ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

4月のBand/Mode New Entity

2016年04月30日 | アマチュア無線
             
3月下旬から今月上旬まで行われていたVK0EK(Heard Is)とFT4JA(Juan de Nova)のDXペデションは共に19年ぶりとあって需要も高く、弱小局の自分はただひたすら僅かなチャンスを求めてシャックに居座り続けて受信する事だった。
幸いにも運用期間が両局共に二週間程だったのでVK0EKは10m/RTTYとFT4JAは80mを捕り残してしまったが、空白だった30/18/12m Bandが出来たので目標は一応達成した。
HV0A(Vatican)17mRTTY Band/Mode Newも大収穫で4L9PL(Georgia)20mCWは同じコールサインで同等の喜びだった。

旧友会春の旅行

2016年04月28日 | その他
    
旧友会恒例の春の旅行が桑折町の自然と歴史を訪ねて行われたので、相変らず体調に不安があり「万が一迷惑をかけてしまう事があっては」と悩んだが、近場なので3年ぶりに参加した。
桑折町は羽州街道と奥羽街道の分岐点のあった宿場町で、半田銀山や伊達郡役所もあった歴史がたくさん残る町だ。
参加者は15名、福島駅西口へ集合して4台の車に分乗して現地へ向かったが、朝から一日中生憎の強雨で、散策が予定されていた街道分岐点は車中から見学、半田山公園も新緑の山道を往復しただけだったが、自分にとっては身体への負担も無く好都合だった。
そんな事で桑折御蔵ではお茶と団子を頂きながら、留まるところを知らない運営責任者のお話をタップリ伺い、史跡郡役所で半田銀山資料展見学後は、うぶかの郷で入浴と豪華な弁当を頂ながらのんびりと懇談した。

HV0A(Vatican)

2016年04月24日 | アマチュア無線
              
イタリアローマ市内にあるローマ法王庁直轄地にある唯一のHV0A(Vatican)はDXCCでも1 Entityとカウントされ運用される機会も少なく、自分は20/15mしかQSOしていない大珍局なのだ。
イタリアは電波伝搬的には全く問題の無い地域だが、HVはほぼ全ての局が珍局とあって大パイルアップが展開されて、近年は全くチャンスを失っていた。
暫くぶりに9日の夕方18.071MHzCWで現れたのでダメモト覚悟で90分近くも参戦したが、こんな心構えではスタートした時点で既に惨敗だった。
そして今日18.105MHzRTTYで現れたので今度は心を改めて挑戦した。
AsiaとかJAの指定があれば助かるのだが、9日同様に無指定の公平なPick UPだ。弱小局の自分のチャンスは半減どころか0%に近い。
1時間以上も経過して毎週欠かさず視聴している“笑点”も始まり「夕飯だよ!」の声もかかったが、僅かなチャンスに賭けて大喜利までの10分間延長も空振りで終った。
早食いが終ると同時に笑点も終了して再び参戦した。相変らずEu,U-Zone,JA,HLとの混戦だったが、Condxも低下して時々文字化けも出始めたので信号のピーク時に受信に入るタイミングでCallを続けていたら、09:40z JA7PL 599の文字が現れた。
17mのBand Newとなったが、2日間の参戦時間はほぼ3時間。MBDA-1430(ハムペリ)2EL相当の利得と自分の実力はこんなものなのだろう。

