ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

12月のBand/Mode New Entity

2012年12月31日 | アマチュア無線
            
            
サイクル24のピークはこの秋とも伝えられていたが、どうやら昨年秋だった様にも感じられて、お空のコンデションだけが頼りの弱小局の自分はPT0S(St.Peter & St. Paul Rocks)は完敗、ZL9HR(Campbell Is)ではBand Newを1つしか捕れずに終えた惨敗だった。
以下今月のBand New Entity
 ☆FG5FR(Guadeloupe)-30mCW
 ☆ZL9HR(Campbell Is)-12mCW
 ☆HP3AK(Panama)-17mSSB
 ☆EA9UG(Ceuta & Melilla)-40mCW

大晦日

2012年12月31日 | その他
  
            
                     
現役時代は大晦日を自宅で過した事は2~3回しか記憶に無いが、今“ゆく年くる年”のTV中継放送を視聴しながら、確か16回もこの中継現場で仕事をしていた事を懐かしく思い出されると共に、この一年間を振り返りながら新年を迎える事が恒例になってしまった。相も変らぬ構成と仕込み(再現=やらせ?)によるものだが、何故かこの番組だけは素直になれて、同時に祈り日本人であった事に幸せを感じて安堵する。
先輩Tさんから助言されていた「気力体力共に70歳まで」は更に現実になり、4月からの半年間“限りなく黒に近い前立腺癌”の診断が晴れるまでは、40歳の厄年に胃癌の疑いがあった悪性胃潰瘍で体験済ではあったが、かなり落ち込みながら二度目の終活も済ませた。道楽の1つ素人百姓小作人完全廃業の決断も、放射能土壌汚染からではあったが、神様が与えてくれた絶好の潮時だったのだろう。
夏には義姉と義兄との別れもあったが、何よりも悲しかったのは13年間共に過した子供同然の愛犬との別れだった。自分自身先の事はもう予測出来なくなってしまった。残された貴重な日々は、何事も挑戦者の精神で新たな年を過したいと思う。

再び宇治市へ自主避難

2012年12月30日 | 撮影編集孫専科
  
                      
  
                      
一時帰宅を知らされた時「正月はゆっくり過して学校が始る寸前に戻ったら」と進言したが、少しでも子供達を守りたいとの旦那の考えで28日までの滞在予定だった。しかし、愛実の同級生達との交流消化しきれず、乗車券の変更も出来たので、予定より2日遅れて16:23発やまびこ146号で再び自主避難先の宇治市へ向った。
孫達は京都府で実施した甲状腺被曝検査では3人がA2判定で、愛実はのう胞が3個も見つかった。何のために自主避難したのか、何しろ水素爆発した翌日には放射線量が福島市内は県内一高かった(後日発表)のだから、スピーデーデーターの隠匿は重大な犯罪だ。若し発表され的確な指示もあれば休校とか、また市民も水を求めて、或いは食料調達に長時間野外の行列にも並ばなかったはずだ。爺達は先も無いし影響も無いと云うからどうでも良いが、孫達や次世代を担う若者達が心配だ。
民主党には貧乏クジを引いてしまった事に同情すらしてしまうが、今度は自民党が自ら推進して来た原発の事故処理だ。早くも再稼動や建設工事再開の物騒な発言も聴こえて来るが、福島第一原発の現状から被害者としては絶対容認する事は出来ない。
しばらくぶりに孫達と逢えて嬉しかったはずなのに、何故か虚しさだけが残ってしまった10日間だった。涙がこぼれる“原発は憎い!”

年越しそば

2012年12月30日 | 手打ち蕎麦打ち
            
今年は千葉の甥子へ送る約束をしてしまったので例年より1日早く朝7時半からスタートした。
リホームが済んでもう5~6年かな、汚れも目立って来たのでもう青シートのカバー(粉末飛散汚れ防止)も必要無いのだが、何しろ主婦の城を短時間とは云え占有してしまうので、年々手抜きはしているが、今年もクレームの付かない程度に養生した。
福井県産の粉で“二八”2Kgと“ゆず切り”1Kgを打った。“ゆず切り”は地元の完熟した信夫山のゆずが放射能汚染出荷停止で使いないのが何とも残念で、唯一入手可能だった高知産を使った。
リホーム以前にはテーブルも置いてあったので作業条件には結構恵まれていたが、今は床上で“水回し”と“練り”は会津地方のお婆さん達と同じ手法で、“延し”と“切り”はシンクの上だ。こんな悪条件にも慣れてしまったが、結構時間は要して全て終了、台所として復元出来たのは12時も過ぎて1時近くだった。

滞在6日目

2012年12月27日 | 撮影編集孫専科
  
            
                    
4人で居る時は女組と男組にそれぞれ別れて遊んでいるが、愛実は毎朝電話で都合の良い同級生を探しては、遊び場だったホームグランド“こむこむ”へ出掛けて、時間刻みで同級生達と遊んでいる。偶には里菜も金魚の糞で着いて行く事もあり、送迎の半分以上は爺のお勤めだ。
愛実不在の時は偶に3人で爺の部屋へ乱入してPCで遊ぶ事がある。はやとは幼稚園へ入る頃から爺の無線機器に興味を示して、今では勝手に電源を入れダイヤルを廻して無線の会話聴いているが、モールス信号のリズムが特に好きの様だ。大翔はほとんど無関心で「はやとはDNAを一番濃く引継いでいるのかなー」とうれしくもある爺馬鹿。
            
