ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

にしんそば

2016年08月12日 | 福島のうまいもの
              
文献によると“にしんそば”はにしん漁と北前船で栄えた北海道江刺の郷土料理で、元祖は京都の老舗蕎麦屋『松葉』で明治15年頃に考案、以来今日まで京都を代表する名物そばとして親しまれているそうだ。
そばに合わせる甘く炊いた身欠きにしんは、身欠きにしんを米のとぎ汁に浸けて2~3日置き。それを番茶で炊いて水洗いした後、水と酒で半日炊き、濃口醤油・砂糖・味醂を加えて弱火で4~5時間煮て一日放置して味を染込ませて完成。
これだけでも大変手のかかるこの“にしんそば”が何と我が師匠の店「てうちそばよしなり」で食べられるから嬉しくなってしまう。
そのそば冬には暖かい物を食べたが、今日は冷たい方を食べた。大盛りの大根おろしを少しずつビンビンに冷え切ったそばにからめながらにしんと交互に口に運ぶと、駅から10分程歩いて来て吹き出ていた汗も不思議に引いてしまい、柔らかくて旨味がたっぷりの風味豊かなにしんとそばは最高のご馳走だった。
しかし、にしん自体は冬場に食べた暖かいそばの方に軍配だったが、このそば、恐らく県内や近県でもここでしか食べられない優れ物ではないだろうか。

よそ物

2016年07月27日 | 福島のうまいもの
              
孫達が奨めるアイスバー、全国にチエン店を展開する市内にも三店ある山梨県の“シャトレーゼ”と云う和洋菓子屋の製品だが、あまりにも美味いので番外として“福島のうまい物”に登録する事にした。
孫達が原発事故放射能汚染で宇治市へ避難してしていた時、夏は近所にあったここのアイスを食べていたそうで、帰還した夏「爺ちゃんシャトレーゼのアイスは一番美味いよ」と謎をかけられ、それ以降夏場にはそんなアイスを届け続けて3年目になった。
製品紹介によるとアイスバーだけで43種類もあり、隣の町内にある店には少なくても20種類はあり、孫達の好きな順に画像右端のキウイバー・ショコラバー・苺ミルクバーで、ラムレーズンバーは娘の好物で今や爺婆の大好物でもある。
ラムレーズンバーは表面を薄いホワイトチョコレートでコーテングされていて、口に含むとラムレーズンのきめ細かなクリームが口いっぱいに広がり、無くなりかけた頃にはコーテングされたホワイトチョコレートが溶け出す味と香りの変化は何とも癖になり、ハーゲンダッツのラムレーズンカップアイスに優るとも引けをとらない美味さだ。またキウイと苺ミルクバーも他には無かったきめ細やかでねっとりした食感は材料の一部にでん粉・寒天・もち粉等が使用されているからだろうか。

南郷トマトジュース

2014年04月16日 | 福島のうまいもの
           
生トマトは何の抵抗も無いのに何故かジュースは何とも微妙で、鶏肉の次に嫌いな食べ物だ。
このトマトジュース、2月末福島県物産館で開催された「南会津うまいものフェアー」抽選会ハズレの景品で一缶もらった。冷蔵庫に入れたまま忘れていたが、一昨日「折角もらって来たのだから自分で飲めば」と放置した責任をとらされて投薬の感覚で飲んだ。一口含むと何とあの嫌な特有のクセは全く無い、しっかりした甘味とコクはさわやかで、何とも言葉で表現出来ない程の旨さなのだ。これまでのトマトジュースは一体何物だったのか、イメージは一変してしまい独断と偏見で“福島のうまいもの”に急遽追加した。
余にも美味かったので県物産館へ行って買って来たが、十数年前南会津町(当時は南郷村)の栽培農家を取材で訪ねた頃は、まだ組合も生物だけの出荷だけだった。
この頃トマト栽培は既に土を使わない温室水耕栽培周年収穫の工場であったのに対して、南郷では自然の理に従った土(有機肥料)に拘ったハウス栽培の収穫期も7月下旬から10月までの農場だった。そして何よりも標高も高く昼夜の気温差が大きくトマト栽培に適した土地柄と自然栽培が、南郷トマト(ジュース)の美味さの秘密だと素人百姓の体験からも確信した。

