ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

8月のBand/Mode New Entity

2014年08月31日 | アマチュア無線
            
毎年の事ながら夏場は身体共に低調で、今月のBand Newは5E7R(Morocco)12mCWだけだった。
W1AW/*のARRL記念局も12月末日まで1年間運用され、全州交信達成者には記念アワードも発行されるそうだが、正直興味は無く偶々耳にして気が向けば飛ばしチェック感覚だけで参加していた。

Arrived QSL

2014年08月25日 | アマチュア無線
            
7月6日30mCWでQSOしたP4/W1XP(Aruba)のBand NewのQSLが届いた。
これを聴いた時P4は「雑魚だ」とパスしてTV視聴に替えてしまったが、TVもあまり面白くなかったので「30mは御用済みだったかな?」とフト頭に浮かび、再びシャックへ戻り整理簿を確認すると何と空白で急いでQSOした。
今夜も12mはヨーロッパが開けてGI4SNA(Northern Ireland)とRTTYでQSO出来たが、QRZ Comで彼はLoTWのみでQSLは発行しないと宣言。焦付いている12m GIのQSL回収には役立たずだった。

5E7R

2014年08月24日 | アマチュア無線
            
日中はあい変らず±35℃の残暑も夜には猫の額ほどの庭先からはにぎやかな虫の声を耳にしながら5E7R(Morocco)-12mCWのBand Newを得て、ようやく初秋の気配が感じられる様になった。
風呂上りに何時ものパターンで冷たい物を片手にClusterを覗くと“5E7R 1120z 24896.0 JI1LNR-#”がUPされていた。
今朝20mSSBではGetしたが、この時期まさか12mがOpenしているとは信じられない気持ちで即24.896MHzを聴くと、UPされてから20分も経過していたが、RST=000~339でほぼ30秒周期のQSBを伴いながら何とか受信出来た。
Call Backの1/3はJA'sなので000さえ解消されればチャンスはあると思いながら暫くすると339~449になり、若し000に落ちたら恥さらしと覚悟してCallを続けると「JA7,JA7」とCall Backがあり、自分と信じてコールサインを二度送信すると「JA7PL 599」を受信、11:49zだった。
自分がGetした頃から信号はピークで559までUPしたが、3~4分でもとに戻ってしまった正に綱渡りのワンチャンスだった。

トマトカレー

2014年08月20日 | 男の料理
            
福島馬鹿盆地の残暑は厳しく昼のTV天気予報では36.2度との事。べっとりと肌に張り付く湿気も耐え難く、こんな時は食欲も失せて刺激のある食事が欲しくなる。
こんな暑さでは手間もかからない孫達の分もとなるとカレーが一番無難で、今日はイタリア料理落合シェフのレシピ「トマトカレー」に挑戦した。
豚バラ肉少量にしめじ・まいたけ・エリンギのきのこたっぷりと、玉ねぎ・カットトマト缶のこのカレーはハヤシライスとの合いの子の感じだ。
香辛料はセロリのみじん切りと生バジルだけ、隠し味に砂糖と香り付けにカレー粉を少量加えて仕上げに粉チーズを入れるが、味がイマイチだったので固形コンソメ・ウスターソース・醤油・ヨーグルト・蜂蜜を落合シェフのレシピを逸脱して追加した。欲しい辛味はごく微量で孫達の分はこれで良く、大人の分には刺激が足りずカレー粉を追加した。
粉チーズのコクが全面に出た絶品の味。カレーの感じは薄れて正に“名の無いイタリア料理”再び食べたい落合シェフのレシピを勝手にアレンジしてしまった「トマトカレー」だった。        

メーターランプ昇天

2014年08月19日 | アマチュア無線
            
JRL-2000FのPo/VSWRメーター照明ランプが切れてしまった。
運用時に見え難くなっただけで支障はないが、既にメーカー修理中止なので自分でランプ交換が可能か分解してみた。
ブルー色の管ヒューズ状ランプで、図面を見ると端子だけの作図で規格は不明。ここからCONTROL基板まで追って行くとTRコレクターへ接続されてLEDランプ?メーターアクリル板を外して確認しようとしたが、導線の先は見えず直付け?ランプ単体の交換は不可能と判断、機器内部全てをエアーダスターで清掃して復元した。

新QSL印刷完了

2014年08月15日 | アマチュア無線
            
アドカラーに版下もあり毎回印刷していたが、廃業してしまったので初めてオノウエ印刷に依頼した。
近年受取る90%はカラー写真の物で自分も考えたが、良い素材も無かったので前のカードを送りリポート面特注で見積もりを依頼、JARLロゴマークやJARL転送枠を削除、つや消しマット紙のインターナショナルサイズへの裁断料もプラスされて、規格品のほぼ5割増しだった。
1000枚印刷したので3~4年は分は確保できたが、その前にお迎えがあるかな?

これはうまい!

