ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

大晦日

2016年12月31日 | その他


                
ラジオ時代から続いている「ゆく年くる年」のTV中継放送。現役時代は中継現場の技術スタッフの一員として16回も関わり全て演出されたものと承知しながらも、リタイアー後は視聴者としてこの時だけは除夜の鐘が心に響き素直になれて、日本人であった喜びを感じながら一年を振返り新たな新年を迎えている。
元気な頃30.31日は6時前から“二八”と“ゆず切り”を打ち、遠方には年越しそばに間に合うように30日クール宅急便で発送して、市内は31日昼前には配達を終えていたが、今は郷愁にかられてお袋の味おせち料理の数品を再現、今年も29日から食材を調達して郷土料理のいか人参・紅白なま酢・牛肉の八幡巻き・筑前煮・浸し豆の数の子和え・花豆の甘露煮などを作って楽しんだ。
「スーパーに行けば美味い物が何でもある」と全く無関心になってしまった婆さん、最近は主婦の特技と称する30分料理や既製品も多くなり台所に立つ時間も少なくなってしまい、リタイアー直後に料理教室で3年間習った事が今役立つとは何とも皮肉な事だ。
お互いに老けて既に健康寿命も尽きてしまったが、幸いにも5種類の投薬効果著しく階段の登りと坂道、自転車以外は1Km程の歩行も可能になっていたが、9月から緊急時に備えて“ニトロペン舌下錠”の常時携帯が指示されて、今度ばかりは何時お迎えがあっても何の不思議もなくなってしまった。
これまでの我が人生は“無線馬鹿”の一言に尽きるが、5年生でラジオ少年になるキッカケを与えてくれた先生、当時は今とは異なり自分の裁量で自由に何でも出来た教育。中・高校の担任も節目には大きく関わり、また「アマチュア無線があって仕事もあった」事に寛容であった職場にも感謝しながら、家族や孫達に自分の人生を語る事がなかったので、新年は反省を込めて仮題『無線馬鹿の自叙伝』の様な事を活字で残したいと思う。
そんな訳で、三日坊主で一週間も続かなかった日記も「ボケ防止に」と先輩に勧められて始めた駄文のこのブログはボケたくないばっかりに11年も続き、一年単位で製本したブログ本も10冊になった。
十二支一回りであと1年頑張るかなと思ったが、何しろ体調に不安を抱きながらの生活になり、活字で残す作業のためこのブログを休止する事にしました。
長い間このつまらないブログを読んで頂いた皆様には深く感謝を申し上げ、そして一年後の元日から再開の保障はありませんが、本当にありがとうございました。

今朝の80m Band

2016年12月28日 | アマチュア無線
              
80m Bandのローカルノイズは年々増すばかりで20:30zも過ぎるとS=4~6が深夜まで7~9になってしまうが、こんな状況でも一つでも増やしたいと諦めながらも気が向けばノイズを聴き続けている。
今朝はかなりCondxが良く雑魚だがHA8JVとS59Aが時々ノイズに埋もれてしまう事もあったが平均RST=589で聴こえていたのでQSOした。これ以外にも他局は数多くとQSOしていたが、ここでは全てノイズに埋もれて多くは信号の存在すら確認出来なかった。
Band NewのEI4KF,JY9FCも追跡していたが、ノイズが少なくて滅多に無いチャンスが到来した時には馬力不足で撃沈、今シーズンのGetは無理なのかな。

クリスマス

2016年12月25日 | 撮影編集孫専科
 
今日が外孫末っ子“はやと”の誕生日で10才になった。
誕生以来25日に爺の家でやる恒例の誕生会+クリスマス会も、爺婆の老齢化に伴い準備も含めて負担になり昨年返上したが、はやとの切なる希望で今年も爺の家で行った。
以前にはケーキ以外は殆んど爺婆の手料理で歓待したが、昨年は一部手製になり今回は全てスーパーで調達した味度外視の既製品でまかなった。
夕食も兼ねているので爺は何とも満たされない気分だったが、他の孫達からも以前とあまり変らない満足感が感じられたので、小学生の間あと2年間は頼られるのかな。
まーそんな事を感じながらも、日頃は平均週一回は爺手製の孫達が喜びそうな“おかず”を届けているのだから、我ながら動物の本能子育同等の“爺の孫育て”なのかなとつくづく思ってしまう。

