ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

4月のBand New Entity

2010年04月30日 | アマチュア無線
            
コンデションは先月とは裏腹に再び逆戻りほとんど開店休業状態だった。そんな中で24日の夕刻からハイバンドが突然オープンして、インド洋から西アフリカ方面のJA'sのパイルアップ久々に賑った。しかし西高東低のスポット的なオープンで自分はZ21BBだけ、翌日以降も期待したが、回復の兆しは無かった。
今月のBand/Mode New Entity
 ☆HC8GR(Galapagos Is)→17mCW
 ☆FW5X(Wallis Is)→30mCW
 ☆YI9PSE(Iraq)→30mCW/17mRTTY
 ☆Z21BB(Zimbabwe)→15mCW/10mCW
 ☆V85/JJ8DEN(Brunei)→17mRTTY
                       

祭り

2010年04月29日 | その他
            
子安地蔵の祭礼がまたやって来た。間もなく70才を迎えるこの歳でも下から二番目の若輩者。最長老から何故か自分が走り役(パシリ)を命ぜられて二年目、雑務と神官の送迎もすっかり定着した。お祓いを受けて玉ぐし法典の一番目は何故か長老ではなく毎年この地主と云われる隣町内のM夫婦。地蔵堂の隣は地主の古い先祖の墓地らしく、風化した8個ほどの墓石は年中雑草に埋もれている。宴の席でも地主夫婦は上座に座り、若しかしてこの地蔵堂も地主の所有物?我が町民との関わりが何とも疑問なのだが、若輩者にはまだ問える力量は無い。
   
                  
老人達のささやかな祭の恩恵を受けて町内の子供達に配布される菓子袋、町外に住み無資格の孫達も爺の関りでもらう事が出来て大喜び。

花見

2010年04月25日 | アマチュア無線
   
                   
朝から雲一つ無いこの春一番の好天に恵まれて、安達町のJM7OLWさん宅の裏山で無線仲間恒例の花見の宴に、手打そば郡山青葉教室より優先して参加した。JR安達駅で下車、ベーシアで焼肉の材料や酒類と各自好みの食料を調達してOLWさんの車に積み込み、田園風景を眺めながら会話もはずみ約2Kmの道程も僅かな時間に感じて到着した。サンスポットがゼロなのに昨夕の12m/10mのインド洋から西アフリカ方面の異常なオープンが一番先に話題になり、自分はZ21しか出来なかったのに4S7,ZS,V51,3B8やロングパスのCXなど設備の貧弱さを思い知らされながら、アンテナのグレードアップ作戦など様々な話題には、今や自分には何一つ実現不可能な夢物語で聞き役にしかなれなかった。
            
午後になって今回もJI7TITさんは中国製HC-1AのQRP機に釣り竿利用の5mロングワイヤーで40mCWで運用開始。こんな弁当箱の中身はハイテク回路の集積でアナログ人間の自分は感嘆するばかり、アッと云うまにJA2,3方面3局とQSOしてしまった。
   
                   
昨年花見の時OLWさんの親父さんが孟宗竹林の一部を残し伐採作業をしていたので、毎年5月に楽しませてもらった“たけのこ刈”はもう出来ないと思っていたが、突然たけのこを手にかざしてDHSさんの感嘆の声!何時の間にかAWQさんと二人で専用鍬とスコップ片手に“たけのこ刈”に興じていたのだ。すっかり遅れをとってしまったが自分も即参加した。気温は例年より低いのに何故か早く出始めたらしいが、親竹を亡くした根の物で、これまでに比べると小ぶりの物ばかりだった。自分が収穫した全量、残された竹林はさすがに時季早々だった。

キャベツ移植

2010年04月24日 | 素人百姓
   
                    
二日間も雨降りでしかも2月下旬の気温だそうだ。やっと咲き始めた花々も例年の倍もかかって満開かと思ったらこんな状態で小休止。長く楽しめるのは歓迎だが、素人百姓春作業の足止めには困ってしまう。
            
やっと雨が上がり先日移植した春キャベツ苗の不足分を補充した。24株分の畝を作ってしまったので2種類植えて収穫期をずらそうかと思ったが、この場所にとうもろこしの2番目の種を蒔くので、定植後63日で収穫出来ると表示してあったグリーンボールと云う極早生種を移植した。種苗店には例年通り苗物がたくさん並べられて、自分と同じ素人百姓達がトマトやなすきゅうりの苗を漁っていたが、こんな不順な天候では連休明けでも危ないのではないだろうか。自分は何度も失敗していたので話してやろうかなと思ったが、営業妨害になるので止めてしまった。

