ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

祭り

2008年04月29日 | その他
減少著しいしかも180世帯ほどの典型的な高齢者世帯の我が町内にある子安地蔵菩薩の祭りが行われた。氏子31名、二年前懇願されてやむなく加入させられてしまった新参者で、この歳になっても下から二番目の若者なのだ。7時から10人程で準備を始めたが、無風好天に恵まれた事もあって「テント張りは大変なので止めよう」と多数の意見で30分で終了した。テント無しでは初めての事だそうだが、皆んな“因る歳には勝てない”のだろう。これで撤収までは例年通り解放と思ったら、長老から「これから神官を迎えに行く、来年からはアンタの役だ、場所を教えるから」と同行させられ、新米なので小間使い(パシリ)は覚悟の上で努めてきたが、有無を言わせず即断の命令に反発する間も無かった。
神官御払いの後は長老達が保護者に介添えを受けながら少しずつ現れて、春季敬老会?酒宴の宴となった。昔は年に一度の無礼講の場でもあった事から、こんなチッポケな祭りも存続して来たと思うが、この数人の長老達が去ったら、あと数年後もこの祭りは存在するのだろうか?

JOUK秋田放送局を語る集い2

2008年04月27日 | その他
昨夜ホテルに帰って一人になっても興奮冷め切れず、次々と昔の事が思い返されて何故か朝までほとんど眠れず終いだった。秋田へはここで生活していた頃からの無線友達との会合で、ほぼ毎年秋田の何処かへは遊びに来ていたが、ここ数年はヤボ用と重複したりして皆勤ではなかった。何故か一度も縁が無かったマタギの村阿仁へ、10日前までは訪ねる予定だったが、マイカー一人旅で何となく不安を覚えて断念した。思いもよらなかった睡眠不足もあったし車で来なくて正解だった。
            
朝一番に改装された市民市場へ期待を込めて向ったが、何故か定休日で残念。
            
秋田アトリオンの地階にある秋田県産品プラザで目の保養をしながら、お土産を数点購入した。今回はお菓子が中心になったが、我が家では隠れた銘菓“しとぎ豆がき”が大好物で、何処で買っても同じだったが、これは近くの本店で購入した。
   
                   
何時訪れても絶対に欠かすことが出来なかった茜屋珈琲店にも立寄った。10時20分頃だったので先客は4人、ピアノの静かなクラシックの曲が流れていた。レトロ調のとても落ち着いた雰囲気のある静かな店で、何時行っても感心してしまう。近年こんな店探しても皆無ではないだろうか?と思いながら新幹線に乗車して秋田を離れ二日間の充実した時間は終った。

JOUK秋田放送局を語る集い1

2008年04月27日 | その他
             
JR秋田駅に隣接したNHK秋田新放送会館。駅の構内から秋田市のビル(ホテル同居)とNHK会館までが棟続きなので、夜間以外は雨でも濡れないでNHKへ入館出来てしまう。
             
間もなく解体される官庁街の旧会館。国策によるデジタル化放送への移行に併せた秋田放送会館老朽化移転工事の落成記念式典が26日行われ、同時に秋田旧友会主催の「UKを語る集い」が旧会館隣接の平安閣で、ラジオ放送時代から秋田局に勤務した仲間が全国から集り16:30から開催された。
更地にして市に返還されるこの会館、地方のTV放送本格化に向けて昭和39年からこの地で運用されてきたが、翌40年7月TV中継車に同伴して東京から何故か青二才の自分が6年3ヶ月、そしてリタイアした翌年の平成7年8月、オリンピックに無い競技がアジアで初めて開催された第6回「秋田ワールドゲームズ」の国際映像制作で、思いも因らなかった約三週間の会館勤務と青春時代の懐かしい想い出も沢山詰まったところなのだ。アナログの象徴が自分(アナログ人間)より先に間もなく消滅してしまう。
             
