ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

KH8SI(Swains Is)

2006年07月30日 | アマチュア無線
         前回のQSL(20.17mCW/SSB.15.12mSSB)
7月22日DXCC337番目のニューカントリーとして誕生したアメリカンサモアに属するスウェインズ島。長さ2Km幅1.7Km海抜6mのこの島はアメリカンサモアの首都パゴパゴの北方450Kmに位置する。この島がニューカントリーの条件に合致する事を発見したJA1BK溝口さんは昨年3月国際チームを結成して運用したが、何故かARRL(アメリカのアマチュア無線連盟)から拒否されてしまった。そして再びBKさんをリーダーとする国際チームにより昨日の朝から運用が開始された。
☆7月29日9時、14195KHzでKH8SIの信号は弱いがBKさんの声だ、予定では今頃到着だったので多分仮のANTだろう。まだビックガンばかりにしか応答はない。DP並?では徒労だけ、そしてこの後はW(アメリカ)Eu(ヨーロッパ)が順に開けて来るのでJAはその合い間だろう。14は明日以降に?と聴きながらメールを送る。1時間ほどしてIC、BWTさんから早々にGetしたとの返信に何時もの事ながら二人の馬力には脱帽する。
☆13時50分買い物から帰った。18135KHz、Sメーターは振れないが聴こえる。ダメモトで時々呼んでみたが応答があるのは矢張りビックガン組?そしてJA1以南が圧倒的に多い。人口も多いがCondx(電波伝搬状態)もJA7方面にはまだ開けていない様だ。
☆15時、信号も強くなりSメーターは5~6を確実に振っている。これなら自分の信号も届くはず勝負は今と懸命に呼び続けた。しかし数が多い、何度も席を立って冷茶やコーヒーを沸かして気分転換、もうダメかなーと頭を過ぎった時UP12KHzで「JA7P?」と応答があった。06:26z二回目で確実に応答があり約1時間30分の戦闘の末にこれでやっとDXCC#1の座確も保出来て先ずは一安心。その後14195KHzを聴いたがEuの指定席。
☆21時30分風呂から出る。7085KHzで70~80KHzの指定、国内並の信じられない強さにDPでは勝負にならないのを百も承知でつい7~8回チョッカイを出してしまったが間もなく「Out Side Japan」で自分は閉局。
☆そして今30日15時、14195KHzでEu指定中。18135KHzは15分程前までEuを指定していたが14195をアナウンスして休憩?した。14もこの後夕方にチャンスがあるかも知れないが、まあー最終日の明日にでも・・・・

じゃが芋収穫

2006年07月29日 | 素人百姓
食べて美味しいので毎年“きたあかり”を栽培している。長雨の影響で1/5位は腐っていたと同じ小作人の仲間から聞き、今朝雨が止んだので泥んこ状態だったが5株ほど掘ってみた。腐りは2個だけで安心したが、生育状態マバラでこんなに大きいのが混じると結果的に減収不作の様だ。品種は“きたあかり”比較的新しい品種で“男爵”よりも旨いし、この土地(福島)にも適合しているので数年前からこれだけを栽培している。アンデスの原種とか“紅あかり”なども植えてみたが、収量が極端に少なくて道楽を差し引いても割りに合わないので一回だけで止めてしまった。
今夜は早速このじゃが芋で料理教室で習ってきた「魚のじゃが芋ピッツッアー風」の実習だ。

しょぼいアンテナ(モンテネグロ)

