ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

祭り

2009年04月29日 | その他
  
                   
再び三度目の子安地蔵尊の祭礼がやってきた。
この一年の間に新たな加入者があったそうで、それでも氏子は37名とか。正直のところ自分は避けて通りたかったが懇願されて、義父母が生前世話になったので断りきれなかった。
そんな中で自分は下から二番目の若輩者、7時から11人の老人パワーを結集して準備を始めたが、今年から新参者の登竜門使い走りを命ぜられ、途中で抜け出し神官を迎えに行き帰着して次ぎは料理仕出屋へ、神事が済んで神官を送って一段落。
お払いを受けた16名のほぼ半数が残ったところへ更に老人数名新たに加わり祭の宴、正に前世紀の遺物の行事?なのである。何れは自然消滅もあと数年はこんな形で・・・・・何とも気が重い。
  
                   
小学生以下の子供達には菓子袋(300円)が配られる。昨年は足りなくて今年は80個準備したそうだ。普段町内会行事の公園清掃や下水道清掃には不参加の家庭でもこんな時は大変協力的で、中には夫婦に付き添われて中学生が、更に奥さんが「私の家にはもう一人娘が・・・」と娘の分まで持ち帰る。娘は確か1年前に高校を卒業していたはず・・・・何とも許し難い非常識、せつない気分になってしまったが神に免じて我が心に閉じた。無言で渡したKさんも多分同じ心境だっに違いない。
少なくとも娘達夫婦にはそんな非常識であっては欲しくはない。これからの社会この孫達は一体どんな環境の中で成長して行くのか先が思いやられる。

Arrived QSL

2009年04月28日 | アマチュア無線
しばらくぶりにバンドニューのQSLが届いた。
 ☆EY8/F4EGS(Tajikistan)→40mCW   
 ☆P43JB(Aruba)→17mCW
80mバンドもシーズンオフになってしまったが、そんな状況の中で今朝はJA1DOTさんがブータンからA52DTでサービス。ヒマラヤ山脈越えの信号もこの時期にしては期待以上のレベルも“西高東低”で大阪以南が断然有利に展開した。
QRV周波数の3.5075は変な信号の混信とフェージングがあって339~559、信号のピークを待ってコールすると「JA7P**?」でコールバックされたが、ちょうど信号の谷底で確信が持てずもう一回のコールバックまでと一瞬躊躇した。今回も出て来たお節介屋がすかさず「K」を打つ、そんな手助けまで受けて恥さらしはしたくなかったので瞬時に撤退した。
その後すぐ30mバンドへ切り替えた。太陽の活動が全く静かで黒点数はゼロとか、この辺の周波数帯になると電波伝搬は太陽活動に大きく左右されるので、聴こえて来る局も少なく、しかも大部分の局は聴こえはじめると直ぐピークに達して5分程でフエードアウトしてしまう。整理簿を片手に一本釣り。OZ1CTK,YU8A,MD0CCE,HA1IPとMD(GD)を除き他のバンドでは雑魚も貴重な3UPのバンドニューとなった。

姫神芋(長芋)植え付け完了

2009年04月27日 | 素人百姓
            
温暖化現象の進行を考慮して例年にない早さで春の農作業をスタートしたが、アバウトな性格が災いして何時の間にか作業は例年並みになっていたが、なす、きゅうりのマルチングもようやく完了して連休明けには苗の移植も可能になった。
手前が粘りが強くて食べても旨い、素人には栽培しやすい姫神芋。奥はきゅうりの床。」例年過剰生産なので今年は思い切って各種の栽培面積を半分にした。
            
昨年から鳩の姿が無くなったので今年は早生枝豆ととうもろこしを試験的に直播にしてみた。
とうもろこしも近年は生食出来る物など甘みの強い品種もたくさん出回ってきたが、このウッティーコーンはまだ市場では見かけた事がなく、甘さだけでなく豊かなコクと風味もモッチリとした食感は他の品種では味わえず、数年前から好んで栽培していた。
今年はたくさん食べたいとリクエストに応じて、時期をずらして9月頃まで4回種蒔を予定している。

