ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

6月のBand/Mode New Entity

2012年06月30日 | アマチュア無線
            
自分の胸をときめかすDXペデションも先月の6O0CWで一段落。10mを捕り逃して気を落としていたところに、予想もしなかった6O3Aが後を追う様にQRVを開始して、幸運にも2日11:14zに10mCWをGetした。そして1時間後にはD3AAまでタナボタのBand New。8J1RL南極、決して難しいところではないが、RTTYの信号は初めて受信してMode Newになった。
最近の異常な太陽活動から地球は17世紀以来の氷河期に入ったと解説する学者のTVを視聴して、電波伝搬も無縁では無く、最近の状況からしても十分に納得しながら、今月の成果は上出来だった。
今月のBand/Mode New Entity
 ☆6O3A(Somalia)-10mCW
 ☆D3AA(Angola)-10mCW
 ☆A5A(Bhutan)-30mCW
 ☆OD5NJ(Lebanon)-30mCW
 ☆JY5HX(Jordan)-30mCW

旧友会総会

2012年06月30日 | その他
  
                    
福島旧友会定例の総会が開催された。毎年場所と時間も変らず出席者もほぼ同じメンバーの23名。会員数48名の半数にも満たないが、配布された旧友会ニュースの近況報告によれば、欠席者の多くは健康を害されている様だ。出席者の中にも自分以上の病魔を抱え込んでいる先輩も居て、新年会以来半年ぶりの再会だったが、お互いに健常者?として逢えた事が嬉しかった。
総会は30分ほどで終了して懇親会場「鳥政」へ。現役時代から良く耳にしていたが、夜の街には縁遠く、今回が初めての入店でホルモン料理が専門らしいが、餃子が何と絶品だった。懇親会には局長と旧友会窓口の副局長と庶務担当副部長(保原町出身)のゲスト参加が恒例となっていたが、今回は定期異動でつい先日着任したIチーフデレクター(桑折町出身)も特別参加した。I氏は自分がリタイアーする数年前新人で着任して、局長(福島市出身)は昨年、共に出身地勤務は協会人事の原発事故への配慮ではないだろうか。家族を東京に残しての単身赴任だそうで、幼子を抱えた彼の年代では同伴が常識も、原発事故は何とも罪作りで許し難い。

Arrived QSL

2012年06月25日 | アマチュア無線
            
6O0CW(Somalia)の10m Band Newは空振りに終わりその直後に出た6O3AをGet、PayPalで請求したらわずか10日程で請求しないJ28AAまで同封されていた。
PayPalによるOn Lineシステム、大部分がいくらかのDonationを求めているものもあって、アナログ人間、始める前は大いに抵抗があったが、気持ち程のDonationなら経費はSASE(Self Addressed Stamped Emvelope)とほぼ同額、何よりも郵便事故(相手国内での紛失)の心配も無く確実に受取れるのが良かった。
YB8Y(Indonesia)は雑魚でIOTA Pedtionと全く無視していたが、以外にもDXCCの30mがチェック漏れ、最終日に慌ててQSOした拾い物だった。

DXを肴にして語る会2

2012年06月24日 | アマチュア無線
 
            
                      
二日目は恒例の講演会が8時30から「136KHzのアンテナとDX」について160mのJAを代表する世界の160mマンJA7NIさんにより講演が行われた。
160mの実績は紹介するまでも無く、136KHz初の太平洋横断やヨーロッパ(2Way QSOは残念ながらロシアまで)との新記録樹立など、超長波帯の電波伝搬、機器、運用に関る技術について、NIさん独特のユーモアを交えて興味深く解説された。また“スーパーラドアンテナ”と称して特許出願、何度出願してもその都度却下されている製品をアンテナと称して商売しているのは、同じアマチュア無線家としては許せない一心から、理論だけでなく自らの実験データーを示して本人と対決して証明した事も紹介された。
画像は実験に製作した136KHzのスーパーラドアンテナと称する紛い物と漬物樽と洗面器をボビンに利用したリッツ線使用のアマチュア無線家の発想でしか作れない力作のバリオメター。
 