2006年07月28日 | アマチュア無線
                  14~28ハムペリと7・10DP
我が家の旧地主、年寄りの生甲斐と私の家の西側600坪の水田を生活廃水で耕作して米を作っていたが、時代の流れに逆らえず二年前大型二階建てウェークリーマンション二棟を建ててしまった。
事前のインターフェアー対策が最重要課題となりそしてアンテナエレメントが上空侵犯しているので、それもあって建設・管理会社を交えて工事中に対策実施と爺様の了解を取った。「オラー何もサスケネー(差し支えない)」と、自分も特別の関係と認められたのか或いは爺様の機嫌は損なえないと判断したのか自分の要求は全てOKだった。当然自分の誠意を示す必要もあり、従来のバンドは全てやり尽くした感もあったのでこれを機会にWARCバンドへの挑戦と住人、更に近隣住人とのマッチングを考慮して世(ハム)の常識に逆らいアンテナを大幅に縮小してしまった。
14はDP並も前のTA-371-40より当然受信レベルは落ちたものの聴こえればカリブでもアフリカでもパイルアップにならない限り応答があるので不満はあっても“結構楽しめる”だった。しかし、3Y0Xでも全く無かった事が今回の4O3Tで
14CW→JA7PD、2回リピート
14SSB→JA7*L?2回リピート
18CW→JA7PLJ、2回リピート
18SSB→JA7、ラストL?1回リピート
21CW→JA7PL?2回リピート
21SSB→JA7P**?3回リピート
今回は全てこの調子で前代未聞、しかも23日の21SSBは何と1時間20分も費やした。3Y0Xでは偶々結果が現れなかっただけで、これがこのアンテナ本来のパイルアップ時の実力だろう。KH8SIは明日午後から3日間、先ずはDXCCのお膝元アメリカ次にヨーロッパが優先されるだろうしJA(日本)に廻っても自分に出番なんてあるのだろか?

料理教室8回目

2006年07月27日 | 男の料理
今日また一人年配者が入って来た。奥さんが以前先生に習って評判が良かったので、旨いものが食べたくなったので習いに来たとの事だった。「それなら俺は奥さんに不味い料理しか教えなかったのか」と先生の言葉に全員苦笑した。
明日は我が身かも?あい変らず入院中と体調不良で二人が欠席、7人で「魚のじゃが芋ピッツァー風」と「イカのサラダ(イタリアン風?)」の作り方を習った。
作業分担を言い渡され「一番早く来た者、魚の担当」と、幸か不幸か今日に限って何時も一番早く来ていた先輩が一番遅くて、電車の到着時間で二番目だった自分が一番になり何とも実力不相応な作業を任されてしまった。
“メダイ”は初めて見る大型の魚だ。7人分なので半身で十分、三枚下しの手順で頭を残して半身だけ下すと云う。まだ鯵、しかも教室では一匹しか下していなかっしもう心も手元もプレッシャーでガタガタ。背から慎重に包丁を入れ始めた。一さし指に上骨の感触が伝わって第一難関突破と思った瞬間に「ダメ!止ろッ!」と先生の叫び声。包丁の先端が何と下骨を引いてしまった。水平に引いた心算が余にも骨の感触を焦って微妙に包丁の角度が立ってしまったのだ。それにしてもミスを眼だけで見抜いた先生はさすがにプロ、大失態だった。
夏イカは小型で柔らかくてサラダに最適だそうだ。エンペラー(耳)を剥がすと同時に皮むきの工程に入るが、イカには三枚皮があって初心者は普通一枚目に手にかけてしまうのでマトモニ剥けなくて失敗するそうだ。独身の女生徒には「男(皮)は二枚目をつかめ」と教えるとか、爪先で二枚目を探り当てると確かにスルッと簡単に剥けた。料理本やTV料理番組では「布きんを使え」と教えていたが“夏イカは不味い”と云った固定観念も腐食して皮の剥き方と今日も大収穫だった。

              
茶碗のご飯と箸・お茶が何故か場違えな感じ?美味しかった。サラダ右端のゲソは捨てるのがもったいないので付録。

DXCC(モンテネグロ)

