ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

6月のBand New Entity

2011年06月30日 | アマチュア無線
            
早くも夏枯れを感じて戦意喪失、実質ほぼ完全休業はこれまでには無かった事で、戦果はタッタ2局だけだった。
YT9MはYU(Yugoslavia)が1991年Montenegro,Bosnia Herzegovina,Serbiaに分割されてからは初めてだったと気がつき慌ててQSOした。普段はUA同様に何処でも聴こえるので、以前のYUが余にも雑魚で、新たにNewとなった後も無意識で素通りしていた様だ。KP4RJS(Pruto Rico)17mRTTYはMode New。
            
今年の春もPJ7を捕り逃してしまい、#1 DXCCへの復帰も夢破れ秋以降の再挑戦となった。とりあえず区切として中旬からPJ2,PJ4,PJ6のNew EntityとDXCC Challenge追加申請の準備をしていたが、データ入力までは終ったので再チェックして、今回もJARLフィールドチェック受けて申請する予定だ。

郡山青葉教室50回目

2011年06月26日 | 手打ち蕎麦打ち
 
            
                    
吉成先生は他の用事で今日はお休み。境田先生もダメな時は何時も鈴木(直)さんがピンチヒッターを務める。
先ずは挨拶代わりに前回初めて“茶そば”に挑戦して試食した感想を聞くと「とても美味しかった」「香りが良かった」「新茶の今が食べ頃」とこれまでの体験者と変りはなかったが、何故か1人だけは辞退して“更科”に戻った。
今日の“茶そば”の仕上がりには僅かに抹茶の微粒子の粒が現れてしまった。原因は抹茶に湿気が含んでしまい“粉と混合”“つぶし”“練り”何れの工程でも微粒子となった粒が空気の如くす通リして除去不能だった。
前回同様に“篩い”の着色を懸念して直接粉へ投入した事が最大の要因?で、確か前回は開封直後の抹茶。何事も基本に忠実でなければ落とし穴が・・・・講師失格!

JA7AGO氏逝く

2011年06月26日 | アマチュア無線
            
今朝7時前に突然JA7GYPさんから電話。こんな夏枯れの時季に珍局出現では無いと確信しながら、若しかして福島へ応援に?と瞬間頭に浮かんだが“JA7AGOさん急逝”の知らせだった。
45年前秋田へ転勤して二月も経った頃だろうか、東京でJA1MJ,FHKから洗脳されたDX(海外)通信の実現も出来ないまま、楢山寺小路の下宿先で何とかSWL(受信)だけは可能になった。当時秋田市内ではJA7AB,FS,UJ,AGO,ARZさんが活躍されていたが、そんな中でもAGOさんだけは別格で、カラスが鳴かない日はあっても、AGOさんの信号は連日絶える事なく夜明け前からバックキーで、しかも独特のリズムのQSO(交信)ぶりには大変な刺激を受けて、聴くだけではとても我慢が出来ず、間もなく下宿を出てアパートへ移り、バーチカルアンテナで細々とDXを始めた。当時は身分不相応でAGOさんにはとてもお近ずき出来る力も無く、ADXAが発足してからのお付合だった。
AGOさんはADXA News三代目Editorとして誰よりも長く今日まで休刊する事もなく発行を継続され、また四半世紀も継続した東北6県持回りの「DXを肴にして語る会」も氏の発案と指導によるもので、常に控え目で全面に出る事はなかったが、ADXAの重鎮として大変貴重な存在だった。近年は馬力が落ちたと口にしていたが、国外へのDXペデションや国内のDXミーテング等へも何時の間にか参加していて事後報告。活力の素は秋田の銘酒“爛漫”“新政”ではなかったかと思う。
不謹慎だが、三途の川の通行手形は“新政”なんて推察しながら『合掌』


