ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

4月のBand/Mode New Entity

2012年04月30日 | アマチュア無線
            
中旬にはDXCC #1Honor Roll復帰への申請もARRLで無事受理されて一段落。次の目標はDXCC Callenge2500だが2000を達成したばかりで、もう普段では簡単に増える所は無くなってしまった。160m/6mの新たなスタートもあるが、自分の環境では何れも難しく問題山積どう考えても実現は不可能に近い。
以下今月のBand/Mode New Entity
 ☆SU9VB(Egypt)-17mRTTY
 ☆C31CT(Andorra)-17mCW
 ☆VU2NKS(India)-30mRTTY 

子安地蔵尊祭礼

2012年04月29日 | その他
            
子安地蔵尊の祭礼が行われた。
町内30軒余の氏子の中では義父母から引継いだ新参者。7時少し前から、先ずは大きな年代物のテント張りから開始した。作業には毎年顔馴染のテント張りには限度ギリギリの10人でしかも老体ばかり。間もなく72歳を迎える自分が下から3番目の若者で、今年もパシリ(使い走り役)で神官の送迎も命じられた。
13人でお祓いを受けた後、老体に手を引かれて参加する更なる老体も混じって宴の開始。自分達若者?は参加する事なく午後の撤収まで自主退散した。
昔は年に一度の宴の場、こんな名残も数少ない町内の若者達は見向きもしないし、正直自分も義父母が世話になった義理で断り切れずに加わった。後数年でテントも張れなくなったらこの祭礼は自然消滅かも知れないが?果たして・・・・
同時に無線仲間恒例の花見会が安達町のJM7OLWさん宅の裏山で行われていたが、残念ながら祭のパシリ役優先で参加出来なかった。


桃源郷花見山

2012年04月25日 | その他
  
                     
  
                     
  
                     
5~6年ぶりだろうか、午前中福島の桃源郷花見山へ自転車で行って来た。
朝から靄がかかり薄らとした花曇で写真撮影には適さなかったが、運動不足解消の散歩に変えて裏道を最短距離で走行、少し迷って長い坂道を二つ越えて30分程で遊歩道の途中に出た。数種類ある桜も今が満開で、遠方の駐車場を眺めると観光バスも数十台、遊歩道を散策するカメラマンや多くの中年と老人達の姿でいっぱいだった。
阿部一郎さんの私有地花見山公園、今年は花木養生のためと云う理由で開放されなくなったが、公園前の案内所には「4/25日現在この場所の放射線量1.22μSv/h」が掲示され、恐らく公園内にはピンスポットで危険箇所が点在するからではないだろうか。
自転車も侵入禁止と思っていたが、それらしき表示もなく、自分同様市民のママチャリ組みも結構見られたので、そのまま自転車で案内マップに従い以前の風景と照合しながら全コースを散策した。
ここは故秋山正太郎さんが毎年写真撮影に訪れて「福島に桃源郷あり」と言った事から評判になり、花見シーズンにはカメラマンや観光客が数十万人も訪れているそうだ。
道路、駐車場周辺工事と川の護岸工事や遊歩道の舗装整備も済んで、残念ながら20数年前まであった人影も殆ど無いのどかな里の原風景はすっかり失われてしまった。


福島学院大手打ち蕎麦部

2012年04月19日 | 手打ち蕎麦打ち
            
一昨日Y先生から応援要請の電話があり、18時からアオウゼ4F調理実習室で行われた福島学院大学のサークル「手打ち蕎麦部」の手伝いをして来た。
月一回開催されているそうで、今夜は通常の例会ではなく明日開催される春の学院祭で振舞うそば150食分(100食は先生提供)のうち50食を部員が皆で打つその手伝いだった。
18人でスタートした。途中から顧問の若い先生と卒業した先輩3人が加わり、大変にぎやかに丸で口先だけで打っている感じで進められている。二年生が少し見本を示して即一年生を交互に指名、工程の説明も無く殆ど手真似伝授の一年生の戸惑いは気の毒なほど感じられ、しかも二年生の教える方は基本すら間違っていたり、それぞれが混乱の中でのそば打ちは、今まで10回程度の体験にしても余にもレベルの低さだった。それにしても三年生以上がいなかったと云う事は短期大学部?なのだろうか。
普段はY先生と青葉教室卒業生2人の女性後輩が指導しているそうで、今夜自分は郡山教室で教えていた一期生のSさん(転勤で福島在住)のピンチヒッターだった。
それにしてもこの二年生達の習熟度の低さは何とも・・・・ワイワイガヤガヤの雰囲気も大学サークル活動とはこんな程度なのだろうか。もっと真剣にならないと折角の時間がもったいないと思った。

Arrived QSL

2012年04月17日 | アマチュア無線
            
EK6LP(Armenia)30mCW Band New EntityのQSLが届いた。
3月13日朝偶然聴き、信号も大変弱くJA'sの誰も気が付かないうちに先方から福が舞い込んだ感じで幸運にも仕留める事が出来た。
ここアルメニアは旧ソ連邦の中でも一番小さな国で、独立前のプリフィックスはUG。局数も大変少なくて独立後の今も局が増えた気配は無く、しかも隣国アゼルバイジャンとの紛争が絶えないそうで、信号は殆ど聴く事が出来ない。
これまで50数年の間に16局とQSOしていたが、QSLの回収は大変困難で、これでやっと三枚になった。自分で保有しているQSLでは最も所持の少ないP5(N.Korea)に告ぐ超一級の大珍局だ。

