ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

8月のBand New Entity

2011年08月31日 | アマチュア無線
            
今月のBand New Entityは5T0JL(Mauritania)17mCWとZ36T(Macedonia)17mSSBの二つだけだった。
PJ7(St.Maarten)はまだ17mだけで、今回のPJ7ROJで増やそうとしたが、各バンドDPに毛の生えた程度のハムペリでは聴こえない事の方が多かった。唯一15mSSBで途中からエリア指定になった時には、今回一番強く受信出来てチャンス到来と期待したが、馬力不足で残念ながら撃沈。ST0Rでもエレメントがあと1本あればと何度も感じた。こんな状況は十分承知して、住民との間には何の問題も無かったが、あえて他局に逆行してアンテナを縮小してしまった。以来Condxだけが頼りの神頼みは情けない現状。


郡山青葉教室53回目

2011年08月28日 | 手打ち蕎麦打ち
            
お盆で今月は一回だけになり、その分は先月三回の開講で何の問題も無いと思っていたが、お互いにしばらくぶりに会った感覚だった。新入生の年配者は「前の事はすっかり忘れてしまった」と話、菅野さんは「粉に触れなかった期間ではなく、お互いに歳だから習い始めの頃は自分も同じだった」と説得しながら、完全にマンツーマンで最後までお世話していた。
自由演習に入った組も今日は“変りそば”に挑戦する人は無く、みんな“十割”を打っていた。自分と同様に“変りそば”は偶に食べて旨い物。基本の“二八”や“十割”好みはそば打ち人なら誰もが納得する。
昨日から二日間東京ビッグサイトでアマチュア無線フェステバル“ハムフェアー”が開催されている。アマチュア無線の衰退と共に年々縮小されて三日間開催も今や二日間。以前には何よりも優先して参加していたが、興味も薄れてしまったし、逢ってみたい友人も少なくなって、もう4~5年も参加していない。冥土の土産にそのうちなんて考える事もあるが・・・閻魔様からお呼びがある前には再び参加してみたい。

柔らかハンバーグ

2011年08月27日 | 男の料理
            
レストランですら滅多に出合った事の無い柔らかくてどっと肉汁が溢れ出す本物の旨いハンバーグ。これを求めていろいろ試してもまだ満足する物は作れない。一週間ほど前、TVで「ザ・ベストレシピ」で偶然自分の求めていた“肉汁たっぷり柔らかハンバーグ”を紹介していたので、今日挑戦した。
これまでのレシピと格段の差は無かったが、材料のねり込み順とスパイス投入順にポイントがあり、ねり込んだタネは30分以上冷蔵庫で熟成が新たなヒントで、更に焼き方にも。水を加えて(餃子の焼き方に類似)蓋をして中火で片面4分焼き、焼き色がついたらひっくり返して中火3分焼く。
ソースの作り方も紹介されて、水・ケチャップ・デミグラスソース・中濃ソース全て1:1の割合だったが、これは塩辛くてレシピの記載ミス?だった。当然家族からはソースにクレームが集中して、肉汁と軟らかさでは合格点をもらったが、大失敗。

原発事故19

2011年08月27日 | 原発事故
            
不定期で実施されている県の野菜と果実の放射性物質検査結果が発表されて「南相馬と信夫山の柚子からは基準値を超えて農家に出荷自粛を要請した」と今朝のローカル紙とTVローカルニュースで放映された。
ゆずは収穫にはまだ早く10月下旬頃から収穫期を迎えるが、米に準じた事前調査なのだろ。同時に発表された野菜と桃・梨・りんご・ぶどうは暫定基準値以下も、全て汚染されているが「食べても健康には害の無い値」だそうだ。しかし、自分は精神的に県産品や近県産は一切口にしていない。みんな風評被害とオウム返しをしているが、実害なのだから皆早く眼を覚まして欲しい。
爆発直後には、農作物の汚染被害は素人でも容易に予測されたので、我が道楽の“素人百姓小作人”野菜作りも中止してしまったし、そして“手打ちそば打ち”も、今年は完熟した信夫山の柚子で『ゆず切り』を打つ事は叶わないと思ってはいたが、こんなに早く断念とは思いもよらず本当に残念だ。
信夫山の完熟した柚子に優る物は無かっただけに、不味いと知って他県産では打つ気はしない。また1つ自分の夢を奪ってしまった原発は憎い!

