ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

大晦日

2006年12月31日 | その他
                        感激の花束
この一年は近年にない激動の年だった。
1月9日3人目の孫誕生、そして我が身内では前代未聞の20日程の早産ではあったが12月25日に4人目男子が1年しかも年を跨がず誕生してしまった。
「誰にも迷惑を掛けない」との事だっが、結局孫専科から不本意な孫専従に進展、止む無く46年間世話になったN**の3文字から11月末日で完全引退した。もつとも6年間は第二の職場ではなくお手伝い、自分では“お礼奉公”の感覚で勤めて来たが関係者の皆さんには感謝あるのみである。
仕事には人並ならぬ未練もあったし、また40年間の蓄積した技をこのまま閉鎖するのは余りにも勿体無いと思って来た。そんな訳で偶には現役時代とあまり変らない仕事もあって、何と云っても一番の思い出は2001年、正に21世紀の幕開け元日の朝に九十九里浜海岸に設置した特設ステージで、日の出の太陽を背景に中村勘三郎・勘九郎・七之助親子三人で舞う「連獅子」のTV生中継放送だった。
この放送はGTV・BSと同時に、また世界に向けて配信された。前夜から降り続いていた雨も放送30分前に止み、心配された太陽も放送時には雲の隙間から実に効果的に踊りのクライマックスには背景に全開となり、演者・スタッフ共に至福の劇的な瞬間を迎えた。雨でリハーサル無しのブッツケ本番のアドリブだったが、自分は現役時代に先代勘三郎と勘九郎(現勘三郎)の「連獅子」を歌舞伎座で経験していたので何の問題も無く、お目出度い時に舞うと伝えられるこの「連獅子」の舞いを親子二代に渉り、しかも定年後に関れた事に感謝と同時に誇りにさえ思えた。
こんな仕事の合い間ではあったが、N**文化センター福島教室からのお誘いもあって関係者の皆さんには大変なお荷物だったと思うが、全く未知の分野のド素人が二年少々貴重な体験をさせて頂き実に充実した日々を送る事が出来た。これも感謝あるのみである。そして12月29日には忘年会、実質自分の送別会にお招きして頂き、更にもう生涯手にする事も無いと思っていたこの“花束”素晴らしいプレゼントに改めて感謝、お礼の言葉も見つからないほどだ。
11月には福島の同僚、自分と前後してリタイアーした6人の中でY君が2人目として逝ってしまった。彼とは高校の同級生、彼は入局後ラジオに配属されて地味ではあったがそれを基礎に送信技術のスペシャリストになった。自分のTV番組制作のヤクザ稼業とは異なる本道を歩んで来ただけに、本当に貴重な人材を失い、自分の完全リタイアーと合せても何とも淋しい限りだ。
散歩だけが唯一の日課と云う同僚も居る中で自分は道楽三昧の日々、今後は孫専従で如何ほど楽しめるか予測もし難いが、早く逝ってしまった同僚の分まで“残り少ない日々を思い残す事無く充実して過ごしたい”と新たな歳への願望でもある。

80m Band

2006年12月19日 | アマチュア無線
                  5B4AGMと交信時のデスプレー
CD-78jr短縮DP約23mHは近場はまあまあだがバンドの違いもあってか、同じDPでも40mとは雲泥の差で予測はしていたがサッパリ飛ばない。しかもこのバンドもローカルノイズが常時5~7もあって、皆んなQSOしているのに大部分がノイズの中で聴こえない。
このバンドに出始めた12月4日以降毎日早起き、と云っても目覚まし時計に頼らず自然任せの5時前後、今朝はしばらくぶりにコンデションに恵まれたくさんの局が聴こえていた。
5:11に3502で5B4AGM(Cyprus)がCQを出す、パイルアップになる前に運良くGet、しかし599-559、JA7PL?二度目で確認だった。またHA8RM(Hungary)は579-579だったが、皆んな599で返って来るS59A(Slovenia)からも559、これまで429(A45XR)や449(W5VX)と相手は他のバンドでは殆んどもらった事が無い正直なRPTを送って来るので、このバンドでのリポートは信用出来る。まあーそんな事から、このバンドは自分に取っては一番苦労する事になるだろうが、三途の川を渡る紋所、冥土の土産に5BandDXCCの取得は避けて通れないのだ。

