ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

3月のBand/Mode New Entity

2016年03月31日 | アマチュア無線
   
今月は正に春のDXシーズン到来で多くのDXペデションが行われて続行中だ。
雑魚と称されている所でも自分の捕りこぼしていたBand/Modeとなると新鮮で、また縮小してしまった貧弱なアンテナでは難易度の高い所への挑戦は何度挫折を味わい失望しても、捕れた時の喜びは半端でないから止められない。
VK0EK(Heard Is),FT4JA(Guinea)は苦戦中でVK0はやっと両目が開き30/17mCW Band NewでFT4 20mRTTYはMode New。何れも運用はあと10日程で他局のやり尽くした後のおこぼれ頂戴でどれだけ出来るか分らないが、頑張ろう。

チュウリップ

2016年03月30日 | その他
             
昨日福島気象台観測開始以来史上二番目の早さで桜の開花宣言があった。
言うまでもなく地球温暖化の影響に因るものだが、我が家のチュウリップも満開になった。しかし今年は赤一色のしかもミニチュウリップと思われる程で全くの期待ハズレだ。考えてみると、お徳用各色混合60球980円に手を出したのが間違いのもとで、表紙の球根の色も微妙に異なるのに、買う時も植える時も気付かなかった自分にも責任はあったが“各種混合”の表示は販売元の過大表示ではないのかな。
マー!何時になっても繰り返してしまう貧乏人の安物買いの銭失いは、育った環境で何とも仕方ないが“不治の病”困ったものだ。

VK0EK(Heard Is)

2016年03月29日 | アマチュア無線
             
1997年のVK0IR以来19年ぶりにインド洋南極海にあるVK0EKのDXペデションが23日から開始されていたが、弱小局の自分にもそろそろ出番があるかなと27日夜から参戦を開始した。
幸運にも30mCWは20分程でGet出来たが、その後は意に反して空振りの連続だった。
実力相応なのだが、こんなに苦戦している原因は相手方にも多分にあって、これまでのチームにあったヨーロッパとかアジアなどのエリア指定は全く無く、常時バンドがオープンしている地域が対象となり、これがチームの方針本来の姿と理解出来ない訳でもないが、弱者の自分は大幅にチャンスが失われてしまうのだ。
しかし悪い事ばかりだけでもなく、今回初めて眼にした“DXA Real Time Logging”と云うソフトが使用されて、自分に応答があると受信機からJA7PLの音声信号とほぼ同時にコールサインと定型文も画面に現れて耳と眼で同時にQSO成立判定が即時可能になった。
DX(海外通信)を始めた頃の情報源は電波科学とCQ誌だけで、しかも短波の電波伝搬は気まぐれで思わぬ時に予想もしていなかった珍局との出会いがあって、そんな時は何にも代えがたい最高の喜びだった。
ライバルも何時の間にか友達になり、世界の情報が一番早く入手出来ていた東京首都圏の仲間からの伝達で効率良く楽しめたが、数年後には144MHzで東京を基地に西日本と東日本のネットワークループ回線が構築されて、PCによるパケットクラスターが不特定多数により利用されると各地の情報が短時間で入手出来て4~5年は続いたと思う。そして今や「インターネットの有線でリアルタイムで情報を入手して無線を楽しむ」事がごくあたり前になり、更にPCやスマートホンから自宅の無線設備をコントロールして仕事先や車で走行中でも電話する感覚で楽しめてしまう。
最新技術の急速な進歩には驚くばかりで、自分の運用体制もこれまでのWeb Clusterだけでなく二画面を交互に駆使しながら・・・・・アナログ人間にもうこれ以上の進化は能力と経済的にも限界だ。

研究会

2016年03月26日 | 手打ち蕎麦打ち
             
今回も“更科”がテーマで前回の茶そばとゆず切りに加えてHさんが“よもぎ切り”を打った。
加える“よもぎ”はパウダーではない業務用食品店で求めた中国産の粉末だった。基本に従い更科粉と共に篩いにかけると大部分が綿状の塊で残り、網目を通って使える物は三割程で、練り上げるそば生地は黒味を帯びた緑になり“よもぎ”の粒も現れた。粒子が粗い分だけ大変打ち難く“延し”の途中から生地の鮫肌(ひび割れ)も現れて、茹で上げた時には切れてしまう事がこれまでの経験から容易に想像出来た。
変りそばは異物が混入する事から“茶そば”が一番難しいと言われて来たが、この様な粉末を使う限り格段に難しい事も判り、打った当人のHさんは「生よもぎの絞り汁なら巧く打てるかな」と話していたが、確かにこれなら巧く打てると思う。

