ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

無駄な紙切れ

2008年05月31日 | アマチュア無線
こんな不要物が宅配便で届いた。25日高知市で日本アマチュア無線連盟の通常総会が開催されその時表彰されたらしい。「会員として40年以上の永きにわたり連盟事業の発展に貢献されました」との事由だが、自分はただ真面目に会費を納入して来ただけなのに、こんな事に経費や労力を費やしているなんて何とも我慢が出来ない。H19年度総務省発表のアマチュア局数は508,238局とあり、自分の様な固定局と移動局の二重免許を差し引いても、今年3月現在の連盟会員数(正員)69,837名と衰退して行くばかりで若者は限りなくゼロに近く大半が老人、全ての面で改革が必要なのだ。こんな状況下でも、一例を上げただけでも他に類の無い不可解な役員選挙制度により30数年間も交代の無い会長独裁政権下に全く展望は無く、紅白の造花で胸を飾る事を最大の喜びとするこんな執行部からの表彰なんてとても心外なのだ。30年の時は事前通告があったので、辞退理由書を送付してささやかな抵抗を示したが、今回は突然届いてしまったので、返信の切手も貼りたくないし、焼却ゴミに出し煙にして気を晴らそうと思う。

300Bアンプ組立完了

2008年05月29日 | アマチュア無線
   
                    
素人百姓の側ら再び二日程要して抵抗コンデンサーの取り付けが終わりようやく組立が完了した。部品を調達してから実に8年、我ながら何とも気の長い話と呆れ返らない訳ではなかったが、オーデオよりは我が人生の原点アマチュア無線が本職になり、年金生活者にも関らずただひたすら“タンノイ”スピーカーの夢を見ていたからでもあった。30数年前6BQ5PPと中古のアルテックリスリングで少し楽しんだ事があつたので、何となく腐れ縁だったのか、大幅にレベルダウンして再び“アルテック”で復活した。
            
早速エージングを始めたが、初めて目にした300Bはヒーター点灯が意外に暗くてこれで本当に正常なのだろうか?と疑ってしまった。ほぼ同じサイズの送信管811や572B等は側では文字が読めてしまうほど派手に点灯してくれるし、一ランク下の2A3だって部屋の明かりを少し落とせば暖かみのある軟らかなヒーターの灯は静かな音楽に融合して、或いはジャズや演歌などはSL(蒸気機関車)の喘ぎにも似た堪らない雰囲気を演出してくれるのだが、どうしたものかこの300Bは期待ハズレ?
            
これに使用した真空管300Bを除き40年も前に「もう真空管時代は終わった」と全て捨てしまったが、ある時T電力の友人が遠路GT管を主体に多量に持って来てくれたので、さすがに断る事も出来ず、後日GT管は申し訳ないと思いながら全部処分してしまった。その罪亡ぼしと云う訳でも無かったが、MT管は場所も取らなかったし新品箱入りだけ残して、それ以後は何となく惰性でジャンク屋などで“新品箱入り”を目にすると値段と相談しながら手に入れたり、再び別の友人が持ち込んでくれたりして、今ではUZ-42のST管から低電力の送信管まで200本ほどの箱入り新古品が貯まってしまった。全ては自分の消滅と共に粗大ゴミとして処分されてしまう運命なのだろうが、ここで使った球はこれから一働きしてもらう厳選されたエリート達だ。
300Bは国産品には無く元祖Western Electricが映画のトーキー化と共に拡声器アンプの増幅管として開発されて、当時から一部オーデオマニアの間でも珍重されていたそうだ。近年何かの記念に復刻版を世に出すと再びブームが、しかし本物は余にも高価で・・・・真空管製造を継続していたロシア・チェコ・中国が直ちに追従して生産を開始、日本国内でもそれらが元祖の1/5位で入手出来る様になった。中国にも数社あり、今回使った300Bは日本のオーデオ屋が大量に仕入れて特性を揃えて厳選品として販売された物だ。この球とは別のメーカーだったが、無線を廃業してオーデオに完全転向した友人宅へ遊びに行った時、彼が製作しはアンプで目隠しさせられてWesternの球と差し替えながら試聴させられた事があった。音はド素人の自分にも何と音の良否が何となく判った気もして、半田は銀入りで、ピン・プラグは金メッキとかスピーカー線は無酸素銅などとマニアの神話は何とも理解に苦しむが、信者の彼は「いろんなアンプを作って来たが300B以上の物はたくさんあった」と本音を聞かされ、所詮300Bアンプもマニアだけの精神的な神話であったのかと・・・部品調達後だったので後の祭りだった。