研究会

2016年12月24日 | 手打ち蕎麦打ち
              
今年最後の研究会、年越しそば用の粉の配布もあり通常の例会よりも大勢の参加者があった。
山積みの粉を見ると“更科粉”は目にしなかったが、今は変わりそばを打つ人はいない様だ。
自分が打っていた頃は配布先からも“ゆず切り”が大好評で「何とか最優先に」との要望も多数あって、全てに応じる事は作業量からしても限界があり順送りで応えていたが、原発事故後は信夫山のゆずは放射能汚染で出荷停止になり、自分も体調不良になり、また誰も打たなくなって“茶そば”ですら耳にする事も無く、変わりそば自体が幻になってしまった様だ。
相変わらず見学して雰囲気を楽しみ、今の体調では全工程の作業も可能な感じもして、新年の初打ちでは試す事も考えながら途中で帰宅した。

金柑の甘露煮

2016年12月19日 | 男の料理
              
宮崎産の金柑があったので迷わず購入して何年かぶりに甘露煮を作った。
初めて手にした時「説明書に栄養価が高く風邪の予防に生のまままるかじりも出来る」とあったが、あまりの酸っぱさに以後は甘露煮だけ作って楽しんでいる。
これを作る時は何時もこの時期なので、鍋の中の金柑をへらでかき混ぜながら、今回はすっかり呆けていた年の瀬の切迫を改めて感じさせられた妙薬にもなった様だ。
同時にJAここら黒岩店で購入した地物のキウイがようやく完熟したので、ほぼ半分の500gを朝食のパン用にジャム加工した。

ロールキャベツ

2016年12月13日 | 男の料理
              
80坪程の借地で素人百姓をしていた頃、低農薬栽培でも結球するまで毎日葉をかき分けながらピンセットで虫取りをすれば素人でも秋キャベツと冬を越す春キャベツだけは物になったので、科学肥料は必要最低限に堆肥を主に有機栽培を実践して毎年20株ずつ栽培していた。
市販品とは異なり軟らかで甘い香り豊かな昔食べた味のキャベツを思い出し、地物ならそんな味にめぐり合える事に期待してJAここら黒岩店から2個購入して来た。
 
下り物よりはマシな地物産で、秋と春には必ず作っていた定番の“ロールキャベツ”を孫達の分も含めて2鍋作った。
今回はTV「東京マガジンやってTRY」の模範調理でイタリアンシェフが紹介した挽肉の味付けに塩麹を加えると具の肉も軟らかくふっくらに仕上がるとの事だったので、メニューをほぼ忠実に再現してみた。
スープの具材ベーコンは普通の薄切りだったが、厚切りブロックを特売をしていたのでこれを入手した。薄切りの倍位にしか切れなかったが、怪我の功名か味が良く出てとても美味いスープに仕上がりロールキャベツ本体よりも主役の感じで、この時期には熱いタップリのスープが欲しいとリクエストもあった。
22個作り、材料調達の買出しから初めてキャベツの下処理と包みに一番時間がかかりタップリ4時間、一品料理ではカレー同等の作業量で手間をかけた分は十分に深みのある旨味として濃縮されていると思う。

福島市近郷の逸品

2016年12月11日 | 男の料理
 
大正末期の頃に岡部地区が発祥の地とされる“信夫冬菜”と立子山の“凍豆腐”にじゃが芋の味噌汁と川俣扇田食品の“がんもどぎ”と信夫冬菜の煮物が今夜のおかず肉団子の脇役だ。
信夫冬菜は今が旬で小松菜に似ているが品種は全く異なりとても柔らかく癖が無く、卵とじや煮物にしても美味しく食べられる。
雪を被る度に甘味と美味さも増して、子供の頃は親父が栽培した物を雪の中から掘出して食べていたが、素人百姓をしていた時は自分で栽培、冬を越して春先の茎立ち寸前の物が一番美味かった。
農家の副業立子山の凍豆腐は地球温暖化が進み氷点下になる事が少なくなって、今は主に冷凍庫で凍らせてしかも輸入品の大豆?は正直昔の味は無く、我が家では自分だけが好んで食べる郷愁の一品になった。
がんもどきは他社製品の3倍もして高価だが、具材も多量に含み大豆も確かな国産品。青ばた豆腐やそのおからも日頃の食材には欠かせない逸品で、扇田食品の数ある品々は他人様へお勧めしても決して間違いの無い優れ物だと思う。

