ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

クリスマス

2016年12月25日 | 撮影編集孫専科
 
今日が外孫末っ子“はやと”の誕生日で10才になった。
誕生以来25日に爺の家でやる恒例の誕生会+クリスマス会も、爺婆の老齢化に伴い準備も含めて負担になり昨年返上したが、はやとの切なる希望で今年も爺の家で行った。
以前にはケーキ以外は殆んど爺婆の手料理で歓待したが、昨年は一部手製になり今回は全てスーパーで調達した味度外視の既製品でまかなった。
夕食も兼ねているので爺は何とも満たされない気分だったが、他の孫達からも以前とあまり変らない満足感が感じられたので、小学生の間あと2年間は頼られるのかな。
まーそんな事を感じながらも、日頃は平均週一回は爺手製の孫達が喜びそうな“おかず”を届けているのだから、我ながら動物の本能子育同等の“爺の孫育て”なのかなとつくづく思ってしまう。

簡単ケーキ

2016年06月12日 | 撮影編集孫専科
               
   
4年生のはやとはゆとり教育の延長線上なのか4~6年生グループの部活動も始まり、爺の意に反して科学クラブでなく料理クラブへ入ってしまったそうだ。
昨日「何時も爺チャンに美味い料理届けてもらうから料理教えて」と電話があり、どんな物を作ったか聞くと砂糖を溶かして飴とフルーツポンチの二品で、部活はどうやら月一回の様だ。
料理の基礎は包丁の使い方からと思ったが、部活はどうやらままごと遊びの延長線の感じなので、ホットケーキミックスに自家製のキウイジャムやバナナ・板チョコ・卵・牛乳を加えて、ケーキの紛い物を電子レンジで焼き上げた。
材料を準備しながらgやccの単位「1Kgは何g」などと答の引き出しは勉強の復習、各工程の作業も可能な限り手出しを差し控えて実施したので、本人は多分無我夢中のうちに終ってしまったのではないかと思う。
そば打ちなら小学生相手に“そば打ち体験教室”で数多く教えていたので鬼に金棒だったが、料理は初めてなので、またやりたいなんて言われたら何が良いのかな。

運動会

2016年05月21日 | 撮影編集孫専科
   
   
「何処の爺だ!と目立ち過ぎては困る」と婆さんから小学校行事の参観と撮影は一切禁止されていたが、一度も行かないのでは悔いを残してしまうので、体調も良かったので午前中だけ孫達の運動会を観戦して来た。
先ず目に飛び込んだのはグランドの隅に設置された放射線量測定器だった。
これは市内の主な施設や学校、公園等に原発事故直後文化省の通達で年間被曝量20mSvを目安に毎時3.8μSvを超えた所での野外活動が禁止された事から設置された物で、市のデーターによると各施設の平均0.22~3.63μSv/hが除染終了の2年後には0.08~0.46μSv/hに減少して、ここ第一小学校の現在値はデスプレーに表示されている±0.101μSv/hとなり不安は解消された。
しかし、当時は市内でも最高値に近く危険を感じたPTA仲間と共に娘達も自主避難して、今も自由業だった親の子供達は復学する事なく去ったままだそうだ。
幼稚園の運動会ではビデオ撮影だけで写真撮影は初めてだった。
ズームレンズの望遠55~200mm一本だけでは不足を感じて、更に連写機能セットを完全に失念してしまいシャッターチャンスとホーカス追従もマニアル無しではどうにもならず、また観覧席以外は動けないし観戦の邪魔する事も出来ないので、思い描いていた物は一枚も撮れずに大失敗だった。