料理教室16回目

2006年12月15日 | 男の料理
前回は同級生Y君の葬儀で欠席してしまったが、教室としては実質18回目の“ボルシチ”と“鶏肉ガランデントマトソース”二品、昨日習って来た。
ボルシチは「ビーツ(蕪に似た濃い紫色)が入らなければタダのとまと煮」と説明があり、ビーツは需要も少ない事から生物は品薄で高級食材店か缶詰を使うしか無いそうだ。これまで4~5回TVや料理本を見て作っていたが、ビーツなんて何処にも記載されていなかったので、それらは全部紛い物?だった。
Webで再度検索して見たらごく一部に食材としてビーズも記載されていたものの大半は省略、これを記載された先生方は果たして理解されているのかなーと考えてしまった。
習いに通わなかったらこんな知識も得られなかったし、自己流からの脱出が一番の目的だったが習って本当に良かったと思う。
鶏肉の方は天敵だが、ハンバーグで作る手順で挽肉を処理して鶏もも肉で巻き、フライパンで焼いて更にオーブンで焼いた後トマトソースで煮込む、4~5日間保存可能でクリスマスや正月用に最適だそうだ。

ハタハタ

2006年12月14日 | 男の料理
秋田の旬の味“ハタハタ”が届いた。とは云っても秋田の同僚FさんがSさんのところへ送った物で、Sさんが「一箱あっても食べきれない、手伝って」とお裾分けして頂いた物だ。
Sさんは「F君が仕事先から送って来た」と産地表示ラベル(船名まで)も付けて持って来た。男鹿北浦港は秋田では一番水揚げの多い港でハタハタ=北浦、自分も三回ほど仕事で関った懐かしい所だ。近年は乱獲ですっかり高級魚になってしまったが、当時は入港する舟全てが船倉からあふれ出るほどの大漁で、浜の値段が一箱40円、その木箱が100円と信じられない安値だった。
当時秋田では“ハタハタ”は正月を迎える必需品として何処の家庭でも大量に消費していた様で、仕事が終わると皆んな一人4~5箱も買い込んで中継車や電源車にいっぱい詰め込んで帰って来た。自分は4~5匹もあれば十分なので同僚のそれぞれから「1匹ずつ恵んで」と頼んだら、背丈ほど積まれた箱から溢れ落ちた地面のハタハタを指して「踏まれてない物を拾ったら」と一同爆笑も結局一匹ずつ恵んでもらったが、その時先輩のAさんから「ハガチャンもハタハタを好んで食べる様になったら転勤だナ、皆んなそうだから」は今も忘れない。

              
何時しか好んで食べる様になり、こんな美味いもの親兄姉にも食べさせたいと思い、食通のMさんに相談したら「市民市場で酒粕・味噌も買ってゴミ袋に詰めて客車便で送れ」と、指示通りに何度か送った事があった。
しょっつる(塩汁)鍋が定番だが、今回は当時の懐かしい思い出に浸りながら酒粕漬け(味噌と半量)を再現、一週間後に二度目の楽しみが待っている。
また年末には秋田八森町S水産から(毎年予約)ハタハタ寿しが届く。我が家でも何時しか新年を迎える必需品になってしまったが、ハタハタは漢字で魚に神「鰰」と書く。
今回は正に神のお使い?恵に感謝感激!

水車挽きそば粉

2006年12月13日 | 手打ち蕎麦打ち
そば毒見役にお願いしているOさんから、岩手に行って来たとそば粉をお土産に頂戴した。そば粉の袋のシールには水車とヒメホタルの絵と共に葛巻町江刈川・水車の里の味と技と書かれてあり、この粉は間違いなく今時珍しい水車製粉の大珍品!だ。
入学する前だったろうか、近所に水車小屋があってそこでは小麦粉の様な物を挽いていたが、まだこんな自然豊な風景が残っていたと想像すると訳も無く嬉しくなってしまった。そんな事を思い浮べながら三ヶ月ぶりに頂いたそばと今が旬の信夫山産の柚子を使って“ゆず切り”をそれぞれ10人前打った。
Oさんにも当然試食をお願いしたが、水車製粉の粉はイメージ通りの田舎系でしっかりした味と食感で十分満足した。

近着のQSL

2006年12月12日 | アマチュア無線
JARLから今回も12日遅れて32枚ほど届いた。
以下ダイレクト請求分も含めて今回のバンドニュー
 ☆4S7DUG(Sri Lanka) 15mRTTY
 ☆9M2/JH3GCN(Malaysia) 12mCW
 ☆BT4B(China) 20mRTTY
 ☆DL2JRM/BY(China) 17mCW
 ☆EX8MLE(Kyrgyzstan) 12mCW
 ☆FG5FR(Guadeloupe) 17mCW
 ☆GM4DZX(Scotland) 30mCW
 ☆MM0XAU(Shetland) 17mCW
 ☆TK/DL4FF(Corsica) 30mCW
 ☆S59AA(Slovenia) 30mCW