今夜のおかずは「とまと風味のロールキャベツ」を作った。寒波の襲来で急に寒くなってしまったので、熱いスープも兼ねて汁タップリのロールキャベツに仕上げた。
子供用には小さくして1人2個で計22個、子供4人大人7人分の2鍋調理は自主避難以前に戻った感じだった。

Arrived QSL

2012年12月26日 | アマチュア無線
            
1日遅れのクリスマスプレゼントBand/Mode NewのQSLが届いた。
今日ある局には1A0Cも届いたそうだが7O6Tすら未着だ。9A1AAは雑魚もAAサフィックス局とのQSO/QSLが生涯テーマの自分には貴重なお宝で95枚目のQSLになった。
 ☆5U5U(Niger)-12mRTTY
 ☆5X1NH(Uganda)-12mCW
 ☆EL2DT(Liberia)-17mCW
            
秋田のIさんが銘柄米の“あきたこまち”を届けてくれた。原発事故後にも支援米として、今回は「銘柄米を存分に堪能して欲しい」と言う男の料理人に対するご配慮からだ。美味いそばに薬味は不要の持論同様に美味いご飯におかずは不要で、貴重な“あきたこまち”は新年早々にご馳走になろうと思う。そして男の料理にも相乗効果が・・・楽しみだ。

はやと誕生会

2012年12月25日 | 撮影編集孫専科
            
はやと6歳の誕生会、今年は2年ぶりに爺の家で行った。不幸にも25日に生まれたばっかりに、孫の家では毎年24か25日にクリスマス会と合せて同時に済ませてしまう。
            
  
                     
女組は朝からおり紙を切ったり画用紙に字を書いたりしているのを遠眼で眺めていたが、昼過ぎにはそれらを壁面に張って、はやと誕生会とクリスマス会の装飾だった。
何時の間にか弟のためにこんな気配りや演出を考える様になって、まだ僅かな空白期間ではあったが、遊び方にも大いに変化があり、それぞれの成長振りにはタダ感心するばかりだった。
  
                     
  
                     

                      
爺達は子だくさんで大変心配していたが、それぞれが歳の離れていない同性の組合せもあってか、お互いに気も合う様で自立心も強く勝手に遊んでくれるし、今のところは大助かりだ。しかし、この先原発事故の生活環境、進学、就職と大難関が待ちうけ、見届けられない自分には・・・・何とも滅入ってしまう。

りんご

2012年12月23日 | 原発事故
            
りんご“サンふじ”は家長の権限で今年から解禁した。
自分達の食べる物は以前同様本場湯野撰果場のハネ物で何の問題もなかったが、孫達には牛肉A5ランクと同じ霜降り状に蜜の入った最高級品の美味い物をたべさせたいと探し求めてきたら「福島産米と異なり全個検査では無い」と婆さんと娘が拒否、要求に応じて改めて青森産を買ってきた。
同じ“サンふじ”でも蜜の入らない物は、孫達の品種のイメージ低下からも食べさせたくなかったが、後日孫(女組)と一緒にアップルパイを作る予定があり“紅玉”も必需品なので同時に買った。
青森の方々には誠に申し訳なかったが“紅玉”は青森県産に優る物は無いと信じて使い続けているので“サンふじ”については何分にも真実なのでご容赦願いれば幸いだ。
福島の米、他の農産物と異なり、全袋検査体制でもう安全とは云っても、我家では今も安くて美味い北海道産の“ゆめぴりか”だから、原発事故放射能汚染さえ無かったら全て丸く収まっていたのに、何とも罪作りで“原発は憎い!”

研究会

2012年12月22日 | 手打ち蕎麦打ち
            
今年最後の研究会。年越しそば用の粉の配布もあり、日頃滅多に参加しない人達も現れて大盛況の様子だったが、自分はそばを打つ事もなく30分ほど見学して、福井産粉と更科粉等を受取り帰宅した。
年越しそばには当然“ゆず切り”も打つが、Yさんの話では“信夫山のゆず”今年も早くから放射能汚染で出荷停止になっていたが、近々の放射性物質検査結果は399ベグレルだったそうだ。大変残念がっていたが、今年はそれを見越してか高知産が多量に出回っているので、味を度外視すれば、そば打ちに限らず何の問題もなさそうだ。

一時帰福

2012年12月21日 | 原発事故
  
                    
19;23着やまびこ215号で宇治市に自主避難している孫達が避難後初めて一時帰福した。
「旦那が迎えに出るので余計なお世話は無用だ」と婆さんの忠告を無視して、一時帰福の第一歩を記録に残す目的もあって、爺は待ちきれず到着ホームで待ち受けた。何番目に降りて来るかシャッターチャンスを待ち構えていたら何と一番目に下車、フイルムカメラに無いシャッタータイムラグもあって一枚目は手ぶれ?もあってピンボケだった。
風邪もひいていないと云うのにマスクをかけて、「風邪ひいているの?」と問いかけたら大翔は「放射能」と一言、避難以前も姉弟一神経質でマスクは絶対に外す事は無かったし、まだ二人と共に娘の疑念も晴れていないのが何とも辛かった。“原発は憎い!”
  
                    
皆写真やSkypeでは伺う事が出来なかった驚くほどの生育ぶりで、女組はあい変らず福島弁で男組は関西弁混じりも、自分の老けも顧みずただ感心するばかりだった。
爺特製のカレーライスと冬至かぼちゃで夕食後には爺と一緒に入浴。以前は遊び場でもあったが、長旅の疲れか爺との洗いっこを済ませた後は睡魔も襲い、10時半過ぎには素直に睡眠。女組は自分が寝た後の11時頃だったらしい。