Arrived QSL

2011年08月26日 | アマチュア無線
            
6W2SC(Senegal)17mCWとJ5UAP(Guine-Bissau)30mCWのQSLが八王子の小林さんと云う方から転送されて来た。
QSL MGRのHA3AUIに十分な返信料を入れて送っていたが、HA3AUIは郵便料金を節約するために日本宛の分を小林氏へ丸投げしてしまった様だ。こんなケースは結構あって自分も何度か押付けられて切手代は自腹で負担、時には封筒書きまでしなければならない事もあった。今回も切手は小林氏が負担している。お互い様とは云え、中には“ナシノツブテ”のチャッカリ組も数人いたが、切手を同封した礼状は常識なので即実行した。

Arrived QSL

2011年08月24日 | アマチュア無線
            
PJ7ROJ(St.Maarten)のDXペデションはハリケーンを避けて一日早く終了してしまい、今朝のラストチャンスに賭けたが空振りに終った。期間中、自分には40/30mCWと15mSSBで僅かなチャンスはあったが、ボロアンテナの受信感度と馬力不足で完敗した。
5N(Nigeria)は以前から仕事等で訪れた多くの外国人による長期間の運用があり、アフリカの雑魚と言ってしまえば申し訳ないが、WARC Bandと80mでBand Newを与えてくれた5N7Mから80mCW(19.Fwb.20011)のQSLが今日届いた。

なすの漬物

2011年08月22日 | 男の料理
  
                    
今年は原発事故で夏野菜の栽培も中止した。気がつけばなすは一度も食べていなかったし、急になすの漬物が食べたくなったので、秋田の無線友達HMZさん奥方直伝の「なすがっこ」昨年に続き二度目の挑戦をした。
「がっこ」は秋田の方言で漬物の事で、語源は青春時代秋田に赴任した直後に飲み屋の“カッパ”の母さんに『雅に香るもの』と教えられた。秋田の代表的な漬物に、大根を囲炉裏の天井に吊るして燻製にした糠漬の「いぶり漬け」があるが、他にも実に多くの郷土の漬物があり、これもその一品で、恐らく母親や姑から何代にも及ぶ伝授品ではないだろうか。
無線仲間秋のADXAミーテングには欠かさず奥方様から差し入れがあり、麹漬けとは全く異なったねっとりとした甘塩辛さはクセになり、ご飯にも、下戸の自分でさえも日本酒が欲しくなってしまう絶品だ。
地物県産品は放射能汚染でとても危なくて使えないが、山形産の小なすが入手出来たので3日前に漬込み、昼にお茶受けで試食した。ミョウバンを省略してしまったので鮮やかなブルーには着色しなかったが、視覚以外は味で十分に満足した。
【直伝レシピ】
〈材 料〉
  もち米2合、なす2.5Kg、塩100g、砂糖300g
 作り方〉
  ①もち米を2.5合の水で炊く。
  ②炊上った①に塩、砂糖を入れて突く。
  ③ナイロン袋へナスを入れミョウバン大さじ1を加え5分位もむ。
  ④突き上げたもち米と③を合わせる。3日頃から食べられる。

ゆず切り

2011年08月20日 | 手打ち蕎麦打ち
  
                    
昨夜は庭先から虫の音が聴かれて、お盆過ぎには例年通り福島にも秋の気配が感じられて来た。気温も昨日から急激に10℃も下り、これも異常気象の証なのだろうか。
今日の研究会参加者は少ないとかで「事務局渡辺さんからお誘いを受けた」と事前にE-Mailで知らせのあった本田さんもしばらくぶりに参加した。そして同様に勧誘があったのか問う事はなかったが、会長の板垣さん、霞ヶ関の役人(畠さんの見事な表現)霞さんの二人は本当に珍しく1年ぶり。また某市の役人菊田さんも半年ぶりの参加で、始ってみれば10人、かろうじてワースト記録は回避出来た。
霞が関さんはイの一番に1.5Kgを打った後には、この場では初めて熟成して持ち込んだ“うどん”を打った。この会で“そば”以外は邪道だが、参加者も少なく部屋の借用時間内だし、こんな時は許せるのかな?“そば”には何かと厳しかった会長も黙認だった。
自分は先日渡辺さんから祇園祭のお土産に頂いた京都七味家本舗の「ゆず粉」を使って“ゆず切り”を打った。前回打った人達は625g(更科粉500g+つなぎ粉125g)へゆず粉5g入れたが、香・味・着色共に不足だったので、一袋10gを全部使った。結果は満足出来る物だったが、信夫山の完熟したゆずに食べ慣れていた家族達の反応はイマイチで「何かそうめんみたい」には絶望。しかし、ゆずの端境期には“ゆず切り”として充分に認知される一品に違いは無い様だ。