Arrived QSL

2010年04月22日 | アマチュア無線
何時雪に変っても不思議でない冷たい大粒の雨が一日中降り続いている。三春の滝桜や郡山の満開の桜に積もった雪景色をTV各局はニュースのトップで放映していた。こんな悪天候の中でも郵便配達は休む事無く、夕方お宝のQSLが配達された。
J28AA(Djibouti)は3月に40mCW/30mCWでQSOしたもので、J28は国籍を表しAAはその国が許可した一番目の局と国際電気通信連合条約では規定され、ABは二番目ACが三番目でZZまで、次にAAAからスタートしてZZZの規定を大部分の国は順守している。自分は開局当事からこのAA局とPLの自分と同じ符号を持つ局と数多くQSOする事も永遠のテーマとしている。従って、これらの物を手にした時は最高の喜びで、下戸の自分も祝盃を挙げてしまう。

旧友会花見

2010年04月21日 | その他
   
                   
昔の職場の仲間と共に阿武隈急行に乗って沿線の花見と阿武隈川舟下りを楽しんで来た。福島から宮城県槻木まで阿武隈河岸を走る第三セクターのローカル線、東北本線建設予定時にはこのルートであったらしいが沿線養蚕農家の反対で実現せず、その後時代は変り地域住民長年の念願が実現して昭和63年に開通した。この電車に乗ったのは初めてで、この車窓から眺めるのどかな風景と満開の桜や咲き始めた桃の花に期待していたが、旧友達と新年会に逢ったばかりなのに、丸森までの50分間もお互いに会話がはずみ、残念ながら往復の風景は浮かんで来ない。
   
                  
日替わりで急変する天候も、今日は薄曇で時折強い風もまずまずの行楽日和。この阿武隈ライン舟下りも行楽では初めて楽しんだ。何年前か失念したが、昼のニュース後番組「昼どき日本列島」で阿武隈川源流の甲子温泉をスタートして河口までキャラバン、ここは最終日の前日の中継場所だった。自分はこの舟から移動撮影の中継車間との映像の送受信を担当した。この頃移動撮影の生中継機材は東京にしか無く、機材も大きくしかもリソースは年中満杯でローカル局で借用出来るのはごく稀でしかなかった。こんな時の為に2年がかりで少ない自局開発費を獲得して、他の技術屋から見れば余にも幼稚な機器だったが、全て自分で作り何度もこんな番組で結構便利に使った。秋田を除き管内各局でも使ってくれたが、アナログ機器でもあり、退職した2000年はデジタル化元年で職場を去る時も機材棚には保管されていたが、アナログ人間の終焉と共に廃棄された様だ。こんな思い出の舟に再び乗れて幸せだった。
    
                   
丸森町の蔵の郷土館斎理屋敷も見学して来た。自分達が団体と察した案内人が即駆けつけ案内してくれた。ここは江戸後期から昭和初期に阿武隈川の舟運をきっかけに、七代にわたり栄えた斉藤家、豪商の2000坪の屋敷。10の蔵と2軒の大邸宅、収蔵品の全てを町が寄付を受けて開放したそうだ。七代目が81歳の時に仙台から車で町を訪れ、役場の職員を連れ邸宅の前で車を降りずに全てを寄付すると言い、翌年の昭和62年に亡くなり直系の血筋は絶えた。初代は呉服屋から始まり味噌・醤油醸造販売、米、生糸・繭の取引、金融業、質屋、建設業、発電所を作り電気の販売までと正に現代の総合商社であったらしい。邸内はきれいに清掃も行き届きこれだけ管理するのも大変だと思いながら、これまで観てきたこの様な施設では一番良かったし、休憩した喫茶室のコーヒーも出されて来た時は器の壁が見えた薄さで「これは不味い物を頼んでしまった!」と、しかし口にすると今までに味わった事の無い格別の美味しさだった。