修学旅行

2016年04月17日 | 撮影編集孫専科
   
13日から二泊三日の修学旅行で京都・大阪へ行って来たと、昨日愛実が京都のお土産を持って来た。
特に珍しくも無いバームクーヘンだったが、原発事故自主避難先の宇治市で三年間過していた時にも食べたと云う愛実厳選の宇治抹茶のバームクーヘンだそうだ。
今回訪れた京都や奈良の名所も、三年間の間に休日の多くはボランテアの方々に引率されて行っていた所ばかりで、ボランテアの小母さんや大学生の顔も浮かびとても懐かしかったそうだ。
今の修学旅行は生徒達の自主性が尊重された実行委員会が組織され、行き先スケジュールは旅行会社と三者で決定されるそうで、愛実は京都在住の体験から委員長に推薦されて大役を果たした様だ。
里菜も二年後に若し京都へ行くとしたら同じ思いを、何れにしても自主避難は辛い事ではあったが、それぞれが貴重な体験をしたと思う。

入学式

2016年04月06日 | 撮影編集孫専科
   
何時の頃から午後になったのか今日は里菜の中学校の入学式で、午前中に始業式を終えた男組は爺の家で留守番する事になった。
自分の家は町中なので学校から自転車乗りは禁止されているそうだが、爺の家は学区外の町外れと自分達で勝手に決めて、普段乗れない分まで思う存分に乗り回した。
こんな所でも通り抜けの車も多く意外に危険が伴うなので、爺も青天の下でスナップ写真を撮りながらタップリ2時間も監視役を務めてしまった。
里菜が戻った4時半過ぎには日差しも傾きかけて記念写真には摘さなかったが、入学日のメモリーとして数枚シャッターを押した。

お泊り

2016年04月03日 | 撮影編集孫専科
             
末っ子のはやとが永久歯に生え変る前歯三本に奇形が見つかり手術で医大の口腔外科へ入院したので、他の三人が暫くぶりに二晩だけ泊まった。
何時の日にか実行しようと考えていた孫達と一緒に料理する絶好のチャンスが到来して、全員が均等に参加出来る“爺の手作り餃子”を食材の買出しから一緒にする計画をしていたが、何故か直前に婆さんに反対されて折角の楽しみも奪われてしまった。
「品を変えて」とも言われたが「ヤメル!」と反論したので、婆さんは主婦の得意な“30分で作るカレー”を作り、そして二日目はびっくりドンキー行きにも不本意ながら従った。
日頃は長くても半日位なのに二泊三日とあっては、婆さんも精神的にも疲れてついエラついてしまったのだろう。小さい時は何とも思わずこれ以上に大変だった筈なのに、お互いに老いたか正直自分も疲れた。

プラレール

2016年01月06日 | 撮影編集孫専科
   
自分の家では階下からクレームがついてしまい思う存分遊べないと、昨日は里菜以下3人が爺の家で一日中暴れ廻って帰った。
部屋の中で縄跳びなど自分の子供ではとても考えられなかったが、どんなに暴れても怪我さいしなければ許してしまうから、可愛さあまりの爺婆馬鹿なのだろう。
今日は愛実が静かな所で自習したいと入替わり、午前中の部活を終えて学校から直行して夕方まで過して行った。
朝の電話を聞いたとはやとは愛実の前に1人でチャッカリ到着。昨日の再現かと思ったらさすがに1人では続かず、愛実の自習開始後はプラレールの線路のコースを何度も組替えながら大人しく3時間程過した。
その間に爺は孫達家族の夕飯のおかず“えびチリ”の紛い物、鶏胸肉に換えた“鶏チリ”豆板醤抜きを作り、孫の帰宅に併せて届けた。
本物を食べさせたいと思っても量も多く必要だし、年金生活者は物によってはこんな事しか出来ないから、何ともガッカリしてしまう。