あんぽ柿

2014年02月20日 | 福島のうまいもの
 
                    
福島の冬の味覚“あんぽ柿”は、子供の頃は何処の家庭でも秋には蜂屋柿の皮を剥き軒下に吊るして乾燥させ、一ヶ月もすると渋も抜けて軟らかくアメ色になり、冬場の貴重なおやつになった。
何時だったか忘れてしまったが、東京の姉が「福島のあんぽ柿を食べてみたいなー」と懐かしんでいた事を突然思い出し善は急げと、今日伊達町のJA伊達みらい農産物直販場で求めて宅急便で届けた。
姉のイメージでは紐で吊るした15~6個を1個ずつ取って食べて行く事であったが、原発事故後果物では一番放射能汚染された品種として収穫禁止になり、今シーズン汚染量の少くなった地域のみが、収穫と加工が許可されて3年ぶりに復活した。
全て染量計で測定パスした物だけが出荷されているそうで、多分今は測定器の関係か紐で吊るしたままの物は姿を消し、全てこんなパック詰めの風情も感じられない物になってしまった。
しかし、味は全く変わらず表面はしっかり乾燥していて中はトロットとした口当りの強い甘さは、和洋菓子にも無い表現に苦しむ自然の恵みだ。
ただ放射能汚染ゼロでは無い基準値以下の毒入り饅頭ならぬ“毒入りあんぽ柿”は、孫達には食べさせられない大人限定の何とも残念な“福島のうまいもの”に登録。

巨大桃“西王母”

2013年09月24日 | 福島のうまいもの
 
                   
JA新福島ここら黒岩店(農産物直売所)へ開店と同時に入ると、持込みが遅れた生産者が桃を陳列中だった。
初めて見る大きさに圧倒されながら話かけると、福島桃発祥の地桑折町隣接の国見の生産者が川中島白桃とゆうぞらを交配した“西王母(せいおうぼ)”と云う新品種で、肉質はやや硬く緻密で多汁、最高糖度19%、大玉の川中島白桃の倍800gにもなり、当人も今年から収穫、超晩成種として有望視されているそうだ。
1パック2個入り400円。食べ頃は一週間程熟成してからとの事だったが、珍品に魅かれて買ってしまった。手にすると確かにずっしりと重くて、家に帰って計ってみると738gもあった。果たしてどれほど美味い物なのか?結果は一週間後になるが、収穫順に暁星・あかつき・まどか・川中島白桃・ゆうぞら・黄金桃の主力品種に続き、この“西王母”も世に認知される日もま近ではないだろうか。
果物王国福島の桃は原発事故風評被害で低迷してしまったが、品質味共に日本一と自負している。

高田梅

2012年09月18日 | 福島のうまいもの
  
                    
旧会津高田町(現会津美里町)の特産品「高田梅」は杏ほどの大きさで一粒50~80gにもなるそうだ。種が小さく果肉も厚く、紀州南高梅とも異なり、漬けても軟らかくならずに外は硬く中は軟らかめで、ソフトな酸味とカリカリの食感は癖になり、特に我家では「高田梅甘漬小割」は朝茶には欠かせない存在だ。しかし、小袋入り140g630円は何分にも高価で、残念ながら夏限定の夏を越す健康食品の域から脱せない。
小袋はコラッセ福島(福島県物産館)でも年中買えるが、500gや1Kgの物は現地会津美里町か通販でなければ入手出来ない。


昔羊羹

2012年08月16日 | 福島のうまいもの
  
                    
羊羹の表面を糖化させたジャリッとした砂糖の歯ざわりの羊羹。一代限りの貧乏和菓子屋の末っ子自分が子供の頃に食べた昔懐かしい味だ。こんな羊羹、数年前中合デパートで毎年開催される九州物産展で佐賀の「小城羊羹」にめぐり合い、以後毎年小豆と抹茶の二種類を求めて賞味していた。
今年の春コラッセ福島(福島県物産館)で玉羊羹で有名な二本松玉嶋屋が数日間出店。コラッセ福島のパンフレットに「玉嶋屋の昔羊羹」が目に留まり、初日に求めると紛れも無い小豆の昔懐かしい羊羹だった。
今は宮内庁御用達の東京虎屋の羊羹ですら、練りあがった羊羹を長期保存のためアルミの袋へ流し入れ密封して固めるため、表面が糖化する事がなくなった。これを昔ながらの製法で作り上げ竹の皮で包装すると、期日を経る程に羊羹の表面から糖分が染み出し自然乾燥した物が“昔羊羹”の原理だが、製品を均一化して仕上げるには羊羹屋それぞれの秘伝があるらしい。
現役時代玉嶋屋へ取材で伺った事があった。仕事場へ入ると楢薪を焚きながらボートの櫂にも似た大きな木べらで銅鍋の餡を練る職人の姿を一番先に目にした。主人は「昔ながらの製法で火加減も練りも全て職人の感と腕次第、でも自信は絶対あるんですよね」の当時の言葉はアルミ袋では無い今もって竹の皮一枚だけの昔ながらの包装でも品質管理が十分に行届いた優れ物なのだ。普通の羊羹も絶品だが、この“昔羊羹”も優るとも劣らない“福島のうまいもの”逸品に違いはなく是非お薦めしたい一品だ。