旧友会定期総会

2011年06月25日 | その他
            
ここ汎用会議室は事故直後には全国から応援に駆けつけた取材スタッフの待機場所として満杯になり、現在は本来の汎用室として、応援者も60人程に縮小された事を耳にしながら、未だ収束の全く見えない原発事故取材最前線の雰囲気を肌で感じながら定期総会が進行された。
型通りの会議は通常もよりも迅速に終了して、その後は各自の震災直後の行動や現在の放射能汚染による深刻な生活への影響や被害などの報告に終始した。そんな中で「副会長のSさんが軽い脳梗塞で入院、麻痺した手も握手を交わし言葉もほぼ正常に回復した」と会長から報告された。
Sさんは退職後親から引継いだ農業を一年生からスタートして新米の百姓になったと話していたので、病は若しかして深刻な土壌汚染の心痛が引金ではなかったかと・・・・素人百姓の自分でさえ、原発は憎い!
  
                    
懇親会は近くの大衆寿司屋“うまか亭”で。ここでも話題の中心は原発事故と放射能汚染だったが、デレクター出身で数々のTVドラマの演出を手掛けたNさんから声がかかり「最近のドラマはツマラナイ!ろくな演技力も無いタレントを起用して編集で穴埋めしている。しかも絵作り(映像構図)も丸で一枚写真の張合わせだ」と、多分今の大河ドラマ『江』を暗に名指ししての事ではないかと思った。一部漫画チックに仕上げたとのプロデューサー談話をスタート直後の新聞で知ったが、そんなシーンや人気タレントが登場すると、確かに自分も「また学芸会が始った」と冷めた感覚で視聴していた。演出者の世代差による価値観の相違と技術革新による高度なビデオ編集も功罪の一因ではなかろうか。
来年の大河ドラマは会津を舞台にした、戊辰戦争時には男装して鶴ヶ城籠城戦で奮戦した会津女、新島八重を主人公にした『八重の桜』に決まったそうで、果たして我等老人達の意に添えるかが楽しみだ。

Arrived QSL

2011年06月20日 | アマチュア無線
            
3月に実施されたDXペデション、メキシコ領Revillagigedo Is 4A4AのQSLが届いた。二つ折8ページの大変きれいなカードで大歓迎なのだが、近年発行され始めたこの種カード、勝手気ままの事を言えばアルバムに収納するには厚さが何とも不都合なのである。
各バンドCW/SSB/RTTYと楽しませてもらったが80m/30m/17m/12mがBand Newだった。他にST2AR(Sudan)10mCWのBand Newも届いた。

Arrived QSL

2011年06月16日 | アマチュア無線
            
VP8ORK(S.Orkney Is)40mCW/30mCWのQSLが他局より10日も遅れてようやく届いた。
ここにはアルゼンチン海軍基地があるだけで、チャンスは滞在中の兵士かDXペデションのみで、自分にはVP8NO 1979年3月、AZ5ZA 1983年12月、LU1ZA 2001年12月の記録しか無く、今回は実に10年ぶりのQSO(交信)だった。


原発事故13

2011年06月14日 | 原発事故
            
週間現代6月23日号「福島市内が危ない」昨日の新聞広告に釣られて女房が今朝早くコンビ二から買って来た。何処も午前中には売切れてしまったと耳にしたが、記事の中身は既に知り尽くした事ばかりで、週刊現代の商魂にすっかりはめられてしまった。
福島民報あぶくま抄に『関西からの支援にも歴史の縁がある。二府五県でつくる関西広域連合のうち、滋賀県と京都府は本県に現地支援本部を置き、職員が常駐する。鶴ヶ城を建てた戦国大名蒲生氏郷は滋賀近江の人だ。幕末の会津藩主松平容保は京都守護職として都の治安維持に努めた・・・・』と記載されていた。
職員を常駐させての支援活動は初めて知ったが、娘が秘密裏に11日一泊二日でここの定期バスで京都府内の受入れ先二ヵ所を下見して、今日避難先を宇治市に決めたと伝えて来た。何れはと予測しなかった訳でもなかったが、1ヶ月ほどかかって求め与えた放射線量計の阻止作戦も水の泡。爺婆が孫達の先の健康保証など出来る訳も無く、不本意ながら黙認するしか策はなかった。
築35年18世帯3棟の府営教職員住宅3LDKには、既に福島、郡山、須賀川等から12世帯が入居、ほとんどが旦那を残して子供達の健康を考えた自主避難者だそうだ。寝具や冷蔵庫、調理器具も揃いられて入居期限は1年、原発事故の推移により平成25年までは延長可能とか。孫達が環境の変化に対応出来るか心配は尽きないが、ダメ政治家達に代って支援活動する京都府と関係者には感謝あるのみ、有難い事だ。
福島は日本一自然災害の少ない所だったのに、原発は憎い!

