ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

研究会

2016年12月24日 | 手打ち蕎麦打ち
              
今年最後の研究会、年越しそば用の粉の配布もあり通常の例会よりも大勢の参加者があった。
山積みの粉を見ると“更科粉”は目にしなかったが、今は変わりそばを打つ人はいない様だ。
自分が打っていた頃は配布先からも“ゆず切り”が大好評で「何とか最優先に」との要望も多数あって、全てに応じる事は作業量からしても限界があり順送りで応えていたが、原発事故後は信夫山のゆずは放射能汚染で出荷停止になり、自分も体調不良になり、また誰も打たなくなって“茶そば”ですら耳にする事も無く、変わりそば自体が幻になってしまった様だ。
相変わらず見学して雰囲気を楽しみ、今の体調では全工程の作業も可能な感じもして、新年の初打ちでは試す事も考えながら途中で帰宅した。

釜揚げそば

2016年12月10日 | 手打ち蕎麦打ち
              
KFBで18時から放映された「人生の楽園」で西の小京都と言われる島根県津和野町で農家レストランを営む夫婦が紹介された。
聞き飽きてしまった地産地消で町興し、この夫婦も津和野の町を元気にしようと農家レストランを始めたそうで、名物は何と釜揚げうどんならぬ水で打った“十割釜揚げそば”で人気になっているそうだ。
そばを茹でたそば湯と共に汲み上げたそばをそば汁に浸けて食べるざるそばと変らない食べ方だが、“釜揚げそば”を検索してみると、どうやらこの地方の食べ方の一例で、汲み上げたどんぶりに好み量のそば汁を入れたり或は具をのせたりと様々だが、そばの香りとコクが十分に染込んだそば湯も同時に口にするのだから不味い筈は無く、どうやら“不味いそばを食べる時の先人達の知恵”の理に適った継承ではないのかなと思った。
それにしても地方によって打ち方も食べ方も千差万別だから“そば”には興味が尽きない。
午後吉井田学習センターの研究会で1時間程雰囲気を楽しんで来たが、1月12日午後には吉井田小学校依頼により料理クラブ児童35名の「そば打ち体験教室」と14日の新年初打ちはルチン含有率の最も多い“赤蕎麦”オーストラリアタスマニア産と云うから楽しみだ。
因みにタスマニア産の蕎麦は、そばが一番不味くなる初夏から新そばが出るまでの間に何とかして美味いそばを提供したいと、千葉の製粉業者がタスマニアの緯度が青森と同じで気候も真逆の事から契約栽培を実現したそうだ。

忘年会

2016年12月03日 | 手打ち蕎麦打ち
              
あづまの郷そば打ち奉仕と吉井田学習センター学習発表会の反省会を兼ねた忘年会が18時から福島駅東口前の居酒屋“福福屋”で開催されたので参加した。
居酒屋にしては5人掛けテーブルの間隔はとても広く、隣の部屋とは廊下で仕切られたゆったりした空間は我々だけの貸切状態だった。
しかも自分のテーブルは偶然にもSさん以外は青葉教室で指導を受けたK・S・W講師と同窓生のKさんだったので、近年にはないゴルフや競馬などへ逸れる事も無くそば談義で終始した。
反省会もこれまでになく十分に行われたが、そば打ちブーム到来以降に開店した福島盆地内の多くの手打ちそば屋「他人が打った物を食べるのも修行の一環」とも言われているのでこれまで12店ほどで食べてみたが、ほぼ半数以上は同類のそばで、そば歴史の無いここ盆地内住民の好み?の疑問もあり、そんな事も投げかけてみた。
答は即座にSさんからあって、どうやらそれらはブーム到来直前のルーツは一つだそうで、恐らく粉は同一か多少の違いはあっても、そば自体は腕と店の雰囲気の差位なのかなと思った。
そばは食べ物としては単純だが、やってみると腕の差も当然の事ながら素人百姓の次に難しかったし、そば打ちが出来なくなってしまった今も興味を抱き続けているのは、若しかして百姓以上に奥の深い道楽だったのかな。