2006年07月23日 | アマチュア無線
                   全カントリー交信の楯
DXと表示すれば一般社会ではDeluxsと解釈するが、万国共通の無線電信略語ではDistanceでハムの間では遠距離通信・海外通信・外国・QSO(交信)するのが困難な所を意味する。電波がこの世に出現した頃から先人達は電波をより遠くへ飛ばそうと日夜努力していたが、やがて短波が地球の隅々まで飛ぶことが分り、つい最近まで国際通信の主力(今は衛星通信)は短波通信であった。そんな短波の開拓者はハムで、ハムは自然に世界各地のハムと交信を楽しむようになり1937年アメリカのアマチュア無線連盟がDXCC(The DX Century Club Award)のルールを制定して世界各国のハムに解放した。ルールは一応国(カントリー)との交信数を争うものだが、カントリーと云っても基本は国だが他に植民地や信託統治地域、離島などが含まれ現在地球上にその数は335もある。それらの中にはハムのいない国や禁止国(現在北朝鮮)がありそれに無人島と、その上社会情勢の変化で国の廃統合などあり全ての国との交信達成は至難の業で5~10年では到底不可能なのだ。自分も24年かかってしまった。
全カントリーと交信して申請するとTop of the Honor Roollと云うDXCC No1の名誉会員の称号が与えられるが、このレースにゴールは無く政変などで新しい国が誕生したり島が発見されると当然それらとも速やかに交信を済ませて証明物件のQSLカードを添えて申請しなければならない。その為には常にベストコンデションでの運用が不可欠で、ひとたびこのDXCCレースの魅力に取り付かれてしまうと正に“泥沼”我ながら“完成度の高い一生涯の遊び”だと思いつつも反省する事しきりだ。
東西冷戦終結後旧ユーゴスラビア(YU)から離脱が相次ぎクロアチア(9A)スロベニア(S5)ボスニア・ヘルツエゴビナ(T9)マケドニア(Z3)が独立していたが6月28日新たに“モンテネグロ”が国連の承認を受け新しい国としてスタートした。DXCCにも当然336番目のカントリーとして新たに加わり、今この国を相手に世界中のハムが集中砲火を浴びせている。
自分も散々苦労して18・21MHzのCW(電信)とSSB(電話)でQSO(交信)して一安心していたが、そんな矢先今度はアメリカンサモア(KH8)グループの島が337番目の新カントリーとして誕生、既にその島(無人島)へDXペデション(5人)のため航行中との情報が入った。運用は3日間との事、再び全世界の仲間を相手に熾烈なパイルアップ(競争)に突入する事になってしまった。
これで多くの現役組には自分が現役時代同様であった様に“親戚縁者の不幸”や“夏風邪”が蔓延して休暇者が続出する事になるだろう。

ゴーヤー&プリンスメロン

2006年07月22日 | 素人百姓
              
毎年キュウリの棚に一本だけ植える。生育旺盛で病虫害も無く完全無農薬で大量に収穫出来る正に健康スタミナ野菜その物。キュウリや茄子と異なって毎日食べる程の物でもなく3軒で食べても食べきれず、折角生育したのに“スマナイ”と思いながら、半数は土(肥料)に還元してしまう。同じ畑の小作人も同様で、昨年乾燥してお茶などの加工食品の開発を試みたが矢張り生食に限るそうだ。

              
プリンスメロンこれも同様にキュウリの棚に一本植える。間もなく収穫出来るが本来なら根元の葉はまだ繁っているが低農薬栽培、一回だけの消毒なのでキュウリのうどん粉病が伝染して枯れてしまった。まあーこれでも例年通りの作柄なので心配はない。こんな栽培他のメロンも何種類か挑戦したが全て失敗、唯一原種に近いプリンスメロンだけが物になる。

風前の灯

2006年07月19日 | アマチュア無線
SWL時代から切らさず購読しているCQ誌、今ではどうって云う事も無くなってしまったが、発売日が近ずくと一刻も早く読みたくなって来るから不思議だ。福島では19日発売される。何時も午前中に買いに行くのだが、この日にお手伝い(夜のオツトメ)がある時は仕事の合い間の楽しみたいので夕方まで我慢して出勤途中で買うことにしている。
今年の春、本町の老舗のN書店では既に売り切れだった。
「CQ誌今日発売のはずなんですが、まだですか?」
『申し訳ありません、売り切れました』
「何冊位入るんですか」
『3冊です。お取り寄せしましょうか?』
そして今日はここを回避して少し遠周りして駅前のH書店へいったが店頭に無かった。
「CQ誌ありませんか」
『さっきまであったんですが無ければ売り切れです』
「何時も何冊位入るんですか?」
『最近お求めになる方が少なくなったので数冊です』
とんだ寄り道になってしまったがN書店へ。幸運にも最後の一冊だった。インスタントHam大量生産の頃は何処の書店にも二列に並べて山に積んであったが、そんなHamの自然消滅と共にCQ誌も“今や風前の灯火”になってしまった。