郡山青葉教室13回目

2009年04月26日 | 手打ち蕎麦打ち
最近手打ちそば打ちのブームも一段落したのか、福島教室の受講生も最近若干減少してこのところ講師陣に十分余裕があるので昨日は休んでしまった。
郡山教室は通常パターンで一人目は今日で二回目の受講生。参考資料を片手に二度目の実技開始。意味不明で説明に困ってしまった質問もあったが、珍しく熱心な方に出会った感じを受けて、こんな方を相手にすると自分もつい力が入ってしまった。
数人のお手伝いした最後は何時も同時スタートする老夫婦。これまでは旦那の方ばかりだったが、初めて奥方のお手伝いをした。習熟度は旦那に比べてかなり上?Sさんの話では、旦那に無理やり連れて来られて、初めはやる気がなかったが、やって見たら面白くなってしまったそうだ。
それにしてもこの部屋はあい変らず乾燥が激しく、生地の硬化も急速に進み少々のところは見逃す事になり、こんな悪条件を好材料にスピードアップと説明しながら、何とも充たされない気分で終了してしまった。

こしあぶらの炊き込みご飯

2009年04月24日 | 男の料理
            
天ぷらでしか食べた事がなかった“こしあぶら”一口咬むと口の中いっぱいに軟らかなほど良い苦味と何とも言えない上品な香りはクセニなり、たらの芽やふきのとうにない山菜の王様ならぬお姫様と自分では評価してしまう。
近年は養殖物が大半で、JA農産物直販所にも昨年以上に陳列されて、決して安くはないが新たな旬の食材として知られる様になった。
            
そば研究会Hさんからメールで炊き込みご飯を写真で紹介して来たので早速試してみた。
Hさんの炊込みご飯は白飯で、ご教授を依頼したところ
 ①他の炊き込みご飯同様味付けして炊き上がったら保温を解除する。
 ②こしあぶらを軽く湯通しして細かく切る。
 ③ご飯が少し冷めたところで(緑色の確保)こしあぶらを混ぜ合わせる。
早速Hさんと一週間前に今日の料理で野崎洋行(小野町出身日本料理)さんがたけのこご飯で紹介していた油揚げをフードプロセッサーにかけて調味料を加えて米と炊き合わせる。これらの良いところを採り入れて(パクリ)自分オリジナルの炊込みご飯に仕上げた。油揚げは米に隠れて調味料のごく一部に変り存在感は無い。うこぎご飯が野性味溢れるド田舎の味に対して、こしあぶらは天婦羅の時よりソフトな香りは気品豊かな味とも思えて素晴らしく美味!だった。

幼稚園

2009年04月22日 | 撮影編集孫専科
            
みその幼稚園年少組へ入園した大翔と年長組の里菜は4月8日から一緒に通園している。
大翔は初日幼稚園バス乗車拒否の大暴れ、二日目は泣きながら先生に抱っこしたまま、三日目には観念して無言のまま自ら乗車したとか、今では幼稚園バスが一番大好きになってしまったそうだ。
 
        愛実 7歳(2年生)
      
              里菜 5歳(幼稚園年長組)
              
                      大翔 3歳(幼稚園年少組)
                     
                           竌斗(はやと) 2歳   
            
竌斗はじめもう全員がレンズを向けると「見せて、見せて」とシツコク迫って来る。一眼レフのカメラでさえモニターのある事に気づかれて、近年はこんな記念写真しか撮れなくなってしまった。しかもビデオ撮影などは致命的でもう行事物位しか撮れない。今更フイルムカメラ?なんて困ってしまう。