            
                     
昨夜私的2次会別部屋テーマへの参加後だったのだろうか、自分が退席する直前、このファイルを手にJA7OWDさんが現れた。
札幌で開催されたミーテングでの講演資料だそうで、これはOWDさんが10mマンとして“10m Single BandでDXCC #1Honor Rollになる事”への生涯のテーマとして戦闘して来た40年間の証(QSL)と、もう一生チャンスが無いと諦めかけていたCY0(Sable Is)のCY0/VE1AWWを昨年秋偶然Getして、最高のライバルJH1AJTさんより先を越してJA初の受賞者になったドキュメントであった。
昨日は東北新幹線開通30周年記念日だった。東海道新幹線開通日にも関わり、東北新幹線の時は福島駅で一日中TV中継に従事していた。歳もとったし車の旅はチョッと無理?開通記念日も何となく因縁も感じて今回は“新幹線自由席気楽な旅”でとスタートした。
自動販売機で切符が買えない。駅員に聞くと秋田新幹線自由席は遠の以前に無くなったそうだ。緑の窓口、明日の分まで上下線ともグリーン車までも満席で、東北新幹線の自由席も満席で座れる保証は無いと言う。各駅停車なら仙台で座れるかも知れないとの薦めに従い幸運にも座れたが、盛岡秋田間は立席で。乗降口には数えると10人、自分だけ床に腰を落とす事も出来ずに1時間36分は東京時代の通勤電車の再現なんて思いながら、特に盛岡田沢湖の間は揺れが激しく踏ん張り通しで疲労コンパイしてしまった。
現役時代とあまり変らない生活と信じていたが、何時の間にか一般社会常識(情報)から隔離されていた自分に腹が立った。
帰路はローカル仲間のJH7NTWさんにお願いして同乗させていただき、苦しみも限界まで楽しみは最高の充分に満足したミーテングだった。



DXを肴にして語る会1

2012年06月23日 | アマチュア無線
  
                   
「DXを肴にして語る会最終回」が秋田市郊外にある秋田温泉さとみで開催されたので参加した。
1987年第1回が秋田で開催され、以後東北6県持回りで4半世紀も継続して来たこの会、唯一の目的はDX界の生の情報交換の場であった。しかし、一般社会同様アマチュア無線DX界も近年は急速な技術革新IT化により、既に会の使命も果たして、これで終結した。
この会の原点は1972年に発足したADXA内で「DX界のしかも世界の生の情報を入手したい、それには世界の玄関口東京周辺DX'erの招請」と年一回秋田県内各地で開催されていたミーデングだった。JA1BKさんの招請は叶わなかったが、JA1AEA,ELY,KSO,UQP,JH1AJT,HWN等の多数のOM'sには何度も参加して頂いていた。
何時の頃か「折角の招請ADXAだけでは勿体無い東北6県に拡大しよう」とJA7AGOのリーダーシップによりこの会はスタートしたものだった。そして昨年終結決定も東日本大震災発生で中止、しかもリーダーJA7AGOとADXAの重鎮JA7AO,CQTのSilent Keyはこれを否定したかの様で自分は何とも悲しかった。
1年遅れて沖縄からJA6FC大城さんの特別参加と例年通り東京、神奈川、千葉、北海道からも多数、総勢58名の1次会でスタートした。各局紹介は会恒例の各県毎にステージに登壇して1人ずつ自己紹介は廃止され、JA7ARWのランダムロールコール形式で各局自席で起立30秒以内の自己紹介、時には爆笑も起こる軽快なテンポで行われた。またその後の懇談は他の宴会には無い特別な雰囲気で、3時間は一瞬の間に終ってしまった。
 