釜揚げそば

2016年12月10日 | 手打ち蕎麦打ち
              
KFBで18時から放映された「人生の楽園」で西の小京都と言われる島根県津和野町で農家レストランを営む夫婦が紹介された。
聞き飽きてしまった地産地消で町興し、この夫婦も津和野の町を元気にしようと農家レストランを始めたそうで、名物は何と釜揚げうどんならぬ水で打った“十割釜揚げそば”で人気になっているそうだ。
そばを茹でたそば湯と共に汲み上げたそばをそば汁に浸けて食べるざるそばと変らない食べ方だが、“釜揚げそば”を検索してみると、どうやらこの地方の食べ方の一例で、汲み上げたどんぶりに好み量のそば汁を入れたり或は具をのせたりと様々だが、そばの香りとコクが十分に染込んだそば湯も同時に口にするのだから不味い筈は無く、どうやら“不味いそばを食べる時の先人達の知恵”の理に適った継承ではないのかなと思った。
それにしても地方によって打ち方も食べ方も千差万別だから“そば”には興味が尽きない。
午後吉井田学習センターの研究会で1時間程雰囲気を楽しんで来たが、1月12日午後には吉井田小学校依頼により料理クラブ児童35名の「そば打ち体験教室」と14日の新年初打ちはルチン含有率の最も多い“赤蕎麦”オーストラリアタスマニア産と云うから楽しみだ。
因みにタスマニア産の蕎麦は、そばが一番不味くなる初夏から新そばが出るまでの間に何とかして美味いそばを提供したいと、千葉の製粉業者がタスマニアの緯度が青森と同じで気候も真逆の事から契約栽培を実現したそうだ。

忘年会

2016年12月03日 | 手打ち蕎麦打ち
              
あづまの郷そば打ち奉仕と吉井田学習センター学習発表会の反省会を兼ねた忘年会が18時から福島駅東口前の居酒屋“福福屋”で開催されたので参加した。
居酒屋にしては5人掛けテーブルの間隔はとても広く、隣の部屋とは廊下で仕切られたゆったりした空間は我々だけの貸切状態だった。
しかも自分のテーブルは偶然にもSさん以外は青葉教室で指導を受けたK・S・W講師と同窓生のKさんだったので、近年にはないゴルフや競馬などへ逸れる事も無くそば談義で終始した。
反省会もこれまでになく十分に行われたが、そば打ちブーム到来以降に開店した福島盆地内の多くの手打ちそば屋「他人が打った物を食べるのも修行の一環」とも言われているのでこれまで12店ほどで食べてみたが、ほぼ半数以上は同類のそばで、そば歴史の無いここ盆地内住民の好み?の疑問もあり、そんな事も投げかけてみた。
答は即座にSさんからあって、どうやらそれらはブーム到来直前のルーツは一つだそうで、恐らく粉は同一か多少の違いはあっても、そば自体は腕と店の雰囲気の差位なのかなと思った。
そばは食べ物としては単純だが、やってみると腕の差も当然の事ながら素人百姓の次に難しかったし、そば打ちが出来なくなってしまった今も興味を抱き続けているのは、若しかして百姓以上に奥の深い道楽だったのかな。

Arrived QSL

2016年12月01日 | アマチュア無線
              
9月にQSOしたD66D(Comoros)20/17mCW,15mRTTYのQSLが届いた。
今朝の30mパイルアップでは多くのJA'sがQSOしていたが、自分のNTD-3040では信号のカケラすら確認出来ず彼等はみんなビームアンテナ組なのだろう。
最近はこんな事が常習化してしまいLow Bandもビームアンテナ無しには楽しめなくなってしまった様だ。