“菊の里”そば打ち体験教室

2011年08月19日 | 手打ち蕎麦打ち
今年で何回目になるのか分らなくなってしまったが、青葉手打ちそば教室の同窓生鈴木(直)さんが勤める二本松市にある知的障害者の施設“菊の里”でそば打ち体験教室のお手伝いをして来た。
  
                    
吉成先生は模範演技を兼ねてみんなで食べるそばを打ち、常連の菅野さんと自分はそば打ち体験を担当、そして今回から新たにうどん打ち体験も加わり、これは後輩で福島教室の講師を勤めている二人の女性陣が担当した。
入所者は義務教育終了年齢から壮年までと幅広く、訓練を通して社会復帰可能者は卒園も大変少ないそうでお互いに顔馴染になってしまった。危険防止で包丁は使えないので“練り”から“延し”までだが、手足も不自由なので砂や泥んこ遊びの延長戦も、言葉巧みな菅野さんは特技をまんべんなく発揮して彼等を見事に操縦する。また新たに加わった“うどん”はうどん打ちを習得している二人が“練り”と“足踏み”まで担当した。
  
                    
昼食には天婦羅、いなり寿司の盛り合わせと自分達の打ったそば?を冷たい“かけそば”にして食べた。“茹で”を担当したが何故か厨房内はエアコン停止、五人前ずつ茹でる大鍋の前は正に蒸し風呂状態でしばらくぶりに健康的な大汗をかいた。
昼食後の午後のカリキュラムは反省会。体験中に撮影したスライドを再生しながら我々も参加して感想などを述べ合う。昨年から始めた事だが、鈴木(直)さんは栄養士として他のスタッフ二人と共に毎日の昼食作りだけかなと思っていたらこんな事まで。日常も本来業務の空き時間は他の職員と変わりない対応の様子で大奮闘ぶりが伺えた。

JA7AO氏逝く

2011年08月19日 | アマチュア無線
お空のコンデションも何となく秋の気配が感じられて、今朝22:40zには5T0JL(Mauritania)と17mCWでQSO出来た。夏期休業明け初のQSOでもあり、これを聴き付けたJA7GYPさんから早速電話の激励かと受話器を取ると、数年前から自宅療養中のJA7AOさんの訃報だった。
昨年9月19日のADXA秋のミーテング(秋の宮温泉)では体調があまり良くないので宿泊は出来ないと福祉タクシーで駆けつけてくれたのに、こんなに早く逝ってしまうとは驚きだった。
  
                     
25年前JARL総会福島大会に参加された時我家での記念撮影の一コマ、自分がDXCC Honor Roll入りしたばかりの頃。皆ADXAの仲間で左からJA7ZF,PL,AGO,BWT,ZP,AO。この頃は当然ながらみんな若くて血気盛んにDXに夢中だった。
AOさんとは自分の開局当時に40mA3でお逢いしていたが、本格的にお付合いを願う事になったのは、自分が秋田へ転勤して3年後の1968年に本格的にDXを始めた頃からだった。当時からAOさんはTOP BAND(160m)のパイオニアとして活躍されて、1974年2月には160mWACを完成されたと同時に世界初の6 BAND WACも受賞されて、以後「TOP BANDの神様」と世界中から認められていた。生き神様を失い何とも残念だが、今後は真の神様として世界のアマチュア無線史にJA7AOのコールサインは永久に残ると思う。
自分が東京へ再び戻り、また福島に落着いてからも青春時代を過した秋田は自分の故郷と錯覚するほどで、ミーテング等には頻繁に通い、AOさん宅へも何度もお邪魔して図々しくも泊めていただいた事もあった。本当にお世話になり、朝のコーヒーの味も忘れる事は出来ない。自分の貴重なお宝、QSLカードと贈呈していただいたAOさんが実質執筆した379ページ1994年発行の「秋田県アマチュア無線史」である。AOさん安らかにお休み下さい。合掌!