花壇

2016年03月25日 | その他
             
風はまだ冷たいものの花壇のヒヤシンスは今が盛りと咲き誇っているが、そんな中で例年ならつぼみがようやく出始める頃のチュウリップが二輪だけ満開なのだ。
この球根、秋にお得用と表示された100球ネット入りの安物で、球根の大きさは変らなかったのに今咲いている物は何故かミニチュウリップ。他にもこの時期にしては葉の生育状態が遅れて、まさか土壌の放射能汚染に因るものでもないだろうが、何となく我が身と共に気がかりだ。
そんな事を気にかけながら、午前は循環器科へ午後は眼科で月1回の定期検診を受けて来た。
検査結果は花の散り際に同調かな?なんて予感もあったが、何れも小康状態現状維持で安心出来るかな。

Arrived QSL

2016年03月18日 | アマチュア無線
   
昨年4月にQSOしたA92AA(Bahrain)10mCW/RTTYでQSOしたRTTY Mode NewのQSLがようやく届きAA Call sign局とのQSO/QSL収集も生涯のテーマなのでこれがAAの107枚目となった。
国際電気通信条約により各国のコールサイン付与は国を表すアルファベット+1数字の後にAA~ZZの組み合わせで、AAは正にその国の一番目に開局した局で大変貴重な存在だった。しかし近年は国によってはクラブ局や記念局にも付与されて何となく価値観は薄れてしまったが、DXCCと共に楽しんでいたので継続する覚悟だ。そして個人的にはAA局は大珍局でもあるしDXCCにもAAの特記があったら面白いなーと思う。

海老バターライス

2016年03月15日 | 男の料理
   
福島では滅多に入手出来ない有頭ブラックタイガーが入手出来たので海老たっぷりのバターライスを暫くぶりに作った。
調理方法(米3合、5人前)
 ①エビを頭と身にわけ、殻をむき、身を1cmのぶつ切りにする。
 ②フライパンにバター40gを熱し、殻と頭をつぶし香りが出るまで炒める。
 ③酒200cc、醤油大さじ2、味醂大さじ1を加えて汁が1/3まで煮詰める。
 ④煮詰まったらザルでこし、汁に生姜みじん切り大さじ1とエビの身を入れ火を通す。
 ⑤ご飯に加え、青じそ8枚せん切り、万能ねぎ小口切り適量を混ぜ合せて完成。
ご飯を硬めに焚いて炊上った直ぐ混ぜ合わせると味が染込みより美味しく仕上がる。
混ぜご飯も炊き込みご飯と共におかず一品は省略出来、孫達も大好物なので頻繁に作っている。
しかし主婦が得意な既製品「炊き込みご飯の素」等は自分の天敵で、自分で作る物はやや再現性には欠け微妙に味が異なっも心のこもった美味い物が作れる。

QSL発送

2016年03月14日 | アマチュア無線
             
2年ぶりなのかな、DX宛てのQSLカードをJARL QSLビューローへ21枚送った。
地球上には340Entity(国と地域)存在しているが、現在JARLビューロー経由で送る事が出来るのは144Entityだけで昔はもっと多かった気もするが定かではない。
昔に比べて受取るQSLも激減してしまったが、近年は電子QSLやLoTW(Log book of The Word)のネット経由パソコンで即処理可能になった事と、先人達から引継がれて来た「1st QSOではその証としてお互いにQSLカードを交換する」良き慣習も世代交代が進むと共にその価値観も失われてしまった事にもある様だ。自局には貴重なQSLカードお宝も他局には紙切れ、当然興味の無い家族や他人は何の価値も無いゴミだから何とも滑稽だ。

