ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

5月のBand New Entity

2010年05月31日 | アマチュア無線
                        
            
2月以降活動の中心としていた12m Bandも3日のZL7Jで終止。期待していた成果も得られずコンデションは夏型に移行してしまった。
28日から開始されたE4Xも今回は無駄撃ちを回避して30m/12mとRTTYを狙ったが、あい変らず西日本方面の指定席でまともに聴こえなかったし、ここは政情不安定な国なので何年先になるか、12mはお預けになった。
以下今月のBand/Mode New Entity
 ☆ZL7J(Chatham Is)→12mCW 
 ☆V51AS(Namibia)→10mCW
 ☆VU2GSM(India)→15mCW
 ☆ZP6CW(Paraguay)→30mCW
 ☆LX1SF(Luxembourg)→17mRTTY
 ☆9A/VE3ZIK(Croatia)→30mRTTY
 ☆H44WG(Solomon Is)→20mRTTY
 ☆ER3ZZ(Moldova)→17mRTTY
 ☆TL0A(Central Africa)→30mRTTY
 ☆OH0/PA0VHA(Aland Is)→30mRTTY
 ☆EV1R(Belarus)→30mRTTY
 ☆OY3AA(Faroe Is)→17mCW
 ☆E4X(Palestine)→30mCW/17mRTTY

よもぎ切り

2010年05月29日 | 手打ち蕎麦打ち
            
ここしばらくの間は10人前後の参加者だったが、今日は16人で僅か4~5人増えただけで大盛況となり、以前の研究会の雰囲気を完全に取り戻した感じだった。
            
不作により4月以降は玄そば入手不可能で自家製粉の粉が使えず、各名産地の粉を製粉屋から購入して使ってきた。今日の粉は前回と同じ山形阿部製粉の粉。「前の挽きぐるみ(外皮を剥いて製粉)に比べて玄そば挽きなので少し打ち難いかも知れない」とWさんから説明を受けて500gを“十割”で打った。副会長の佐藤さんが生み出した熱湯7:水3を今回も厳守しようかとも思ったが、打つ番が最終組になってしまったので何となく気が焦り全て熱湯にしてしまった。前に打った人達も時間をかけ過ぎた人ほど苦労していたので“肉分け”から一気に“本延し”に移行して“巻延しし”を省略、結果は鮫肌も無くひび割れも最小限に抑えられた。しかし、江戸前(関東流)の打ち方としては失格で、先生や青葉教室の生徒の前ではゴマカシなので絶対に許されないのだ。
変りそばにすっかりハマッテしまった本田さんはよもぎパウダーを使った“よもぎ切り”、鈴木Hさんは“茶そば”を打った。“よもぎ切り”の茹で上がりは野性味豊かなやや黒ずんだ緑になった。初めて口にしたが、よもぎダンゴよりは薄味で“茶そば”より逸品かなと思った。

E4X

2010年05月29日 | アマチュア無線
E4X(Palestine)のDXペデションが昨日から6月6日までの予定で開始された。
定番になった枡埋めゲームも準備されてはいるが、まともにつき合うと非力な自分はストレスを抱え込むだけなので、今回はこれまでに取りこぼした30m/12mとRTTYにターゲット、マイペースで楽しむ事にした。
昨日の朝10.104MHzで初めて599+の信号を受信した。Eu,W,JA入乱れての大パイルアップ、稀にJA'sにもコールバックがあるが当然Big Gun達だけだ。参加しても無駄なので15分位聴いてQRT。夜14,18,21でも聴こえたが、少し聴いただけだった。
そして今朝再び10.104MHzでEuとJAのパイルアップ。Big Gun JA5AQC昨日も呼んでいたが今も居る。しばらくしてGetしたが、EuとJAほぼ半々位にコールバックがあり、何と自分と同レベルの局もGetした。自分も参戦、UP1~6KHzのダンゴ状態なので思い切って6.5~7でしばらく呼んだ。この周辺ではほとんど誰も呼ばないのに等しが、ダメかなーと思った瞬間「JA8PL?」で返った。JA8のPLは聞いた事がないので、再び送ると間違いなく自分へのコールバックだった。呼び始めてほぼ15分最近に無い効率の良い挑戦だった。
オペレターは昨日と同じ、自分の事を棚に上げて批判するのも悪いが下手だ。ほぼ毎回SM4とかJA4Fと半分位で応答して来て二度目にCFM(確認)する。しかもスローペースなので1分間にどれ位のペースなのか10分間正確にメモしてみた。1局→4回、2局→4回、3局→2回で先方の受信状況は判らないが、こんな珍オペレターは初めて。