大玉村のそば屋「花菜」

2016年11月18日 | 手打ち蕎麦打ち
 
先月安達町の無線仲間OLWさん宅の裏山で行われた恒例の芋煮会に初めて参加した大玉村のUBIさんが、確か無線以外の道楽まで話が発展してしまった時だったと思う「家の父も予約制のそば屋をやっている」と話され、以後そば好きのBAYさんも加わりそば談義に発展してしまい、今日BAYさんに案内して頂きUBIさんのお父さんの打ったそばをご馳走になって来た。
安達太良山の麓に近い高台にあり、詳細は“ふくしま気になるお店、生粉打ち蕎麦・家庭料理の花菜”Google検索でも紹介されているが、店舗は納屋を改装したと言う2階建ての2階にあり、年期の入った黒光のする柱を有効に活用した新築と疑うほどのお洒落で趣があり、開放感のある大きな窓からは座っていても高台の2階もあって、安達太良山を背景に広々と見下ろす田園風景はとても爽やかだった。
そばは北海道幌加内産“きたわせ”の金臼挽きの十割との事で、白く透き通ったところに自己流で表現すると星(微粒の甘皮)が浮かぶ光るそば。極細の断面も真四角でしっかりとしたコシがあり、長さも十割では限界を超えている様な実にのど越しの良い、星が無かったら“更科”と表現しても良い見事なそば。
体調から減塩しているので汁は濃い目だったが、出汁は何なのか分からない程の控え目で、そば本来の風味を失わない配慮はそば打ちと共に店主の確かな技だと感服した。
そして薬味には大根の千切り、白と赤の二種類の辛味大根おろしとすり下ろしの本物の生わさび。小鉢の一品には旬に入ったばかりのほうれん草にもってのほか菊を散らしたさり気なく酢をきかしたおひたしは、昔食べたほうれん草本来の味その物で「自家栽培ですか」と訪ねたら大玉村産との事だった。
料理の師匠から「旬の食材で客をもてなすのが調理人の意気込み」と伝授されていたので、厨房は大変広くそれよりはるかに狭いテーブル二卓に八席の予約制のそば屋、そしてお品書きにはそば懐石ではないコース料理とネットの食ログには「店主はイタリアンが得意」と掲載されている事からも、若しかしてそば打ち人は仮の姿?プロの調理人なのかな。
最高のもてなしを受けた実に楽しい一時だった。

そば打ち体験教室

2016年11月17日 | 手打ち蕎麦打ち
              
先週に続き福島市社会福祉協議会主催の二回目のそば打ち体験教室が開催されY,S両先生とK,Y講師と共に5人で受講生10人のお世話をした。
初めは奥様同伴で手の感触だけが頼りの眼の不自由な方で、日常生活の延長とも思える常に奥様との会話を交わしながらの進行だった。
各工程ではより多く説明して、感触で十分確認しながら可能な限り手出しを控えて少しでも多く触れてもらったので、参加した喜びも感じてもらえたかなと思う。
2人目は一見して健常者と変らず今回が三回目との事で、既に予備知識もあり通常のカルチャー教室と同じ方法で進める事が出来た。しかし、一年ものブランクがあるので各工程の半分以上は手出し無しには持ち帰るそばにはならなかったが「去年よりは上手くなったかな」と満足気たった。
館長さんの話では、年間を通して各種講座を開催しているが、半数以上は付き添え者同伴で参加を希望しても同伴者が無くて参加出来ない人が多数存在しているとの事だった。
そんなごく一部の人達だったが、喜んでもらえて自分も楽しかった。

そば打ち体験教室

2016年11月10日 | 手打ち蕎麦打ち
              
今回で何年目なのか忘れてしまったが、福島市社会福祉協議会主催の手打ちそば体験教室が午後腰浜会館で開催され、青葉手打ちそば教室福島支部S先生K.S.Y講師陣と共にお手伝いした。
来週も別グループで行われるが参加者は10名の4班。中には昨年お世話した人から挨拶されたりして、当人は「今年も貴方の下で」と云う希望もあった様にも伺えたが、お互いにチームワークもあり、話術・技量共に一番劣るので軽度障害者3人のお世話をさせてもらった。
北海道幌加内産の新そば7対つなぎ粉3の“七三”の初心者用のそばを打ち、2人は足だけで何の問題も無く健常者同様に進行出来たが、1人は片手が不自由なので各工程に触れて感触を楽しむ程度で、そばに関わる会話をしながら実技のほぼ80%は自分の手出しになった。
他の2人も半分以上は手出し無しには持ち帰るそばにならないので、それぞれの反応を観察しながら参加感を失わない様に話術で補完、この話術が一番不得意で毎回苦労してしまう。
しかし、人と会う事が少なくなってしまった今、こんな事で多くの人達とも知り合えて自分も楽しく「道楽って本当にいいなー」とつくづく思う。