近着のQSL

2006年07月17日 | アマチュア無線
三日前IBRS(国際郵便料金受取人払)で11枚ほど届いた。何れも従来のバンドでは雑魚カントリーだが全てWARCバンドのNewで貴重品。
 ☆H44MS(Solomon Is)     12mSSB
 ☆HQ9F(Honduras)        30mCW,17mCW/SSB
 ☆OA4/DL5YWM(Peru)    30mCW,12mSSB
 ☆VK9LNO(Lord Howe Is)   30mCW
他に5W(30m)BY(30m)JT(17m)KG4(17m)OA(30m)VU4(12m)とこれで30mは90Entity回収出来たので予備を入れて年内にあと14~5回収出来れば待望の80mバンドに挑戦。 

タスマニアの新そば

2006年07月16日 | 手打ち蕎麦打ち
昨日午後2時から清水学習センターでそば研の例会があった。
今月のテーマは“タスマニア産新そば”輸入品である。国内消費量の80%が輸入品で普通に考えれば珍しくないのだが、そば研では国産の名品や県内産にこだわり続けているので輸入品は外道なのだ。そんな外道を何故やるのか、それは輸入品の中でもタスマニアオーストラリアのタスマニアは位置関係から季候風土も青森に酷似して良質のそばが採れて輸入品の中では一級品とかで国産の名品と言われている物と遜色ないそうだ。しかも6~9月はそばが一番不味い時期にあり、まだ序の口身分で推察に過ぎないが“一足早く新そばを食らう”と言う単純な発想なかなと思う。
こね鉢に粉をふるいにかける時点から香りが漂い、その度合いが強いほど美味しいそばに仕上った。浅い経験ながらそんな事から期待感でいっぱいだったが粉を開封した時点で消失した。予定通り1Kg10人前を10割で打ち、各自の物と比較しながら試食したが一同に期待ハズレか?批評の言葉は少なく口に出せないほど、自分も同じだった。
残り500gも打つ予定だったが時間切れになってしまい今朝家で二八で打った。昼に一人欠けたものの何時もの通り6人+幼児2人で試食した。タスマニアの新そばを強調してイメージ戦術も試みてみたが“何時ものそばと変わらない”だった。
外部モニターに毒見役を依頼しているOご夫婦の報告も同様で「全国のそばから香りが消えつつあり、そばの香りは遠い昔話・・・」も添付され、確かに近年はそばに限らず食べ物から香りが消えた。今回のタスマニアのそばも普通の業者から購入したので米業者同様に「古玄そばがブレンドされたのかも?」と製粉者Sさんの感想もあった。

料理教室7回目

2006年07月13日 | 男の料理
             乾篇茄子(カンペンチーツー)とポークカレー
体調不良とかで今日は3人休み、その変りでもないが38~9才位の人が今日から仲間入りした。自分達の時と同じ様に自己紹介させられたが、この教室では名前年齢経歴も知る必要はなくただ料理を習いに来た理由だけ話せと指示される。「酒が好きで旨いつまみを作りたいから」との事だったが、1時から勤務とかであとかたずけの途中で慌て12:45頃帰ったから、多分近所に勤めているのだろう。
今日はスパイスを何種類も使った本格カレー作りを習った。近年はフレーク状のルーの方が固形の物より旨いのでメーカーを変えながら使っていたが、今日の味は今まで何処でも食べた事がない新しい味だったし、矢張りこの辺で自分流のオリジナルが必要なのかも知れない。
手順の中で新しい技もいくつかあり特筆は玉葱のミジン切り、縦半分に割って頭から尻に向って或いは反対でも要するに繊維を断ち切る薄切りにすれば炒めと煮る工程で繊維部が自然に溶けてミジン切りと結果は同じになる。料理本には一様にミジン切りと書いてあるが、これなども先生が長年の経験から生み出したものだろう。
また“乾篇茄子”単なる茄子炒めだが、長ネギ・ザー菜のミジン切りはともかくピーマンまでミジン切りにして挽肉と四種の混合にして、主はあくまでも茄子だがしっかりとピーマンも入り、敬遠したい野菜の自分にも調味料的な感覚で何の抵抗も無く自然に口に出来たので、ピーマン嫌いの子供にも最適な調理方法の様だ。
写真は食べ物だけにもっと鮮明に撮らなければならないのだがステンレス調理台の上でしかも目的は撮影ではないので、ごく短時間に遠慮しながらこれで精一杯。