習ったトマトソースも大変便利で、帰りに覗いたピボットに熟しきったトマトが投売りされていたので2Kg買い、帰宅後即自宅実習で基本ソースを作って冷蔵庫で保管した。基本ソースに+αして「煮込みハンバーグ」「ポテト生地トマト風味ピザ」「スパゲッティナポリタン」をこの一週間の間に作り、何れも孫達の好物で大人までもが満足した。
            
下処理を済ませ一口大に切り塩・胡椒・カレー粉をかけ焼く寸前の鶏肉。この後フライパンで焼き煮込む。鶏肉はヘルシーだと言われているが、実際には油分が大変多いそうだ。この教室ではほとんどの場合油抜き(熱湯に入れて10分ほど沸騰させた後水にとり冷ます)をして使う。これにより油分と臭みが除去され、嫌いな自分も何とか食べる事が出来た。
   
                    
「なすのしそ煮」と「ゴーヤの酢のもの」も習った。                       

プリアンプ完成

2008年07月16日 | アマチュア無線
            
8年間眠ったままの上杉研究所の「トーンコントローラー付きプリアンプ」キットもようやく稼動するチャンスが訪れた。先に完成した300Bステレオパワーアンプの後直ちに組み立てに着手したものの歳には勝てず、特に老化著しい視力低下から気力も失せて、若い頃は徹夜をしてでも一気に組み上げてしまったのに、結局ほぼ一ヶ月半もかかってしまった。
            
乱視の含んだ近視で左右のバランス差が0.8のガチャ眼、しかも歳相応にしっかりと遠視にまでなってしまった。悪い事は重なり筋肉の弛みと共に母親譲りの“逆さまつ毛”を併発して二ヶ月毎に眼科通いの昨今。ついでに老眼鏡の相談をしたら「まだまだ進行するから作っても無駄だョ」と否定され『ごく普通の眼科はメガネ屋とグルなのに』と感心しながら、新聞や本は裸眼で、PCはデスプレーの距離に合わせた専用メガネ、プリント基板はレンズ付きの“ヘルピングハンズ”なる治具で事無きを得るが、真空管の配線には散々苦労してこれが唯一の武器となった安物の虫眼鏡。“貧乏人の安物買いの銭失い”を再び演じてしまい、歪が大きく精神的な不愉快さが何とも我慢しがたい。
  
            
                     
けっきょく半田付けは裸眼で焦点の合わないまま実行、300Bアンプ同様に虫眼鏡は事前・事後の確認にしか役立たずだった。天ぷら半田等は無い心算だが、半田面の滑らかさは一様では無く「眼の見えない人ほど器用だ」と云うが・・・・・半田付け「素人では誰より上手い」と自認していた事は既に夢物語。MT管やロータリーSWの細かい部分の配線は特に苦労して、そんな事が布線の結束にモロに反映、残念だがこれが自分の今の実力、到底もう向上などは有得ない。
            
            上蓋を取り付けて完成