花見

2009年04月19日 | アマチュア無線
           
主に海外通信を楽しんでいるローカル無線仲間恒例の花見、安達町のJM7OLWさんの裏山で楽しんで来た。
OLWさんが16年前に植樹した数10本のソメイ吉野は昨年より更に立派な成木に、今年は例年にない早さで一週間前に一気に満開になってしまったとか、葉桜にはまだ早いそんなところで初参加のJA7VYZさんを迎えて、新たにバンド開放された135JHzと最近仲間が導入したACOM 200A
         http://www.rfinq.com/acom2000a.html
の話題を中心に過した。
使い始めてまだ日は浅いそうだが、感想を聞く程に素晴らしい機器で、現役時代であったら長期計画で実現可能かも知れないが、既に年金生活者の自分には夢物語だった。
135KHzの長波帯は通信の草創期に利用された周波数帯で、長波は伝播距離が短くそれに不満を抱いた我々ハムの先人達が短波帯の通信を開拓、世界中に届く事を発見して、やがてプロの世界でも短波通信が主流になったが、季節や太陽の活動に左右される不安定な短波通信は10年程前に完全に消滅、安定な衛星通信に代ってしまった。今や短波帯は一部の国際放送と電波伝搬の意外性・スリル・ロマンを求めてハムのみが使用を続け、またアナログ技術終焉直前の今、無線通信の原点に戻り長波帯の通信が再びハムの手に依って僅か100年程で甦生されるのは何とも皮肉な現実だと思う。
あっと云う間に時間が過ぎて、気が付けば予定の16:04の電車には乗り遅れて16:37の電車に乗車。
  
                     
あい間に今食べ頃の“たらの芽”と“よもぎ”も収穫。雑草の“よもぎ”はいたる所に自生しているが、近年では犬の糞尿や除草剤等で採取しようと思っても里山ではもう無理、しかしここは保障付の安全な場所“草ダンゴ”にして味わうかな。
            
家で15分程休憩した後18:00からそばダイニング香り屋で福島手打ちそば研究会の花見を兼ねた「瀬戸さんを偲ぶ会」に参加した。
急逝されて1年、瀬戸さんには自分は“切り”が出来なくて、科学的に解説した資料を基に指導して頂いていた途中だった。未だに習得出来ない未熟さに誠に申し訳ない気持ちで献杯した。遺影の前には大好きだったと言う丹後(京都)の日本酒香田と生ビールを供えて各自がそれぞれの思い出を語り合ったが、しかしアルコールの量に比例して何時の間にかそば談義の通常パターンに、こんな事が何よりの供養だったと勝手に解釈。双方の花見は語りつくした楽しい一日だった。

ゆず切り

2009年04月18日 | 手打ち蕎麦打ち
            
研究会、今日は隣のお爺さんの葬儀に参列して途中から参加した。ほぼ葉桜になってしまったが好天にも恵まれてそば打ちよりは行楽優先で出席者は少なく12名だった。
何時も会員の皆さんに被写体になっていただいているので、今日はHさんにお願いして自ら被写体になった。
            
昨日、横浜の義妹家族のリクエストに応じて“常陸秋そば”を味わってもらったが、同時に予定していた時節柄の“桜切り”は先日の初打ちでは見事に失敗してしまったので、季節外れだが、高知産の柚子が入手出来たので“ゆず切り”にした。しかし、一昨日夜に打つ予定が更級粉の手配ミスで断念、今日打って宅急便で自宅へ送る破目になった。
思考錯誤の結果柚子の量は粉の10%+果汁2mml位がベストの様で、粉650g7人前を打った。
すり鉢で30分程擂りおろした柚子と果汁は「つぶし」の途中から加えてつぶしながら生地に練り込む。
            
4人前だけ送り3人前は研究会仲間に試食してもらった。「ラーメンみたいな色だ!」「良い香り」の声も聞かれたが、矢張り季節外れ、低温貯蔵に因るものか秋の物より、更に信夫山産の完熟した物には到底及びも付かず、今の季節にしては“珍しさ”だけの様な気がした。

S04R(Western Sahara)