郡山青葉教室28回目

2010年05月23日 | 手打ち蕎麦打ち
この教室は6月からスタートしたので一期生は2年のカリキュラムが終了して卒業になる。卒業する時は常識では挨拶をして行くから、誰もいなかったので多分全員継続するのだろうか。リタイアー組の習い事は所詮道楽で、入学しても2/3位は性に合わないのか途中で止めてしまう事が多い。継続する人は自分や他の仲間も同様であった様に力量不足を自覚して自ら留年する様だ。
今日は卒業者もあると言う事で同時に見学会も行われた。3人の参加者と他の受講生の飛込みもあって、今回は先生の実演と試食も初の試みとして行われた。

Arrived QSL

2010年05月21日 | アマチュア無線
            
ハイバンド12mのコンデションもすっかり夏型に変りもう楽しめなくなってしまった。2月と3月は結構楽しませてもらったが、コンデションの回復は中途半端で何故か局地的なオープンが多くてSメーターを振らせる局などはごく稀な事だった。そんな中この局は正真正銘59+30dBで一発で捕らえる事が出来た。これは正しく昔味わった10mカリブ海とのQSOの再来だと大いに期待したが、一回ポッキリの珍事、秋はどんな事になるのか楽しみだ。
            
80m/12mのBand New。どのバンドでも伝播的には問題の無い地域だが、以外に局数も少なく郵便事情も悪いのでQSLの回収には苦労する。12mの請求だけだったが、先の17mは途中でネコババ容易に想像出来る。因みに今回はアメリカから投函されていた。

DVDレコーダー

2010年05月19日 | その他
            
ビクターDR-MH30(H6年製)が遂に故障してしまった。保障期間を過ぎて1年位だったかな、デスクトレーが出なくなりマニアルの指示の操作でも回復せず修理に出すと無償で返却された。こんな事は初めで仲介したヤマダ電気担当者に問うと「メーカから無料の指示以外何もありませんでした」の回答で、若しかしたら訳ありのリコール製品だったのかな当時は疑った。それが再び一週間前、孫と一緒に新幹線のDVD鑑賞中に突然静止画状態で停止、デスクトレーも出なくなってしまった。前と同じヤマダ電気へ修理に持ち込むと、ビクター製品の修理条件ファイルを示され製造から6年以内制限もギリギリクリアーで、修理料金見積可能との事で手数料\2,500を支払い依頼した。3日後「HDD不具合で部品代\26,800と修理費・・・」アッと驚く金額に報告の途中で修理中止を告げた。
愚息は「HDDを探して来て自分で交換してしまえば」と言ったが、Web検索したところ1社だけHDD交換後のインストール方法がマニアルに記載されていたが、それ以外は公開していないので、PCのHDD交換とは異なり素人の手には負えない機器だ。
            