研究会

2016年03月12日 | 手打ち蕎麦打ち
             
今日は研究会始まって以来全員が“更科”を打った。
初級者には難しく手打ちそば青葉教室福島支部のカリキュラムでも“10割り”を打つ前には基本の“更科”を6回体験する事になっていて、こんな事から「更科のKさん」と親しまれている更科打ちの達人K副会長の参加もあれば良かったのだが、幸い初級組も全員致命的な失敗も無く一応“更科そば”の形にはなった様だ。
経験者の多くは“茶そば”ゆずパウダーを使った“ゆず切り”季節柄の“桜切り”の競演になり実に楽しく、こんな研究会も偶にはいいかなと思った。しかし課題もあって、篩や打ち粉に素材の臭いが附着してしまい後処理が大変なので、最低限篩いと打ち粉は各自所有の物と決めれば何時でも好きな時に打てるのではないだろうか。
街の蕎麦屋で“茶そば”は食べられても他の変りそばはほぼ絶対口に出来ないから、自分がそばの席に知人を招く時は、少し手間がかかっても“ゆず切り”等の季節に合わせた物も合わせて出すと、特に信夫山のゆずで打った“ゆず切り”は誰もが「初めて食べた」と感激して帰り、後日殆んど間違いなくリクエストされてしまうから嬉しくなってしまう。こんな事もそば打ち人ならではの特権なのだ。

大震災・原発事故から5年

2016年03月11日 | 原発事故
   
ラジオ深夜便からスタートした東日本大震災特集番組もTVは今朝から各社競演になった。
あの日は吾妻山おろしの吹雪模様の荒天で、素人百姓春作業の肥料を買いに行ったダイユーエイト南福島店で遭遇した。
肥料を持ち上げカートに載せようとした瞬間身体がふらつき倒れかけると同時に建物と足元が音をだして大きく揺れた。天井が落ちる!と外へ出ようと必死に歩いたが歩けない、這いつくばってやっと外へ出たら皆四つん這いになって身体を支えていた。
自分も気がつけば四つん這いでここまでたどり着き、目線の先は平日でがら空きの駐車場は地面が何重にも大きく波を打ち、向側のビルと電柱も左右に大きく揺れ倒壊寸前、自分の身体も大きな地割れの中に引き込まれそうな恐怖感はただものではなかった。
収まると同時に我が家へ急いだ。主要道路は既に渋滞模様、トッサに抜け道に入る決断をして通常の3倍20分程で帰宅出来たが、家の中は本棚は倒れ、食器類や花瓶、アンプ、スピーカー、パソコンが落下破損していて、後に土台やモルタル外壁の破損が判った。
停電も1時間程で回復すると仙台空港に迫りくる津波の空撮中継映像が突然現れて、以後翌日の原発爆発からは現役時代に得た予備知識もあって数週間は恐怖の日々を過した。
原発のある浜通りは小雪が舞っている。そんな中継映像と比べながら、ここはほぼ晴れて、猫の額程の我が家の庭のクロッカスは今美しく咲き誇っているが、この土壌は除染後の報告(H27.3.28)で除染前は地上50cmで0.32μSv/hが除染後は0.24μSv/hも今は0.29μSv/h、果たして多額の除染費用の投資効果はあったのかなと疑ってしまう。
グラフは福島民報新聞のスクラップ。3月15日の福島市の放射線量は全村避難の飯館村に次ぐ25μSv/hの高さで、当時渡利地区が避難区域指定と話題にもなったが「県庁所在地を避難区域に含めると大混乱を招くと政治決着で除外になった」と噂話も耳にした事もあった。
こんな事からも娘家族から避難すると通告されて反対したが「孫達の将来の健康は保証してくれるの」とまで言われて不本意ながら許可。3年程で「中学校は福島で」と長女の強い希望で避難先の宇治市から戻り、今では一見何事も無かったかの様だが、結構リスクは抱えているらしい。
それにしても京都府のボランテアの皆様と昨年孫達が夏休みにお世話になった石川のボランテアの皆様には、この日に再び心より感謝を申し上げたい。
廃炉まで40年とも言われている解決策の見えない原発事故、保証は無い、孫達世代が何とも哀れだ。