2014年08月10日 | その他
            
パッケージには“お福わけ餅”と印刷された横浜そごうで買って来たと言うお土産を頂戴した。
どら焼きの中にぎゅうひ(白玉粉を蒸して白砂糖と晒し水飴を加えて練り固めた餅)の入った物は何度も食べたが、これはどら焼きの上皮を省いてその面積の2/3程のぎゅうひで覆い被せた物だ。
一代限りの貧乏和菓子屋の末っ子の自分は、和菓子には少しばかりは自信有りと自負しているが、この“お福わけ餅”は一口含んだ瞬間に「これはうまい!」と叫んでしまった。
柔軟で弾力のあるぎゅうひとふんわりしたどら焼きの皮の間には少量の小豆の粒餡、口に含んでいる間、ぎゅうひと神経を配ればぎゅうひの味覚、小豆餡と思えば確実に餡の味覚、どれもが主張する事なく、それでいて三種の味覚がしっかりした見事に調和の取れた絶品の菓子だ。
製造者は秋田市の杉山寿山堂、秋田銘菓諸越(小豆の粉の落雁)の老舗だった。
初めて転勤した頃には前任地の距離に比例した日数で家事整理休暇があった。その時は前職場に赴任先のお土産持参で訪れるのが慣例で、自分も先輩にお土産は何が良いか訊ねると「酒ッコダバ爛漫か新政、菓子ッコワ諸越ダスベ」と諸越は二店の指定があって確かこの杉山寿山堂もあったと記憶していた。
この“お福わけ餅”で久々に青春時代を過ごした懐かしい秋田の思い出に耽入った。

こどもたちの夏の夢2014終る

2014年08月07日 | 原発事故
 
                     
     
            
 
                     
                                 
        
京都には1時間程遅れて到着したそうだが、その後の丹後半島での福島と京都へ避難中の福島の子供達との交流会の様子は毎日10数枚の画像添付のフエースブックで配信された。
個人情報保護法と肖像権などに配慮したのか画像からも伺われて、一番知りたかった子供達の表情を拝見する画像はごく一部だったが、全日無事何事も無く終了した。
改めてお世話いただいた皆様に感謝申し上げたい。
            
復路は近鉄のギャラクシー号で約40分遅れて午前9時10分過ぎに無事帰福した。
里菜は昨年までは迎える側、今年は迎えられる側として貴重な体験をして来たが、疲れた様子も感じられず鼻の頭の皮が日焼けではがれていたのが、3月まで3年間共に過ごした京都の友達と思う存分アウトドアーを楽しんで来た証拠だった。
里菜もこれでまた記憶に残る思い出が一つ増えた事になったが、こんな楽しかった思い出はごく一部で、恐怖を抱きながら避難して過ごした3年間の宇治での生活は、子供ながらに辛い事も多々あったのではないだろうか。
この先何十年も決して安住の地ではない福島“原発は何とも憎い!”

親子キーマカレー

2014年08月06日 | 男の料理
            
NHKゆうどきの絶品!まかない飯スペシャル夏こそカレーで日本料理の板前が紹介した「親子キーマカレー」を視聴して、たまごかけご飯にキーマカレーをかける日本料理板前ならではのアイデアに魅かれて早速挑戦した。
オリジナルレシピでは
①フライパンに鶏ひき肉・しょうがみじん切り・醤油・みりん・水・顆粒だしの素・きざんだカレールーを入れ、混ぜ合わせてから火をつける(こうする事で具材の旨味が引き出せるそうだ)
②ひき肉がダマにならないように炒め、肉がパラパラになったら火を止めて隠し味の粉山椒を加える。
と云う事だったが、自分の作るキーマカレーの具材から人参とピーマンを除き、玉ねぎ・セロリ・マシュルームのみじん切りを加えた物にした。
結果的にはたまごかけご飯と粉山椒をパクッタ事になるが、このために買って来た粉山椒が不味かったのか、キャスター二人の試食の感想とはほど遠く、目先の変化だけで美味しいとは感じなかった。

こどもたちの夏の夢2014

2014年08月02日 | 原発事故
            
       
京都に避難している子供達の願い「福島の友達に会いたい」その思いをかなえる第3回“こどもたちの夏の夢2014”が3日から京都府京丹後を中心に3泊4日で開催される。
孫達は昨年までは京都で福島の友達を迎える立場だったが、今年は逆転して里菜が友達と共に、京都から迎えに来られたボランテアのヨコヤマさんに付き添われて、今夜8時福島交通ギャラクシー号2号車(2階席は郡山の参加者と併せてほぼ貸切)で出発した。
愛実は部活優先で断念、男組二人も最後まで参加を希望したが、長男大翔(小3)のバス長旅に不安を抱いた父親の判断で断念させたそうだ。里菜は姉弟を代表して3年間共に過ごした未帰還の友達と京丹後半島の森林公園スイス村、八丁浜海水浴場、琴引浜海水浴場で海水浴やキャンプファイアーを楽しみながら近所の温泉に宿泊して、最終日の6日はNHK朝ドラの舞台にもなった伊根舟屋で遊覧船乗船と天橋立を巡り、22時京都駅からギャラクシー号で帰宅する。
NPOみんなの手(京都市)と同志社大学の学生ボランテアにより今年も実現したこの催し、自分は何の手も差延べられずただ深謝するのみだ。
またやってしまった大失策カメラの電池切れ、乗車と出発の様子は撮影不能だった。