MARS総会にゲスト参加

2016年04月23日 | アマチュア無線
    
NFDXGの仲間JP7FSOさんの所属するMARS(日本医師アマチュア無線連盟)第40回総会福島大会がザ・セレクトン福島(旧ビューホテル)で開催されたので、手打ちそば研究会後に参加させて頂いた。
仲間と共にお手伝いを兼ねてとの事だったが、そば研月例会を優先したので総会終了後の特別講演会からになり、自分が体験して来た趣味仲間の講演会とは比較にならない高度のレベルで、流石に医学者集団と驚くばかりだった。
講演の一番目は福島医大国際医療センター教授のアメリカでも開局されていたJO7OX?Kenneth先生の「医療とアマチュア無線」。日本語も話せるらしいが全て英語で行われ、自然災害・緊急事故に於ける通信手段が閉ざされた時のアメリカのアマチュア無線の活用の実例と日本の現状を述べられた。
英語音痴の自分は概略位しか理解出来なかったが、日本の医学会はアマチュア無線の活用を最重視して緊急医療機関病院にはアマチュア無線局開設が緊急課題と云う事ではなかったのかなと思う。
次に「福島レポート・現場救急医の視点から」福島医大放射線災害医療学講座教授長谷川先生の福島原発事故後の治療に従事した諸問題や現状と今後について講演されて、孫達が直面している甲状腺癌や30数年後の健康状態など自分が心配していた事も気にせず、何時閻魔様のお招きがあっても安心して応じられると確信した。
懇親会でも仲間のJA7PEMさんがJA福島(農協)が実施している原発事故後の“食の安全”の講演を行い、その後ミニコンサートやフラダンスショーなども盛大に行われた。
何時もより1時間程遅く床に入ったが興奮してしまったのか30分過ぎても眠れず、若い頃の秘策を思い出してシャック(無線部屋)へ入った。
こんな時間ろくな所は聞えないと思いながらダイヤルを廻していると14.010MHzで4L9PL(Georgia)が誰も応答しない様子でCQを連発していた。
ただの4Lなら雑魚だが、同じPL局とのQSOもDXCCと共に生涯のテーマなので自分には大珍局、興奮が更に増して手の震えを抑えながら何とか23:43Jに無事Keyingを終えた。
この局のQSLが届けば37枚のPLが揃う。FSOさんご配慮のお陰でこんな日は滅多に無い素晴しい一日が終了した。

研究会

2016年04月23日 | 手打ち蕎麦打ち
             
会津地方の桜も満開の様子で好天にも恵まれて行楽に出掛けてしまったのか、久々にスペースも十分に確保された所での余裕のあるそば打ちになった。
今日の粉は福井県の名産地今立の物。近年は製粉屋が素人にも打ち易く製粉しているので、初心者もほとんど失敗も無く打っていたが、日頃から加水量の多いTさんは“四つ出し”で極端に薄い部分を出してしまい“延し”では修正不能な穴を開けてしまったので、助言を与えて生地をまとめて練り直しから再スタートした。前会長が自家製粉していた頃には玄蕎麦の産地や挽き方により難しい粉が偶にあり、自分も何度か練り直しの経験があり勉強になったのでWさんに相談とも思ったが、致命的な失敗救済方法の一例として独断で指示した。参考になったと思った。

修学旅行

2016年04月17日 | 撮影編集孫専科
   
13日から二泊三日の修学旅行で京都・大阪へ行って来たと、昨日愛実が京都のお土産を持って来た。
特に珍しくも無いバームクーヘンだったが、原発事故自主避難先の宇治市で三年間過していた時にも食べたと云う愛実厳選の宇治抹茶のバームクーヘンだそうだ。
今回訪れた京都や奈良の名所も、三年間の間に休日の多くはボランテアの方々に引率されて行っていた所ばかりで、ボランテアの小母さんや大学生の顔も浮かびとても懐かしかったそうだ。
今の修学旅行は生徒達の自主性が尊重された実行委員会が組織され、行き先スケジュールは旅行会社と三者で決定されるそうで、愛実は京都在住の体験から委員長に推薦されて大役を果たした様だ。
里菜も二年後に若し京都へ行くとしたら同じ思いを、何れにしても自主避難は辛い事ではあったが、それぞれが貴重な体験をしたと思う。

神器

2016年04月14日 | アマチュア無線
             
QSL入手の神器1$紙幣、近年はOQRS(PayPal)の普及であまり必要もなくなったが、VP8STIではPayPalでエラーが表示され何度繰り返してもダメなので、同じ利用者のローカル局に訊ねたところ「ある期間利用しないとゲートがかかり、電話をして解除してもらった」と聞き自分も解除してもらった。
停止していたVP8STIへのデータも送信したと回答を得て次のVP8SGIへは問題無く送信出来たが、3XY1Tは再びエラーが表示されてしまった。
電話で解決する手順も結構面倒なので、とりあえず神器で解決しようと暫くぶりに東邦銀行本店で100$手数料込み11,167円で両替して来た。