Arrived QSL

2008年05月27日 | アマチュア無線
最近10日間の間に届いた何れもバンドニュー
 ☆RK2FWA(Kaliningrad)→80mCW
 ☆3B8DB(Mauritius Is)→12mCW
 ☆5T5DC(Maurtania)→30mCW
 ☆EW8AO(Belarus)→30mCW
 ☆S21ZDT(Bangladesh)→20mRTTY
 ☆YA/LY1Y(Afganistan)→80mCW/30mCW/17mCW
YA/LY1Yは昨年3月12日投函。ほとんどの局は受領したのに何故か自分には届かず、DXCCデスクも無効との判定なのであまり気にしていなかったが、最近になって急遽判定が覆りあわてて今月12日再請求した。特に80mバンドは貴重なだけにこれで一安心。LY1Yの住まいは共産圏で、以前は個人宛の郵便物はマズ届く事は無かったし現在の郵便事情もあまり分らないが、世界一紳士の国と言われる英国のG3FPQなどは一年半に3回出しても全くダメで、人間性も大いに関係する様だ。

そば研/青葉教室4回目

2008年05月24日 | 手打ち蕎麦打ち
            
福島手打ちそば研究会の例会、今週も先週ほどでは無いものの結構学校行事があるとかで、参加者は少なく13人ほどだったと思う。自分の今一番の課題は“切り”なのだが、今日は何故か意外なほど順調で「これなら客にも出せる」とお褒めの言葉も、しかし急に上達した訳でも無いし単なる“まぐれ”だった。
            
研究会を12時半に終了して吉井田学習センターから県庁裏御倉町の社会保険センターへ移動。13時から気分を新たに青葉手打ちそば教室で新米講師として再びそば打ちに関る。女性の白衣三角巾と男の白衣帽子着用者が講師陣で、この様なマンツーマン指導は他に類を見ないこの教室の最大の特徴だ。自分も同様に指導を受けて二年で卒業も自信が持てず自主留年、三年間習って今六年目。未熟者が今度はお手伝い、こんな自分に教えられる生徒は迷惑千万?と毎回悩んでしまう。
今日は昼の軽食と冷たい缶コーヒーを飲んだ15分ほどが唯一の休憩時間。9時半から18時まで立ち通してけっこう疲れたが、道楽ならではの成せる技?苦にならないから何とも不思議だ。

300Bアンプ

2008年05月23日 | アマチュア無線
今週は孫の小学校と幼稚園の行事で3日間も下二人の子守役を押し付けられて、何れを選択するか?当然ストレスから解放される台所を選んだ。自分が作る時は素材を厳選“美味いもの”には経済観念度外視しても遊びの費用と換算すれば安価な物、そして皆んな丸く収まり、最後に「旨かった」で終止符万々歳。こんな事で何時もの週よりは何となく慌しく過ごしたが、こんな時に限って中途半端で放置してあった300Bシングル・オーデオアンプが気になって、空き時間は配線作業を始めてしまった。若い頃は徹夜をしてでも一気に作り上げたが“サンデー毎日”の今は「何時でも出来る」とご都合主義に、三日間で気の向くままがこの結果、何とか配線は完了して次は抵抗やコンデンサー類の取り付けだが、明日は一日中“そば打ち”で気分も変り完成は何時の事やら・・・・・・

定番ロールキャベツ

2008年05月19日 | 男の料理
            
午後初収穫した春キャベツを使って我が定番の“ロールキャベツ”を作った。今回は魚介類に初挑戦、刺身用帆立を使い生クリームで仕上て目先を変えた。生クリーム、何故かバター以上に品薄で一軒目の店は品切れ。二軒目にも通常の紙パック詰は品切れで160CCの缶詰しか無くてしかも2缶だけ、8人分作るので400CC欲しかったが、これで我慢し不足分は牛乳でゴマカシてしまった。青物にはグリンピースを使うところだったが、今の時期は鹿児島産、かなり鮮度が落ちていたので地物のスナップエンドウに変えてみた。丸のまま使ってしまった事がとんでもないつや消しに「せめて切って添えれば良かったのに」と酷評、所詮男の料理大胆にと開き直っても後の祭り。
            
新鮮なキャベツの二品目はベーコンを炒めて、熱湯を瞬間通したキャベツに紫玉葱を加えてバルサミコ酢のドレッシングで和えたサラダ。何故かロールキャベツより春野菜たっぷりの旨味はこれの方が上位だった。

春キャベツ

2008年05月19日 | 素人百姓
            
昨年11月末に移植した春キャベツ、昨年より約一週間程早く収穫可能になりとりあえず5株初収穫した。
冬・春採り以外虫害で無農薬栽培は不可能でしかも一期に成熟して貯蔵性もあまり良くないので、家では一番食べる野菜だが毎年20株位しか作れない。
            
朝、今年使う“しの竹”を平田の山で30本程採って来た後、昨日買って来たきゅうり6本とスイカ2本移植した。このスイカは今年で三回目の挑戦になるが、自分が作った物は市販品に比べて何故か糖度も低く酷評だが、幸い孫達は味には無頓着、味よりは孫達の“スイカ狩り”を目的に今年も植えてしまった。

猪苗代産

2008年05月17日 | 手打ち蕎麦打ち
         
花見の席上だったか、今日は会長からの通達「少し早く出て皆で準備しよう」が功を奏して、何時もの通り15分前に到着したら既に10人程で準備万端開始寸前、普段は1~2番目なのに何とも恥ずかしくなってしまった。
新年度からは現役の人も参加しやすい土曜日だけの開催になり、これまでの土曜日以上の人数になり、打ち台の順番確認やら予約の言葉も飛び交う普段に無かった光景も、大盛況だった。
  