2009年04月17日 | アマチュア無線
            
西アフリカWestern Saharaからしばらくぶりにスペインとフランス国際チーム10名により14日から明日早朝までの予定でDX Pedtionが実施されていた。
ここは現地局S01Aがごく稀に運用するらしいが、日本からの電波伝搬はカリブ海以上に困難な地域で、特に自分の様な標準以下の設備では、大部分この様なDX Pedtionに頼る以外チャンスは無く、今回も参戦はしていたが伝播状況は最悪で40/30mは何とかチャンスはあるものの、何故か再び“西高東低”でコールバックは大部分JA3(大阪)以南でアキラメながらも受信は継続中だった。
珍しく来客があって「15:47の新幹線でお土産を買うので早めに」と催促され駅まで送って16:15に帰宅。10.104MHzでSメーターは振れないがQSB(フェージング)を伴って559で聴こえる。UP1~3KHzの猛パイルアップ、2.1のところに応答があった。次は2.3どうやらこの時点では上へシフトしながら捕っている。2.6でKeying、一回目は空振りで二回目の16:27にGet、あまりの早さに信じられずリポートだけで良いのに念を押して「JA7PL JA7PL QSL 599 BK」『JA7PL-・・-)』で再確認。常に実力では蚊帳の外、運だけが頼りの微弱局の自分には余りにも出来過ぎだった。
  
                    
EA9EJは当時唯一の現地局で14.Oct.1972 08:30z 20mSSBでQSO、当然大珍局で日本でもこのカードの所持者は当時30局未満だったと思う。
ここ西サハラS0は1975年にスペインが領有権を放棄してモロッコとモーリタニアに分割独立。その翌年に一部地域の民族がサハラ・アラブ民主共和国を独立宣言してS0が誕生、EA9EJは75年に消滅したが76年再びS0としてDXCCに有効になった。
Log(業務日誌)の過去の交信一覧表からもここはごく少なく、今回の30mは当然バンドニューになった。

Arrived QSL

2009年04月14日 | アマチュア無線
            
アフリカ大陸とマダカスカル島の中間にある小島Mayotte Isで運用したFH/G3SWH(17mCW)バンドニューのQSLが届いた。
現地人の局も数局あるが、ここと交信するのは意外と難しくほとんどが観光や静養で訪れたリッチマン達が運用したものだ。これは先月3日16時27分にQSO(交信)何とこの日は開局50周年記念日で最高のプレゼントになった。
            
オーストラリア東海岸から東方800Kmの珊瑚礁に点在するリーフの一つMellish Reef(無人島)からしばらくぶりにVK9GMWが3月28日から4月10日の予定で運用された。
悪天候で離島出来ず、回復を待つ13日夕方まで運用が続けられて、それまで巡り合せが悪く出来なかった12mと10mも運用停止直前に物にQSO出来た。RTTYは逃してしまったが
80/30/17/12mのバンドニューを得る事が出来たので大満足。
            
第1回目のQSL。当時はDX'erの人口も少なくて100Wとアパートの屋根に建てたGPアンテナで簡単に出来たのだが、実は開始直後から少しだけJA(日本)を相手にしてNO JAになってしまった。ヘットホンをかけて二晩も寝ながら待機してヤット解禁になり5~6番目にQSO出来た忘れる事の出来ない思い出深いものだ。
休暇もたくさん余っていたので当然緊急の電話申請。理由はいろいろと使い果たして、この時は確か“食アタリ”だったと思う。
その後ここは何度も運用されて来たが、自分のLog(業務日誌)にはVK9ZR(Oct.1978)VK9MR(Oct.1984)VK9ZM(Jan.1989)VK9ML(Apr.2002)が記録されている。
史上2回目のVK9ZRには日本を代表してJA1KSOが参加、この時彼のCW(電信)Keyingテクニックは抜群でしかも超ハイスピードの、それは自分の知る限り今日まで存在しない素晴らしいオペレーションだった。幾ら早い信号でも自分のコールサインだけは判るものだが、余りの早さに大部分の局は逆に戸惑い、ローカルでも当時JA7BEI/CWZ/TAPと144MHzの連絡ネットでお互いにコールバックを確認し合った事も懐かしい思い出で、こんなオペレーションは後にも先にもこの時だけだった。