隣家の小火

2010年04月20日 | その他
   
                    
16時半突然四方八方から激しく鳴り響く複数のサイレンの音が近ずき我が家の前でストップした。何事かと飛び出しすと、隣家のレオパレスの前に先着した消防車がレオパレスに向ってホースを伸ばし始めた。火が見えないので悪戯かなと思ったが、消防士がドアを開けた瞬間一瞬にして黒煙と共に強烈な異臭が周辺一帯に立ち込めた。開放と同時に火が出なかったのが不思議だったが、通報者は本人で早朝勤務から帰ったら小火になっていたので電話をしたそうだ。原因はタバコの不始末で、まだ布団に止まっていたので小火で済んだが、半日以上も火がついたまま、帰りがもう少し遅かったらどうなっていたか、我が家の木造物置小屋が火元の部屋から10m位で危なかった。
消防車6~7台に消防関係車両、救急車、警察パトカーは周辺の道路を塞ぎ、野次馬も溢れるほど集まった。救急車から背中に箱の様な物を背負って防護服を着た人が降りて現場へ走る。自分の前を通過する時自分に挨拶をした。目線が合う、無線仲間のIさん(福島消防署救急救命士の第二号)だった。レオパレスの住人出入りも激しく中にはマトモでない人物もチラホラ、我が家の環境は最悪、現役時代であったら移転?なんて考えられたが、今となっては逃げ出す事も出来ない。

Arrived QSL

2010年04月19日 | アマチュア無線
Band NewのQSLが届いた。VK9Xは何故か相性が悪く2005年のVK9XG/CGと昨年のVK9XXもナシノツブテ。
 ☆P40YL(Aruba)→20mRTTY
 ☆VK9X/G6AY(Christmas Is)→12mCW
 ☆VP2MPL(Montserrat)→17mCW
 ☆ZF2AH(Cayman Is)→12mCW
            
中には切手コレクターも居るので、国によっては危ないと云う話も聞かれるが、回収率を上げたい一心で偶には記念切手を貼って投函する。これは自分も切手コレクターと思われた返礼の様だ。コレクターではないし集めようとも思わないので昔から友人を通じてユニセフに寄付、後進国の子供達の予防注射代になるそうだ。現在の状況は分らないが、こんな物でも少しでも役に立てばと未だに継続している。

そば研花見

2010年04月18日 | 手打ち蕎麦打ち
   
                    
福島手打ちそば研究会の花見が文化通りにあるそば酒房“香り屋”で行われた。ここは研究会創立者の故瀬戸さんの息子の店で、イタリアンをメインに旬の食材を使った創作料理を看板にしている。そばも取り入れて、そば粉のピッツアー(今回は節柄桜海老)も絶品で、これを目当てに来るお客も多いそうだ。〆には必ず福井今立産や北海道幌加内産の玄そばを石臼で自家製粉した“二八”と“十割”そばの二品もお代わり自由で堪能出来る。
参加者は顧問の吉成.境田両先生と会員20名ほど。初めのうちは昨日打った“桜切り”など真面目なそば談義も、リタイアー組三人も寄れば自然に我が身の医者、お墓、寺、戒名にまで及び、自分も何時お迎えがあっても不思議ではなく、これからは付録の人生と考えれば気楽に過せるかも・・・・“そば焼酎”下戸の自分が、今夜は一番美味しかった。 


桜切り

2010年04月17日 | 手打ち蕎麦打ち
            
新聞を取りに出ると昨夜からの雨は大粒の雪に変っていた。桜満開の時にこんな雪降りは自分でもほとんど記憶に無かったが、福島では14年ぶりの大雪とTVニュースでは伝えていた。こんな光景を朝一番に眼にして“名残雪”イルカの歌詞が思い浮かんで来た。青春時代の切ない思い出も・・・・あまりにも風情を無くした季節外れの名残雪は大雪だった。
   
                    
午後は研究会。雪も昼前には止み、出席予定者は全員支障なく参加した様だ。自分は過日秋田の井川さんが届けてくれた玄そばを製粉した最後の粉で“二八”を1.25Kg10人前打った。加水量は前回53%位でも硬めだったので55%にした。しかし湿度が思いのほか高く、柔らか過ぎて朝霧(つなぎ粉)片手大握りを追加したので“三七”そばになってしまった。
本田さんは桜満開の今タイミング良く“桜切り”500gを打った。これは“更科”(実の中心部の純白の粉で無味喉越しを味わうそば)に和菓子の桜餅の桜葉を擂りつぶして絞り汁を加えると書物には記載されているが、研究会では桜エッセンスと桜葉パウダーを使い施行錯誤中だ。今回本田さんはパウダーだけで面倒だからと1袋5g全量を加えた。食紅もごく少量加えて若干黒ずんだ薄紅色に仕上がったが、香りはこれまで打ってきた物では最高で、やや黒ずみを我慢の限界とすれば個人的にはこれで完成だ。「変りそばは薄めの出汁で食する」が基本。しかしこれはそのままか軽く塩をまぶして、自分で打った時に試そう。