はやと誕生会

2015年12月25日 | 撮影編集孫専科
   
   
25日がはやと9才の誕生日で今年もまた爺の家でクリスマス会と併せて誕生会を行った。
孫達の誕生会は爺の家で行うのが恒例になっていたが、原発事故放射能汚染で宇治市の避難先から帰還後は何故かはやとの時だけになってしまった。
考えてみると婆さんのご馳走作りが何時の間にか負担と本人が感じてしまい、今回も白飯を炊き「すし太郎」と云う混ぜご飯の素で混ぜ寿しと野菜サラダを作っただけで、他の食材は全て既製品で済ませてしまった。
そんな買出しの間に愛実と里菜は100円ショップで買って来た画用紙と折り紙で2時間程かけて飾り物を作り、帰った時には飾り付けも済んでいて、ほぼ20分過ぎには誕生会がスタートした。
しばらくして改めてサンタさんのプレゼントを聞いてみると、愛実は爺の理解困難な女性歌手のコンサートのDVDと里菜は二冊の参考書、大翔とはやとはゲームソフトだったそうだ。
6年生の里菜はサンタの正体昨年はまだ半信半疑の様子だったが、今年は正体を知りたいと枕もとに時計を置き時々眼を覚ましては監視していたそうだが、4時過ぎには熟睡してしまい、眼を覚ました7時には枕もとに置いてあったそうだ。
親の何れがサンタ役だったのか里菜以上に寝不足だったのでは、そして里菜は何とも初心な、でもとっくに気が付いていたのかな。爺の質問には何とも微妙な微笑みだけだった。

お泊り

2015年12月19日 | 撮影編集孫専科
   
末っ子のはやとは以前から「冬休みになったら泊りたい」と言っていたが、どうやら我慢出来なくなり里奈と二人で泊りにやって来た。
四年生の大翔とはやとは年子で、この春頃までは双子の様に何時も一緒に行動していたが、最近は好みや遊び方も変ってしまい、大翔も再三誘ってみたが、爺の家にはあまり興味が無くなってしまったらしく簡単に拒否されてしまった。
夕食後二人で神経衰弱カードゲームで過した後は爺と共に入浴。21~23時までTV金曜映画劇場“スターウオーズ”を観ていたが、爺は習慣を厳守して一足先に床入りしてNHKラジオニュースを聴きながら22時過ぎには熟睡。
   
夜更かしが祟り8時過ぎにようやく起床。はやとは9時半からこむこむ館の行事に参加、里菜は10時からFTVカルチャースクールへ行くと9時に爺の車で帰宅した。

はやと誕生会

2014年12月25日 | 撮影編集孫専科
  
                     
昨日ははやと8歳の誕生日だった。誕生以来クリスマス会と一緒に行っていたが、孫達の希望で今年のクリスマス会は夜自分の家でやる事になり、誕生会は昼爺の家で簡単に済ませた。
ケーキ点灯の前にはクラッカーを鳴らして祝い、孫達は飛び散った紙テープを集めて主賓はやとの飾り付けは3人協同作業だ。何の抵抗も無く素直に受け入れている光景は可笑しくもあり、若し姉弟が少なかったら眼にする事は無かっただろう。
年子で大翔も二週間後には9歳になり何度か双子と間違えられた事もあったそうだ。誕生した当時は子沢山を心配した事もあったが、今観察していると何とも平和で微笑ましく子沢山は正解だったと思う。
  
                     
午前中中央学習センターで低学年対象の書初め練習会があるので、大翔と里菜は爺の家で留守番する事になった。
里菜はお願いしていたデジタルカメラをサンタさんが本当に持って来たと喜び勇んで見せてくれた。大翔は何も持たずに現れたので何をお願いしていたのと聞くと妖怪ウオッチの縫ぐるみ人形で、はやとはゲームのカセットだったそうだ。
里菜はサンタさんて本当はどんな人なのか知りたくて眠くなっても薄目を開けていたが、何時の間にか眠ってしまい眼が覚めるとみんなの頭の上にはサンタさんのプレゼントが置いてあり、時計を見ると2時半で開けたら希望したカメラだったので、とても嬉しくて朝まで何度も眼が覚めてしまったそうだ。
昨年24日昼の愛実との会話では半信半疑だったので既に気がついていると思ったが、質問もされなかったし夢を壊したくなかったので「良かったねー」とだけ言ってやった。
嬉しさはまだ継続している様子で大翔をモデルに何時までも撮り続けていた。