                  
今日は自分の粉を持ち込んで、KSさんも大好きだと言う猪苗代産の石臼挽き、自分も好きな1品なので年一回は打たないと何となく気が済まなくなってしまった。今シーズンは新そばから大幅に時期をずらしてしまい“古そば”になってしまったが、一昨日土湯峠の新緑観察をしながら製粉所隣接の「いわはし館」で購入して来た。この粉はお湯でしか打てない難しい粉で“外二”(つなぎ粉2割)で1.2Kg打ったが、熱湯500CC+水約150CCでやや硬め、最後は伸びなくなって太目のそば、太目が好きなので失敗作?も合格ラインの60点と自己採点。
過日秋田のOB会で散々そば談義をしてしまったので罪滅ぼしに、昨日夕方Y先生の工房を初めて利用させて頂き“今立産”の二八を1.25Kg打ってクール宅急便で8食分同僚に送った。
今朝10時過ぎ電話で「着いた」ではなく「何と旨いそばダベ!食べてしまった」だった。秋田市内にも1級建築士が趣味が高じて手打ちそば屋に、市内で一番旨いと評判のそのそばに次ぐ物だと、鰹出汁が少し濃すぎて失敗?と心配していた“汁”にトガメも無く、お世辞分を差し引いても合格点はもらえたかな?と、茹で以降が他人任せになってしまう“そばの送付”の初体験も無事完了。

山菜の王様

2008年05月16日 | その他
            
イヌドウナ(植物図鑑の学名)。一般には“シオデ”が山菜の王様と認知されているが、自分には青春時代の思い出がいっぱい詰め込まれた“ボンナ(秋田県の呼称)”と自認している。
ほぼ30年程前には仕事で大内宿のある会津下郷町の山でお目に係った事もあったが、近年では何処の山菜直販所へ行っても見る事もなく、乱獲が祟ったのか福島ではもう“幻の山菜”になってしまった様だ。そんな幻の山菜を求めて今年も米沢まで行って来た。
            
以前は国道13号線添えの米沢旧市内の入り口にあったが、昨年の早い時期に高速道路関連?によるものかここへ移転、ごくアタリマエだった八百屋が新規一転「米沢の味・さかの」として米沢牛と山菜料理の専門店を併設した風変わりな八百屋に変身してしまった。
パンフレットに因れば年間を通して米沢牛をメインに春は山菜、秋は松茸(近くの山では松茸刈が出来る)料理が堪能出来る。営業時間は11:30~午後2:00まで、夜間は予約のみで水曜定休日。
            
矢印の所が「さかの」以前は駐車場が狭くて3台が限度で、今度は観光バス数台は入れて、どんなに混雑しても駐車の心配はなくなった。

料理教室50回目

2008年05月15日 | 男の料理
鰹一尾全部使って三品(8人分)、かつお料理は三年目にして今回初めて体験した。かつお一尾全部使って「かつお飯」「かつおの豆腐あんかけ」「かつおのサラダ」三品8人分を作る。三枚下しを指示され出刃包丁を持ったが、かつお独自の下し方があり大部分は先生の手が添えられて、単独では全体の4割程度だった。かつおと云えば正直のところ刺身かたたき、鮮度の下がった切り身の焼き魚しか食べた事がなかったので驚きにも似た新発見の気分。調理と試食も大満足して更に感激、週末には早速「鰹めし」と「鰹の豆腐あんかけ」の自宅実習をする事に決めた。
   
            
                    
生徒の試食中に先生は一切口にする事なく、調理のポイントを再確認した後、時の話題等を中心に雑談で終始する。今日は「今の若者が悪、非常識になったのは5~60代の親が子供の躾けを怠ったからで、今真剣に取組めば何とかなる。皆んなで行動しろ」と提案。自分も全くその通りで大いに反省してるが、今朝の電車で、自分は何時も優先席に座るが車両間を移動する若者の大半は扉を開放したまま去ってしまう。新幹線とは異なり自動ドアではないので、そなままだと騒音、冬期間は冷たい隙間風が入って来るので、その都度閉めに席を立つ。今朝も4人の内3人が平気で通り去ったので、さすがに3人目は席を立ち追いかけて注意した。優先席も空席の時は誰が座っても差し支えないが、この電車は本宮頃から混み始めて、多分病院通いか年寄も多く乗車し来るのに、優先席に座っている若者の大部分は席を譲ろうとしない。また、最近は目にしなくなったが、福島から決まって向い側の優先席に座り松川付近まで化粧を続ける若い女性。以前郡山まで同席した老女(小学校の教師をしていたと名乗る)がこれに遭遇して「昔の女性は絶対に人前で化粧はしなかった。今は恥じらいも無く風紀が乱れている」と嘆いていた。食わいタバコで運転する女性、挙句の果てに窓から火のついたまま吸殻ポイ捨て、特に今の若い女性に羞恥心は皆無で男以上に始末が悪い。