VK0EK,FT4JA終了

2016年04月11日 | アマチュア無線
   
FT4JAはあと一日の予定だと思ったが、今朝の9時共に終了した。
VK0EKは10m,RTTY、FT4JAは80mを残してしまったが、運用期間が長かったので、弱小局の自分にもサンデー毎日の特権を最大限に活用して何とか満足出来る結果は得られたかなと思う。
しかし、我がアンテナはVK0EKの10mはほぼ受信不能で、またFT4JAの17mはパイルアップ参戦時間が最も長く、昨夜のラストチャンスに何とか捕獲したお粗末な実力だった。
共に次回の運用はこれまでの実績からしても10数年先と推察されるので、捕り逃した分は何とか閻魔様のご加護を得て極楽から楽しみたいものだ。

花見会

2016年04月10日 | 手打ち蕎麦打ち
             
福島手打ちそば研究会の花見会が、故Sさんご子息の店“酒房香り家”http://soba-kaoriya.com/soba.htmlで18時から開催された。
参加者は24人、秋のあずまの郷そば打ち奉仕や吉井田学習センター学習発表会以来の参加者も数人あって、何時もの事ながら自分の周辺でも蕎麦談義で始った。
昨日打った会津の寒晒し蕎麦「夜茹でた時は何事も無かったのに、今日の昼茹でたら赤味をおびた濃い黄色に変色して短く切れてしまった」とYさんが口火を切ると、Sさんも「俺も同じだった、何でだべ」と昨日打った全員が前代未聞の体験をしていた。
自分もWさんから頂いた物を昼食べたが、茹でる前はごく普通で、鍋に投入した瞬間から変色が始まり同様の現象が発生した。食感に異常は感じられなかったが、誰もが長い間打って来てこんな事は初めてで、このまま収束する事はなく原因は何れ解明されると思う。
現役は少なく大半がリタイアー組、それぞれがそば打ち以外の道楽も持ち合わせていて、今回唯一話合いに参加できなかったのは昨日から開催された福島競馬だった。
素人百姓は放射能土壌汚染で廃業してしまったが、研究会では誰かを引き止めてまで家庭菜園の事柄を熱く語っているまだ名前の存知あげない方が居て、こんな機会に素人百姓談義をゆっくりしたいと思っていたが、残念ながら不参加だった。そして研究会もここ数年の加入者にはゴルフ愛好者が多くコンペも頻繁に行われて、正に10年一昔、発足当時とはかなり変ってしまった福島手打ちそば研究会。

研究会

2016年04月09日 | 手打ち蕎麦打ち
             
今日のテーマは“寒晒し蕎麦”で会津産の粉を打った。
しかし、未だドクターストップで相変らずの見学主体の参加だが、資料によると寒晒し蕎麦の発祥地は信州高遠藩。蕎麦の劣化は激しく春先には不味くなる事から、玄蕎麦を袋に入れ寒中に冷たい清流に10日間程浸して、それを引き上げ戸外の天日と寒風に晒しながら1ヶ月程乾燥させると甘味と風味も増してもっちりとした美味いそばになり、それを将軍家へ献上していたそうだ。
そんな玄蕎麦の製粉に至る処理方法が近年全国各地に広がり、今では会津山都町や山形、宮城、栃木の各地域でも盛んに行われて祭り化までしている。
研究会でも年一回はこの寒晒し蕎麦を打つのが恒例で、正直のところ何度試食しても特別美味いと感じた事はなく並のそばなのだ。
個人的な見解では、今や大きな産地や製粉会社は倉庫が巨大冷蔵庫化して、厳重に品質管理された物が通年出荷されているので何の問題も無く、昔ながらの方法で貯蔵しる所では、寒晒し蕎麦の手法で劣化した物を少し元に戻しただけで、決して旨くなったのではなく、たぶんに話題性や雰囲気作りではないかと思う。