80mで運用再開

2006年12月11日 | アマチュア無線
セカンドハウス(シャック)の夢破れリホーム完了。6畳間を確保して80mバンドをメインに三ヶ月ぶりに再開した。狭い部屋どう配置しても上手く行かず何となくこんな形になってしまったが、デジタルモード用専用ノートPCの更新は失敗、ワイヤレスキーボード、マウスも含めて自作PCで再検討。

              
上段→ハムペリ(20~10m) 中段→CD-78jr(75,80m) 下段→ミニマルチ(30,40m)
4日にPY4XBでスタート、KH8,KH0,ZL,YU,UA6,UA0,SV,W,JD1,HL,9V,HA,SP,DL,UY5,LY,S52,JT,KLと出来て順調な滑り出しと思ったが、今日は殆んど聴こえず、夜聴こえたW8JIとお隣HLの2局だけだった。何しろこのバンドは初めての経験、全てがニューも1シーズンで100エンテーテーなんて無理な夢物語かも知れない。

              
ケーブル引き込み口に電工用のスイッチボックス(未来工業WB-12A0)を設置した。これは雷対策で過去に落雷ではなかったが、誘雷によりJRL-2000Fのコントロール基板が焼損して修理代に購入時の1/3も取られてしまった。またこの機種は既に製造中止で補修部品の確保期限も切れ、今後は修理不可能とメーカーから通告された事から安全対策で設置した。

りんご(紅玉)

2006年12月03日 | 男の料理
ネット通販で求めた紅玉が弘前から届いた。
料理教室で習ったりんごの“豚肉巻きフライ”自宅実習試食の結果も大好評で今頃になって「また食べたい」とリクエストされてしまったが、材料の紅玉既にシーズンオフで入手は不可能と思ったが、困った時のWeb検索?即実行、矢張り何処も完売だったが唯一冷蔵貯蔵の会社
http://www.rakuten.co.jp/ap-mate/671900/
にヒットして思いもよらず入手する事が出来た。
キズ物として販売されているが、届いた物はキズ物とは云ってもとてもきれいな良いりんごで大満足、5Kg箱で20個詰、良心的な商売に感謝感激。

              
三ヶ月ぶりに一族10人(幼児3人)が集合、リクエストに応じて調理した“りんご(紅玉)の豚肉巻きフライ”と孫達が大好きな定番の“魚のじゃが芋生地ピザ”で夕食。

              
                    煮上がった紅玉りんごジャム
残った紅玉は加工する以外処分の方法がないので全く初めてだがりんごジャムを作る事にした。ど素人なので出来るだけ簡単に、再びWebで検索したらいろんな作り方があり
http://homepage3.nifty.com/mooann/ringojam.htm
一番簡単だったのでこれに決めて紅玉のイメージも生かしたいと思ったので他のレシピも一部採用、皮も同時に煮込み(途中で取り出す)着色した。
蜂蜜とかシナモンを加えるものもあったが、このレシピは紅玉純粋の味、市販品にない味が楽しめて試食の結果も大満足。

              
                  壜詰めにした完成品(壜はリサイクル)
剥きあがり1Kgで2壜半、まだ残っている分でアップルパイに挑戦?

CD-78jrコントローラー

2006年12月01日 | アマチュア無線
              
CD-78jr(CD-78L)のコントローラーはキットで供給されているが、このシャーシーBOXで多くのユーザーはこれで満足なのだろうか。
自分はこのままでは何とも使い難く、ローテーターのコントローラーと並べて使う事にして工作が容易な木で自作した。

              
ありあわせの合板を使い接着剤と竹釘4箇所で固定した、ここまで二日。
この後木工パテで貼リ合わせ部分の隙間などを埋めてサンドペーパーをかけスプレー塗装、三度塗りで仕上がりに三日。

              
完成品。バランスがイマイチで空白部分はコールサインプレートを貼り付ける予定だが、上でなく下が正解だった。全面の傾斜もローテーターのコントローラーに合わせたが、同じゴム足を調達して同じサイズすればコールサインプレートなどダサイ飾りから開放されたと今頃気付いたが後の祭り。プレート貼りはしばらく中止。