Arrived QSL

2011年06月13日 | アマチュア無線
            
最近届いたBand/Mode New EntityのQSL。
 ☆4L8A(Georgia)→20mRTTY
 ☆A35AY(Tonga Is)→12mCW
 ☆E77DX(Bosnia and Herzgovna)→10mSSB
 ☆EA8DO(Canary Is)→17mRTTY
 ☆S9DX(Sao Tome)→80mCW
 ☆VP5/NY6X(Turks&Caicos Is)→30mCW/20mRTTY
 ☆ZL8X(Kermadec Is)→80mSSB/20mRTTY

郡山青葉教室49回目

2011年06月12日 | 手打ち蕎麦打ち
            
Cコースの“更科”と“十割そば”カリキュラム終了者は今回から自由演習に入り3人が変りそばの“茶そば”に挑戦した。
更科に香りのある異物を練り込んだ物が変りそばなので、抹茶を練り込んだ物が“茶そば”になる。更科粉500g+抹茶7g+熱湯270gと先生から指示があり、変りそばでも何故か経験上この“茶そば”が一番難しい。各工程を短時間で済ませるのが秘訣。“練り”は柔らかめに“つぶし”は十二分に、特に“延し”のスピードアップが仕上がりの鍵を握ると習得していたので、自分が担当した生徒には全てを伝えた。
見学者2人と聞いていたが、中年の女性は今日から始めると決めて来たそうで、今日の2人目は先生の指示でこの人の世話をした。珍しく手先が器用で感も良く「若しかして体験者?」と思ったが、料理やパン作りを窮めて今度は“そば打ち”に挑戦するそうだ。何事でもこんな意欲のある人は大歓迎だ。

研究会再スタート

2011年06月11日 | 手打ち蕎麦打ち
            
震災後休館していた吉井田学習センターも3ヵ月ぶりに再館して、福島手打ちそば研究会も通常よりは少ない10人の参加者で再スタートした。
今回の粉は会津の在来種だったが、研究会の再スタートにも相応しく、長野県山ノ内町特産の手打ちそばのつなぎオヤマボクチ(山ごぼう葉の繊維)を使ってベテランの佐藤さんと渡辺さんが挑戦した。「そば粉1Kgに対してオヤマボクチ5gを熱湯でほぐし練り込む」等々と販売元のマニアルに従って順調に進行した。しかし“切り”に入ると突然悲鳴が、どうやら繊維が邪魔してまともに切れない様だ。ここ調理実習室で一番切れる調理用包丁を使って、桧枝岐裁ちそばの切り方で何とか極太の田舎そばに仕上がった。マニアルには記載されていなかったが、注文した時「切れる包丁をつかって下さい」と指示があったそうだ。
試食したところ、処理前のオヤマボクチはほとんど無臭だったが、山形そばよりも極太の黒い田舎そばは、モッチリと腰があり、咬むほどに口いっぱいに広がる微妙な香りは、他のそばには無かった旨味とも感じる山ノ内町地方伝統の味。昔の主食ではなく“慶事のご馳走”なんて勝手に想像してしまった。