アナログ機器の終焉、こんな事態も予測して“撮影編集孫専科”のハイビジョン機器更新も計画中だったが、一気に更新する必要があり現状では資金不足であと4~5年は現状維持。そこで代替器をWeb検索。アナログ機器とは云え、カメラ→編集PC→DVD/HDDレコーダー相互間はiLINKデジタル信号で処理して来たので、コンポーネント信号でも可能だが、画質を落としてまでは我慢出来ないのでiLINK端子のある機器を探した。しかし、各社共にH7年以降の機器に備えは無く、しかもそれ以前の機器もビクターとSONYに限定されていた様だった。結局オークションで探す事になり、ビクターの同じ機種もあったが大部分は故障品。SONYの該当品(iLINK)もごく稀で、そんな中にNDR-XR1(H5年製)展示品新品が\15,980で2人が入札中だった。締切は5時間後、修理に出していたら恐らく3万円は下らなかったので2万以下ならと作戦開始。需要が少ないのだろうライバルは2人、しかし時にはサクラも居るから油断は禁物。何時もの作戦で5分前に値段を見て即断、\500単位の入札で\16,480+送料\1,260で落札した。
品物が届くと外箱はさすがに色あせていたが、本体は新品その物、セットの筐体が倍ほどあり、設置スペースから不満はあっても動作は全く問題無しだった。
カメラのランクを下げて家庭用にしても費用は最低50万円、年金生活者のHDTV化への実現には今やジャンボ宝くじの神頼み悲しい現実なのだ。

ふき料理

2010年05月17日 | 男の料理
            
畑の南側も住宅が建ちこんな半日陰も10時を過ぎると完全に日陰になってしまう。こんな所では何を作ってもダメなので、義母が友達からもらって庭の片隅に植えていたふきを数年前に移植した。隣の区画へ越境するほど繁殖力旺盛で今では一坪程にもなり、品種は不明だが天然物と遜色なくとても軟らかて旨いふきだ。
   
                    
料理教室で習得した先週は「ふきご飯」と「ふき炊き合わせ」を、今日は北陸地方の郷土料理の「ふき治部煮」と「ふき当座煮」を作った。
治部煮→鴨肉を使うが伊達地鶏で代用した。下処理したふきを調味料を加えたかつを出汁にしばらく漬けた後15分位煮てわかめを入れ更に煮る。煮汁を取り出し、肉に醤油と酒をふりかけ15分したら軽く煮あげる。
当座煮→下処理して油で炒め、調味料醤油1/2・かつお出汁・唐辛子1本を入れて煮る。汁気がなくなったら醤油1/2を加えて仕上げる。
治部煮は日本料理の真髄と云うか、ごった煮では無く具材を分けて煮た(本来は出汁も別)事によりそれぞれ味が微妙に異なり各具材の旨味も十分に引き出している。当座煮もふきの香りと辛味のバランスが絶妙で、下戸の自分でもビールのツマミにベストマッチ、ご飯のおかずの一品としても満足した。

西瓜・トマト移植

2010年05月16日 | 素人百姓
            
昨日までの低温続きの悪天候は信じられないほど回復して早朝から五月晴れ。ガーデン華へ開店と同時に飛び込み、各種苗物を調達して午前中に移植を終えた。
先に移植したナスは心配していた通り低温障害で葉が半枯れの様な萎縮も見られる。このまま好天が続けば回復は可能かも知れないが、過去には全滅した事もあったのでチョッと心配。
   
                    
3~4年前までは地元プロの農家が仕立てた苗物を半種類ほど移植していたが、近年は双方に足を運ぶのも何となく面倒になり、珍しい物も入手出来る苗物屋で全て賄っている。今日移植した全品種。西瓜とプリンスメロンは孫達の西瓜狩り用、低温対策保温のために捨てる堆肥袋を活用してこんな具合に苗帽子を被せた。

にらそば

2010年05月15日 | 手打ち蕎麦打ち
            
今日は事務担当の渡辺さんが急用で休み代行を命じられて、昨日瀬戸工房での粉の準備から本日の運営も何とか無事終えた。これまでは準備・そば打ち・撤収に集中するだけで良かったが、現金も扱いもあって意外と気疲れてしまった。
            