学習発表会二日目

2016年10月30日 | 手打ち蕎麦打ち
              
 
昨日とは一変して薄日も差す穏やかな天候になった。
例年通り二日目は参観者も少なく一時は昨日より多い22Kgのそばがさばけるかと不安になったが、昼が迫ると共に急増して熟知している水場の食器洗いもテンテコ舞いになった。
昨日もこの場を勤めたAさんと昨年も一緒だったが、元会長のIさんも途中から助っ人に入り、偶然にも3人は自称万年青年の最長老組、既に健康寿命も尽きてしまった者同士で、この担務は正直誰もが避けて通りたいと考えている様にも思える。
昼前には女性組最年少の家庭に入り休会中のKさんもしばらくぶりに子連れで訪れて「何歳ですか」と聞くと、可愛い声で「二歳!」と男の子。あまりの可愛さにKさんの許可も得ずに10枚もシャッターを切ってしまった。
洗い場の移動式シンクと相性が悪いのか例年腰痛に悩まされながらの作業は、Aさんの「去年より早く痛くなって来た、ヤッパリ歳だナイ」は全く同じで、引篭もる事が多くなってしまった今、正直苦痛を感じながらも好きな事に関われたとても充実した楽しい一日だった。

学習発表会一日目

2016年10月29日 | 手打ち蕎麦打ち
              
 
吉井田学習センター学習発表会の初日を迎えた。
ここ学習センターのカリキュラム外の我々「福島手打ちそば研究会」は10数年前から当時の館長さんのご理解を得てここに定着して月2回の研究会を今日まで継続、また館長さんのお勧めで始めた学習発表会でのそば打ち実演販売も10回目となった。
早朝から吾妻下ろしの強い季節風が吹き荒れる生憎の天候になり、見学者は例年よりは少な目に感じられたが、21Kg打った“二八”のそばは1時過ぎには完売になった。
昨年まではただ一途に“釜場”で食器洗いとそばの“茹で”も交互に担当していたが、今日は先日のあづまの郷に続き体調も考慮して、10年目にして初めて室内の“そば打ち”の場で打ち手の補助として切上げたそばの計量と打ち代やまな板の清掃などに専念した。
完売となり一段落してまかないを食べている時、隣に座った“茹で”を担当していたSさんが、そばを箸で挟んで持上げ「この様に角が立って真四角に切れているベテランが打ったそばは、茹で上がると同時にそろって浮き上がり、そうでない切り方不揃いの物はバラバラに浮き上がって来る。それは食感の差としても現れ、茹でていると切り方だけで打った人のレベルが判ってしまう」と明解な答えだった。
自分も長年茹でを経験していて、そば専門の底の丸い鍋なら素直に回転して太・細の差は顕著に現れないが、そば研使用の底が角張った寸胴では著しく回転し難いので簡単に判別出来てしまう事に同感だった。
今日は楽をさせてもらったので、明日朝起きてからの判断だが、多分疲労は残っていないと思うので再び“釜場”へ復帰しようかなと思う。

そば打ち奉仕

2016年10月15日 | 手打ち蕎麦打ち
              
滅多に無い絶好の秋晴れ。走行の80%は直線道路で雲一つ無い小さな噴煙を上げる吾妻山を眺めながらほぼ麓に近い特別養護老人ホームあづまの郷へ向かった。
毎年この時期には家族会主催の“新そば祭り”が開催され、その依頼による奉仕も今年で五回目を迎えた。
常連だった会員数人の欠席は何となく寂しく手薄で不安を感じたが、お互いに我が身同様健康状態や家族介護によるものだろう。
参加者は20人は超えていたと思う。入所者や職員と家族会員の見学する前で25kgの北海道産の新そばを打ち、研究会でも1Kgを打った経験も無い勇気ある数人もI.K.S.Wさんや青葉教室現役の若手講師Kさんの手解きを受けながら打った。
各自の担務は指示される事なく何時もながらの自主判断。これまで継続していた何故かみんな敬遠しがちな釜場(洗い物や茹で)を今回は体調もあり辞退して、打ち台やまな板は作業を終えてもほとんどが放置したままの清掃などをしながら相変わらず裏方に徹して楽しんだ。そして最後は何故か手薄になってしまった釜場のシンクの清掃を済ませ機材搬送の積込みを終えて帰宅した。
機材格納先の瀬上行きは勘弁してもらったが、今や半人前の身体でも参加させてもらった事に感謝する楽しい一日だった。

研究会

2016年10月08日 | 手打ち蕎麦打ち
              
首筋の右側が痛い、昨夜から朝にかけて枕を外してしまったのか十数年ぶりの再発だ。我慢出来る範囲だし整形外科へ行っても湿布薬を渡されるだけなので常備してある鎮痛剤アンメルツを塗った。「異臭を放すのではないか?そば打ちの邪魔になる」家を出るまで散々迷いながら、そばの香りと雰囲気を楽しみたくて参加してしまった。
開始前事務局のWさんから来週“あづまの郷”そば打ち奉仕で1Kgを打つ未経験者対象にSさんが指導を行うとの事だったが、最終まで残念ながら希望者は無くこの企画は自然消滅。多分今年も過信している何人かは打つのだろうが大丈夫かな。因みに昨年も釜場で“茹で”を担当してそんな物は一目で分り自分達のまかない用に廻した。