南は九州、北は北海道からも参加した131人+協会から局長以下数人の役職の特別参加もあって大盛況だった。ご存知ない方もたくさん居たが、思わぬ人が自分と入れ違いに勤務していたなんて改めて再認識したり、ほぼ全員が料理や酒も皆んな不要な様子でそれぞれがお互いに話しに熱中した。耳はまだ健在のはずなのに、お互いに耳元に口を近づけないと聞き取れない程で、聞きたい事話したい事もサッパリ伝わらず時間ばかりが過ぎ去り、まるで学校の同級会そのものだった。お互いに知らない間柄ではないので、今更名刺など不要だと思ったが、予めこんな事が予測されたので、前日に文房具屋で用紙を求めてパソコンで名刺を作って持参した。初めは何とも渡し難かったが、一度渡して見ると先方からも意外と待ってましたとばかりに反応があり、そんな人達に限って紙面が真っ黒、ボランテアなどで社会へ数多く貢献していたりして、自分の道楽中心の生活が何とも不謹慎で恥ずかしかった。
お開き直前に技術の紅一点だったAさんにも渡す事が出来た。バックに手をのばして「今日皆んなにこれを貰いたくて、昨日これを買って来たの」と高級な名刺入を取り出した。Aさんは誰よりも一番長く在局したし“皆んな今どんな生活をしているのか”多分そんな事が一番知りたかったのではないだろうか・・・・・・。
             
美味しそうな料理もたくさん出てきたが、何故か腹いっぱいで半分も口にしなかった。皆んな同様で、こんなパーテーでは食欲よりも会話が何よりも優先してしまう。後半に出された秋田を象徴する“稲庭うどん”と“きりたんぽ”とても美味しかったが胸がいっぱいで何れも箸を付けた程度、心のこもった折角の料理なのに料理長ゴメンなさい。
   
                    
技術部39人の二次会は市役所裏の高陽青柳町付近で行われた。この辺は一面田んぼで、下宿を出た後この近くの田んぼの中のアパートにしばらく住んだが、近くには石油井戸もあって、当時既に細々とではあったが石油を汲み上げるポンプが窓越しから見えて、何故か風情と云うよりは何時も寂しさばかり感じていた。存知あげない方も9人ほど居られたが、それぞれの想い出を胸に和やかに仕切り直しとなった。
             
『アッ!ボンナだ!』と思わず秋田の逸品の出現に叫んでしまった。赴任して“かっぱ”に通い始めたばかりの頃だった。「カアさん、今日ボンナあるスカッ」と誰かが頼み「アンタも食べてミレ」とかあさんに薦められた。この時初めて口にした“ボンナ”衝撃的な美味は、以来自分の山菜の王様となりハタハタと共に春は市民市場で買って、客車便でよく実家や親戚に送った事もあったとても懐かしい味との再会であった。
             
予定の時間も一瞬にして過ぎ去ってしまった感覚でとても名残惜しかった。果して再び再会出来る機会はあるのだろうか。“神のみぞ知る”だが、お互いにその為にも元気で過ごして行きたいと念願する。

ラジオ深夜便

2008年04月24日 | その他
22時には確実に床の中、イアホーンでニュース番組を聴きながら何時の間にか眠りに入ってしまう。深夜2~3回の目覚めと同時にラジオ深夜便を聴き、再び自然に眠りに入る。こんなパターンの繰り返しで何となく惰性で聴いているが、第2・4水曜日は長年「のど自慢」の司会をしてきた宮川アナウンサーがアンカーマンなので、この日ばかりは何故かとても楽しみなのだ。1時台には「のど自慢旅日記」を宮川アナが、のど自慢に出演して訪れた日本各地の風景を自らの体験や取材した事を振り返るエッセー風のトークは、聴いているとその情景が即座に脳裏に浮び、あたかも今自分がその場に居る錯覚にとらわれてしまう。今朝は紹介する時期も福島県民としてもベストタイミングで「桃の花見と山里の春福島」と題して三春・福島・二本松などをきめ細かく丁寧に表現されていたので、思わずバンザイ!と叫びたかったほどで十二分に満足してしまった。
            
この本『のど自慢がゆく』は宮川アナが現役時代、毎日新聞の夕刊紙上にコラムを連載したものに加筆をして出版したもので、ここではのど自慢をめぐる人達との出会いとふれ合いや全国各地でのエピソードなどがふんだんに綴られており、とても面白くて一気読みしたほどだった。そして3時台の「にっぽんの歌こころの歌、作家で綴る流行歌」なども他のアンカーマンには無い緻密なナレーションがとても楽しい。