今日は自分だけ打ち残しの古い粉を打ち、不味いそばをそのまま食べるのも能が無く、過日TV番組「秘密のケンミンショー」で紹介していた栃木県鹿沼市周辺でごくあたり前に食べられている“にらそば”に挑戦した。これ以前に同じ栃木県内の“大根そば”が紹介されて、これを視聴した鹿沼市民が「自分の方にはそれより美味いにらそばがある」と挑戦状を差し出したそうだ。“大根そば”はそば打ち仲間のHさんが早速実践したが、大根はシーズオフでイマイチの感想だった。何れも薬味が発展してこんな食べ方になり、旨く食べる方法を否定する訳ではないが、経験から得た自分の結論は『旨いそばに薬味は不要』なのである。従って不味いそばを食べる時には薬味を十二分に使う。そんな訳で“にらそば”に挑戦した。にらは5cmに切り、そば茹でと同時進行して、別鍋の熱湯で30秒茹で氷水におとして盛り付る。TVで紹介していた通りに再現した。確かにシャキシャキとにらの咬み応えとこれ用に打った太目の田舎そばは、不味いそばだから当然にらの風味が優り特別な感激も無く『こんな物なんだ』と云った感じだった。

幻の山菜

2010年05月13日 | その他
            
幻の山菜、学名イヌドウナ(会津→ドッホ、米沢→ドホナ、秋田→ボンナ)を求めてそば打ちの先輩Kさんと米沢へ行って来た。二年ぶりに訪れた万世町にある食料品店“さかの”は山菜の種類も多く県内で採れる物は全部置いてあるそうだ。幻の山菜と自分自身への呼称だが、青春時代秋田で初めて口にして「この世にこんなにも美味い山菜があったのか!」と、その後会津下郷町の民宿で対面して大感激、近年は乱獲で姿を消してここ“さかの”でしか入手出来なくなった。イヌドウナ一本釣の目的りだったが、店主に薦められてナルコユリ(写真左)も求めた。
            
ナルコユリ。店主はクルミのミジン切りと味噌を合せた和え物が最高と言ったが、Web検索で見つけたマヨネーズと醤油のおひたしで食べた。茎の部分はややヌメリがあり芯はとろけそうな柔らかさで甘味とほのかな苦味があり、葉はシャキッとした食感と心地良い苦味が口いっぱいに広がり、食するほどに癖になりそうだ。
            
イヌドウナ。会津では生食する事はあまり無く大部分は茎の部分だけ塩漬けにして保存。シーズンオフに鰊の煮物の具材の一品脇役として出される事が多かった。秋田の少し高級な店ではかつお出汁の効いたおひたし、醤油だけでも良いがマヨネーズと醤油の方が更に美味しい。セロリーの様な香りと山うどよりはソフトなアクは何とも表現に苦しみ、自分では山菜の王様だと思っている。
   
                    
“さかの”を出て上杉藩下級武士達が開墾してそばを作ったと伝えられている南原地区芹沢の4~5軒の農家で共同経営しているそば屋へ行った。ここはそば打ちを始めて半年後に無線友達の薦めで訪ねた所で、作業小屋を改装した様な店舗も更に改装してとてもきれいになっていたが、残念ながら定休日だった。途中の笹野一刀彫集落のそば屋の看板を頼りに“なでら”と云う曲家を移築したそば屋に入った。11時半も過ぎていたのに自分達が一番客で何となく不安も覚えたが、やがて4人掛けテーブル8卓も満席になり後続の常連らしき客達は勝手に奥の部屋へ、繁盛している様子だった。建物は移築したままで今風の改装は何処にも見られず、店主も農家の親父そのもので、囲炉裏は焚き火ではなく炭火だったが、農家そのままの雰囲気がそば以上のご馳走だった。「なでらそばは丹精込めた二八の手打ちそば。そば粉八割つなぎ二割のそばはかんで味わっていただくとなおいっそう風味が増す」当店の自慢とパンフレットに記載されていた。しかし、そばは並のそばだった、