好天候に誘われて新緑の万世大路(国道13号)へ、先ずは水窪ダム経由で米沢笹野一刀彫の南原地区にある南原手打そば“そば処芦沢”へ向った。
ここはそば打ちを始めて間もない頃「米沢には福島市内からわざわざ食べに行く美味いそば屋がある」と無線友達のTAPさんに紹介された処。農家集落の端にあり納屋を改装した様なそば屋で、昔は若い娘も居たが今は老夫婦だけで営業していた。
南原地区は昔から蕎麦を栽培していたそうで、ここも当然自家栽培の粉を使い、以前は“二八”と“十割”のざるだけ。今は「当店ではそば粉だけを使用しています」の張り紙があり、確かにそばは短く長さもまばらで硬く腰のある“十割”だ。異常とも思える硬さは南原手打そばの秘伝?か、大石田そば同様に咬み砕いて食べる田舎そば、咬み砕けば香りが口から鼻に抜けるものだが、何故かほぼ無味。玄蕎麦の不味くなるこの時期、個人では昔ながらの貯蔵法と想像すれば無理からぬ事だろう。
そば打ちを始めてそば粉を初めて買ったのもここだったが、加水量を問うと「おらそだごどゆわっちもヤガンでやってっからわがんね、あんだ習っているようにやりな」と10年前に言われて、今まだヤカンの水目分量では打てないが、基本の加水量粉1/2±αでは自由に打てる様にはなった。10年一昔、店主は一回りも先輩かな?それにしてもお互いに老けてしまった。
サービスに出されたネギ納豆で和えた“そばがき”は珍味で脇役以上の存在だった。
帰路、万世町米沢工業高校手前にある山菜専門店(総合食料品店)“さかの”へ立寄り、自分では山菜の王様と信じて疑わない『イヌドウナ』を買い求めた。
呼び名は秋田→ボンナ、山形→ドウナ、ボーナ、会津→ドッホと所変われば丸で別物と錯覚してしまうが、山菜図鑑は『イヌドウナ』なのだ。
昨年は米沢周辺山岳地も原発事故放射能汚染が心配で訪ねなかったが、今年は店頭に見当たらなかったので、店員に尋ねるとまだ時期早々との事。『ボーナ』に対する持論山菜の王様や毎年福島から買いに来ている事を話していると、別の店員が「今朝入った予約の物二束はある」と奥の部屋から出して来て自慢気に「初物」と言って見せてくれた。そう云えば毎年中旬以降に来ていたし「これを買いたくてわざわざ来たんだけど、まだ出直しだない」と言うと「社長!」と大声で呼び出す。社長(おやじ)とは何度か話込んだ事があったし、山菜お宅?と顔を思い出してくれたのか「明日もなんぼか入っぺ、いいがらやれ」と恩情により無事確保出来た。
おひたしで食べるのが一番美味くマヨネーズと醤油が定番だが、今夜はカツオ出汁の薄醤油を作って堪能した。正真正銘山菜の初物を口にして、これで我が寿命は数年延びたと勝手に思い込んだ滅多に無い長寿食、一時の幸せだった。