いか人参

2012年04月11日 | 福島のうまいもの
            
子供の頃正月の食卓に必ず並んでいた“いか人参”毎年クリスマスを過ぎるとおふくろからスルメいかをマッチ棒の大きさに切る事を命じられ、裁ち鋏みで指にマメを作りながら切り終ると、おふくろは細く切った人参と混ぜ合せて茶色のかめに醤油と酒で漬込んでいた思い出がある。
この“いか人参”食料難の時代を去ると我家からは姿を消して思い出す事も無かったが、何年前だろうか俳優佐藤B作氏が確かTV番組「秘密のケンミンSHOW」で紹介して話題になり、その後B作氏の実家飯坂町の佐久商店から販売される様になった。急に脚光を浴びて温泉旅館の名物料理に採用、各食品店も競って販売一年中購入出来る様になった。
昔を思い出して何度か作ってみたが、結構手間がかかり期待した“おふくろの味”は引き出せず、市販品の食べ比べが始った。味覚は全てバラバラ、自分に一番合っていたのは、スルメいかは生いかに近い軟らかさと人参は湯通りしたかの様な絶妙なバランスの、福島駅エスパル「大晃魚がし」の物だった。
偶に思い出して食べる様になったが、下戸の自分でもビールやワインのツマミにも良く合い、白飯でも旨く食べられる逸品で、美味い物の少ない福島の食の中で“福島のうまいもの”に追加した。

納豆

2012年03月05日 | 福島のうまいもの
            
今朝犬の散歩に出ようとしたら外は雪、既に20cmも積り昼過ぎまで降り続いてみぞれから雨に変った。
春の訪れを告げる天候と感じながら、我が素人百姓農園の“ねぎ”も今が一番美味い時期で、昨年まではこの時期1月下旬から二ヶ月間限定で“ねぎ納豆”を好んで食べていた事を思い出した。
「普段は決して食べないのに何んで食べるの」と家族からも馬鹿にされていたが、貧食時代に散々食べさせられた今では避けて通りたい1つも、当時近所の農家自家製の冬期間限定の“わら筒納豆”は、わら独特の風味と軟らかくて辛い刻みねぎとの相性は格別美味だった。
わら納豆菌自然発酵の納豆は入手不可能になってしまったが、昨年までは自家栽培の軟らかいねぎを使った“ねぎ納豆”は郷愁もあったので、納豆を「福島うまいもの」に久々に登録した。
  
                    
今自分の食べる納豆は市内だいもんじ食品の北海道産大豆を使った「大粒納豆」限定だ。昔食べた“わら筒納豆”の風味は全くないが、小粒や挽き割り納豆では味わえない食感が何とも郷愁を誘い、他には同類の高価な物も他社から数品販売されているが、これが一番旨いと思う。
でも、放射能土壌汚染で素人百姓は廃業してしまったし、市販のねぎは硬くて不味いので期間限定の“ねぎ納豆”とも決別してしまった。原発は何とも憎い!

お米のアイス

2010年08月04日 | 福島のうまいもの
我が農園の収穫物なすの漬物の素“三五八”(喜多方市越後屋醤油店)が切れてしまったので、県物産館コラッセふくしまへ買いに行ったら、三五八の隣に「保冷剤不要常温で運べるアイスクリーム」と表示された“お米アイスの素”が並べてあった。何とも面白いので興味本位で、試しに2個(1個\250)買って来た。製造者は郡山の老舗宝来屋(ここの三五八は並)http://www.e-horaiya.com/米麹が専門で、冷やし甘酒を販売したのも日本初と言うから、この商品の製品化も当然の結果だったのだろう。
冷蔵庫の冷凍室に入れて8時間後に女房と二人で試食した。抹茶味だったが、本物の抹茶アイスクリームとはかなり異質で、色は黒ずみ、風味は甘酒の味が優り強烈な甘さで、砂糖など添加物は一切使用していないと言うから驚いた。食べ終わった後のさわやかさは無く、口の中には妙な甘さが残り、間もなく胃酸が多量に分泌を始めてか胃モタレの症状が現れてしまった。
“うまいもの”として紹介するのには相応しくなかったが、冷やし甘酒同様日本初の製品を賞賛して、珍品として紹介した。