たけのこ料理

2012年04月15日 | 男の料理
  
                    
下り物、鹿児島産筍を使って旬の味「たけのこご飯」と「たけのこの煮物」を作った。
昨日下処理した軟らかい部分は炊込みご飯に使い、硬い部分は煮物に利用した。調理の方法は料理教室で習得した日本料理の調理方法を厳守して、かつをの出汁採りからスタートした。ポイントは手間を惜しまずに尽きるが、煮物の具材、蕗・椎茸・うどはそれぞれ別鍋で煮る。たけのことワカメは、先ずたけのこを煮て取り出した残り汁でワカメを汁がほぼ無くなるまで煮込む。これによりごった煮にでは味わう事の出来ない各素材の味が更にアップする。煮上がった物は大皿に盛り付け、各自好きな物を好きなだけ小皿に取って味わうのが自分流で、狭いテーブルを少しでも広く使える方法だ。
たけのこは三軒ほど回って一番新鮮な物を求めて来たが、恐らく収穫から幾ら早くても4~5日は経過しているから、毎度の事ながら香り味共に朝取りしてその日の内に下処理した地物には勝てない。放射能汚染で昨年に続き今年もダメだろうから、姿形雰囲気だけの年に一度の不満足な“旬の味”だった。


花見

2012年04月13日 | 手打ち蕎麦打ち
  
                    
県内で一番先に開花宣言する小名浜から開花宣言も今だ聞かれないが、一足早く福島手打ちそば研究会恒例の花見を兼ねたSTさんを偲ぶ会が“そば酒房香り家”で午後6時から開催された。
参加者は20人程、少し遅れて会唯一の若手新婚間もないM.Kさんも現れて、会長と一緒に並んだところで、香り屋さんからだろうか、ママさんからお祝いの花束が贈られた。
自分達のテーブルでは北朝鮮のミサイルや原発事故の話題はそこそこに久しぶりに蕎麦談義に専念した。終宴近くになって薬味の会津金山町に自生する野生の“あさぎ大根”からW.Eさんが山菜の“ドッホ(学名イヌドウナ)”に転換、坂下に勤務していた頃食べて最高に美味しく、自らも昭和村付近まで採りに行った事を思いで深く話された。自分も秋田で初めて口にして下郷町の民宿で再びめぐり合い、以後山菜の王様と思っていたのでまだ語り尽せなかったが、残念ながらお開きになってしまった。

いか人参

2012年04月11日 | 福島のうまいもの
            
子供の頃正月の食卓に必ず並んでいた“いか人参”毎年クリスマスを過ぎるとおふくろからスルメいかをマッチ棒の大きさに切る事を命じられ、裁ち鋏みで指にマメを作りながら切り終ると、おふくろは細く切った人参と混ぜ合せて茶色のかめに醤油と酒で漬込んでいた思い出がある。
この“いか人参”食料難の時代を去ると我家からは姿を消して思い出す事も無かったが、何年前だろうか俳優佐藤B作氏が確かTV番組「秘密のケンミンSHOW」で紹介して話題になり、その後B作氏の実家飯坂町の佐久商店から販売される様になった。急に脚光を浴びて温泉旅館の名物料理に採用、各食品店も競って販売一年中購入出来る様になった。
昔を思い出して何度か作ってみたが、結構手間がかかり期待した“おふくろの味”は引き出せず、市販品の食べ比べが始った。味覚は全てバラバラ、自分に一番合っていたのは、スルメいかは生いかに近い軟らかさと人参は湯通りしたかの様な絶妙なバランスの、福島駅エスパル「大晃魚がし」の物だった。
偶に思い出して食べる様になったが、下戸の自分でもビールやワインのツマミにも良く合い、白飯でも旨く食べられる逸品で、美味い物の少ない福島の食の中で“福島のうまいもの”に追加した。

Arrived QSL

2012年04月07日 | アマチュア無線
            
TG9AHM(Guatemala)15mRTTY Mode NewのQSLが届いた。
TGは直接請求しても過去の回収率は決して良く無かったので、今回も散々迷ったが、貴重なRTTYのNewなのでダメモト覚悟でQSOした翌日の1月12日、茶封筒に並の切手を貼って投函した。当てにしていなかったので受取った時はクジを当てた感覚で、しかも中には珍しく過去のQSLのシールと布製のペナントが同封されていた。
以前にもEA,I,XE等から同様のペナントやコイン、コルクへ印刷したQSL、更にA4版の巨大QSLもあった。誠意を込めて送ってくれた本人達には申し訳ないが、正直のところ保存にも困るし本命のQSL以外にはあまり興味が無い。

ふきのとう

2012年04月05日 | その他
            
1ヶ月前に借地だった畑から出戻りした花壇の蕗が無事生き返り、ふきのとうが芽吹いた。このふきは食べる事も無く、観賞用なのか義母が庭の片隅に植えた物だったが、20数年前駐車場を作った時、他の樹木と共に廃棄して何故か訳も無くその一部を畑の隅に移植した。
料理を習い始めた一回目が「ご飯の炊き方」と「旬のふき料理」だった。野原の何処にでもあるふきと馬鹿にして食べる事も無かったが、先生の手にかかるとイメージが一新してしまった。翌年からは春一番の旬の味として、先生と同じ愛知県産養殖物を求めて好んで食べる様になった。四月初めは「旬の蕗料理」と決まっていて、三年も習ったので治朗部煮・炊き合わせ・信田巻き・当座煮・炊込みご飯等と葉も捨てる事なく佃煮になった。畑のふきも一坪程に増えて、試しに食べてみると味・食感・香りの何れもが養殖物を超えて、以後は我男の料理人の貴重な旬の食材になっていた。
昨年は放射能汚染で放置したが、義母の遺品でもあり、素人百姓廃業と共に失うのは何とも偲び難く再び花壇の隅で鑑賞する事になったが、汚染が消え再び口にする日は訪れるのだろうか。