                   
テーマ毎の私的2次会部屋も何ヶ所か出来上がった様子もあったが、自分は公設2次会部屋(二部屋)をハシゴして、これまで何度か参加されていたJA1ONDさんと初めて長時間対話する事が出来た。我がDXの師匠で職場の先輩でもあったJA1FHK(SK)のスーパーローカルで無線抜きの私的な交際も深かったとか、自分の知る事も無かった思い出話にまで発展して、縁は意外なところに、最終回に相応しくFHKが巡り逢わせてくれたのだろう。
こんな2次会も若い頃は徹夜で楽しんだが、もう今は全員が40歳後半から後期高齢者の集団になり馬力喪失、午前0時を越えた部屋は無かった様だった。

おふくろの味「ひじきの煮物」

2012年06月19日 | 男の料理
  
                     
我家の女房殿は生活協同組合員になって久しい。週一回の宅配があり、毎回元日に配達される新聞と同量程の生鮮食料品や生活用品のカタログが配布されて次回に注文する。
「新鮮さが命の生鮮食料品は食べる分だけ毎日買いに行け」と言うが「注文する量が少ないと配達員が気の毒だ」と改める気配は全く無い。冷蔵庫に残った野菜類は捨ててしまう事が多いが、今回の整理品は豚バラ肉うす切りとしらたき。これを活用して「ひじきの煮物」と「回鍋肉」を夕食用に調理した。
「ひじきの煮物」も忘れた頃に食べると美味しくて、ドライゼロ(ノンアルコールビール)を飲みながら、何となく“おふくろの味”と郷愁感に浸ってしまったが、この種の物に愚息は一箸もつけず今回も拒否。これも我々年代だけで、何れは消え去る和食なのだろうかと一抹の寂しさも感じてしまう。
「回鍋肉」は肉の下処理、バラブロックを茹でて使うのが正式で今回も下処理は施したが、はじめから薄切りなので食感は味と共に雲泥の差、残物整理で手抜きした訳では無いが、自分には大いに不満足な結果で終った。

文庫本

2012年06月17日 | その他
            
一週間前、面白そうな文庫本があったので買って来た。
年々眼の疲労が激しく一気に読む事が困難になり、毎晩寝床で眠くなるまで読む2~30分は頭痛や肩凝りの赤信号が出ない、最近はすっかりこんな習慣になってしまった。
やっと読み終えたが、大越氏はこれまでの歴代キャスターには無かった逸材と関心しながしながら“ニュースウオッチ9”はスタート時から視聴していたが、この本で更に氏の経歴や人間性も深く知る事が出来た。
第1章「あの日」と云う3.11震災直後の事から始まり、第6章には「野球少年キャスターとなる」には、東京六大学リーグ戦8勝27敗、日米大学野球選手権日本代表にもなった東大野球部主戦投手で、少年時代からの野球によって人間形成された経緯等も紹介されている。また全ページのほぼ半分は番組内で語り尽くせなかった思いやこぼれ話を、震災5日後から今年3月14日までの番組公式ホームページに連載したコラムから抜粋した記事が掲載してある。
近々では小沢元民主党代表や野田総理への何れも番組内での異例とも思える約40分間の生インタビューは、自分も追求したかった問題の共通点も多々あって見事に代弁?、結果としてガス抜きだったかも知れないが、従来の公共放送NHKには考えられなかった企画と、大越氏のインタビューは何とも心地良かった事を改めて思い返した。そんな力量の経緯や裏付けも詳しく述べられていたので、久しぶりに面白い本を読んだ気分になり十分に満足した。





老愛犬

2012年06月13日 | その他
  
                     
我家の愛犬13歳は人間年齢に換算すると68歳になる。2年程前から人間同様成人病に罹り小型犬特有の“僧帽弁閉鎖不全症”と診断され治療中だ。僧帽弁は心臓から動脈へ血液を送出す時に静脈へ逆流しない働きをする弁で、これが老化と共に閉まらなくなり次第にせきが出る様になり、症状が進むと肺に水がたまり(肺水腫)呼吸困難に陥り死に至る。
5月頃から症状が進み突然2~3分失神して二度も入院肺水腫の初期症状と診断された。投薬の効果か梅雨に入って気温が下がった事に因るものかは良く分らないが、ここ一週間は何とか調子を取戻して排便の散歩等も自ら求めるまでに回復した。しかし梅雨が明けて夏を越せるかは微妙なところだそうだ。何とかあまり苦しまないで穏やかに寿命を全うして欲しいと思うが、口が利けないだけに何とも哀れだ。
            