訃報

2008年04月19日 | 手打ち蕎麦打ち
今朝会長から突然の電話。低気圧の通過で大雨・洪水警報が出る悪天候になり、住まいが一番近いので吉井田学習センターまで同乗の件かなと思い受話器を取ると「Sさんが早朝急逝してしまった、今Sさんの側にいる。そば打ちはSさんの遺志により中止はしない。少し遅れるから準備頼む」だった。何と言う事だ。一昨日は普段と全く変らづ何時もの通り元気にリーダーシップを発揮していたのに・・・大動脈瘤破裂だったらしい。
            
一ヶ月ほど前、急にそばが必要になりSさんの工房でそばを打たせてもらった。自分を青葉教室の講師に推薦したが、出来が一番悪かったので特に心配だったのだろう。「切りが一番ダメだ」と自分も悩みを口にしていたので、帰りがけに“切りにおけるトラブル”と記載された数種類の資料をそっと渡してくれた。そして「インターネットで検索するとこんな物がいっぱいあるから、閑があったら覗くといいヨ」が最後の助言になってしまった。Sさんとは自分は正反対のアバウト人間、何とか期待に添えるよう努力しなければ・・・・何とも残念だ。
            
研究会のそば打ちは「Sさんの遺志を継いで中止は出来ない」と予定通り10時から吉井田学習センターで実施した。自分はどうしても打つ気になれず道具も持たず、会長の指示に従い事前準備を済ませた。13時から青葉教室新米講師の務めもあったので、途中で抜け出させてもらい社会保険センターへ向った。今日もほぼ全員が受講して一時間近く延びてしまった。こんな悪天候の中休む事無く皆んな真剣に取組んでいた。自分も負けずに頑張ろう。

新年度初のそば打ち奉仕

2008年04月17日 | 手打ち蕎麦打ち
今日は超多忙。料理教室から帰りユニホームの交換に30分ほど家に立寄り、市内Bホテルへそば打ち奉仕のため大幅に遅刻して到着した。既に打ち方は終わりかけていたが、自分の割り当て分1.25kgだと指示され、イベントでは初めて“二八”を打った。研究会ではあたり前に打っていた量もこんな所の本番では不安がいっぱい、何とか終えて後は今自分に最も相応しい釜番“茹で”を担当した。
   
                    
市内一流企業N社の依頼により、パーテーの席上でホテルの料理の他に“10割”と“二八”それに季節柄変りそばの“桜切り”の三種類各60食を準備した。自分の感覚ではとても三食分など無謀と思えたが、何と完食“餅は別腹”と言うが“ソバも別腹”なのかな?
今日は朝から14時間連続ほぼ立ち通しで電車の移動時間が唯一の休息でかなり疲れてしまったが、でも、とても充実した価値ある疲労感だった。

料理教室48回目

2008年04月17日 | 男の料理
            
高速バスに対抗してJRもこんな格安切符を販売している。バスで通っていたが、ダイヤ改正で不便になり昨年4月以降は往復JR電車を利用していた。そんな訳で何時か無線友達のJG7HRZさん運転の電車に乗って見たいと、往路は時々運転席を覗いてから乗車していたが、今日郡山駅構内で突然HRZさんの方から声をかけられ別な形で実現した。今朝福島から宇都宮まで北斗星を運転して、今宇都宮から戻ったところだと。特急を運転する時は制服まで異なり、普通電車の時とは雲泥の差、昔日航のパイロットと身近に対面した時と同等の驚きだった。勤務の都合で無線仲間の月例会にも滅多に出席されないが、鉄道少年の夢を実現したHRZさんは、以前に学歴社会の職場にあって管理者の道を選べば好きな現場を放棄する事になると話された事があって、その時ラジオ少年として、比較にならないが自分のケースを話した事もあった。お声がけがなかったら全く気が付かなかったが、HRZさんの目はキラッと美しくしく輝き、それが何よりも充実した現状の証の様に感じられた。
            
今日は月曜日の夜に変更した先輩のNさんも臨時で出席8人となった。Nさんは年齢に於いても大先輩で、詳細は不明だかどうやら医療機器のエンジニアしかも重鎮らしく今もって大病院の先生方とも対等以上の立場らしい。予定されていた研修が変更になったので今日出て来たとの事だった。今日は旬の鯛を使った二品を習った。
            