カプセルの薬は2年前から、他は今回から朝晩一錠ずつ服用、茶色の薬はアメリカ製品だそうで高価だ。医療費は人間の無保険と同額位なのだろうか、1回通院すると万札が簡単に消えてしまう。動物の医療保険もあったが、気が付いた時には既に加入年齢制限を越えていた。

Arrived QSL

2012年06月12日 | アマチュア無線
  
                    
今月3日OD5NJ(Lebanon)と30mCWでQSOしたBand NewのQSLが届いた。
Lebanonは開局以来13局としかQSO出来ていなかった珍局で、このOD5NJも2年前12mCWでQSOした直後にSASE(Self Adressed Stamped Emvelope)でQSL請求したが未回収だった。
今回のQSOで確認したところ「受取った記憶が無い、PayPalで」と指定され、改めてQRZ COM(Callsign Database)で確認すると返送料と寄付も求めているので抵抗はあったが、Band Newの弱みもあり即Paypal(世界仕様のオンライン決済サービス)+OQRS(Online QSL Request System)の利用を決断した。
先日の6O0CWに続き2回目の利用だったが、PayPalはクレジットカードとメールアドレスがあれば、ごく僅かな手数料で世界中からの買物等も容易に出来てしまう。アナログ人間の自分には大きな抵抗感もあったが、使ってみると以外に簡単で、これは正に現社会必須の便利なシステムだと思った。









NRD-515修理

2012年06月07日 | アマチュア無線
  
                     
日本無線(JRC)がアマチュア無線機器の販売にも参入して、1979年12月から発売されたNRD-515受信機。コリンズの次に憧れ夢の機器だったが、送信機NSD-515と組合せると軽く60万円を超え、他のアマチュア機器メーカー製の4倍にもなり夢は実現しなかった。
15年ほど前チャリテーオークションで受信不能表示を3000円で落札。シンセサイザー部の故障でTTL ICを交換サブ受信機として、近年は主にPC相手の時にBGM代わりのラジオに使っていた。気が付けば最近は音のピークで歪も発生、ローカル局なのにSメーターの振れも9を切り、アマチュアバンドを聴くと感度不足でサブ受信機の役目も果たさず中途半端な故障状態だった。
SG(信号発生器)でもあればどの程度の劣化か故障探索も容易だが、メクラ同然では何ともし難く文明の利器“Web検索”に頼った。「NRD-515」と入力すると何と幸運にも1頁目に修理項目が掲載されていて「感度低下でFET交換」があった。H.Frq70MHzのMix'er、1st IFや2nd Mix'er、2nd IFのU310・3SK45・2SK19等で何れも製造中止廃品で入手不能。再び困った時の“Web検索”に頼り意外と短時間でU310は無かったが、代替品の2SK125も二軒のパーツ販売店から入手する事が出来た。1個100~340円と手数料+送料の方が高い位で、30年以上にもなり当然電解コンデンサーも劣化しているので、これも同時に全数交換した。
仕事でも20数年前まではTR機器からTR・EFT・ICの混在機器になりこんな基板であった頃は、真空管時代と変りなく故障して自分達で修理をしていたが、やがて全IC化CR類もチップ化されると修理不能の基板になり、日常の保守は故障箇所の探索をしてメーカーへ手配、代替基板を受取り交換して調整するだけ、真空管時代からの技術屋のプライドも自然に消滅してオペレーターになってしまった。
老朽化した眼に虫眼鏡を使いながらの作業は1日3時間程度で限界。3日も要したが楽しみながら修理完了。ローカルラジオ局の信号もS=9から9+30dBにUPして、何とかほぼ定格の性能までには改善された様だ。ただアマチュア局のサブ受信機としてはノイズや混信除去機能等も既に時代遅れで、現在の運用には堪えず、再びBGM代わりの高級ラジオとして使う事にした。