「魚の変り揚げ」ソースに特徴があり、酢・砂糖・塩・醤油の出汁にりんごの薄切りと甘夏の身をほぐして出汁に漬け込み、揚げたての魚にかける。揚げたてのパリッとした香うばしさと食感に適度な酸味が絶品。
            
「魚のはさみ蒸し」小鯛を三枚に下して、ハム・椎茸そぎ切り・筍薄切りをはさみ蒸しあげた物。小物の魚の三枚下し方はまた別な方法で、新たな習得をした。

Arrived QSL

2008年04月15日 | アマチュア無線
            
先月A92GR(Baharain)と17mでQSO(交信)した。バンドニューなのでQSLカードを請求しようとしたら、彼の場合IRC(国際返信切手)はダメでGS($)との事。G(Greeen Stamp)=$なのだが、DXを始めたばかりの頃、相手からグリーンスタンプを要求されて、記念切手なら理解出来るが、何故こんなシールを執拗に要求して来るのか不思議で、ミーテングの席で先輩に質問すると「DXやる資格無いなー」と皆んなに大笑いされてしまった。今日そんな恥ずかしかった想い出を振り返りながら、GSを100枚料替して来た。本日のレートは¥101.44+手数料¥3だった。
銀行から帰ると珍しくも一度に5通も、何れもBand/Mode New
 ☆5Z4DZ(Kenya)→10mCW
 ☆T32YA(Christmas Is)→15mRY
 ☆YK9SV(Syria)→30/17mCW
 ☆ZP9EH(Paraguay)→17mRY
 ☆ZD7X(St.Helena Is)→40mCW

花見ー2

2008年04月13日 | アマチュア無線
            
生憎の曇天下ではあったが、今年も再び安達町のこんな長閑なJL7OLWさんの裏山で無線仲間恒例の花見会が行われた。田舎町に住んでいてもここだけは別世界、子供の頃の自然がそのまま沢山あって、何時来てみても自分には最高の癒し場となる。
            
この為に整地して植樹したと云うこのそめい吉野も初めて来た時はまだ幼木だったが、もう立派な成木に成長して、まだ三分咲きも綺麗に咲き誇っていた。今日初めて数えてみたら14本あったが、日頃の手入れ山一帯の草刈も、これからは休日の大部分はこれに費やすと以前に話されていたが、我々の為にただ感謝あるのみである。
   
            
                    
何時の間にかこんな立派な東屋まで建って、雨天も懸念されたが心配無用思う存分楽しむ事が出来た。海鮮、焼肉更にOLWさんの母上様特製のおにぎり、かぶれ菜、からし菜等の差し入れで満腹の後には、さすがに寒さには勝てず、炭火と焚き火の二手に別れて和やかなDX談義にしばし耽る。

花見

2008年04月11日 | 手打ち蕎麦打ち
            
桜も例年より早く6日満開になったが、翌日からは生憎の悪天候続きで開花も停止したまま、特に今日は肌寒さえ感じてしまった。そんな陽気のなかで、信夫山の満開の桜を遥か遠くに望みながら、午後6:30から老舗の蕎麦屋で青葉手打そば教室のY先生をゲストにお迎えして、福島手打そば研究会の“桜の花の宴”が開催された。
            
今回はそば研単独の催しだったので参加者は少なく会員の約半数20名程、やはり何時も研究会に出て来るお馴染みさんが大多数を占めた。
            
市内に他に2店舗を持つ福島でも特に名の知れた老舗のそば屋だ。そば打を始める前までは一番旨い店と信じて疑わなかったが、今食べて見ると矢張り自分の打ったそばに優る物は無く、お替りを要求されてもこれだけでもう充分だった。店の向い側には生麺工場と看板を掲げた蔵作り風の建物もあったが、何時の間にか更地に?なっていた様な気がした。何れにしても手打ちでない事だけは確かだし、大衆相手の大型店の商売ともなれば、当然自分達の様に素材の厳選追及は不可能なので、この辺が限界なのだろう。但し、他の居酒屋等と比較する事が失礼かも知れないが、同等の値段で料理だけは格別に美味しかったので・・・・お店の名誉の為にも。